第17話

「明日休みだろう。もう一軒行かないか」

「珍しいな。どうした? 女の店にでも行くか」

「いや、知っている店があるから」

 弁慶からの帰り道、同じような黒のコートを羽織った二人は、影にしか見えない。


 オレンジ色の灯りが、申し訳なさそうに店の看板を照らしている。

 マスター独りやっている色気のない店なので、案の定、この時間に客はいない。 

 ダブルのウイスキーを並べると、少し離れてマスターは仕込みを始めた。


「良い店だな」

「前にマシンガンと来たことがあるんだ」

「ははは、あいつ、女がいる店は苦手だからな。もしかして童貞じゃないのか? 今度さ、二人でふでおろしに連れて行ってやろう。若いのに介護ばかりじゃ可哀想じゃけん」

「どうかな。今の若い奴は、ふしだらか臆病……潔癖けっぺきか。両極端りょうきょくたんだしな」

「ちょっと違うよな~俺たちの時代とは。先輩に連れられて特攻したりさ。碌な店、無かったけど。あの頃さあ……」

 昔話をしたがっていると思ったか、戸髙は広島時代に水を向けた。


「お前、裕子さんと結婚して何年になる?」

 勲はそれをさえぎる。彼女が精神を乱し万引きをしたことは無論、伏せて話した。



「……心配かけたな。すまん」

 戸髙は、グラスの中の液体に語りかけるみたいに言う。


「色々あってな。夫婦には、……お前にもわかるだろう」

「ああ。もちろん、お前が一方的に悪いなんて思ってないさ」

 勲は、心とは違う言葉を口にした。


「心配しなくてもいいよ。二人で話し合ってみる。そもそも……暴力なんてここ最近ないんだ……冷静に話し合ってみる。ありがとう。言ってくれて」


(話し合う)その気力は戸髙にはもうなかった。彼女の思考は理解が出来ない。

 だが彼女が、岩本にどのように語ったかは想像がつく。そして離婚しようと言ったなら、所有物を失うことに、恐らく彼女は半狂乱になるだろう。

 ……それも想像が出来た。

 思考の中身は理解できなくとも行動は痛いほどわかる。それだけが、長い夫婦生活の成果かもしれない。


 戸髙の手は、飲み干したグラスをマスターへ突き出そうとして、そして……躊躇ためらうようにそれを諦めた。








 昼過ぎ、携帯にメールが入った。見ると(今っち)となっている。

 アルバイト始めに、愛称で登録し放置していた今村だ。

 復帰の話は断ったし恵も辞めてバイト先との接点はもう希薄で、口説きにでもくるのか? と、直子は少し首を傾げてメールを開いた。



<ごめん突然。立花さんが無断欠勤しているんだ。携帯にかけても繋がらないし、何とか連絡つかないだろうか? 松田さんは辞めるときに色々あって連絡し難くて……すまん>



普通のバイトなら即首だろうが、どこの職場にも辞められると困る人材は居る。



<わざわざごめん。いつから休んでいるの?>



<二日目。あの人いないと仕事回せないからさ。明日出てくれば大丈夫だから>



<OK連絡取ってみる。必ず出勤するように言うからよろしくね。ありがとう>



 今村とのメールの後、直子は即、真央に電話をした。


(この電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為かかりません)

 バイト先からの電話だけ” ブッチ” しているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。


 スナックに行くには、まだ時間がある。

 恵に迎えに来てもらおうかと思ったが、最近の真央の様子からそれは躊躇とまどわれた。



|お ば あ ち ゃ ん 原 チ ャ リ 借 り る|



 メモを残し、直子はヘルメットを被って家を飛び出す。



           嫌な予感がした。











 直子が真央のアパートに着いたのは、午後3時を少し過ぎていた。

 プレハブをふたつ重ねたような簡単な作りだが、家賃はそこそこ高い。


「もう~・・最悪」

 普段、ヘアスタイルが乱れるのを嫌ってバイクに乗らない直子は、必死で髪を撫で付けた。


 部屋を見上げるが、なんだか気が重い。

 馴染みの場所のはずなのに、車で送って貰ったのとはそこまでの道程が違うだけで不思議に別物に見える。

 本当は真央との関係とか、直子の気持ちのありようなのだが、2階に上がる階段の音もそれまで意識したことがないほど、妙に大きく感じた。


(ピンポーーーン)チャイムの音までがやけに大きい。考えてみればチャイムを押すのは初めてだ。

(ピンポーーーーン)

