第10話 ドヤ顔公任さん(大鏡・撰集抄ほか)

 前回から引き続き、藤原公任さんについてのお話です。

 今回は、公任さんの鼻高々な自慢エピソード中心にご紹介したいと思います。この人の得意フィールドは和歌なので、自然と和歌関係のエピソードが多くなります。


その1 三船(舟)の才(大鏡ほか)

 三船の才は割と有名な話なので聞いたことある!という方もいるかもしれませんね。

 あるとき、藤原道長が、川で舟遊びをしたときに、管弦がうまい人の船・漢詩がうまい人の船・和歌がうまい人の船の三種類を準備して、自分がチョイスしたその道の達人を乗せていました。

 すると、そこに公任さんがやってきます。


道長「どの船に乗る?」


公任「じゃあ、私は和歌の船で」


公任さんはそう言って和歌の船に乗り、一首詠みます。


  小倉山嵐の風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき

  (小倉山や嵐山から吹く風が寒いので、紅葉が散って人々にかか

   り、誰もが皆、紅い錦の着物を着ているように見える)


 風で降りかかる紅葉を、そのまま着物に見立てていて、視覚的に鮮やかな感じの和歌ですね。ちょっとキザッぽいような気もします。

 『大鏡』の中でも「自分で和歌を選んだだけあって素晴らしい和歌を詠んだよね~」という感じで評価されていますが、公任自身も「この歌はイケてる」と思ったようで……。


公任「ってか、漢詩を作る舟に乗ればよかったな~。今詠んだ和歌と同じクオリティの漢詩を作ったら、絶対評判が上がった気がするから残念~。それにしても、道長が『どの船に乗る?』 って聞いてきたことは我ながら自慢に思ったね!!」


と言ったとか。道長が「どの船に乗る?」と聞いたということは、公任は管弦・漢詩・和歌どれに乗っても大丈夫なくらいすべて優れていると認めていたということになるわけですね。

 道長に聞かれたとき、公任は絶対ドヤ顔してただろうなと思います。この人表情とか隠せなさそう……。

 「漢詩の船に乗ればよかった~」とか言ってますが、公任が世間的に最も評価されていたのは和歌ですし、本人も絶対的な自信がある和歌をチョイスしたのでしょうね。

 なんというか、「あっちを選んでも、俺できたわ~。むしろあっちの方がよかったわ~」みたいなことを後から言う人って今でもいそうですよね。わざわざそう口に出しちゃうところは、うざく感じる人は心からうざいと思う事案なんでしょうが、ちょっと親しみも感じて私は好きです……。



その2 雪の日の梅(撰集抄)

 村上天皇の治世のとき、二月に大雪が降った日がありました。月が明るかったので、天皇は外の気色を眺めていたところ、木々に降り積もった雪がまるで花が咲いているようで、どれが梅の木なのかもわからないような景色になっていました。(白梅だったんですね)

 そこで天皇は公任を呼び、「梅の花を折って来て」と命じると、まもなく、公任は積もった雪を落とさないようにしながら、梅の枝を一枝折って戻ってきました。

 天皇が、「今、どう思ってる?」と聞くと、公任は「歌を詠みました」と言って、


  しらしらししらけたる夜の月影に雪かき分けて梅の花折る

  (白けてしまうほどに真っ白な夜の月明かりの下、雪をかき分

   け、雪と区別のつかないように真っ白な梅の花を折る)


 これもまた、少しかっこつけな感じがしますが、白さが際立ったうつくしい歌ですね。私は個人的にこの歌がかなり好きです。

 「しらけたる」には、周りが白く見える、というほかに現代語でも使っている意味と同じ「白ける」という意味も含まれているそうです。マイナスの意味合いなのですが、あっけにとられて白けてしまうほどに真っ白な、とでも解釈できましょうか。

 「しらしらし」は、現代読みだと「しらじらし」と読むべきところですが、当時は濁らずに「しらしらし」と読んでいたそうです。清音で読むほうが、美しさが強調される感じがしますね。

 話に戻りますと、天皇は大いに感動して、公任をめちゃくちゃ褒めました。すると、公任、その場で、涙を尋常じゃないほどに流した、とのこと。天皇もつられてもらい泣きしたとのことですが、何ともオーバーリアクションな感じですよね。自信あったくせに!!!

