第7話

「山瀬さーん。」


1階に降りながら、山瀬さんを探す。店の奥を見ても誰も見当たらなかった。店の裏手の作業場を見ると台拭きになりそうな布があった。とりあえずそれを持って戻ろうとしていると、裏口の店のドアが開いて、箱を抱えた山瀬さんが入ってきた。


「あれ?どうかした?」


箱の脇から顔を出した山瀬さんは驚いた顔をしてこちらを見た。


「山瀬さん!花瓶を倒してしまって…。葵さんに拭き取るもの持ってきてほしいと言われまして…。」


山瀬さんは、作業台に置いてあった布を渡してくれた。


「これ使って。それに俺のことは柊って呼んで。葵だけ名前で呼ぶなんてずるいな。」


「え?」


山瀬さんは驚いている私を見て、悪戯っぽく笑った。


「おい!早くしろ!」


2階から葵さんの怒鳴る声が聞こえてきた。


「は、はい!ただ今!」


私は、山瀬さんに軽く会釈をすると、布を持って慌てて2階へ上がって行った。


「これで大丈夫ですか?」


「これ持ってくるだけでどんだけ時間かかってるんだよ。」


葵さんは私から台拭きをひったくると急いで机を拭いた。


「すみません。最初、山瀬さんいらっしゃらなくてら分からなくて…。」


慌てて走ってきたからなのか、それとも山瀬さんと話したせいなのか、ドキドキする胸に手を当てる。


コンコン部屋をノックする音が聞こえた。


「葵?もう行ける?」


山瀬さんがドアを開け部屋を覗き込んだ。


「おう。もう終わったから片付けたら行けるわ。」


「すみれちゃん今日のレッスンはどうだった?」


柊さんはにっこりと微笑んだ。いつもよりフランクに話しかけられ、嬉しさと、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。


「しゅ、柊さん。今日もレッスン楽しかったです。」


思い切って名前で呼んでみる。


「ふふ。それは良かった。」


優しく微笑む姿は、同じ兄弟でも葵さんとは全く正反対だった。


「あ、あのこの前の苺のタルトすごく美味しかったです。ありがとうございました!」


「それは良かった…。ケーキまたあるけど食べる?」


「えぇ?ぜひ!」


嬉しくて思わず大きな声が出てしまった。


「兄貴!時間ないんだろ?お前どんだけ食い意地張ってるんだよ!」


葵さんが私の頭にゲンコツをする。


「イタタタ。」


「まぁまぁ葵。ちょっとくらいいいじゃないか。お茶入れてくるよ。」


柊さんは笑いながら部屋を出て行った。私は、柊さんの優しい笑顔の余韻に浸り、ボーッとしていた。


「へぇー。お前、兄貴みたいなのがタイプなのか。」


葵さんがニヤニヤしながら私の顔を覗き込んだ。


「べ、別にそういうんじゃないですから。」


慌てて赤くなった顔を手でパタパタと仰ぐ。


「赤くなっちゃってウブなとこあるんだな。」


「兄弟なのに全然性格違いますね!葵さんは柊さんと違って意地悪!」


背伸びして思いっきり葵さんの頬を両手で引っ張った。


「イテッ。お前急に何するんだよ。年下のくせに。」


葵さんが私の頬を負けじと両手でで引っ張る。ドタバタと2人でもみ合っていると、笑い声が聞こえた。


「あはは。また2人でじゃれあって。いつのまにか仲良しになったんだね。」


お盆を持った柊さんは面白そうに私たちを見ていた。


「ひゅうさん」


私は頬を引っ張られながら、涙目で柊さんを見た。柊さんはクスクス笑いながら、フルーツののったタルトと紅茶をテーブルに並べる。


「2人とも食べよう?」


ヒリヒリする頬をさすりながら私は席に座った。


「美味しそうー。今回はフルーツタルトなんですね。」


「そうだよ。」


「うん。美味しい!柊さんスイーツ作り得意なんですね!」


「うーん。困っな。葵そろそろ本当のこと言ったら?」


柊さんが困ったこと顔をして葵さんを見る。


「え?本当のこと?」


「お、おい。余計なこと言うなよ。」


葵さんは柊さんを睨みつける。


「このケーキは葵が作ったんだよ。俺も少しは手伝ったけど。」


「え?葵さんが?」


驚いて葵さんを見ると、ふてくされて、赤い顔をした葵さんはそっぽを向いてしまった。


「じゃあ、この前の苺のタルトも葵さんが?」


「そうだよ!なんか文句あるのか?」


葵さんは怒ったように言うと、ますます顔を赤くする。


「文句ありますよ!なんでこの前の時に言ってくれなかったんですか?私ケーキとかうまく作れないので、尊敬します!」


興奮して立ち上がったせいか、机揺れ、ティーカップがカタカタと音を立てた。


「そんなこと恥ずかしくて言えるかよ。」


「えー?そうですか?全然恥ずかしくないですけど?うちの兄はパティシエなんで、男性がスイーツ作っても全く違和感ないんですけど。」


「兄がパティシエ?どこの店なんだ?」


急に葵さんの表情が変わる。


「え?アルブルって言う名前のケーキ屋なんですけど…。」


「アルブル…。最近ロールケーキが美味しいって評判の店だな…。」


葵さんがポツリと呟く。


「え?どうしてそれを?」


アルブルロールは父と兄が最近開発した新商品だった。葵さんの思わぬ情報源に驚きを隠せなかった。


「葵はスイーツマニアなんだよ。作るのも好きなんだけど、食べるのが大好きなんだ。」


柊さんがクスクス笑いながら葵さんに変わって説明する。


「兄貴!また余計なこと言って。でもバレたついでだ。お前今度、アルブルのロールケーキ買ってこいよ。」


「え?」


「スイーツマニアだけど、恥ずかしくてケーキ屋に買いに行けないんだよ。いつも俺が代わりに買いに行かされてるんだ。」


柊さんは困ったように笑った。


「別にいいですけど…。」


「本当か!あそこのケーキ屋いつも混んでるからなぁ。お前をレッスンに誘って正解だったな。」


葵さんが嬉しそうに笑った。そんな顔をして笑う葵さんは初めて見た。


「葵、もう時間だ。そろそろ行かないと。」


「ほら、言わんこっちゃない。俺たちこれから出先で仕事があるから、お前も早くケーキ食っちまえよ。」


「は、はい。」


慌てて残りのケーキを口に詰め込む。2人は既に食べ終え、荷物を1階へ運び出しているようだった。


「じゃあ、また来週な。ケーキ忘れるなよ。」


「じゃあね、すみれちゃん。また来週。」


2人は荷物を車に詰め込むと、あっという間に行ってしまった。時計を見るといつのまにか6時になっていた。私も慌てて、美智子との待ち合わせ場所へと向かった。今日は、柊さんと葵さんと前よりも、ぐんと距離が縮まった気がしてなんだか嬉しかった。





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