第33話 空へ

 ステフの背中には、榴弾の爆発で飛来した破片が幾つも食い込んでいた。

 トッドは医療キットのピンセットでそれらを入念に取り除くと、止血テープを貼って傷を塞いでいく。

 本来ならば縫わねばならないような傷であっても、人造人間の治癒力は瞬く間にそれを塞いでしまう。破片が潜り込んだまま治りかけた傷を切開する方が、手間がかかったくらいだ。


「なぁ、ステフ」

「どうしたの?」

「いや……いつも悪いな。お前ばっかり矢面に立たせちまって」


 分子単位で人間以上を目指して作られた生命体である人造人間は、生身の人間に機械や培養臓器を入れただけの重サイボーグとは、比較対象にすらならない恒常性を持っている。

 トッドにも自然治癒力を補助する機構は入れてあるが、人造人間の治癒力には遠く及ばない。


「いいの。あたしさ、ダディと出会ってからだよ、人造人間に産まれて良かったと思ったのって」


 ステフは小さく首を横に振ると、肩越しに振り向く。


「あたしがこの体じゃなかったら、ダディと出会う事もなかったし、ダディと一緒にこうやってお仕事出来ないじゃん」

「そう言ってくれると助かる」


 甘えすぎてはいかんと思っちゃいるが、ステフがいなかったらどうにもならん事もあるしな――トッドは治りかけとは言え、傷だらけの小さな背中を見ながらため息をついた。




 二人がいるのは、軌道塔のたもとにあるリフトのステーション。その中でも七大超巨大企業セブンヘッズ級の重役が使うための特別室だ。

 宇宙へと昇る人類初の建造物の中でも、これほど細やかに拘った部屋は無いであろう。インテリアから何から全てが、値段を考えるのも馬鹿らしくなる高級品や特注品。かかっている音楽まで、この部屋で流すために作曲されたものと聞く。

 トッド達のような一般人が――それも傷だらけで血塗れな――入れるような場所ではない。


 この部屋に通されたのには理由がある。

 第一にこの特別室は本来使用するべき者を護衛しやすいように、一般に開放されている区画と隔離されている。

 ここを使う者達はステーションの専用出入り口から、他の利用者に出会う事なくリフトに乗る事が出来る。特別室を使う者同士がすれ違う事もない。

 微妙な立場にあるトッドとステフとしては、目立たずにステーションに入れるのならそれに超したことは無かったが、居住まいが悪くなるような部屋に通されるとは思ってもいなかった。


 特別室へと繋がる通路には二十四時間体制で警備軍の動力装甲服パワードスーツが配置されており、侵入者には最小限の警告の後に銃弾が叩き込まれる手筈となっていた。

 例えマクファーソンカンパニーの追っ手がかかろうとも、警備軍と真っ向から事を構えはしないだろう。




「それにしても寧、戻ってこないね」


 治療を終えたステフは、ガウスガンの残弾や装備の再確認をしながらぽつりと漏らした。

 寧は二人を案内した後、準備をしますとだけ言い残して部屋を出たきりだ。一度だけ接遇用ロボットが医療キットや飲食物を届けに来ただけで、二十分以上経った今も戻ってきていない。


