俺の為のキャンプが始まる!1

 暑い。

 ようやく長い梅雨が終わったと思ったらいきなり夏だ。エアコンはおろか扇風機すらない教室は地獄の一言。熱中症で人死にが出るこのご時世だというのに信じられん。預かった生徒への配慮がまるで欠けている。まったく昭和ではないのだぞ。この惨状に保護者は何も言わぬのだろうか。何かあってからでは遅いというのにな。リスクを犯してまで金を出し惜しむその神経が理解できん。


「おはよう田中君。今日も暑いね!」


 佐川か。今日もまた間抜けな眼鏡面を晒しておるな。それと、顔も去ることながら言動も大いに間抜けだ。夏なのだから、それは暑いだろう。わざわざ口に出して言うことでもあるまい。


「佐川君。朝の挨拶は結構なのだが、もう少し慎みを持ったらどうだい? 今日も午後から夏日になるらしいんだ。体力は残しておいた方がいい」


「それもそうだね。すまない田中君。それはそうと今日の放課後、明日のキャンプの為の買い物に行かないかい?」


「キャンプ……そういえば、明日はキャンプだったね。すっかり失念していたよ」


 そうか。明日はもうキャンプか。いかんな。どうでもよすぎて欠片も覚えておらなんだ。だが、これも宿命。気は乗らぬが、堪能してやろうか。

 高校生にもなってキャンプとは馬鹿らしい話だが、これもれっきとした学校行事。参加せぬというわけにもいかぬ。なれば揚々と出立してフィールドワークに精を出し、みんなで仲良くカレーライスを作り、夜はキャンプファイヤーでマシュマロを焼くのだ。避ける事ができぬ面倒ならば、その面倒を楽しむのができる男の流儀。自ら行こうとは決して思わぬが此度のキャンプ。この田中が大いに満喫してやろう。


「よろしい。では、本日の放課後にどこぞへ行こうか」


「うん! 約束だよ!」


「実に楽しみですね!」



 ……?


 聞き覚えのある女の声。まさか……


「は、原野さん!」


「田中様。佐川様。おはようございます。けいでございます」


 やはり貴様か原野め。当たり前のように上級生の教室まで入ってきおって、何様のつもりなのだ。まったく、これだから女は嫌なのだ。一をやると言ったら十を寄越せと図々しく述べるわ、すぐ図に乗るわ、ヒステリーを起こすわで……あぁ嫌だ。嫌だ。どうして現実の女というのは、こう厚かましいかね。


「あら田中様。お元気がなさそうですが、いかがなさいましたか?」


 元気がないのではない。機嫌が悪いのだ。貴様のせいでな! 


「なぜ貴様がいるのだ。一年が二年の教室に入るな」


「そう固い事を言わないでください。私達三人、生まれは違えど死せるは同じ仲ではありませんか」


「貴様と心中はごめんだな」


「まぁそんな憎まれ口を。酷いんじゃないですか? 佐川様も、そう思いません?」


「えぇ!? そ、そうかな……」


「歯切れが悪いのですねぇ……もしかして佐川様も、京を蔑ろにするのですか?」


「あ、う、うーん、え、えっとお……た、田中君。少しばかり、原野さんに冷たいんじゃないかな……」


 腑抜けめ。相変わらず色香に弱いやつよ。そうまでして女に気に入られたいか。童貞を捨てんと必死だな。

 しかし佐川よ。なよなよと従してばかりでは女はなびかんぞ? 時にはガツンと一言申さねばならぬ時もあるのだ。そも、遺伝子的に雌は雄の強さに惹かれる。特にあの暴力男と深い仲であった原野なら尚の事。暴力に訴えろとは言わんが、多少の強引さを持たねばこやつは落とせぬぞ。貴様はもう少し、女の性質を理解するのだな。


「田中様。佐川様もこう言っておりますし、もそっと京に優しくしてください。礼節を欠く殿方は夫人に喜ばれませんよ」


「……」


 知ったような口を聞いてくれる。左様な身勝手極まる女などこちらから願い下げだ。嫌ってくれて結構。是非とも近付かんでくれ。


「田中様。ご返事はいかがなさったのですか?」


「……」


「田中様」


「……」


「田中君。無視はよくないよ。どうだい? せっかくだから、キャンプの買い出しに原野さんも誘ってみたら。そうすれば、きっとわだかまりは解けると思うよ。どうかな、原野さん。今日の放課後、時間あるかな」


「おいおい佐川君。勝手を言ってくれてはこま……」


「はい! ございます! 時間! 是非お供させていただきます!」


「ちょっと待て。原野。俺は許可を出しては……」


「ならばせっかくですので一人お友達をお連れいたしますね! 今更ですが殿方二人を連れられて歩いていてはまるで京が痴人の愛のナオミのようで体裁が悪うございます! 大丈夫です! 素敵な方ですから!」


 うるさい! 一人でごちゃごちゃと起承転結しおって! 貴様の友人など知った事か! そもそも俺は貴様が同行するのを認めていないのだぞ! 自分だけで話を進めるな!


