第9話 失言大納言公任さん(十訓抄・大鏡ほか)

 こんばんは。今回は、人物紹介中心回です。


藤原ふじわらの公任きんとう】(通称:四条しじょう大納言)


 この人の名前は、『うた恋い。』で知ってる、という方もいるのではないでしょうか。百人一首に、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ」という歌が選ばれている歌人です。

 この人は紹介したいエピソードがたくさんあるので、二回に分けてお送りしたいと思います。今回はタイトルにあるように「失言編」です。


 簡単に経歴を紹介しますと、お父さんもお祖父さんも関白と太政大臣をつとめており、母も妻も皇族という、めちゃくちゃ高貴な家柄のひとです。

 そのため、将来も期待されており、もともとは藤原道長よりも昇進が早く、ちやほやされておりました。

 そのためなのか、この人、発言が不用意なところがあります。


その1……政治的に割とヤバイ失言(大鏡)

 公任のお姉さんが円融天皇の皇后に立てられたとき、公任が参内に付き従っていました。行列が藤原兼家(道長の父)の家の前を通ったとき、わざわざ家の中に向かって、


「ここんちの女御さん(詮子)は、いつきさきにおなりになるんですかねえ」


と、聞こえよがしに言ったそうです。

 自分のお姉さんが皇后になったので、調子に乗っちゃったんですね。

 デリケートな問題なので、かなり怒らせてしまったようです。


 というのも、公任がdisった兼家の家の詮子は後に一条天皇を産み、皇太后になります。皮肉にも、その詮子の行列に公任が参列していた際、詮子の取り巻きの人に、


「お宅の妊娠できないお后様は、どこにいらっしゃるのですか?」


と、手ひどく言い返されてしまっています。

 そして結局、政治の実権は兼家から道隆、道長へと移っていくので、公任は大納言にはなりますが、大臣にはなれず。くすぶっていくわけです。



その2……仕事仲間をdisる(十訓抄)


 公任は「ごん」と呼ばれた、貴族グループの一人でした。この「四納言」というのは、簡単にいうと「道長の四天王」みたいなものです。他の三人は、みなもとの俊賢としかた藤原ふじわらの斉信ただのぶ藤原ふじわらの行成ゆきなりです。みな優秀でイカしてたので、そういうグループ名がつけられたそうです。

 あるとき、この四納言で蹴鞠をやっていました。すると、途中で誰かが蹴り損じた鞠が遠くに飛んで行ってしまいました。それを見た公任は、


「この鞠はさ、大臣や大将の子ではない奴が取ってくるべきじゃない??」


と発言。この中でそれに当てはまるのは、父親が二十代の若さ(当時は少将)で亡くなった藤原行成だけでした。

 それを聞いた行成は「父が早死にしなければ、今頃は大臣にもなっていたのに」と悔しがったそうです。実際、行成のおじいさんは太政大臣もやっているので、その通りだと思うんですよね。

 公任と行成の仲は悪くなかったようなので、多分、公任本人にそんなに悪気はなかったと思うんですが、完全にデリカシーなさすぎ案件です。



その3……紫式部に引かれる(紫式部日記)

 宮中で宴が開かれた際、彰子に仕える紫式部や他の女房たちも出席していました。すると、良い感じに酔っぱらった公任が、女房たちがいるところにフラフラとやってきて、


「ここに若紫はいらっしゃいますか~」


 と声を掛けます。既に『源氏物語』がヒットしており、ヒロインの紫の上も有名だったのですね。そのため、作者の紫式部をヒロインの紫の上にたとえて、チャラい感じに声をかけに来たわけです。

 それに対する紫式部のコメントはというと。


(光源氏がいないのに若紫がいるわけないでしょ)


となかなかに辛辣しんらつな一言! さすがに直接面と向かっては言ってないようですが、普通にスルーしたのは本当らしいです。紫式部つよい。

 因みに、このエピソードで『源氏物語』が歴史上初めて記録の中に出て来たということで、この日の日付けである11月1日は「古典の日」に制定されています。



 その4……長能の悲劇(俊頼髄脳・古本説話集・古今著聞集ほか)

