第12話


「はいよ、マシンガンちゃん。馬刺ばさしお待ち」

 3人の会話を聞いて大将が言う。


「うわ、生の馬刺しって初めてっす。半分凍ったのしか食べたことないです」

「それも、一旦冷凍したのを解凍したのだけどな」

 今夜の戸髙は、酔いの回りが早くやたらと講釈っぽい。

 休日、戸高はチャット仲間のマシンガンと医療用ベッドを見て回り、勲が合流し、弁慶で一緒に飲むことになった。


 マシンガンの方は、戸髙の講釈にも素直にふんふんと頷いている。

 チャットの中では27歳だと言っていたが実際は22歳で仕事は警備員だそうだ。


「親が、年いってからの子供なんっすよ」

 霜降りの馬刺しにたっぷりタレを付けてご飯を食べる、至って普通の若者である。


「にしても、若いからビックリしたよ」

「最初のメンバーがそれくらいで、ニクもウーロンも……あとは本当なんですけどね」

「まあいい、いい。岩本よ~ネットはそんなもんだよ。俺は、ウーロンが四十のおっさんだと思ってる」

「また、ウーロンおっさん説ですか」

「やたら、昔の事をしゃべりたがる」

「いや、そんなこともないだろう。まあ、俺は知っている奴としか交流がないから、そう言うのには詳しくは無いけど……」

「ニクは一生懸命ですよ。神奈川だと近いですし」

「いや空想の世界で楽しむ分にはいいんだよ。でも俺んちは磯釣りのHPだからな~磯釣りのHPに女は来ないよ。出会い系じゃあるまいし」

「そっかなあ、まあいいじゃないですか。ウーロンさん良い人ですし」

「まあな……俺んちには良い奴が集まってくる。釣り好きに悪い奴はいないからな。だが、釣りバ〇日誌、全巻見ている25歳のOLはこの世に存在しな…………」

 酔い過ぎたのか、戸髙は顔を真っ赤にして、首をぐらんと落とした。


「酔っ払い過ぎだよ。なんか今日、疲れているんだな」

「僕が何件もつき合わせちゃったから。結局、最初の所で決めたのにすいません」

「ええ、えぇけん。お前はええやっちゃ。その年で苦労人じゃけん、俺は嬉しい」

 いい加減、お開きにした方が良さそうだ。大将が、勲とマシンガンに目配せする。


「はい、戸髙ちゃん。甘露水かんろすい

 大将が、カウンターに顔を付けている戸髙に水を差し出す。


 ここは、熟練に任せることにしよう。











           【メッセンジャーチャット内】

〔さっきは、済まなかったな。普段はあんなに酒に飲まれる奴じゃないんだが〕

〔いえいえ、こちらこそ。美味しかったですよ。最近、貧乏食だったんでw〕

〔それにしても、これはすごいね。漢字も変換できるし〕

〔いやwこれが普通ですよw いそちゃんのHPチャットのほうが特殊なんですw〕

〔まるで実際に話しているみたいな感覚だし〕

〔今は実際に音声で喋るのもありますよ。僕は苦手でやりませんけどね〕


 メッセンジャー。

 ネットでリアルタイムに言葉を交わせる、コミュニケーションツール。


 まあ、文字で電話するみたいなもので、不慣れな勲にも意外と取っ付き易い。


〔いやーでも助かりました。父と二人で交代で見てるけど、父のほうも腰が悪いし〕

〔大変だな。ベッドかなり使えそうかい?〕

〔ええ、別に寝たきりじゃないから、起き上がるとき電動なだけで助かります〕

〔そうか、それは良かった。俺も、何か協力できる事があればするし〕

〔ありがとうございます。あw ウーロンさん立ち上がりました。呼びますか?〕

〔ああ、俺は別にかまわないけど〕

〔んじゃ40歳のおっさんと繋ぎますねw〕

〔こら。怒られるぞw〕

【ウーロンさんがログインしました】

〔どもども。こんちゃ〕

〔こん茶碗~ウーロン。この人はいわちゃんです。一回チャットで会いましたよね〕

〔おおお、岩ちゃんですか〕

     ……出たな~犯罪者……


〔今日、3人でオフ会しましたよん~〕

〔おお、そうなの。どうですか? 実際会ってみて〕

〔マシンガンが、キムタクそっくりなんでびっくりしました〕

〔僕もいわちゃんが、福山そつくりなんでびつくりしますた〕

〔萌~。っておいw 二人打ち合わせしてるだろw〕

〔いえ、真実ですw〕

〔上に同じくw〕

〔まあ、私もゆうこりんそっくりですが〕

〔・・・〕

〔・・・〕

〔おいw あ、岩ちゃん〕

〔はい? 何ですか。ウーロンさん〕

〔私のID登録してね。私も岩ちゃんのID登録するから〕

〔オッケーです。よろしく。ウーロンさん〕

      ……捕獲ほかく完了! ……








 パソコンの電源を切り、勲はゆっくり目を閉じた。

 架空の世界に、現実が救われることもある。

 若い彼らとの会話は、自分の年齢と窮状きゅうじょうを、少しのあいだ忘れさせた。


 一時期の絶望から、勲は立ち直りかけていた。当たり前の現実を、当たり前に受け入れなければ。思えば今まで目の前の現実に立ち往生してさらに何かを失ってきた。

 勲の中で、前向きな自分と過去を咀嚼そしゃくする自分とが交錯こうさくする。

 ぼんやりとした意識。


 モラトリアムの薄い膜におおわれた、あの時の自分と今は、なにか成長したのだろうか? あの時、知らぬ間に思わず時間が過ぎていることに、勲は焦りだしていた。誓って、何かしようと思っていたわけではない。俺は決してそんな人間ではない。

 だが、偶然にも電車が少女の祖母の駅で止まらなかったら、俺はどうしていたのだろう。


 最初、善意だったものが、最後は厄介払いみたいに逃げてしまった自分。

 当然の報いとして激しく詰問きつもんされたとき、何も答えられなかった自分。

 曖昧にしてはいけない。現実と向き合い、もう一度人生に立ち向かわなければ。


 




 パソコンの電源を切り、直子はゆっくり目を閉じた。

 架空の世界と現実が、繋がることもある。

 最初、いじめの恐怖から執着した世界が、現実の自分の出来事と重なる不思議。


          彼は、私が誰であるか知らない。


「きゃふうううう~ん」そう叫んで、椅子からベッドに飛び込んだ。


「直ちゃんバタバタしんといて」祖母の声がする。


 少し病的な趣味だろうか。これまでも、“なりすまし”をしたことは何度もある。

 広場の恐怖から解き放たれたからか、祐樹に興味がなくなったからか。

 おじさん趣味はない。ただ、薄い膜に覆われた記憶の中の少年には興味があった。

 過去への回帰が、屈折したシンデレラ願望を満足させているのかもしれない。


 現実と向き合わない。過去のいじめとか、勉強とか、仕事とか、将来とか。

 暖かいぬくぬくしたぬるま湯に、いつまでも居たい自分と刺激を求める自分。

 ずっと続く未来を信じながら、そしてうんざりしている。


  その中で少女は、現実と架空を曖昧あいまいにする。

















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