(ピンポーーーーーーン)

 不安な気持ちを抑えて、何度も何度もチャイムを押す。

 部屋には帰ってないのかもしれない。

 そう思った時、部屋の中から男の声がした。

 一瞬どきっとして、チェーンを外す音を聞きながら直子は少し後ずさりする。


「どちら様ですか」

 眼鏡をかけた大人しそうな男が出てきた。


「真央の友達? 今、真央さん買い物に行ってるんだ。直ぐに戻ると思うけど」

 最初、居留守を使おうとしたのに気がとがめたのか、恥かしそうに男は言う。

 直子より2,3歳年上なのだろうが、少しオドオドとしている。


「あ、もしかして直子さん? どうしよう、俺、外に出てるから、車あるし。部屋で待つ?」男はちらりと直子の耳の小さな“補聴器”に目を遣りそう言った。


(私のことを知っている)


 男が居る部屋では入り辛いと思ったのか、気を使っている様子だ。

 大学生だろうか……イカツイ男が出て来ても困るがこうも上品だと調子がくるう。


(何も喋らない友人が来た。それだけ真央に伝われば十分)


 直子は頭をぺこっと下げ、くるっと振り返りさっさとその場を離れた。

 男は何か言おうとしたが怪訝そうに軽く会釈して、そのまま静かにドアを閉める。









 一旦、家に帰っても開店まで時間はあるが直子はそのままバイクで直行した。自殺しているのじゃないかとか、色々考えたのが馬鹿馬鹿しい。

 少しだけ、あの男に監禁……とかも頭をよぎったが、あの感じなら心配いらないだろう。


 不意にバイブレーションが走り、びっくりして直子はバイクをふら付かせた。

 スカートに携帯を入れるスペースがないので、胸ポケットに入れたのを忘れていたのだ。路肩にバイクを止め、確認すると真央からのメール。チャットに来てくれと書いてある。



〔アパート来てくれたんだって?〕

〔真央、無断欠勤してるんじゃろ? 今っちからメール来たで〕

〔そっか〕

〔そっかじゃないじゃん。あのお兄さんと一緒だったん? 誰? あの人〕

〔あー、知ってる人なんじゃけど、前から。実家帰りに送ってくれるって……〕

〔なんか今までと感じ違うじゃん。顔はシュッとしてるけど、目茶めちゃ真面目そう〕

〔まあ、ちょっと大人しいけど。優しいし、結構おもしろい人なんよ〕

〔ほう。意外にぞっこんですな。二日間もラブラブで〕

〔そんなんとちゃうって。江田島まで行ってみようってことになってなんとなく連絡せずにバイト休んでしもてん〕

〔珍しいな、真央がズルするなんて。…で、バイトどうするん?〕

〔ほんまごめん。明日はちゃんと出るから、私の方から今っちに電話するわ〕



 携帯を閉じ、真央はアパートの駐車場で、何もない空を見上げた。

 仕事がどうなるか……どこか心の隅で心配しながらのサボタージュ。

 直子にはドライブと言ったが、実はここ2日、まるまるセックスしていた。

 最近の自分の感情が自分でもまずいと感じて、どうにか軌道修正したかった。



 真央自身、セックスは気持ち良いと思うしそれは相手が男でも女でも変わらない、


 それは今も昔も。


 他人とは違うと感じ始めた頃、


 レズなのかバイセクシャルなのか、自分がどのカテゴリーなのか、


 悩んだこともある。



 でも、そんなことは意味がない。

 他人と違う生き方をつらぬくほど、自分は強くないから。














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