第2話

 寒い、寒い、寒い。ただただ寒い。そして背中によりかかってる子は冷たい。不規則な吐息はほのかに


暖かく、啓太の首筋を吹き抜け何事も無かったかのような冷たさがこの残酷な現実が夢じゃない事を教え


てくれる。そう夢じゃない。


「うぅ…」



背中の少女がうめき声を上げる。その少女の背中は真っ赤に染まっていた。したたる真っ赤な血。あるけ


ば歩くほど紅は鮮やかな紅から黒へと色を変え、啓太らの後を追う。


 ポタッ…ポタッ…


それはまるで死神の足音のように。


 ポタッ…ポタッ…


その音はもうひとつ。その足音は二人。


死神は少女のものだけではなかった。啓太の左腕は、肘から下が無かった。


そして


ドシンッ! ドシンッ!



腹の奥まで響く音。木製の校舎が軋む。震える。


そして踏み抜かれる。


その音はゆっくりではあるが確実に近づいてくる。


(頼む。こっちにこないでくれ…ママ…姉ちゃん…助けて…)


気がつけば廊下の真ん中でうずくまっていた。恐怖のあまり動けない。歯がガタガタと音を立てる。


ドシンッ…ドシンッ…


その音は遠のく。助かった。やった。生きてる。


安心したとたん今まで恐怖のあまり感じなかった左手に激痛が走る。


「うぅ…」



「ヴ」


痛みのあまり上げたうめき声。自分のものではないもの。


「え…」


顔を上げたそこにはただただ黒。黒。黒。


当たり前だ、今は深夜なのだから。当たり前だ。でもその黒はまるで夜すら感じさせない。


まるで影にのまれてしまったのかのような錯覚すら覚える。


その暗闇に手を伸ばす。何故伸ばしたのか。触れる夜なのか。そうでない夜なのか。ただただ好奇心と恐


怖のあまり出てしまった手だった。


答えは、触れなかった。それは自然現象だった。いつもの夜だ。


しかし啓太はおびえるが故気づかなかった。足音が止んでいたことに。先ほどまで絶えず鳴っていた死を運ぶ足音に。


そして死神の足音がひとつ止んでしまった事に。


追う死神はひとりきり。気がつかなかった。ひとりぼっちになってしまったことに。


雲が晴れ、月がこぼれる。こぼれた月はその校舎の窓から注ぐ。


ほんとは知ってた。視たくなかっただけ。


その零し火が照らし出したのは、夜の真の姿だった。


どうしてこうなってしまったのだろうか。


時は少し前までさかのぼる。









授業が終わり、昼休み。教室は賑わいを見せていた。


その中でもひときわにぎやかな集団があった。


その集団の真ん中には一人、少女がいた。名を日野誠。普段からおとなしい子でいつも教室の隅で本を読


んでいるような子だ。しかしそんな彼女が最近ガキ大将、宮田剛のグループの真ん中にいる。


きっかけは給食の配膳時、教室で昼時鬼ごっこをしだした剛が配膳中の誠にぶつかり、剛の服に給食をぶ


ちまけてしまったことによるものだった。おまけにその拍子に転んだ剛は運悪く倒れた体でぶつかった拍


子に転がっていった牛乳を踏み潰してしまい、一日中牛乳臭い服で下校時まですごす事になり、周りに牛


乳臭いといわれかなり気分の良くない思いをしたようで、それ以来誠をグループにいれいじめの対象とし


てなにかあるたびにつっかかっていた。


本人の性格も相まってか誠には友達がいなかった。おまけに剛に絡まれたとあっては皆が皆見ない振りをする。


最初は皆が見てない所でやっていたようで啓太は全くいじめが起こっている事すら知らなかった。


それにしった所で助けてやる程彼女と仲が良いわけでもなかった。


見てみぬ振り。皆と同じ。机につっぷし寝たふり。


「またはじまったよ。剛のよわいものいじめ」


頭上から声がかかる。顔をあげる。そこには親友の顔があった。


「まぁ俺らには関係ないしいいんじゃね?」


「冷たいなぁ…すこしは可哀想とか思わない?」


「お前はやさしすぎるんだよ、歌那多」

田崎歌那多。啓太の親友であり、幼稚園からの仲である。名前は女子のような名前をしているが男だ。


啓太は基本歌那多と二人で行動していた。啓太の性格なら剛達とも仲良く出来ただろうが歌那多がそれを嫌がった。


幼稚園からの付き合いもある。だからそれを優先したが、やはり今の現状をみれば分かるとおり歌那多のいうことは正解だったようだ。


「最初から嫌な奴だとおもってたんだよなぁ…あいつ」


歌那多がぽつりと漏らす。その通りだった。


最初から歳相応というのもあるだろうが、汚い言動、喧嘩の数々は後を耐えなかった。


こいつの言うとおりにして良かったとホッとする。


「きゃぁ!!!」


悲鳴。それは誠の悲鳴だった。


「おら。のめや。自分で零したんだろ。勿体ないよな、おいッ!!!」


誠の頭をつかみ、地面に零した牛乳を飲ませようと怒鳴り散らす。


「やめてぇ…お願ぃ…」


涙を流しながら牛乳で真っ白に染まった彼女は抵抗する。しかし抵抗空しく彼女の顔は地面にひれ伏す。


