鬼の子は涙を流す

茶蕎麦

鬼の子は涙を流す



 私は貴方が好きなのです。心の底から、愛の中のその中心に燃える情から、私は貴方を好いています。





 それは確か、真昼のとある日のことでした。休日、私は数少ない贔屓にしてくれるお店へと買い物に出かけていたのです。

 しかし、折が悪かったのでしょう。お出かけ日よりは崩れに崩れて、雲からは滴が零れ出す始末。天は、次第に泣き始めました。

 片田舎の帰り道。用意もなかった私は直ぐに濡れ鼠となってしまいます。

 田畑の続きに、丁度いいひさしなどありません。僅かに点在する人家に安堵していらっしゃる方々に助けを求められないのが、内気な私の悪いところ。

 ましてやそれは特に厳しく虐めの渦に巻き込まれていた時分のことでした。

 目に見えて人様のご迷惑にだけはなっていけない。何故なら、何をしても良い、そんな大義名分のようなものを与えることになってしまうから。

 誰もが加害者に見えていた私はついつい、そう考えてしまっていたのです。


 だから、しとりと濡れる中を、私はトボトボ歩きました。

 買ったばかりの縄も紙袋の中でぐちょぐちょ。滴りは、髪に頭を下ろさせて、視界を不明にさせます。

 そんな様子だったから、気づかなかったのでしょう。貴方が直ぐ近くに居たというのに。


「大丈夫?」


 貴方は私に、そう訪ねました。直ぐに返答を出来なかったことを、よく憶えています。

 驚きに肩を跳ねさせた私を見た貴方は、こう弁解していましたね。


「怖がらせちゃったかな。家の前に君が通ったからさ、ついついつけてきちゃったんだ。傘もさしていないみたいだったから、心配で」


 しかし、私はまだ言葉を返せません。それもその筈でしょう。私は、貴方の優しい笑顔に見惚れていたのですから。

 久方ぶりに直視した、厳しさのない顔。嬉しさが、好意に変わったのも、しかたないことだったのでしょう。

 きっと一目惚れ、だったのです。私の恋路は、ここから始まったのでした。

 ですが、当たり前のことなのでしょうが、そんなこととはつゆ知らずに、貴方はまくし立てます。


「初対面だから信用なんて出来ないか。俺、越してきたばかりだしなぁ。そんな赤の他人に構われるのは嫌かもしれない。でも……やっぱりちょっと、見過ごせないよ」


 気遣わしげ、という言葉がぴたりと当てはまるような表情。それが自分に向けられていることに、意外を感じました。差し伸べられた手に怯えを覚えなかったのは不思議です。

 ただ安心はできなかったのか、ぷるりと私は震えて、貴方のその眼差しを強めさせます。


「家、来なよ。寒いんだろ?」


 そして、私は久方ぶりに、ぬくもりに触れました。





 私は鬼子です。生まれた時からそういうものでした。

 生まれることで母を殺して、生きることで父を殺して。養父母すらも、不注意で焼いてしまいました。

 そして積み重なった死に穢を感じた人々によって、私は嫌われます。果たして運命は自業なのでしょうか。それが分からず、ずっと生きていました。


「そんなわけ、ないさ」


 しかし、力強く貴方はそう言ってくれました。私を庇ったために負った頬の腫れに氷嚢を当てながら。私のために、相変わらずの優しい笑みを続けて。


「君は、何も悪くない。それを悪いと言った奴が、悪いんだ」


 私は常に、悪でした。加害者と目されて、排斥される側だったのです。この時に感じていた冷たい空気のように、乾いた中にすっと私は居ました。

 だから、貴方の言葉に私は驚きを隠せません。思わず丸くなった瞳に、私は笑みを深める貴方を映しました。


「はは。自分の不幸を相手に擦り付けるような奴らの言うことを真に受けちゃ駄目だって。君は賢いのに、馬鹿になるぞ?」


 貴方は笑い飛ばします。多くを愚かと、私を認めて。

 それが、私にはとても辛いものでした。私なんかと類を同じくして貴方が傷ついてしまうのは、あまりに心苦しくて。だから、私はもう私に構わない方が良いと伝えました。

 でも、貴方は頭を振ります。


「父さんも母さんも、言ってるよ。君の味方になってあげろって。好きなだけ、好きなものを大事にしろ――ってね」


 その言葉の意味を、半分も理解できずに、私は無闇にへりくだります。貴方の好きなんて、勿体無いと。

 一陣の風。それが、私達の間を通りました。それを嫌ったのか、一歩貴方は私の方へと向かいます。

 恐れた私は、一つ、後ずさりました。それに貴方はとても傷ついた表情をしていましたね。今も後悔から、それを思い出します。

 しかし、貴方は痛みの中で歩を進め。


「怖いのか……俺のことが嫌なわけじゃなかったら、いいのだけれど」


 道傍の雪をさくりと踏むまで追い込まれた私に、そう言ってから離れました。


 



