第7話

痛い。眠い。暖かい。そして柔らかい。


「うぅ…」



「目が覚めましたか?」


瞼を開くとボケた曖昧な視界が女性をまず捉えた。


「…うん」


うなずく。まるでいつもどおりの朝のように。まだ休みきってないと体が訴えてくる。瞼はまたゆっくりと落ちる。落ちた視界越しにフフフッ…と女性の笑い声が響く。


「休んで頂きたいのは山々ですが恐れ入りますがまだやる事がございます」


頭を優しくなでながら女性が耳元でささやく。

やる事。なんだ。分からない。それより眠い。眠い。夢を観よう。夢。夢。夢…じゃない。


「はッ!?」


飛び起きて、周囲を見渡す。


「誠はッ!?」


目の前の女性に叫ぶ。女性は静かに答えた。


「無事でございます。後ろで眠っておりましょう」


後ろを振り返ると毛布を羽織り眠っている少女がいた。見たところ手当てもされている。命に別状もないようだ。

ホッっと肩をなでおろす。


「よかったぁ…」


思わず女性のひざに頭を預けた。

ずっとこの女性が膝枕してくれていたようだった。

女性は膝に頭を預ける啓太の頭を黙って優しくなでていた。

啓太も疲労も相まって動く気にもならなかった。

あたりを見る。昨日の惨状を傷だらけの木製校舎が、そしてなにより左手がないことが全て真実だったことを物語っていた。


「ねぇ…えっとおねえちゃんは…」



「リーアとおよびください」



「えっとリーア姉ちゃんは何者?」



リーアは目を丸くしてクスクスと笑った。


「私は私でございます」


「いやそういうことじゃなくて…えっとなんていえばいいのかな」


「ここで色々お答え差し上げても構いませんが実際にあちらにいったほうがはやいかと」


「あっちってどっち?」


「あちらの世界でございます。こちらの世界には魔力が存在しませんので御身が今後危険になると判断します。よってあちらの世界に一緒に同行して頂く事になります」


「ちょっとまってよ。あっちって別の世界って事?」


「はい。すでに獣人にはあなた様の正体は知れ渡っているのでございましょう。そのうちあなた様を殺しに現れます」


「へ…殺す?僕を?」


「はい」


全くもって思考が追いつかない。僕を狙って。どうして。身に覚えのない事で自分が狙われているという事を理解するのでやっとだった。


「今は幸いにも朝でございます。彼らはこちらでは巨体故昼間に動き回ることはしないでしょう」


「待ってよ。どのくらいで戻ってこれるの?」


「…それは現状分かりかねます」


リーアは口を噤んだ。いえない事情があるのか。

啓太に話しても理解を得られないか。どちらにしろいかないという選択肢はなさそうであった。


「…わかった。だけどマm…母さんや姉ちゃんに許可だけもらわないといけないから家に一度帰ってもいい?」


リーアは複雑そうな表情を浮かべたが了承してくれた。

問題は誠だ。

これだけ傷だらけで夜家に帰らずさぞご両親も心配していることであろう。それをリーアと啓太ふたりが送り届けたらあらぬ誤解をされかねない。

話あった結果最初に啓太の家に行くことになった。誠はリーアがおぶってくれた。

道中このぼろぼろの格好を通りがかりの人々に怪しまれもしたが、今はそんな視線を気にしている場合でもなかった。歩きながらずっとこの腕の事をどう説明するかを考えていた。

明らかに御使いにいって腕がなくなったなんておかしい。

犯罪に巻き込まれたと思うのは明白だろう。

それに朝になって帰ってきつく母に絞られるだろう。

姉も夜必死に探し回ってくれたかもしれない。

どちらにしてもふたりに心配をかけてしまった。

たった二人の啓太の家族。はやくふたりの顔がみたい。

母は、姉はどんな顔をするだろう。怒るだろうか、それとも泣くだろうか、いやあのふたりには笑顔でいて欲しい。そんな悲しい顔させてしまったのは啓太自身なのだから家にかえったら真っ先にごめんなさいをしよう。仲直りしよう。

そう思いながらいると家が見えてきた。住み慣れた我が家。

なんだかひどくしばらくぶりに帰ってきたかのような気分であった。

思わずリーアたちのことを忘れ、家まで走った。左腕がない分走りづらい。バランスが取りづらい。

荒い息で、軋む体を精一杯動かし走る。そして玄関のドアをつかみ、勢いよくあけた。


「ただいま!」


家は静まりかえっていた。


「母さーん?姉ちゃーん?」


返事はない。静寂だけが漂っていた。

靴を脱ぎ、家に入る。早く母に、姉に顔を見せて安心させてあげたかった。思いっきり怒られてみんなで泣いて、最期は皆で笑うのだ。

リビングのドアを勢いよくあける。


「ただいま!」


「…」


リビングには人が確かにいた。

しかしそこにいたのは母でもなく、姉でもない黒いマントを羽織った男だった。


「え…おじさん誰?母さんは?姉ちゃんは?」


男は答えない。黙って包帯がぐるぐる巻かれた手を上げて床を指差した。


「え…」


そこには紅い何かが転がっていた。恐る恐る覗き込む。そしてそれは悲鳴に変わる。



















「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

















それは昨日まで母だった、姉だった者の肉解だった。

その瞬間啓太の中で何かが壊れた音がした。

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