 まあ、この歌は梅をとりに行く途中で作った即興の歌のはずなので、褒められてうれしかったのは本当だと思いますが……。ついでに公任、「これが人生最高の思い出ですう」と言ってはまた泣いたそうです。一言多いというより、一言重いって感じですかね……。  

 天皇や上司に褒められて泣くのは平安あるあるではありますが、公任がやると素直に見られないなあ。



その3 道長の娘へのプレゼント和歌(今昔物語ほか)

 道長の娘の彰子が入内するとき、お祝いに和歌を書いた屏風をプレゼントすることになりました。

 和歌の筆記係は「三蹟」かつ「四納言」のひとり、藤原行成。和歌担当は複数いましたが、公任も選ばれていました。

 しかし、和歌を提出する当日、時間になっても公任がやってきません。道長はやきもきして、立ったり座ったりしながら、公任の家に「まだ?」「遅い」「早く」と使いを出しまくります。道長を待たせる公任の度胸よ……。

 ついでに行成も、和歌を見て清書しないといけないので、一緒にじりじりしていた様子。何気に一番胃が痛かったのは行成かも。

 そして、とうとう遅れて登場した公任。みんなが「どんな和歌を持ってきたんだろう」と期待して提出を待ちます。


公任「ひじょーに申し訳ないんですが、全然いい歌が出来ません。こんなレベルの低い和歌を提出するくらいなら、辞退させてもらった方がマシってやつです」


 まさかの発言に一同ざわざわ。


公任「まあ……見た感じ、他の人たちもパッとした歌はないみたいですね。このように優れた方々でもいい歌が詠めないのでしたら、ますます、私なんぞの歌を採用されたら、後世まで恥が残りそうです。やっぱり辞退します」


 まさかの謙遜しているように見せかけて、他の人をもdisりながらの辞退発言。

 道長は許さず、公任を説得します。


道長「そもそも、他の歌人とかはどうでもいいんだよ。あなたの和歌がなければ、このプレゼント企画そのものの意味がないんだ。あなたの和歌こそ必要なんだ」


 もうほぼ口説き文句ですよね、これ。言われた公任、絶対袖で口元を隠しながらニヤついてたんだろうなあと……。

 そのほかにも道長が言葉を尽くして説得した結果、公任はしぶしぶという体で折れます。

 長いため息をついて「はあ……これは長く汚名が残っちゃうなあ」とか言いながら道長に書いてきた和歌を提出。(辞退すると言いながら、提出する準備はしてあったというところがもうアレ)

 この時点で周りの貴族たちも(ゆーて公任さまだし、絶対いい歌に決まってる)と考えていたようです。その提出した和歌はといえば。


  紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん

  (藤の花が紫の雲のように美しく咲き誇っているのは、この藤原

   の家のどのような吉兆なのであろうか)

 もう現代語訳を見てお分かりになる通り、スーパーヨイショ和歌ですね!!もはや気持ちの良いほどストレートな道長家age和歌。

 公任に割り当てられていた屏風は、藤の花が咲いている家を描いたものだったので、屏風の状況にもぴったり。藤の花=藤原家の意味ですからね。道長もこういう和歌を詠ませたくて、意図的にそういう絵の屏風をチョイスしたのでしょう。

 その場に居合わせた人々はみんな、「すばらしい!」と大絶賛で、公任も「あー胸のつかえがおりたー。ほんと良かったですわー」と笑顔で一言。


 アレですね。わざと遅刻してきて、インパクトを狙った的な。ヒーローは遅れてやってくる的な。結果、道長が口説き文句を連発する羽目になったのですけれども……。

 自分に自信がないとこんなこととてもじゃないけどできませんよねー。自身なかったら、むしろせめて提出期限だけは守るんじゃないかなって思う……。

 つまり、前回紹介した「形だけ遠慮する」の成功例というわけです。前回の拍子のときは、斉信にまんまとしてやられてましたが……。貴族のたしなみ・礼儀であることはもちろんなんですが、この人の場合、謙遜したあとに成功すると、効果が高まるのをわかっててやってるんでしょうね。やり過ぎると逆効果だと思うんですが……。



その4 赤染衛門に性格を見破られる(十訓抄)

 公任はプライドが高いので、気に入らないことがあると「俺もう仕事いかね」と言って、仕事をやめてひきこもることがありました。(とんだワガママぼっちゃんです)

 十訓抄にそのときの逸話があります。

 寛弘二年の頃、公任は数ヶ月ほど、とある不満があって宮中に出仕しませんでした。(※この不満というのは、ライバルの斉信に出世で先を越されたからという話があります)

