第3話

暗闇の中、彼は問われていた。


「いいもなにも、俺には関係ない」


啓太は答える。それが精一杯の彼なりの強がりであった。


彼女は笑う。その笑みは闇にもみ消され、映る事はなかったが、冷たいもののように感じられた。


まるで心の中を見透かされているような、そんな気がして気がつけば啓太は彼女に背を向け歩みを踏み出


していた。


「逃げるんだ」


その言葉が胸に刺さる。しかし歩みを止めない。そんなこと啓太自身には関係のないことだ。


「恐いんでしょ?」


背を向けている啓太に彼女は言葉を続ける。だが彼は止まらない。


「あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?」


「うるさい」


歩みを止め、一言そうつぶやいた。俺には関係ない。誠が虐められてるのだって、こんなことになってる


のだって彼女自身に原因が少なからずあるし、仮に啓太自身が行った所で何になる。なにも出来ずに終わ


るに決まってる。


歌那多のようにお人よしじゃないし、何より余計な事に首を突っ込んで次のいじめの標的にでもなったら


どうする。なら最初から何もしないほうがいい。


「君は…」


「僕は…」


彼女の言葉を遮るように啓太は続ける。


「いや、俺は、英雄ヒーローじゃない」


しばしの沈黙のあと彼女は一言「そう」と短くつぶやき、そのあと言葉が帰ってくることは無かった。









「ただいま」


自宅に着き、すぐ自室に向かう。ランドセルを無造作に置き、ベットに横になる。


学校での誠の表情が脳裏から離れない。まるでかわいそうなものをみるような目。


「クソッ」


枕に顔をうずめ、必死に忘れようとする。


何で自分がこんな事で悩まなければいけないのか。


「啓太ー!帰ってるのぉ?」


ノックの音と共に声が啓太の耳に響く。


「何?おかあさん」


啓太が顔をあげると同時にドアが開く。


「もう帰ってるなら顔くらいだしてよ」


そこには女性が一人、長い黒髪を緩く後ろで結び、左の泣きほくろが特徴的な啓太の母、斉藤多恵が立っていた。



「ごめん。ちょっと考えごとしてた」


「そっか。難しい年頃だもんね。頑張れ男の子!」



多恵は「ファイト!」とガッツポーズをして部屋を後にした。一体何がしたかったんだと考えていた矢先またドアが開く。


「あ、啓ちゃん。今日肉じゃがなんだけどにんじんと白滝きらしてて…今から買って来てくれない?」


「えぇ…今からぁ」


「お願い」


 多恵は両手を合わせて上目遣いでお願いしてくる。啓太はひとつため息をつき、「分かった」といい、ジャージに着替え、手を振って「いってらっしゃーい」と見送る母を後ろ目に玄関を開く。

