海と約束 後編

「どうして!?どうしてよ・・・っ」


考えれば、あんなに泣くエミを見たのは、生まれて初めてだったかもしれない。


「どうしてあなたが生贄なんかに・・・っ。

どうして私の代わりに、生贄なんて志願したのっ!!」


考えれば、エミに、記憶障害なんて無かった。


「愚問だな。お前が死ぬことなんて、あっちゃあならない」


エミは俺と同じ誕生日だった。そんなことも忘れていた。最初に生贄に選ばれたのは、エミだった。


「バカっ・・・。あなたが死んだら、私は・・・」


記憶障害を持っていたのは、俺の方だった。


「・・・分かれよ。好きな女を死なせたくないっていう、男の気持ちくらい」

「・・・!!」

「エミ、愛してる」


俺はしっかり、告白もできていたんだった。


「う、うぅ・・・」


エミは膝をつき、泣き崩れた。反論しなかったところを見ると、分かってくれたのかな。


「エミ、こんな折だが、頼みたいことがある。俺の━」


言い終わる、前だった。


エミは俺よりも背が低い。届くように、若干背伸びをしたのだろう。


心地いい、沈黙が続いた。


「・・・これ?」


エミは涙をぬぐって、顔を赤らめ恥ずかしそうに訊いた。まだ感触が唇に残っていた。


「あ・・・っと・・・」


俺が頼みたいことは、これ、じゃなかった。予想もしなかったことが起き、俺は分かりやすくどぎまぎしていた。


「・・・違った?言って。いいよ、今なら。何でも、聞いたげる」


どくんっ・・・。

俺の胸は、今まで最高に高鳴っていた。エミの顔がたまらなくいじらしく、官能的だった。


抱かせろ。


ここは男らしく、こんな一言でも吐くのがセオリーなのかもしれない。


「私も、愛してる」


俺が告白して、どれくらい時間がたったかは分からない。でも、最後はエミも俺に想いを伝えてくれた。本来は、もう思い残すこともないと、そう言って覚悟を決めるべきなのだろう。でも俺は、もう少しだけ、エミに頼みたいことがあった。


「・・・え・・・?」


俺がそれを言ったとき、エミは信じられないといった顔を見せた。


「最後の我がままだ。お前じゃないと、駄目なんだ」


「・・・」


「どうせ俺は、今言ったことも、今日の出来事も、忘れちまう。だから、お前が嫌なら、それでもいい。でも、俺は、お前の手で・・・」


「皆まで言わないで。分かったよ、安心して」


その顔は、聖女を思わせるほどに、柔らかく、優しかった。


ああ、走馬灯とはよく言ったものだ。

あの時の記憶が、鮮明と蘇る。俺は死ぬ間際の、時がゆっくりと圧縮されている中で、エミに頼んだ我がままを思い出していた。


そうか、エミ。聞いてくれたのか。あんな無茶な我がままを。


「お前の手で、俺を殺してくれないか」


海よ。


数多の人間を呑みこんできた海よ。


俺は、お前では死ななかった。


最愛の人に撃たれて死んだ。


どうだ?


これで少しは、お前に反旗を翻したんじゃないか?


俺は崖からゆっくりと落ちていく。


ん?


何だ、泣くなよ。


いつもみたいに笑っていてくれよ。


エミが、まるで子供のように喚く泣き声を聞きながら、俺は落ちていく。


いつもみたいに笑って、みんなを笑顔にして、俺の分まで長く━。


エミの幸せを願って、俺は落ちていった。

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海と約束 期待の新筐体 @arumakan66

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