 仕事しないぜ!!ということで、大納言の位を辞退しようとした時、博学で有名だったおおえの匡衡まさひらを家に招きます。


公任「大納言を辞めたいから辞表を提出したいと思うんだけどね。このご時世では高名な学者と聞く、きのただや、おおえの以言もちときに依頼して書かせようとしたんだけどさ。どうにも気に入らないんだよね。貴殿だけは、私のことを理解して、きっと私が大満足と思えるような辞表を書いてくれるだろうと思ってるからよろしくね☆」


とプレッシャーをかけつつ依頼してきたので、匡衡は、しかたなくOKして、家に帰ってから悩みました。

 辞表くらい自分で書けよ……とお思いの方もいらっしゃるかと思いますので補足します! 平安時代、辞表は漢文で故事を引用しながら書く決まりがあったので、漢文の専門家である学者さんに依頼するのが常でした。めんどくさいですね!!! でもこういう慣例があったからこそ、学者が食べていけたという背景もあるかもしれません。当時の文章博士(今でいう大学教授)のお給料はそんなに高くなかったみたいなので……。

 妻である赤染あかぞめもんが匡衡が悩んでいるのを見て、「どうしたの?」と尋ねると、


匡衡「実はかくかくしかじかなんだけれども……。紀斉名さんや大江以言さんは、才能や学問の面で優秀なはずだ。それなのに、彼らより優れたものを書くことなど、僕には非常に難しい」


 と答えます。謙遜していますが、匡衡も学者として相当有名なので、この二人と比べて全然ひけはとらないです。あと、さりげなく奥さんに相談しているのって、実は素敵なことですよね。「女に仕事のことなんかわからん!!」とか言わないところが、匡衡さんの素敵なところだと思います。

 相談を受けた赤染衛門はじっと考えて、


「公任さまはとてもプライドが高い方です。ですから、ご自身の先祖(=家柄、家系)がとても高貴でありながら、ご不満な地位に甘んじているということを、そのお二人は書いていないのではないでしょうか。あなたは、やっぱりそのことについて書くべきです」


とアドバイス。匡衡が斉名や以言の書いた草稿を見ると、本当にその通りで、先祖云々の話は書いていなかった。

 匡衡は「うちの奥さんの言う通りだー」と、思い、辞表の冒頭にこう書いてみた。


辞表「私は、太政大臣が五代続いた家の嫡男です。一門の祖先である藤原良房公から始まり……」


と書き始めて、次々にその立派なご先祖の名を挙げ、それなのに自分の昇進の遅れていることを書いておきました。そしてそれを持っていくと、公任は大喜び。匡衡が書いた辞表を使ったということです。


 赤染衛門に性格を見透かされている公任がちょっと笑えます。やっぱり当時でも「公任さまって超プライド高いよね」っていう会話はあったんでしょうね!! 男社会より、むしろ女房の女子会トークの方が、上流貴族の性格について話していて、的確にあてていた可能性もありますね。

 余談ですが、赤染衛門と大江匡衡はおしどり夫婦として有名です。最初から恋愛結婚したわけではなかったみたいですが、匡衡の性格がよかったのと賢かったのが、才女で歌人としても名高い赤染衛門と相性がよかったんでしょうね。赤染衛門は『栄花物語』の作者ともいわれています。

 赤染衛門は、匡衡を引き立たせるために、何かあると夫の名前を出してめっちゃ推していたらしく、紫式部日記で「女房達の間では匡衡衛門とあだ名をつけられている」なんて書かれています。若干毒があるというか、disられている感じもしますが、仲がいい夫婦なのはよいことですよね。嫉妬もあるのかも、なんて。


 

 最後リア充夫婦の話題に流れましたが、公任さんの憎めないところが伝わったでしょうか……。

 公任の大げさな感じの和歌も結構好きなので、またまとめて読んでみたいと思っています。公任さん、美的センスにはこだわりがあったようで、『和漢朗詠集』という、平安版「声に出して読みたい和歌・漢詩集」的な本を編纂しています。

 「北山抄」という公任の書いた日記も残っているので、注釈がわかりやすそうな本があれば読みたいなあと思っています。平安貴族の日記は読みたいんですが、基本漢文なので、体力的にちょっと読むのがしんどいんですよね……。

 それでは、今回はここまでです。読んでいただき、ありがとうございました。


※追記

 

北山抄は日記ではなく、儀礼の方法などをまとめた事務的な書だそうです。あまり日常的な話はなさそうですね、残念……。

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