第2話 追 跡

 二、追 跡


 すでに日は高く上り、新緑の風が山を吹き降りてきていた。

 一景かずかげら四人は追跡の準備が整うと馬に乗り、寺の門から急ぎ出て行った。彼らを乗せた馬も戦さ場には慣れた若馬達で、乗り手の指示によく従う。

 一行は街道に出て、さらに馬を駆け北上していった。賊が寺に侵入したのは昨夜のことであるから、すでに隠れ里に戻っているだろう。一景は迷うことなく道を進んでいる。そしてその後を秀影の一の従者で力もある三郎が従っている。それに続くのは剣の使い手でもある弥助、そして一番歳の若い霧人がしんがりを務めている。霧人は一族の若い衆の中でも身が軽く、森や山などでの戦いで幾度となく仲間の危機を救っている。剣の腕もなかなかのもので、戦術にも長けていることから一景も霧人には一目を置いてなにかと徴用しているのである。


 彼らはやがて街道から信濃へ通じる裏道に入り、しばらく行ったところで馬を降りた。木々の間の目立たぬ草はらに馬を繋ぎ、そこからは走って後を追うつもりなのだ。


「この方角で間違いはなさそうだ。やはり雲之助の仕業だな」

 わずかだが細い枝や草が踏み敷かれており、獣道のようであった。それでも間違いようがないという確信を持って一行は進んで行った。最初は背の低い灌木の林であった道が、やがて枝振りの良い木々の森へと変わっていった。そして上の方を確認した霧人がかすかな合図を出して前を走る三郎の背に取りつき、その肩を蹴って右前方の木の枝に飛び移った。三郎も慣れたもので、怒るわけでもなく霧人が木を渡っていく先に目を凝らしている。そこからは霧人が先にたち、前方に敵の姿が見えないか警戒しながら枝から次の枝へと宙を渡っていった。


 一刻ほど走った所で霧人が枝の陰に身を隠し、小さく一景達にだけ聞こえるように指笛を鳴らした。

 霧人が下を走る三人に注意を促したとほぼ同時に、前方の藪のなかから手裏剣が飛んできた。

 その瞬間には三人はすでに四方に跳び、身を隠している。次に放たれた手裏剣は木陰から飛び出した弥助の剣によって叩き落とされた。その間に三郎は剣の放たれたらしき藪の中に走り込み、潜んでいた男の腕をねじり上げ、首に忍び刀を突きつけている。

 霧人は木の枝に取り付いたまま、右手に持ったクナイを左前方の木に向けて投げつけた。

「うっ」

 短い矢を放とうとしていた別の忍びが木の枝から落ちてきた。首に霧人の投げたクナイが刺さっている。

 あと一人いたのだろう、行く先の草むらが揺れて走り去っていく者の痕跡を残していた。一景が三郎の捕らえた者に近づきその目を覗き込んだ。

「おまえ達の主人は誰だ?わしの所に忍び入ったものは?何処に住まいしておるのじゃ?」

 捕らえられた男は話す気はないというように目を閉じて力を抜いている。一景は「まあ良い」と呟いて男の側を離れた。

「三郎、放してやれ」

「よいのですか?」

「よい。その者には既に術をかけた」

 一景が最初にその者の目を覗き込んだ際、人心の術をかけたのだ。一景に目の奥を覗き込まれ術をかけられた者は、それとは気づかず、捕らえられた事実さえ忘れてしまう。あとは一景の思いのままである。今でいう催眠術のようなものだろうが、一景ほどの力を持つ者でなければこのような一瞬で術をかける事など不可能であろう。それと気付き、目を閉じても時既に遅しというわけだ。

 はたして三郎の手を離れたその男はふらふらと、やがてはしっかりとした足取りで道を歩いて行く。一景らはただその男の後をついて行くだけだった。

 二里ほど進んだだろうか、日はとうに西の地平に隠れ、星々が輝きを増してきていた。

 その時だった。

 突然、雷のような音とともに地面と木々が揺れ、その出来事に一景が唸った。

「遅かったか…」

 三郎が尋ねた。

「一景様、今のはいったい?」

「わしはこれを恐れていたのじゃ。まずは先を急ごう」


 一行が進むにつれ前方の大きな木に隠れるように小さな庵が見えてきた。庵の裏はすぐ谷か崖になっているようで、いざという時の逃げ道にでもなるのだろう。男はその門の中に入って行った。