「どうだ?うめぇか?俺も味わったんだ。お前に味合わされたんだよ?誠ちゃん」


彼女は何も言わなかった。いえなかった。嗚咽ともいえるすすり泣く声、そして周りのささやき声で何かをいっても聞き取れないだろう。


「こんなのつらいよなぁ…こんなこともうやめてほしい?ねぇ!ねぇッ!?」


笑いながら誠の髪をつかみ顔を無理やり上げる。


「こっちみろよ、ブス」


上がった顔はひどく汚れていた。地面の汚れを吸った牛乳とすすもあるが彼女の表情は悲痛の顔で歪んでいた。大粒の涙が声にもならない嗚咽を零しながら流れ落ちた。


「みろよこいつきったねぇ顔、ブスに更に磨きがかかったな」


クラスには笑い声がこだまする。



「さすがにやりすぎだろ」


その笑い声が一斉に止まる。その声の主は歌那多だった。


「あれぇ…もしかして歌那多くん誠ちゃんのことすきなのー?ヤダー」


「そんなんじゃねぇよ。やりすぎだっていってんだよ」


「じゃあお前がかわりになんのかよ。あ?」


まずい。呆気に取られて啓太は動けずにいた。さすがに喧嘩が始まる前にとめなければ。


でもここで止めにはいったら自分まで苛められるかもしれない。だったらいっそこのまま、そう思い留まる。持ち前の元気も恐怖の前には怖気づく。

親友が体を張って出て行った。素晴らしいと思う。でもごめん、俺はお前と一緒に苛められるのは嫌だ。という気持ちが勝ってしまう。

上げかかった腰の力を抜く。ほっとしている自分がいる。

静寂。ただただ静寂。その静寂のさなか視た。視てしまった。誠がこっちを視ている。まるで弱いものをみるような目。そんな目で視るな。お前のほうが俺より可哀想な奴なんだ。だからそんな目を俺に向けるな。


ガラッ


 教室のドアが開き担任がはいってきた事によりこの一連の騒ぎはひとまず収束した。


担任は牛乳で水浸しになった誠に驚きはしたが体育着に着替えてきなさいと言いつけ、誠は体育着で授業を受けていた。


恐らく担任は遊んでそうなった程度にしかおもっていないのだろう。


誠はなにもなかったかのように授業を受けている。


授業中は剛もなにもしなかった。理由は簡単だ。担任の直子先生に惚れているからだ。


直子先生はとても優しく、なによりとっても綺麗だ。すらっとした手足、黒いショートヘアにぱっちりとした目と整った顔立ち。


なので悪ガキの剛も先生の前だけではいいこぶっているのだ。大人の色香に発情するのも大概にしとけ。お前には無理だ。マセガキが。おっと俺も歳一緒だったわ。と思う啓太だった。


授業も終わり、放課後。直子先生がいなくなった途端、教室に大声が響く。


「聞け。俺は誠ちゃんをそろそろゆるしてやろうとおもう。でもただで許すのは筋が違うと思う。だからゲームをしてもらおうと思う」


「これ以上なにしようってんだよ」

歌那多が吠える。


「おぉ恐い、恐い。王子様を怒らせちまったぜ」

笑いながら剛が言う。


「まぁ聞けよ。旧校舎分かるよな?あそこはでるんだぜおばけがさ」

笑いながら剛が続ける。


「その旧校舎と誠ちゃんをいじめてるのになんの関係があるんだよ」


「これはお前も関係してるんだぜ歌那多ぁ?旧校舎の第二音楽室そこに誠を迎えにいってもらう。なにもなくふたりで帰ってこれたら誠のことは水にながしてやるよ?どうだぁ?お・う・じ・さ・まぁ?カカカカカカカッ!!!」


「ッ!?お前勝手にそんなこと決めてんじゃねぇよ」


「なんだよ。恐いのぉ?ならいいけど。俺はやらなくてもいいんだよ?ね?まことちゃぁん?」

誠は黙っていた。


「…わかった。そうすればもう誠いじめたりしねぇんだな?」


「ヒュー!そうこなくっちゃな。かっこいいぜ歌那多」

 剛がうれしそうにニヤける。日時は夜12時、旧校舎に集合。それで決まり解散となった。




話し合いが終わり歌那多と帰路に着く。

「お前いいのかよ?旧校舎に12時って…ママに怒られんぞ」


「あぁ…ばれたら大目玉だよ。」

 歌那多は若干青白い顔になっている。旧校舎にいくという恐怖もあるだろうが歌那多の母親はとても恐い。

一度歌那多の家で遊んでる時にふざけて花瓶を割ってしまったことがあり、ふたりしておこられたことがあった。できれば思い出したくもない程だ。


「でも…誠が苛められ続けるのをただ見てられるほど大人じゃねぇんだよ」


子供ですね、ハイ。かっこいいこといってるけど子供ですよね。ただこの場にいたってはかっこいいのでちゃかさないで上げようと思う啓太だった。


「んじゃ俺こっちだから」


歌那多が手をあげ、またなと手を振る。


「んじゃまた明日な。無理すんなよ」


「わぁってるよ、んじゃ」


二人は別々の道を逝く。これが彼らの将来に隔たりを生む分かれ道だとはこの頃の啓太には知る由もなかった。

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