第5話

教室はひどく静かだった。

 来る道中怪物が這いずりまわった跡が凄惨に残っており、古い木製校舎の廊下はずたずたに抜け、所々壁にぶつかったのか壁に擦った跡が残り所々血がべったりと付着していた。

 そんなにまで啓太という獲物は怪物にとって魅力的であり、いい玩具に映っていたのだろうか。

教室のドアは怪物が飛び出した時に壊れたため、大きな穴が開いていた。ドアを出た正面の廊下の窓ガラスは全て割れ、窓の下は全て削り取られたかのように剥ぎ取られ穴が横に長く広がっていた。

誠はうめいて頭から血は流しているもののそんなたいした出血量ではないようだ。恐らく体のどこかは確実に折れているだろう。

啓太は誠を抱え、教室を後にする。

ガタガタの廊下は、キシキシと音をたてる。

はやくここから出なくては。それだけを考え、誠の左手を肩にかけ、ぐったりとした体を引きずるように一歩一歩をゆっくりと踏み出す。



「ッ…!?」



体に力をこめるたびに左手が肘から先がないことを啓太に諭すように痛みが疾る。

そのたびに止まり、涙をこぼしそうになりながら、それを我慢し飲み込む。

泣くなんて後でいくらだって出来る。

今は誠と一緒に外に出るんだ。二人してこの地獄を乗り越えるのだ。

怪物は死んだ。一体何が起こったのかは分からないが、もうこの校舎に死神はいない。

ならばあとはでるだけだ。

そう一心に思い足を進める。ズズズ…と誠を引きずる音が大きくなるたび、背負いなおす。その度に体が力みと一緒に痛みが駆け巡る。

そんなこと構いもせず一歩一歩を踏み出す。

先ほど駆け抜けた廊下はひどく長かった。まるで迷宮に迷い込んでしまったかのようにすら思えた。

人一人抱えた小学生が動き回るには旧校舎は広すぎた。

ポタッ…ポタッ…

先ほどから水の滴る音が啓太らの跡を追っていた。

ポタッ…ポタッ…

その水滴は二点。啓太の左腕からも終始流れ落ちていた。

後ろを振り返ると、水滴が啓太らのあとに点々と残っていた。

しかしくらくてよくは見えない。黒いのかもしくは赤いのか。

それは抱える誠からも流れていた。

誠をおろし、そっと触る。

先ほど見たときは頭から流れていたと思っていた血は、わき腹から出ていた。


「うわッ」



べったりと手に付着した血に驚く。

暗闇ごしで色は見えないが啓太はこの感触を知っていた。



「怪物のと一緒だ…」



その手触りを彼は忘れる事はないだろう。

全身で感じたあの感触を。目の前で生命が散る感触を。そしてその紅い紅い花のような景色を。


ドシンッ! ドシンッ!


鈍音。とても重い。メキメキと木製の校舎が唸りをあげ、震える。

そしてメキャァ!という音と共に踏み抜かれた音。

その音はゆっくりと確実に近づいてくる。

廊下の真ん中で動けない。恐怖で足が震える。

啓太の頭の中には色々な考えが駆け巡っていた。先ほど死んだのではなかったのか。目の前であんなに凄惨に散ったではないか。ではなぜこのけたたましい腹の中まで響いてくる音が聞こえている。

それともあんな化け物がもう一匹いて、それで啓太らを狙っているのか。

もうさっきみたいに偶然で助かりっこない。助けてくれ。助けてください。助けて誰か。


(マママママママママママママママママママ)


その場にへたり込みうずくまり、ただただこちらへ来るなと祈る。

ドシンッ…ドシンッ…

願いが通じたのか音は遠のく。

(助かった…?やったぁ…)

生きてる。それを実感し、かみ締めた。


「うッ…」


「ヴ」


安心した途端左手に痛みを感じる。

痛みに呻いた。しかし自分とは別にもうひとつ違う声。


「え…」


それは背後。顔をあげる。

そこにはただただ黒。

当たり前だ。だって今は夜なんだから。自分にそう言い聞かせる。

本当は分かってる。分かっているけど言い聞かせずにはいられなかった。手を伸ばさずにはいられなかった。

その夜は触れられる夜だった。

先ほどの怪物が壊した廊下は見晴らしよく外がよく見える。

先刻また隠れてしまった月がまた顔を出す。つくずく思う。

今夜は月に恵まれてないと。

その光が照らし出すのは絶望と過酷な現実の姿だと。

零し火が照らしだしたのは禍々しい夜の姿だった。

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