試験などに俺は屈しない!7

 それにしても夜の校舎というのは不気味だ。広いくせに静かで、暗い。暗いくせに、この職員室だけは無駄に明るいから、必要以上に闇に対して恐怖心が煽られる。不穏だ。


 だがそんな事より問題は有村だ。斯様な不味い茶を飲ませて何のつもりだ。また説教でも始めようというのか。冗談ではないぞ。貴様は残業代が出るからいいかもしれんが、俺にとっては無駄の一言。しかも時間が奪われるだけではなく、不快ささえ感じなければならぬとはなんの仕打ちか。異端故に起こした罪が俺にあったとしても、そこまでの責め苦を受けるいわれはないはずである。それを有村め何様か。呑気に不味い茶を啜りよって。この報いはいつか必ず晴らしてやるからな。




「田中。佐川とはどうだ。仲良くやっているのか」


「は?」


 なんだ突然。どうして佐川の話が出る。奴は関係なかろう。

……あいつ、まさか密告ちんころしたのか!? それで有村が探りを入れていると……

 ……ありうる! 十分にありうるぞ! そうだ! そうにちがいない! くそ! まんまとやられた! おのれ腐れ外道が裏切りおって! 佐川! 佐川よ! 貴様は絶対に許さぬからな! 未来永劫地球が滅びるその日まで! 貴様と貴様の子孫を祟り続けてくれる! コノウラミハラサデオクベキカ!


「あいつ、未だに感謝をしているそうだ。貴様にはできすぎた友情だが、せいぜい壊れぬようにするんだな」


「は?」


 ユウジョウ? 


「……忘れたのか?」


「はぁ……」


 何を言っているんだお前は。感謝? 確かに俺は奴に感謝されてしかるべき存在ではある。根暗眼鏡は他に話し相手がおらぬからな。と、いうか何が過ぎた友情だ! それは佐川に言うべき台詞だろう! 

 ……それはさて置き、話が見えん。くそ、こいつの声など耳に入れたくないが、致し方なし。聞いてやるか。



「……貴様、恐喝されていた佐川を庇った事があっただろ。奴はそれに恩義を感じているそうだ。殊勝な奴だよ」



 恐喝? 助ける? はて……そんな事があっただろうか……………



 あぁ。あれか。佐川のすくたれが、三年の不良どもに絡まれていた時の事か。思い出したぞ。あの軟弱者、四、五人に囲まれてピーピー泣いておったな。あの時は実に笑わせてもらった。


「思い出しました! 俺が一騎当千の如く無双し、佐川の軟弱者を悪漢達から救い出した際の話でございますね!」


 俺の記憶が確かならばそんな筋書きだったはずだ。それはもう八面六臂の大活躍を……


「行き掛かりの貴様がついでに恐喝されて袋叩きにされた話だ」



 よく覚えているなこいつ。


 確かにそうだ。俺はあの時、教室移動をショートカットしようとしたところ不良どもに因縁をつけられ、反抗したところ私刑に処された。多勢に無勢だ。敗北は必定故、恥じることは無い。しかし佐川は無傷であったな。何故だったか……!

 さてはあいつ、俺をおいて逃げおったのだな! その罪の意識から今日まで俺に礼を尽くしてきたというのか! なんたる惰弱! なんたる矮小! なんたる無礼! これは許すわけにはいかん! しっかりと償いはしてもらわなければ! カンニングは手伝って当たり前! そしてこれから先も俺の手となり足となり、あらゆる命に従ってもらはねばな!


「その時貴様が言った言葉が、えらく佐川を感動させたそうだ。俺は失笑したがな」


 言葉? なんと言ったか。


「佐川が言うには、群れるしか能のない卑劣漢共め。その曲がった性根、俺がまとめて矯正してやる故かかってくるといい。と、高笑いをしながら啖呵を切ったそうだ」


 なるほど。さすが俺だ。男を見せよる。覚えてはおらぬがな。


「完璧に思い出しました。言いました。確かに言いました。この田中。悪漢たちに向かってそのように述べました。事実です」


「……」


 有村。なぜ溜息を吐く。褒めよ。過去のことだが、讃えられるべき男気であろう。


「……彼こそ男の中の男。僕は彼のような人間と友人になりたい。と、そんな事を言っていたよ。大仰な話だが、何にせよ、貴様を慕っていることは事実。奴を失望させてやるなよ」