 貴方の父は、車輪に轢かれて亡くなりました。貴方の母は、吹雪の中に消えて未だに見つけられず。

 私を最後まで庇ってくれていたお店のご主人は、口論の末にて刺殺されました。

 残った貴方を、残骸のようになっても私について来てくれる貴方を、私はどうしても離したくて、声を上げます。もう、私に構わないで、と。

 しかし、貴方は言いました。


「……それでも、大切なんだ」


 私には分かります。貴方が私を恐れていることを。出会ってしまったことすらとても深く後悔している事実までも、詳らかに察していました。

 しかし、それでも、と貴方は毎回言い募るのです。


「俺だけは、君の味方なんだ」


 優しい、貴方。それが報われて欲しいと、心から思います。


 けれども、正しければ報われる、そんな道理など私の側にはありません。

 目を背け、語るべきではない。石を投げることすら躊躇われる、そんな得体の知れない何かこそ、私でした。

 鬼の子ですら、足りず。死に神と形容するには酷く。


 だから、この時私が身体を差し出したのは、父に母が美しいと言ってくれた外ばかりを貴方に放り投げたのは間違いだったのでしょうね。


「っ、違う!」


 肌を顕にした私に向かって、貴方は檄しました。そして顔を真赤にしながら、首を強く左右に振ります。


「俺は、それを求めていたんじゃない!」


 貴方が何を求めていたのか、それを聞きたい私はそこでいたずらに身を捨てるのを止めました。

 やがて、静けさが訪れます。ひなびた部屋に、貴方の呟きが響きました。


「君に、幸せになって欲しいだけ、だったんだ……」


 それが、とても簡単なことであると貴方は知らなかったのですね。

 ならば、せめてと、私は口を開きます。



「私も、貴方に幸せになって欲しいです……私を、幸せにして下さい」



 もう、貴方は私を貪ることを恐れず。でも、私は何も覚えないまま、全てに身を任せて。

 やがて寝入った貴方を置いて、こうしてこの場へと向かったのです。





「結局、こうなるのですね」


 眼下に、雪に全てを埋もれさせた村々を望みながら、私はひとりごちました。

 白く、全ては塗られています。その中に、貴方が居ないことだけは、救いなのでしょうか。


「何時かに作った輪……まだありましたか」


 高台に鎮座し村を見守り続ける私が秘密にしていた樹。先に希望を覚えてしまって、結びつけてから自らをくくるのを止めた輪っかがその枝にありました。

 でも、もう私を躊躇わせるものなどありません。


「ありがとう、ございました」


 私は貴方が好きなのです。心の底から、愛の中のその中心に燃える情から、私は貴方を好いています。だから、死なねばなりません。

 貴方の英雄願望を叶えられずに申し訳ありませんでした。私はヒロインではなく、怪物だったのです。最初から守られるべきではなかったのでしょう。

 もう、これ以上、人並み以上に何かを殺してでも生きるのはこりごりでした。


 間抜けにも用意することを忘れたがために、この場に台のようなものなどありません。

 だから、吊るには枝を引っ張らなければなりませんでした。体重をかけて、輪を目の前に下ろそうとします。

 すると、ばきりと砕ける音があたりに響きました。枝、それだけでは収まりません。罅はそのまま中心にまで入って、全てを損なわせます。


「ああ、この樹もずっと前から……死んでいたのですね」


 私はもう、驚きません。ただ、目を瞑って黙祷します。

 しかし、倒木の音は、大きく辺りに響いて、貴方の耳にまで届いたようでした。声が、聞こえます。


「もう一度、顔を見てしまったら、決意が鈍ってしまいます……」


 私は、逃げるために、走り出しました。そして、その中で家から持っていたナイフを貴方からの贈り物であるバッグから取り出します。