 善市郎の乗ったリフトがもう出発しているのは聞いている。

 七大超巨大企業セブンヘッズならば、軽く半年は予約で埋まっている旅客用リフトに、一人二人ねじ込む事など造作もないのであろう。

 今頃は遙か上空で、三人を振り切った事に安堵しているだろう。

 トッドはそれを想像し、思わず奥歯を軋るほどに噛みしめてしまう。


 備え付けの端末でリフトの運行状況を確認するが、二十四時間稼働しているリフトであっても善市郎に追いつく便は存在しない。

 次の便で軌道塔を昇ったとしても、低軌道ステーションから出るスペースプレーンの出発には十五分ばかり間に合わない。


 考えあぐねるトッドが投影式モニタから視線を逸らすのと同時に、防音防盗聴型のドアが小さな音を立てて開いた。

 足音をさせずに入ってきた寧は、撃たれて穴の空いた制服を淡いグリーンのワンピースに着替えており、手にした二人分の着替えをテーブルに置いた。


「支度が出来ました。トッド、対G訓練の経験は?」

「無い。俺はパイロットじゃないしな……リフトの加速度なんてたいした事ないだろ?」

「今回は貨物用リフトを使います。静止軌道ステーション直通のものを、無理に低軌道ステーションに停車させるので、加速度だけでなく相応の減速度もかかります」


 着替えを受け取りながら眉をひそめるトッドに、寧はきっぱりと言った。

 リフトはリニアモーターで駆動し、平均時速四百キロほどで運行されている。現在最速のリニアモーターカーに比べれば、半分にも満たない速度だ。

 だが軌道塔を上昇するという条件の下では、乗客の安全や体にかかる負担を考えればこの速度が限界とされている。


 だがこの速度限界は資材などの貨物には適用されない。

 宇宙空間の過酷な環境に晒され続ける軌道ステーションは、低軌道でも静止軌道でも常に様々な補修用資材を必要とする。拡張工事計画もまだ先は長く、更には低重力・無重力環境における実験開発にも資材が必要とされている。


