第20話

|教 授 は ま だ 立 つ ん ?|

 直子は、あっけらかんと聞いた。


「立つ立つ! 二本ともビンビンじゃ」

 教授はさも嬉しそうに笑う。


|二 本 ?|

 水曜日は周辺の店がほとんど休みなので、ママの美雪と香織は常連の上田達と食事に行ってそのまま帰るので、直子の他は、恵と沙織、それとベテランの満知子だけになる。

 そんなとき直子は、沙織に頼んでジュースにアルコールを混ぜてもらう。


|教 授 二 本 っ て な ん よ|

 今夜は少し、酔いのまわりが早いかもしれない。

 それでなくても教授とのやり取りは、頭がこんがらがる。


「直ちゃん、ちょっと飲みすぎやで。お母さんに言うたろ」

 満知子が咎めたが、子供の頃から知る直子にとって、彼女は叔母のような存在なので、気にはならない。


|見 せ て み い|


「今日は、二本とも家に忘れてきたけん。今度持ってきたときな。一本やるき、直ちゃんボクサーでもなりいな」


 若い娘に、卑猥ひわいな言葉をなげて喜ぶのは、男のひとつのさが。でも、教授はどこか上品だ。なにより酒場でインポテンツの話はご法度だが、相手が教授なら心配はいらない。

 満知子も沙織も、もう自分の接客に集中していた。


|幼 児 誘 拐 っ て あ る じ ゃ ん|


「直ちゃんが誘拐するんか?」


「なんでや……ねん」思わずつっこんでしまう。


 心理分析をしたかったのだが、教授の話は含蓄がありながら、時に明後日の方向に向く。今夜も話が進むうち、頓珍漢とんちんかんな展開になった。


「成人女性で幼女が好きな奴もいるし、反対に子供が大人を誘拐することもある」


|シ ョ タ コ ン ? 子 供 が 誘 拐 ? ? ?|

 もう訳が分からない。飲み足りなくてソーダにジンを入れるよう恵に合図を送る。









 酒が少し過ぎたようで、久々の二日酔い。

 昨夜、教授は(性欲とは相当なもので、行動の背景にはそれが可也の影響を与え、そして逆に、人それぞれの性的行動は、その人の無意識の領域が影響する)そんな風な内容を(何故ちんちんは二本必要か)に例えて、面白おかしく語った。

 誘拐の話はしゃぼん玉みたいに飛んでいく。


 段々と話が面白くなってきた直子は、(絶対ちんちん二本ある男見つける)と大きな声をあげたのは覚えている。その後、恵と満知子に抱えられ車で送ってもらった。


「あいたたっ」

 蛇口をひねり、コップに水を注ぐ。

 生水を飲むなと言う祖母は老人会に出かけているし、母はいつものように昨夜は帰って来なかった。誰にも怒られる心配はないが、頭痛はやりきれない。


「ニン……フォマ・・ニアか」

 直子は、ポタ落ちる水を睨みながら呟く。教授の言葉は、いつもひっかかる。


 ニンフォマニアとは色情性の意味だが、要するに淫乱女のことだ。

 男の場合はサチリアージスと言うらしい。なんか格好かっこういい外国の俳優みたいだ。


 ネットで調べてみると、男性の定義はさらに細分化されて、

 カサノヴァ型……女の子をくどき落とす、そのプロセスを愉しむタイプ。

 ドンファン型……愛の行為に重点を置き、肉体的快楽をむさぼるタイプ。

 ……だそうだ。


 女は恋愛のプロセスを楽しもうが、楽しまなかろうが、十把一じゅっぱひとからげで色情狂、淫乱女、ヤリマンなのはちょっと不公平だなと思った。


 そういえば、自分の天職は売春婦ではないだろうかと本気で考えたことがある。だが、嫌いな男と“実際”に寝るのは嫌だし、セックスを仕事として捉えた場合、とても自分には無理だと思う。……なんだか笑い話みたいだが、あながち笑い話でもない。自分は水商売にも向いていないし、地味な事務仕事は想像するだけでため息が出る。


「仕事・・か」

 飴玉を口に放り込む。どうしても食欲がなく食事が取れない時は、飴玉を舐めると良いそうだ。脳に力がある限り、ネガティブな思考をしても人はそれに耐えられる。


 最近ある同級生が、月50万稼いでいると聞いた……貢がせたのではなくキャバの月給。

 それまでも、進学や就職した子には差を付けられているような悔しい感覚はあったが、そもそも高校を途中で辞めたのもいるし親がかりで派手に遊びまわっている子も多い。   

 東京でミュージシャンを目指す彼氏の為に風俗で働くと言う子もいて、直子はその子と、の都合2回見送りに行った……自分より下の人間はたくさんいる。





 月額50万。……それは単に容姿だけで稼いでいる訳ではなく、その影にもの凄い努力があると、水商売を少しかじっていればわかる。直子のほぼ5倍。恵たちの時給の半分しか貰ってないとしても、現実にあたりにするとショックを受ける金額。