 がむしゃらに足を動かす中ですから、揺れて失敗するかもしれません。ですが、もうこれで終わりにすると決めました。

 そして、私は走りながらその刃を胸元に突き立てます。冷たく、熱くなるような、そんな感覚を覚えました。

 力を失った足をもつれさせ、倒れ込んだ私の額の上に、雪がひとひら落ちて来ます。


「さよう、なら……幸せでしたよ」


 そう、貴方と一緒にいるだけで、私はこれ以上ないくらいに幸せだったのです。貴方の願いはとうの昔に叶っていて、だからもう頑張る必要はないのです。

 そんなに必死に、走って来なくても、もう良いのですよ。


「……み、……み!」


 それを示すために、私は笑みを、作りました。流れる涙、抑えられないままに。





「どうして、私は生きているのでしょうね」

「それは、幸せになるためだろ」


 私は、貴方の隣で呟きます。胸元に、小さな我が子を抱きながら。

 幽霊になり損ねた私は、あの後どうやら人間になれたようです。刃渡りの足りないナイフで胸を抉っただけで痛みに気絶した私は、今もしぶとく生を続けています。

 糧を頂き、それ以上何の命の喪失に係ることのないまま、ずっと。


「幸せになって、いいのでしょうか?」


 しかし、積年の悩みは簡単に溶けてはくれません。果たして今までの多くの死の主体が本当に私にあったのかどうか、それは不明です。

 言われたがままに、自分のせいと思い込んでいましたが、自分から因果が離れてからは、そう考える余裕も出ました。私は結構馬鹿になっていたようですね。

 でも、だからといって、己を責める癖までは失くならなかったのです。

 ついつい、本当に、私でいいのでしょうか、貴方の隣にいるべき人は、他に居たのでは、等と私は口にしようとして。


「むくっ」


 余計な言葉ごと、私の口は塞がれました。唇は、唇によって動きを止められます。


「ん……突然、何ですか?」

「自虐癖、もう止めような」

「……はい」


 身体を張って通じ合っていることを示してくれる、最愛の貴方にそう言われてしまっては、恥じ入るばかり。

 そして、私は、もう一つの最愛と目を合わせ。その小さな瞳が湿潤するのを認めました。


「うぅ……」

「あ、泣かしちゃったか……大丈夫だよー。お母さんとお父さんは仲良しだからねー」

「そうですよ。この変態さんと私は大の仲良しさんなのです」

「……まだ、先日の事、根に持ってるのか?」

「乙女の厠にまで侵入してくる人のことなんて恨んでなんか、ないですよー」

「あれは、不可抗力だったんだって!」


 下らないこんな会話が出来るのも、それだけで幸せになれるのも、生きているが故のこと。きっと、不幸は何時までも続くものではないのでしょう。


「うー」

「あ、あやすの忘れてた」

「ふふ。一緒にあやしましょうか」


 けれども今、私の大事な我が子は泣いています。それはきっと、小さなその体で生きるのが辛いためでもあるのでしょう。それでも、何時かは笑って過ごせる未来が来るに違いありません。

 それが喜怒哀楽忙しいあなたなら。ほら、もう直ぐのことでした。


「きゃは」

「笑った、笑った」

「可愛いですー」


 今、生きることはとても幸せです。死にたいなんて、とても思うことはできません。でも、もしあなたが私のように私を殺してしまっても、私だけは、笑って許すでしょう。


 愛し子よ。私はあなたが好きなのです。心の底から、愛の中のその中心に燃える情から、私はあなたを好いているのですから。


 たとえあなたが鬼の子であっても、愛されたいと願うであろうことは知っていますし、ね。


「うー、きゃ」


 小さな笑顔の横で、先に零した涙が一筋、頬を流れて行きました。


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