 公任は和歌の名人として当時から著名だったので、和歌関係でいろいろなお仕事や依頼もありました。

 たとえば、「俺とコイツどっちの歌が優れてるか判定して!!」という依頼が来ることも。持ち込んできたのは、長能ながとう道済みちなり。「鷹狩」をテーマに詠んだ歌について、どちらが優れた歌か判定してほしいとやってきました。


長能:あられ降る交野かたののみののかり衣濡れぬ宿貸す人しなければ


道済:濡れ濡れもなを狩り行かむはしたかの上毛の雪をうち払ひつつ


という歌です。ちなみに、長能の和歌にある「濡れぬ」の「ぬ」は完了の「ぬ」と打ち消しの「ぬ」が掛詞的に使われているので、受験にもたまに出て来ます……。


 これに対するやりとりをざっくり訳しますと。


公任「うーん……ガチで意見言って、あなたがた怒らない?」


長能&道済「絶対怒んないから言ってください!そのために来たので!すぐ聞いてすぐ帰りますので!」


公任「じゃあ言うけど。『交野のみのの』という歌は、表現効果を意識して詠まれた歌の雰囲気とか、言葉の使い方や続け方も、趣があって、かなりよく聞こえる……んだけれども。いろいろ間違ってるとこが気になっちゃうんだよね。鷹狩って、雨が降ったくらいで中止にならないじゃん。だから、霰が降ったくらいで、宿を借りて休むっていうシチュエーションがまずありえないんだよね。しかも、霰でそんなに狩衣も濡れなくない? 『なほ狩行かむ』っていう歌の方は、その点鷹狩っぽさがすごく出てる。鷹狩が楽しかったんだろうなあと感じさせる。歌の格調も優美な感じで風情がある。たぶん、勅撰和歌集にも載るレベルだと思う」


道済「ひゃっほう!(踊りながら出ていく)」


という感じ。

 私は和歌専門ではないので詳しいことはわかりませんが、この和歌の判定はかなり妥当で説得力もあるもののようです。要するに、テクニックにばかり凝り過ぎて、本来の鷹狩が詠めていないのはよろしくないということです。


 ここで負けてしまった長能さんに、さらなる悲劇が襲います。


 後日、花山院の歌会に主席した長能さん、「三月尽」というお題で以下の和歌を詠みました。


心憂き年にもあるかな二十日あまり九日といふに春の暮れぬる


 当時、二十九日のことは「はつかあまりここのか」と読みました。また、普通ひと月は三十日なのですが、この年の三月は「閏月(小の月)」だったので、二十九日で終わったのです。


 この和歌に対する公任さんのコメント。


「そもそも春は三十日じゃなくね? 一月から三月までずっと春だったじゃん」


と揚げ足取りみたいなことを言っちゃうわけです……。本人は「つっこんだったぜ」という軽い気持ちだったかもしれませんが、公任は既に和歌の大家として有名だったので、公任に批判されるということは、歌詠みにとってかなりの大ダメージでした。しかも花山院主催の歌会。長能は、大ショックを受け、真っ青になって無言のまま歌会を退席してしまいます。

 しばらくして、長能が重病になって寝たきりになっているという噂が広まります。心配になった公任は、長能の家にお見舞いの使者を送ります。ちょっと「悪いことしたかなあ」という自覚はあったんでしょうかね……。

 それに対する長能の反応は2パターンあるのですが、『古今著聞集』の方を紹介します。

 公任の使者を喜んで受け入れた長能。使者にこのように語ります。


「この病は、去年の三月尽に、公任さまが『春は三十日ではない』とおっしゃったことを、ひどく思い悩み、病になりまして……その後、食事ものどを通らず、このようになりまして、もう命も長くないでしょう」


 喜んで受け入れてこの発言って、なかなかゾッとします。対面した使者に笑顔で語っていたら怖いですね。

 もう一つのパターン(古本説話集)では、お手紙に淡々と書いてあるのですが、私は『古今著聞集』の方が、少し狂気じみた感じもして恐ろしいです……。

 結局このあと、長能は死んでしまいます。公任は長能が死んだことを聞いて、ひどくなげいたそうです。

 鷹狩の和歌のこともあるし、いたたまれない感じですよね……。



 その5……痛恨のミス(十訓抄・古事談)