 軌道ステーションで使用されるこうした資材は、加速に耐えられない一部の精密機器以外は旅客用リフトではなく、専用の高速貨物用リフトを使って運ばれる。

 寧はそれを使って善市郎に追いつこうというのだ。


「あれって無人で動かしてるんだろ? 人が乗り込めるのか?」

「乗って乗れない事はありません。問題は耐えられるかどうかです」


 寧の視線はトッドにだけ向いている。

 人造人間の循環器系や臓器は、高速貨物リフトの加速度にも容易に耐えられるであろう。

 問題はトッドだ。


 トッドは重サイボーグになった時に、循環器系・呼吸器系・消化器系は殆どが機械化もしくは培養臓器に置き換えられている。

 戦争という過酷な環境下において、負傷や様々な悪条件に耐えうるよう設計されているが、それも十全の機能を発揮出来るのは損傷が無い場合だ。

 満身創痍の今、耐えられるかは分の悪い賭けになる。

 不安げな視線を向けていたステフに、トッドは自信に満ちた笑顔を見せた。


「いけるさ。ここで手をこまねいている訳にはいかねぇよ」


 勘の良いステフの事だ、内心の不安は見抜いているだろう。客観的に見ても、今のトッドはここで待っていた方が遙かに安全だ。

 それでも父親として、やせ我慢をしてでも笑顔の一つも見せてやらねば格好がつかない。


「ステファニーに異存はありませんか?」

「ないよ。言って止まるダディじゃないし、ダディがいくならあたしもいく。当然じゃん」


 ステフは答えながら、殆どぼろ布になっていたスキンスーツを破り捨てる。そして寧が持ってきた着替えを手にして、あからさまに顔を引きつらせた。


「……なんで寧とお揃いなのよ」


 顔の前で着替えを広げ、ディープブルーのワンピースをひらひらと振った。サイズこそステフにあわせたものだが、そのデザインは寧が着ている物と全く同じだ。


「低軌道ステーションに戦闘に対応した装備で行くつもりですか? ナイフだけは持ち込めるように、長めのスカートの物を選びましたのに」

「ナイフだけって、ガウスガンはっ?」

「ステーションに穴を開けるつもりですか……善市郎相手に危険ではありますが、可能な限り近接戦を行わねば、私達が今度こそ警備軍に捕まります」


 大げさに肩をすくめる寧に文句を言いながらも、ステフはワンピースに袖を通す。

 口では愚痴を言っていても、その表情には喜びが隠せないでいる。普段はまず着ない服を着ることが嬉しいのだ。


 トッドは二人のやりとりを聞きながら、テーブルの上に置いてある無骨な大型電磁射出拳銃――特効薬パナシーアに目をやった。

 ここまでこの相棒がいなかったら、切り抜けられなかっただろう。

 癖の強い銃だが、これほど頼れるのならもっと早く使えば良かったと思う。


 だが積層カーバイトにすら大穴を開ける大口径徹甲榴弾は、軌道ステーションの構造材であっても容易に貫通するだろう。

 小型のガウスカノンとも言うべき威力は、とてもでは無いが気密性が重視される軌道ステーションで使える代物ではない。

 トッドは太ももから外したホルスターに特効薬パナシーアを収め、テーブルの上に置いた。


「悪いな、ちょっと待っててくれ。終わったら迎えに行くわ」


 口の中でだけ呟くと、トッドは寧が持ってきた着替えに手を伸ばした。




 寧の先導で辿り着いたのは、通常の旅客用ステーションではなく、前言通りの貨物用ステーション。

 三百メートル四方はある空間には様々な貨物が、輸送される順番を待って整然と並んでいる。だが人払いは済んでいるのか、オペレーターの一人もおらず貨物運搬用のロボット一つ動いていない。

 深夜だというのに煌々と照明が灯る中、荷物の隙間を縫うようにして三人は進んでいく。


 リフトの全長は三十メートルほどだが、軌道塔に対して並行――地面からすれば垂直だ――に配置されている為、金属製の車体に近づくと威圧感すらある。

 この十階建てのビルほどもある一両編成のリフトこそが、セカンドバベルにおいて最も厳密に管理されている移動手段だ。


「いつ見てもでけぇなあ」

「乗った事がおありで?」


 ぽつりと漏らしたトッドに寧が問いかける。

 寧の用意した着替え――仕立ての良いスーツに身を包んだトッドは、照れくさそうに頬を掻いた。


「セカンドバベルに来た当時、一度だけ観光でな。これでも子供の頃の夢は宇宙飛行士だったんだぜ。夢は叶わなかったが、宇宙には行ってみたくてなあ」


 無重力が体験出来る静止軌道ステーションではなく、今から向かう低軌道ステーション行きの観光プランは、手軽な料金と日程で人気が高い。

 それでも年収の三分の一はかかる金額に、当時は悩みつつも支払った記憶があった。

 目を細めながらリフトを見上げ、少しばかり宇宙から見た光景を思い出すトッドだったが、二人の少女は一目で分かる愛想笑いを浮かべた。


「初耳だけど、ダディにはあんまり……」

「似合わな……随分と純真でしたのね、トッド少年は」

「そう言われると思ったから黙ってたんだよ」


 少女達の感想に、眉をひそめながらトッドは大きく息をついた。




「戦闘機用の対Gスーツはここでは手配出来ませんので、なんとか耐えて戴くしかありません」


 通常は無人で運行される高速貨物用リフトにも、オペレーター用の座席は設置されている。

 シートは進行方向に向けて設置されているのではなく、軌道塔に背を向ける形に設置されているのは、旅客用と同様であった。

 清掃はされているのか埃を被ってこそいないが、使われた形跡の無い真新しいシートに座りながら、寧は戦闘機じみた四点式シートベルトを締めた。


「分かってるさ。気合いでなんとかしろって事だろ。いつもやってる」


 トッドもそれに倣ってシートベルトを締める。

 体を包む形状のシートは、トッドの大柄な体格には少しばかり窮屈だ。耐衝撃性脂肪層が万全の状態なら、シートベルトを締めるのにも苦労しただろう。


 隣のステフは逆に体が小さいせいで、シートにすっぽりと埋もれてるようだった。

 着慣れないスカートのせいか、足をぴったりと閉じて座っている姿は、いつもと違ってしおらしく見えた。スカートの中に十本近い単分子ナイフを隠し持っているとは、到底思えない姿だ。