 ……いや、金額が問題ではないのかもしれない。


 学生の延長線ではなく、生身の人間としての差。

 タレントにでもなって華やかに地元からスターになったとかなら、まだ世界が違いすぎてなんとも思わないのだが……。

 プライドを持てる立場が、今の直子にはなにもないことに無意識の中、感情を刺激される。



〔OLを辞めて、将来農業をやろうかと思うんだけど〕

 だから勲とのチャット中、ふと直子の指先は動いたのだ。

 二人で調べていく内に、偶々たまたま、勲の住む地域で翌日そのような説明会があった。


〔よくテレビなんかで、都会の生活に疲れて農業や漁業をしたいって人がいるけど、田舎の方が人間関係はきついよ。近所のおばさんなんかまるでCIAだぜ? どこの学校に行って、仕事は何をして、……なにからなにまで知りたがる。そして噂話だ。精々、職場のしがらみだけしかない都会の人間が、田舎で暮らすのはそれほど容易なことじゃないと思うよ?〕

 勲は、最初乗り気ではなかった。


〔そうだよね。安易だよね。でもこのままOL続けていても……。もちろん結婚することが大前提だけど、でもそれだけじゃ将来は悩むのよね。何か生み出す、生産することには魅力を感じているのだけど……。昔ほど、人間関係は煩わしくないかもしれないし、会社として入るなら、それはそれでありかなと思って〕


〔どうかな~明日休みだし、どうせ暇だから覗いてみようか? ウーロンより俺の方が真剣に考えるべきかもな。しがないパートだしさ(ノд`)〕

 深夜、そんな会話があって勲は出向いたわけだが、当の直子は、翌日にはそのことに興味を失っていた。

 自分がやりたいことはなんなのか……少なくとも農業ではなかった。

 朴訥ぼくとつとした風景や生活には憧れるところはあるが、それがイメージだけなのは、直子にもわかっている。


 

 小さくなった飴をカリっと噛んだ。本人はそれでも前向きなつもり。

 仕事のことを考えるなら、OLに自分を設定するのが良い。セックスなら売春婦。恋愛の場合は、男女両方になる必要がある。真理への近道。難しいことはまた教授に聞けばいい。

 誘拐犯の気持ちは……今度、直接本人に聞こう。






 頭痛がやや引いて、カチャカチャとマウスを動かす手も早くなった。

 検索した画面に、色情症の対義が、男なら性的不能症、女なら性的不感症と書いてある。


(色情症じゃなきゃインポかマグロか)

 セックスが好きな度合いを、量的に換算すればそう言うことになるらしい。

 量じゃなければ質なのだが、それだと異常、つまりは変態の部類。


 (アナル好きのあいつとは暫くメールしてないな)と、ふと頭をかすめる。

 原因はさまざまで、生まれつき、トラウマ、成長過程の何らかの出来事、性器その他の肉体的起因、etc……


 トラウマ……直子は幼い頃、母の彼氏に性的な悪戯をされたことがある。

 薄い記憶ではあるが、その内容はそれほど深刻なものではなかった。

 祖母は知らないし、母と娘の中での忌み言葉タブー……というのが暗黙の了解。

 だが、母が悩んだほど、直子はそのことを気にもしていない。

 自分が多情なのはその所為か? どうもそんなのは関係ないらしい。

 セックスが嫌いなら不感症。それよりは全然正常であるし問題はない。

 ただ、恋愛のプロセスを楽しんでいるのかと言われれば、そうでもなかった。ネットの中で馬鹿な男達を翻弄はするが、プロセスに関してはもっぱら一途、と言うより少し引っ込み思案か。祐樹への熱が冷めてからその対象も今はいない。



 飴玉を2個、一度に放り込む。リスみたいな顔になる。教授のせいで太りそうだ。



 画面に、漁業関係の就職案内が出てきた。


「女に……漁業は・・ないな」

 部屋に誰もいないので、独り言が多い。


 白いコンクリートの中に、土を使わず栄養素を溶かした水で育てられた、鮮やかな緑の畑が現れた。


「いいじゃん」

 独り言が更に出る。直子は店の仕事もまじめにやっているし、そもそも労働自体、別に苦ではない。……ただ最近、スナックに行くのは億劫だが。


 開店までの有り余る時間を、直子は、色々な直子自身を確認する作業に使う。

 画面の中に、脈略みゃくりゃくのないものが、同時に映っては消えていく。


 直子の肉体、退屈、過去、そして未来。

 あらゆることに、直子は答えを求めていた。


















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