第13話 帰 還

 十三、帰 還


 あの日から二週間。

 雲之助の姿が九竜寺にあった。寺の縁側に幽影と並んで腰掛け、美味そうに茶をすすっている。

「こんな日が来ようとは、全く夢のようです。私の戦もようやく終わったということでしょうか」

 雲之助は晴れ晴れとした笑顔で空を見上げている。

「私も滝家の主人としてホッとしました。あの三人が突然ここに現れた時は、まさかと」

 幽影も声を出して笑っている。


 今、その三人は寺の裏手にある鍾乳洞で、帰還のための修行をしている。雲之助はその時渡りの修行に助言をするため、度々この寺を訪ねて来ているのだ。

 時を超えるにはかなりの精神の集中と体力が必要なのは雲之助が一番良くわかっていることだ。ただ、三人が元々居た時代に帰るということは過去に向かうということで、これは雲之助も行ったことがない。うまく戻れるかどうか保証もできない。しかし、まずは心と身体の鍛錬が重要な要素であろうことは間違いないらしい。そしてそれを身につけるため、三人は雲之助の指導を受けながら一日の大半を洞窟に籠っている。


「雲之助殿、もし良ければ、あの子らが帰ってしまってからも、時々はここに訪ねて来て、私の話し相手になってくださらんか?」

「よろしいのですかな、私などが度々あがっても?」

「もちろんですとも。このところ、良い友人ができたようで、喜んでいるんですよ」

「それは願ってもない、嬉しいお話です。あの時代にいても、友などおりませんでしたのに。初めての時渡りから十年、私にも友と呼べる方ができるのですな」

 年寄り二人もなかなかに気が合ったようだ。


 それからまた何日かが過ぎ、ある日の夕食で全員が顔を揃えた時だった。いつもなら一日の訓練を終えて疲れきった顔で、黙々と箸を運ぶところなのだが、その日の霧人は何かを考えこんでいるようだった。

 そして箸を置くと、唐突に切り出した。

「俺、今までずっと考えていたのですが、もし…、もしも滝様に許して頂けるなら、この時代に残りたいです」

 突然の告白に、皆、食事の手も止まり、霧人を見つめた。

「一景様からの仕事を終えて、あの時代に戻るべきなのはわかっています。でも、あそこに戻っても待っているのはまた戦いでしょう。俺は今、戦うことよりこの時代の事をもっと知りたい。瑛太が教えてくれたような、もっと広い世界が見てみたいんです」

 そこにいる誰もが、霧人の言葉を胸の内で反芻し、しばらくの沈黙があった。

 それを破ったのは瑛太だ。

「大歓迎だよ、ね、みんな」

 思いがけない告白に舞い上がっているようだった。ずっと一人っ子で育ってきた瑛太が、この三人が来たことで兄弟が出来たような気がしていた。彼らが帰ってしまう寂しさを口に出せずにいたのだ。でも、一人でもここに残ってくれるのなら、そんなに嬉しいことはない。

「私も大賛成よ、ね、あなた」

 久美も嬉しそうだ。晃一の肩に手を置いて、同意を求めている。

 霧人の告白を聞いてもさほど驚いた様子を見せていない万寿とすみれだったが、幽影が彼らに尋ねた。

「お前たちはどうなんだ?ここに残りたいというなら、私らは全く構わないんだよ」

 万寿とすみれは互いにちょっと目を合わせてから、万寿が口を開いた。

「霧人の気持ちはなんとなく察しがついていました。霧人は優れた戦士です。戻ればまた必ず、戦さ場に戻されるでしょう。だから、ここにいた方がいい」

 すみれも頷いている。

「洞の中で一緒にいても、霧人の心はどこか離れているようでした。一緒に帰れないのは淋しいけれど、あの戦いの時代に戻るより、ここで新しい時を生きて欲しい。私もそう思っています」

 霧人はじっと目を閉じて、二人が話すのを聞いていた。

「お前たちは帰る、ということか?」

 幽影が確かめるように聞いた。

「はい。私とすみれは戻ります。この事は二人で話しをしました。すみれが入院している間、晃一様の仕事をいろいろ見せて頂き、私は医術の大切さを教えて頂きました。あの時代に戻り、人の命と向き合ってみたいと思っています」

 万寿の言葉を聞いて、晃一が嬉しそうな顔をした。

「そうか。じゃあ、万寿くん、帰還の日までにもっと今の医療について教えてあげよう」

「すみれさんも、それで本当にいいのかな?」

「はい。一景様にここでの事を報告した後は、万寿と共に人を助けていければと思っています」

「そうか。では決まりじゃな。霧人、おまえはこれからはうちの家族じゃぞ、いいな。そして二人が帰る日まであとわずかか。寂しくなるな」

 寂しさの中にも、皆、なにかすっきりとした気持ちで明るい未来が覗けたようであった。

 霧人もホッとした、柔らかい表情になっている。その目には涙が滲んでいるようだった。


 秋も深まり、そろそろ木枯らしが吹く季節に入ってきた。

 その日、雲之助は前日から寺に泊まりこみ、本堂で一人禅を組んでいた。日の出まであとわずかとなった時、薄明かりの中、万寿とすみれが来た時と同じ着物姿で本堂に入ってきた。続いて幽影と霧人が本堂に入り、雲之助と共に二人を囲むように座した。万寿とすみれは互いに向き合い、印を結んだ。二人の手には三巻の巻物がしっかりと携えられている。

 本堂に入ることが叶わなかった瑛太と、この日までにすっかり親しくなった幸昌が本堂前の庭に座っていた。

 そしてやがて、あの日聞いた落雷のような大きな響を聞いた。

 瑛太は涙が溢れて止まらなかった。


「あいつら、無事に帰れただろうか?」

 庭に出てきた霧人に瑛太が聞いた。

「大丈夫だ。きっと帰れたよ」

 幽影と雲之助も庭に出て、昇ったばかりの太陽を見上げている。

 皆が二人の無事を願って祈っているようだった。

 その静寂を破るように幽影がふと口を開いた。

「なあ、瑛太よ。ちょっと思うんだが、晃一って万寿と似てないか?」

 幽影の言葉に、その場にいた皆がはっとした。

「えっ?それって、まさか。万寿とすみれって、ご先祖様だったの?」

 瑛太の素っ頓狂な声が庭に響いていた。

 秋の終わりの抜けるような青空が広がっていた。


 完





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慶長の旅人 時渡りの顛末 @Yu-kame

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