「……」


 …………




 俺は過去に囚われぬ男。事細かに昔話を記憶していく趣味はない。故に左様な話は今の今まで忘れておったが、佐川め。中々、義を貫くではないか。





 ……男の中の男。か。




 いかんな。何故だか、あの情けない眼鏡の顔を思い出してしまう。

 佐川め。ここ数日、随分と必死に数学を教えてくれよった。それも、今目の前にいる有村より何倍も分かりやすくな……おかげで無駄な知識が幾らか付いてしまった。平方根が乗数の反対などとは知らんかったぞ。そういえば、練習問題の正答率も上がっていたな……まったく、生活に不要なことを頭に叩き込んだ所でどうしようもないというのに。脳のキャパシティが減ってしまったではないか。腹立たしい事この上ない。あぁまったく、腹立たしい……



「……有村先生。そろそろお暇致します。再試に向け、学習せねばならぬ故」


「そうか。せいぜい努力せよ。あぁそれと、このプリントを持っていけ。再試の類似問題だ。あまり贔屓をしたくないが、貴様は殊更に馬鹿だからな。こうでもせんと、他と足並みが揃わんだろう」


 馬鹿にしおって教師風情が! 誰がいるかそんなゴミ屑! 対策用紙などなくとも俺には裏技ウルテクがあるのだ! 貴様の思い上がった気遣いなど不要! 答えは全て佐川が代解しれくる……


 ……佐川か。


 何故だ。何故俺は、奴の事が気になるのだ。あのような眼鏡! どうでも良いではないか! 気分が悪い! 腹の奥底がむず痒い! 


 

「……ありがとうございます」


「容赦はしないからな。しっかりと勉学に励め。以上だ。帰ってよし」





 茶を飲み終わらぬ内に俺は有村によって職員室を追い出された。浅かった夜の闇がすっかりと深く、暗くなっていて、俺らしくもない、要らぬ事を考えさせた。それはつまり、勉学の事であり、佐川の事であり、家に帰るまでの間、ずっとあやつの阿保面が脳裏に浮かび上がって、その度に身体がむずとして不愉快極まりなかった。




 原因は……分かっている。俺とて、男の道に反するのは本意ではない。しかし、進級できぬとあらばそれこそ大事。これは、止むを得ない堕天なのだ。致し方ない堕落なのだ。後先考えぬは蛮勇。真の勇気では……


 蛮勇。


 それは誰の言葉だ。


 左様な弱気、俺の口から出るはずがない。俺はいつだって前のめり。男田中。男田中なのだ。そうだ。この気持ちの淀みは、俺以外の意思によって俺が動かされている事への不愉快さだ! いったい誰だ! 俺に堕落の志を吹き込んだ悪魔の使いは! 許さぬぞ! 決して捨ておけん! 思い出せ! 思い出すのだ俺よ! 俺に甘言を吐き、邪道へと誘いた悪魔の存在をおも……思い出したぁ!


 





「蛮勇は大成ならず。愚直な突貫は真の勇気に有らず。負け戦は即ち、匹夫の勇というものです」





 原野だ! あの魔女だ! あいつがルノワールでそういったのだ! 奴の言葉が俺を卑劣へと導いたのだ! ふざけるな! 何が匹夫の勇か! この田中が卑劣だと!? 確かに為さねばそれは小人! 匹夫の誹りも致し方なし! だが! 為してしまえば大英雄よ! ならば為せば良いだけの話だ! 俺が為せぬわけがなかろう! 小娘めが! 舐めるなよ! 為してみせるわ! 俺ならば! 何が数学か! 何が留年か! 賢しい! そんなもの俺の覇気で押し退けてくれる! やる気だ! やる気しかない! 俺は今俄然やる気に満ち溢れている! さぁやるぞ! 俺はやるぞ! やってみせるぞ! 菅原道真よ! 飛梅の香りを俺に届けよ! 我が生涯に見事な花を咲かせ賜う!


「やるぞ! 俺はやるぞ! やってやるぞ! 邪智暴虐なる有村めが生み出した悪しき呪文を見事打ち破ってやる! そして俺を堕落せしめた魔女原野に俺の生き様を見せやるのだ! やるぞ! 俺はやるぞ! やってやるぞ!」


 夜。疾走する俺は決意を胸に風を切り、吼える。憎っくき数学の再試を、魔女の誘惑を正々堂々と討ち倒す決意の咆哮を上げずにはいられなかった!




 有村! 原野! 貴様らに、俺は屈せぬぞ! この男田中! いかなる艱難辛苦も心意気一つで突破してくれる! 見ておれよ!



 夜空に上がる月。周囲を照らす円形の銀光。掛けられた呪いを取り除くような神秘と静寂。再び輝きを取り戻した俺の魂は、あの月のように美しく、高く天に座している! さぁやるぞ! 男田中! 今こそ英傑に返り咲かん!




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