第16話

「今のままじゃ、将来が不安ですよ」

 マシンガンは、資格を取るか、今の仕事を辞めて転職したいようだ。

 最近、彼が母親の介護を父親に任せられる日はちょくちょく弁慶で一緒に飲む。

 苦労人の彼は今どき珍しく真面目で、勲に年齢の差をあまり感じさせない。

 ただ、仕事は二年を待たず変わっているようで、そこら辺が彼の若者としての

“らしさ” だろうか。


「技術職だって、履歴書が転職だらけじゃ……どんな仕事でも長く勤めているほうが信用されるし……3年だな。3年勤めるの目標にすればいいよ。資格は資格で取ればいいんだし」

 そうは言ったが、素直な彼に正論をぶつことで自分が癒されているだけかもしれない。同じ年頃に自分はもっと浮かれていたし、両親は幸い健在だが、寝たきりになったとしても……結局は、兄夫婦に全部まかせきりにするだろう。他人事だから簡単に言えるだけ。


「まあ、若いんだからいいよ。マシンガンは」

 脂がのった肉厚のもどがつおに手を伸ばそうとして、


「なに言うてん。岩本ちゃんなんか、わしらから見たら若い若い。わしら一文無しでこの店やったの五十からやで」

 大将が少し乱暴に、手羽先の焼き物を目の前に置いた。

 三十過ぎの男が、一瞬、少年になる。


 弁慶を出て、珍しくもう一軒行こうと言う話になった。

 ショットバーの安っぽい無音が、勲の口を滑らせる。

 マシンガンは最初驚いたようだったが、直ぐにそれを冷静に受け止めた。

 関係性が薄い分、戸髙と暴力を客観的に結び付けたのだ。

 当然……解決策は出てこない。

 それはそうなのだ。三十過ぎの自分にも、未だに出せないでいる。


 自分は現実の友情とネットで知り合った関係の境界さえ区別出来なくなったのか? むろん今では実際に会った人物だが、だとしても彼は、相談するには余りにも若過ぎる。

 勲は後悔していた。話したことで、逆にそれが誤魔化しの利かないものになる。


 人間は、環境に慣れる。川本の罵声も失望の毎日にも。

 でも、勲が慣れてしまったのは、先送りする自分。

 戸髙の妻から暴力の相談を受けてどれくらい経つだろう。その時間の長さは、本来なら許されるべきものではない。人間は、暴力に慣れることが出来るだろうか?