「は、原野さん……その、お友達というのは、もしかして、浅井さんじゃ……」


「その通りです! そういえば、佐川様はもうお顔を合わせておりましたね。彼女、素敵じゃありませんでしたか?」


「う、うん……そうだね。素敵な方だと思います……」


「そうでしょう! 彼女ったら、とっても可愛らしいんですよ!」


 何だ。知っているのか佐川。いや、それより、その煮え切らない態度はなんだ。よもやその女、よほどの化物ブスなのか? 女が女を紹介する時は、必ず自分より顔面が劣る人間わ連れてくると何かの雑誌で見た事があるが、そういう事なのか? 





 ……なるほど分かったぞ。

 原野の奴、あらゆるものを利用して己が美貌を知らしめたいのだな。醜悪を隣に置き、自らの美麗を引き立たせようとしているに違いない。まったく浅ましい。なんたる下衆であろうか。性格が歪みきり訳の分からぬ現代芸術のようになっておる。もはや矯正不可能。貴様の将来は暗いぞ原野。だが、このずべたに対し、物を申す人間もまた必要。此度はこの田中がその役割を買ってやろう。しかと聞けよ魔女よ! 俺の説教を聞き届け改心すれば、マグダラのマリアにもなれようぞ!


「原野よ。貴様はどうも……」


「それでは、放課後楽しみにしております。御機嫌よう。田中様。佐川様」


「あ、はい。では放課後。さよなら原野さん」



「……」


 ……確かに。朝の短い時間だ。急ぐのも分かる。だが、それでも人が口を開いている時に飛び出していくだろうか。いやありえん。奴が培ってきた教育と人格を疑う。


「行ってしまったね。それにしても、いつ見ても美しいね原野さんは……」


 寝惚けた台詞を吐くな佐川。この振り上げ損ねた拳を貴様に向けそうだ。


「けれど、浅井さん……浅井さんかぁ……」


 そうだ忘れていた。浅井だ。いったいいかなる化物ブスなのか気になっていたのだ。丁度いい。佐川に、その浅井とやらがいかなる化物ブスなのか、口を割らせよう。


「佐川君。その浅井って奴はどんな化物ブスなんだい? 聞かせてくれよ」


「ブス? 何を言っているんだい田中君。浅井さんはブスどころか、傾国の美女と言っても差し支えないくらいなものだよ」


 愚かな。男子同士で開かれる品評会で、あくまでいい子ちゃんでいるか佐川よ。空気の読めぬ奴。だが、そんな偽善は許さんぞ? 徹底的に追求してやるからな!


「あのね。嘘はいいんだよ嘘。佐川君。君は、俺に秘密を作るつもりかい? それが友人に対する態度なのかな? 今一度問うよ佐川君。果たして浅井なる女は、どのような化物ブスなんだい?」


「いや、浅井さんは美人だよ? 田中君はいったい何をそんなに疑っているんだい? 僕は不思議だよ?」


 おのれまだしらを切るか! 食えぬ奴! だが俺は諦めんぞ! とことんまで食い下がってやるからな!


「君ねぇ……ならば何故、原野と浅井の話をしている時に動揺していたんだい? 僕は見逃さないよ?」


「そ、それは……」


「ほら見てごらん! 実を突かれて慌てているじゃないか! さぁ! 早く本当の事を話すといい!」


「う、嘘じゃない! 嘘じゃないんだ! ほ、本当に、浅井さんは美人なんだ! けれど……」


「けれど?」


「けれど……あ、た、田中君! ほら! 予鈴が鳴ったよ予鈴が! 席に座ろう! きっと木下先生も近くに来ているよ! 呼んでみよう! おーい木下先生! 早く来てくださいーい! 僕達は先生とこのクラスが大好きでーす!」


「な、佐川君! 卑怯ではないかね!?」


「そ、そんな事はないよ! ともかく、浅井さんは本当に美人だからね! それにここで彼女について教えてしまうは不粋もいいところじゃないかな! 田中君はこんなハプニングもきっと楽しめる男だと僕は信じているよ!」


「佐川君! 待て! 逃がさんぞ!」


「うるさいぞ田中! それと、先に阿呆な事を叫んでいたのは誰だ! 少しは大人になれ貴様ら!」



 おのれ木下! 本当に近くに来ていよったか! 佐川め。余計な事をしてくれる!



 ……いいだろう! 佐川! 貴様の口車にのって、放課後まで待ってやる! だがな、これで化物ブスが来てみろ! タダでは置かんからな! そうだな! ルノワールで裸踊りでもやってもらおうか! うん! それがいい! 実に愉快な催しではないか!




「田中! 高笑うな! うるさい!」


「申し訳ありません木下先生!」


 ……ともかく放課後だ。どのような輩が来るかは知らぬが、そのビックリフェイス、じっくりと待ってやろう! やぁ! 楽しみだ! 楽しみといったらない! あっはっはっは! 



「だから! 田中! いちいち高笑いをするな!」


「申し訳ございません!」






 そして放課後である。授業の内容は、浅井の面を想像していたので頭に入ってこなかったが、まぁいつもの事。どうでもいいわ。


 それよりも、そろそろ約束の時間だ。場所は校庭前。佐川の眼鏡と共にしばらく待っているが……?



「田中様。佐川様。お待たせしました」



 原野の声! 振り返り確認! 貴様の隣に立つのが浅井だな!? どれ、そのご尊顔、篤と見せい!



「……!」


「田中様。この子が舞さん。浅井 舞さんです」


「初めまして。私、浅井 舞です。本日は、よろしくお願いします」


「ど、どうぞよろしく……」



 び、美人だ……

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