外は陰りを生み、仄かに残る紅を背に黄昏時を迎えていた。



 近所のスーパーは存外込んでいた。まぁ夕方の7時前。会社帰りや主婦層で店内は賑わいを見せている。

目的の白滝、にんじんをそろえ、買い物袋にいれ、店をあとにする。

外は暗くなっていた。そして時間も店内が込んでいたため押してしまっている。早く帰ろう。そう思いながら足を速める。

夜の道は存外不気味だ。電柱の街灯が薄暗く消えたり、ついたりし仄かに道を照らしている。


「だからいきたくなかったんだよ…」


と啓太はひとりでぼやきながら足を早める。


「君はいかないの?」


後ろから声がかかる。啓太の足が止まった。今まで足音は後ろから聞こえなかったし、振り返ってその声の正体を視る事が彼にはできなかった。


「廃校舎…行かなくていいの?」


背中越しの声に体がびくつく。


「図星ってとこかなぁ?フフッ…」


声の主は不適にあざ笑う。


「いいもなにも、俺には関係ない」


啓太は答える。


「フフッ…震えちゃってる。恐いんでしょ?」


啓太は答えず、そのまま前に足を進める。


「逃げるんだ」


言葉は絶えず背後から続く。しかし啓太の歩みも止まらない。


「恐いんでしょ?」


渇いた言葉が虚しく消える。


「あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?」


「うるさい」


足を止め一言、啓太は呟いた。


俺には関係ない。虐められるのも、誠が悪い。勝手にそれに巻き込まれるのは歌那多が悪い。


仮に啓太自身が行った所で何になる。なにも出来ずに終わるに決まってる。


何より余計な事に首を突っ込んで次のいじめの標的にでもなったらどうする。


なら最初から何もしないほうがいい。


「君は…」


「僕は…」


言葉を遮る。


「いや、俺は、英雄ヒーローじゃない」


「そう」


それ以上の言葉は返ってこなかった。


そうだ。英雄ヒーローなんかじゃない。そう。どこにでもいる見栄っ張りで臆病な小学生だ。


家の方向に足を動かす。歩きながら先ほどの言葉が頭をよぎる。


『あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?』


「あぁもう!」


考えるな。考えるな。考えるな。啓太は自分に言い聞かせる。


『助けてほしかったんじゃない?』


気がつけば走っていた。家とは逆の方向に。


目的地は、廃校舎。啓太は全力で走る。




      ◇ ◇ ◇




 眠い。頭がぼーっとする。どのくらい寝ていたのだろうか。あたりを見渡す。暗い。音が聞こえる。水の音。ポタッ、ポタッ…静かで暗い空間に水滴が滴る音だけが小さくこだまする。

 昼間に剛にここ、廃校舎第二音楽室に連れてこられた。一人でこんな場所に夜まで置き去りにされるのは嫌で必死に抵抗したが、教室の外から鍵を掛けられ結局閉じ込められたまま、気づけば待ちくたびれて眠ってしまっていた。


「…寒い」


 自らの体を抱える。窓の外を振り返ると窓はガラスが一部割れていて、そこから風が吹き込んでいた。

冬はあけたとはいえ、まだ季節は春だ。夜になれば気温も低くなり、吹きつける風はまだ肌寒い。


「歌那多くん、来てくれるかな…」


 歌那多が誠を助けに来てくれなければ誠はずっとこのままここにいることになる。今までどおり剛達に脅えて過ごさなくてはいけない。


「なんで…私がこんな目にあわなくちゃいけないの…」


 誠から涙がこぼれる。原因は一度した失敗。ただそれだけだ。しかしいじめの張本人の剛からすればいじめの標的にするには十分な理由であったようだ。


「ママに怒られちゃうな…」


ガタッ…廊下が軋む音。その音は続く。教室の近くで不規則に鳴る。

 誠は恐る、恐るドアに近づいた。


「…歌那多、くん?それとも…剛くん?」


足音が止まった。しかし返事はない。

 ドアの外を見たい。しかしドアは外から鍵が掛けられててあかない。


「誰かいるの?返事して?」


誠は教室の外まで聞こえる声でめいっぱい叫んだ。


しかし誠の声は虚しく手狭な教室に響き、返答はなく帰ってきた答えは静寂だった。


時間は夜の11時半、もう誰かきてもいいはずだ。しかし誰もこないという事は何かあったのだろうか。


「クゥーン…」


「え」


誠が振り返るとそこには犬が一匹。柴犬くらいの中型犬。くらくてシルエットのみがなんとなくだが分かる。

 そもそも一体何処から入ったのか。教室を見回すと、壁に小さな穴があいていた。恐らく隣の教室を通じて入ったのだろう。


「…おいで」


誠はしゃがみ、犬に手を差し伸べる。犬は誠のほうに歩みを進める。


ドガァァァァァン


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」


何が起こったかわからない。


突然吹き飛ばされた。


「…痛い」


起き上がり頭に手をやるとべったりとした感触。誠の頭から血が流れていた。

土煙が上がり、暗闇と相まって視界が良くない。

頭を抱えて、立ち上がり、壁が崩れたほうに足を進める。


「オマエ アジン」


後ろから声が響く。声は誠のはるか上から聞こえる。

誠は振り返る。そこには大きな影が立ちはだかっていた。

影は問う。


「オマエ アジン?」


「アジンって何?」

誠は答える。立ち竦みはしたが、不思議と誠は恐いという感情が無かった。まるで自分のペットと接するようなそんな感じだった。


「アジンノカジツ」


「か、じ、つ?くだもの、かな?」


「チガウ。カジツ チガウ」

どうやら果物ではなかったみたいだ。誠は考える。

果物でないのなら何なのだろう。腕組みして考える。


「ヒカリ ヒカル」


「うぅー…わかんない」


「ウソダ。オマエ、クサイ。ヒカリ クサイ」


次の瞬間影が動き、そして豪腕がうなり、誠めがけ振り下ろされた。

 土煙が上がり、教室が崩れる。崩れた壁から月明かりが注す。巨躯から放たれた拳が上げられる。割れたコンクリートの床には真っ赤な血液がまるで彼岸花のように咲き乱れて広がっていた。そして明かりに照らされて、影が浮かび上がる。そこに立ちつくしていたのは巨大な牛の獣人、そしてもうひとつ影が映し出される。


そこに立っていたのは小さいシルエット。斉藤啓太少年がそこに立っていた。

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