 今度は公任さん側にダメージがあるやつです。

 年中行事や、天皇の主催の音楽会などで、ときどき貴族が合奏をすることがあります。公任は、よく拍子を担当していました。拍子というのは、貴族が持っているしゃくを打ってリズムを整える係で、今でいうところの指揮者のような役回りです。(※厳密にいうと雅楽に「リズム」という概念はないそうなのですが、全くなくてもそろわないと思うので、全体の調整役といったところでしょうか)

 この日は、公任の息子の定頼さだよりも合奏デビューをする記念回。パパとしては、かっこよく指揮をつとめたいところでしょう。

 しかし、公任さん、ここでちょっと考えるわけです。


(一回誰かに役を譲るフリをして、断られた所で「では仕方ないので私が…」って感じでやった方が、奥ゆかしくてよくない?)


 遠回しすぎますが、当時の貴族日記を読むと、実はよく見る風景。みんな得意楽器が一応あるので、大体それに応じた楽器をセッティングされるのですが、少なくとも一回は辞退します。わかりやすく言うとダチョウ倶楽部みたいなものでしょうか。


「いやいや、私などでは務まりません。麻呂さんおやりください」

「いえいえいえ、私などとてもとても。ここはやはりおじゃるさんでないと」

「いやいやいやいや、麻呂さんの方がお上手ですから」

「いえいえいえいえいえ、おじゃるさんが演奏なさらないのはもはや損失」


 みたいな感じで譲り合って、誰もが認める名手の方か、または立場が上の方がしぶしぶ受ける、みたいなのが美徳だったらしいです。

 そのため、公任も最終的には自分がやること前提で、一回人に譲る「フリ」だけしておこうとしたわけですが、譲る相手が悪かった。

 近くに座っていたのは四納言の藤原斉信。この斉信、仕事仲間である以上に、公任とはライバル関係でした。官位も抜いたり抜かれたりという感じで、お互いに負けず嫌い。(ちなみに公任は、斉信に官位を抜かれて家に引きこもったこともあります)

 この斉信に公任が笏をスッと差し出して、誰が見ても「形だけ」譲るそぶりを見せると、斉信は、なんと、そのまま笏を受け取って拍子を担当しました。

 斉信が拍子をやったという話は聞いたことがなかったので、絶対断るだろうと思っていた公任、ポカーン状態。最初から最後まで聞いてましたが、ひとつのミスもなく演奏は終了します。


「いつから拍子の稽古をしてたんですかあ」


と終わってから公任が斉信に聞くと、


「公務ですから。一通りはできるように準備してあります」


 という答えが返ってきましたとさ……斉信は虎視こし眈々たんたんと機会を待っていたのですね。公任への返事もなかなかスマートです。

 息子のデビューだったから絶対やりたかっただろうに、公任痛恨のミス!ですね。



 以上、公任さんの失言語録でした。まあ、現代でもいますよね。気づいたときには失言しちゃってるタイプの人……しかも治らないやつ!

 公任も、御覧の通り何度も何度も失言しちゃうマンなんですが、本当に悪気はないというか、本人的にはちょっとしたいたずら心だった気がするんです。下手したら「面白いこと言ったった」くらいの……。本当に悪意あっての発言だったら、彼の周りに人は集まらないだろうし、いかに平安貴族といえど流石にめちゃくちゃ嫌われてると思います。しかし、実際の所は普通に仲いい人もいたし、普通に尊敬もされている。道長にも一目置かれていたから四天王に任命されていたわけですし。だから、人間的に悪い人ではないんだと思います。

 でも立場や状況が、それで済まされないというか……結局のところ、坊ちゃん育ちで割と甘やかされていたから、精神年齢が子供っぽいまま大人になっちゃったのかなあと。(紫式部のやつ以外は、完全に謝った方がいい事案ばかりであることは確か)

 でも、長能の訃報をきいて歎いたという話もそうですが、割と素直なところも見受けられるので、憎めないキャラだと思うんですよね!


 次回はそんな公任さんの第二弾、「自慢編」です! この人自分大好きなので、すごく得意げな顔をしている様子が御想像いただけると思います。乞うご期待!笑

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