「なぁに?」


 トッドの視線に気づいたステフは小首を傾げる。


「仕事終わったら、服買いにいくか? 仕事に向かない服でも構わんし、欲しい服買っていいぞ」


 それを聞いたステフは表情を輝かせて何度も首を縦に振った。

 これまでステフが買っている服は、トッドとお揃いのものか、仕事向けのものばかりだった。

 食費や銃弾などの消耗品費に圧迫され、苦しい財布の事情をおもんぱかって、年頃の娘らしい格好を我慢している節もあった。


 この大仕事を終えた暁には、ステフにも相応の報酬と、父からのプレゼントを贈っても良いだろう。


「欲しい服あるっ! ダディの傷が治るまでにリストにしとくねっ!」

「あ、ああ。全部とは言えんが、お前に似合うのを買いにいこう」


 トッドは現在確定している報酬額と、そこから今回の仕事で消費した物品や、治療費の大雑把な計算を行った。

 あまり余裕は無いが、またしばらくトッドが流動食生活になれば、ステフの服を数着買うくらいは出来るだろう。


「……トミツに来て戴ければ、服ならいくらでもご用意致しますのに」


 はしゃぐステフから視線を外しながら、寧は小さく、寂しげに呟いた。

 しかしステフは寧に顔を向けることもなく、片手を上げてひらひらと振った。


「お断り。寧の気持ちは分かるけれど、あたしはもう七大超巨大企業セブンヘッズに組み入れられるのは嫌なの」

「残念、です」


 口の中だけで呟いた寧は、ため息交じりに一つ大きく息をついて話題を切り替えた。


「リフトの発進まであと一分を切りました。発進後は緩やかな加速ですが、地上一キロの時点から最大加速が開始されます。その時には7G近い加速度がかかりますので、なんとか耐えてください。最大速度に」

「誰だ、そんな設計にした奴は。ぶん殴ってやる」

「リフト関係の設計はノースシー通商の基幹AIですわね。苦情はそちらにお願いしますわ――さあ、発進です」


 三人の前に投影されたモニタが、リフトの発進を告げる。

 車外を映すモニタの中で、リフトの前方――貨物ステーションの天井だ――を塞いでいた扉が開き、一直線に天へと伸びる軌道塔が露わになる。


 七大超巨大企業セブンヘッズの一つが造り上げたリフトは、貨物用であっても旅客用と変わらぬスムーズな発進だ。

 申し訳程度に作られた窓から見える景色が無ければ、動いているかすら分かりづらい。


 内蔵されたバッテリーで時速五十キロにまで加速した貨物用リフトは、下部のマイクロ波受電装置を展開した。

 そこへ軌道塔の基部に設えられたマイクロ波送電システムから、高エネルギーのマイクロ波がリフトを狙って放射される。

 投影式モニタには送電された電力と、大気や距離による減衰率が一定以下に収まっている事を示す数値が浮かび上がる。


「加速が開始されます。覚悟を――」


 寧が言い終える前に、リフトは加速を開始した。

 大量の貨物を短時間で送り届けるため、貨物用リフトは三人を含む三十トン近い貨物を積載したまま、旅客用リフトの倍以上――時速九百キロにまで速度を上げた。


 まるで動力装甲服パワードスーツに体を押さえ込まれるような加速度に、トッドは自分の血液が頭から下がっていくのを感じた。

 時間にすれば一分足らずの加速が終わり、最高速へと達したリフトの中で、トッドはぐったりとシートへ体を預けた。

 グレイアウトと呼ばれる脳への一時的な貧血状態に陥ったトッドは、目を瞬かせながら寧に問いかけた。


「なあ、寧。ノースシーの基幹AI、名前あったよな? なんて言ったっけ?」


 七大超巨大企業セブンヘッズの所有する超大型量子コンピュータには、それぞれに基幹AIと呼ばれる人工知能が搭載されている。

 限定的ながら人権すらある基幹AIは、七大超巨大企業セブンヘッズの運営にとっても無くてはならない存在だ。


「ノースシーはポール・バニヤンですね。それが何か?」


 民話から名付けられた名前を口にしながら、寧は不思議そうにトッドを見つめる。トッドは皺を寄せた眉間を押さえ、苦々しげに呟いた。


「いつかぶん殴ってやる」

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