 家庭内暴力について若い彼が懸命に語るのを、勲はただ黙って聞く。


「奥さんが、可哀想です」

 グラスが揺れる。……答えは出ていた。








            【メッセンジャーチャット内】

〔この前の話だけど言い過ぎた。二人の関係も良く知らないのに、すまん〕

〔ん? ああ、あれね。……実はねえ、縁切っちゃいますた。すっぱりwww〕

〔え!?・・ああ〕

〔なによw 縁切れって言った癖にw 大丈夫そんなに深い友達じゃないから〕

     ……なによ~めっちゃ悩んだんじゃけね!……


〔そうか・・・自分で言っておいてあれだけど、本当にそれで良かったのか?〕

〔自分で判断した結論だから。子供じゃないんだしw〕

     ……ほう? 後悔しとるのか? でもまあ、正論だったけどね……


〔そんなことよりさ、マシンガンと飲みに行きまくりだって?〕

〔そんなに行ってないよw たまに彼の休みの時だけ〕

〔いつも美味しい物ご馳走になってるって言ってたぞ~私にも奢ってよw〕

〔はは、こっちに来たらいつでも奢るよ。って大したもん食わせてないけどw〕

〔ニクとは実際に会うつもりないけど、大阪で磯、岩、機関銃の三人とならオフ楽しそう〕

〔話してみるとニクもいい奴だけどな〕

〔3人は変に言ってこないじゃん。この前なんか私、丸ちゃんにも口説かれたよw〕

〔ええ? あの人、五十過ぎだろw 馬力あるな~見習わなきゃw〕

     ……何を見習うのだ?……


〔そだよ。岩ちゃんもせっせと口説かなきゃ。離婚した奥さんに負けちゃ駄目〕

〔はは、今は自分ひとりで手一杯。機関銃w…にも愚痴ばっか言ってるよw〕

〔マシンガンの方が聞いて貰ってるって、介護の事とか仕事の事とか〕

〔まあ、その手の話になっちゃうけどね。でも楽しいよ。同僚にも彼の年代はいるけど、腹割はらわって話すことなんかないし。あいつ良い奴だから、文句も言わずに聞いてくれる〕

     ……私にはいそちゃんの話はしないの?……



 ……私には磯ちゃんの話はしないの?……私には磯ちゃんの話はしないの?……私には磯ちゃんの話はしないの?……私には磯ちゃんの話はしないの?……私には……



 マシンガンからその話を聞いたのは、ついさっき。

 勲と二人の秘密のはずが、ウーロンの気を引く為か、ついらしたのだ。

 余程、ウーロンの写真を見て気に入ったようで……直子の写真ではないが。



〔落ち込んでるの? また例の嫌な同僚と揉めてるとか?〕

〔まあね。ただまあ、仕事辞めるわけにも行かないし、がんばるしかない〕

     ……しないのか? おい!……


〔偉い!それでこそ男の人。やっぱ仕事は簡単に辞めちゃいけないよ〕

〔飯食えないもんw あ、ウーロン〕

〔話聞くだけで嫌な奴だもんね。ん!? どったの?〕

〔あーいやなんでもない。もうそろそろ寝るわ。ごめん。お休み~ウーロン〕

〔お休み~岩ちゃん〕

     ……おい!……


 チャットを落とし、コーヒーを入れながら直子は少し不機嫌だった。

 磯釣り大臣こと、戸髙の話は正直ショックだ。

 昔から直子は、暴力的な言動にひどく臆病な面があり、人の良いチャット仲間だと思っていた人物だけに、嫌な気分になる。


 ただ、……不機嫌の理由はそれではなかった。

 所詮はネットで知り合った関係だし、本当の事かどうかもわからない。

 それより、勲がその事を自分には“オフ”していることに腹が立つ。


 男が女に下心がある限り、この世界の情報戦は圧倒的に直子が有利なはずだ。

 事実、勲は他のメンバーに話していない悩みを、“自分だけ”に話していたし、彼の過去の “一部分”を共有する直子は、ひとりの人間を手のひらで遊ばせている気分でいた。



〔ねえウーロン。岩ちゃんは君に秘密を隠してるね。マシンガンには喋ってるのに〕

〔何よ、ニク。貴方には関係ないでしょ?〕

〔普段より、随分ご熱心なのにね~ぷっw あの犯罪者けっこう口堅いね〕

〔気が弱いんだよ。自分で言っといて自分で後悔するタイプ〕

〔案外ウーロンは岩ちゃんとエッチしたいとか思ってんじゃないの?〕

〔ちょっと!何言ってるの。ニク!〕

〔そんなこと言ってる割に、もうアソコ濡れちゃってるじゃん〕

〔いや!嘘嘘。そんなことないもん。あんっ〕



「な~んちゃって」直子はそこで、あほらしくなった。


 一人二役の自作自演。ニクは27歳。生意気でズバズバ物を言う……設定。


 普段は面倒くさいので、二人同時には立ち上げないが、必要とあらば共演する。

 男が女に下心がなくても、情報戦は直子に有利なはずだった。


  「熱っ」 プライドを傷付けられた策士は、熱いコーヒーで火傷する。


 女性には話さない方が良いとの彼なりの気遣い。

 中年の割に“あんぽんたん”な彼なりの間違い。

 直子は………………勝手に納得した。












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