 霧人が身を低くして男のすぐあとに門をくぐり中に消えた。三郎、弥助が門の両脇で身を低くして中を窺っている。すぐに中から霧人が手招きをして三人を招き入れ、庵の入り口を指差して言った。

「中を覗いてみたのですが、居るのは老人と女が数名、あとは先ほどの男だけなのです。他に誰かいるような気配もありません。いかがいたしましょう」

 一景は霧人に軽くうなずき、警戒する様子もなく戸口に近づいて行った。その動きに驚く三人に構わず一景は庵の引き戸を開け、中に入った。


 中にはひとりの老人を囲むように、何人かの女たちが呆然とした面持ちで座っていた。そして彼らの誰も、この突然の侵入者に驚いた様子はなかった。

「ご老人、ここにどなたをかくまっておられたのかな」

「……」

「根津雲之助が我が屋敷から奪った巻物で時を飛んだのじゃな?」

 この侵入者の言葉に老人と女達の顔色が変わった。一景と共に来た三人も主人の言葉に驚き、次の言葉を待った。

 次に口を開いたのは、意を決したようなその老人だった。

「我らは信繁様の御子、幸昌様をお守りしてここまでたどり着いてきました。全て、お家の為、そして幸昌様の行く末を案じてのことだったのです。ですが各地で戦が収まっていくにつれ、世は平らかになり、我らの望みも儚くなってゆくばかり。そんな折、信繁様の命を受け共に参りました雲之助があなた様の御一族に伝わる巻物のことを思い出し、そのようなものがあれば、若様を守り、我らの悲願を叶えられるのではないかと一縷いちるの望みを持ち、手の者を連れてあなた様のお館へ参ったのでございます」

 ここまで一気に話し終えた老人はふうっと息をつき、隣に座っていた女達に目をやった。彼女たちは目にいっぱい涙をためて老人の言葉に耳を傾けていた。

 老人は言葉を続けた。

「お察しのとおり、雲之助が若様と共の者を連れて去りました。本当に時を超えて行かれたのか、我らには確かめようもございませぬ。これで良かったのかさえ、我らにはわからないのです。ただ、もう、幸昌様、若様にはお会い出来ぬのでしょうか」

 老人は自分達の起こしたこの事態に、取り返しのつかない事をしてしまったのではないかというような不安と、無事に幼い主人を敵の手の届かない所に逃がしおせたという安堵の思いが入り交ざった表情を浮かべていた。

 女達も、おそらく幼い幸昌の身の回りの世話をしていたのだろう、突然目の前で大事に守ってきた幼い主人が姿を消したのだ。今はそのことに、ただただ恐れ驚き、悲しんでいるようだった。

 一景が老人に確認するように聞いた。

「雲之助は若君の他には誰を連れて行ったのだ?」

 老人は気力も生気も失せたかのように肩を落としていたが、一景に聞かれるまま返答した。

「若様の他に二人。雲之助の力ではそれが限度だと申しておりました。出来る事なら我らも共にゆき、若様のご成長あそばしたお姿が見とうございました。ですがそれも叶わず、ならばせめて若様をお守りする事のできる力と技を持つ者を連れていくよう命じたのです」

 一景は老人に相対して座り、ねぎらうように話しかけた。

「よく話してくれたの。主人を思う貴殿の気持ちはよくわかった。我らはここで貴殿らをどうこうするつもりはない。いずれ戻るかもしれぬ主人を待ってここに居を構えるもよし、何処かに安住の地を求めるもよしじゃ。じゃが、自らの命を縮めることだけはするでないぞ。戦はもう終わりじゃ」

 思いもかけない一景の優しい言葉に老人と女達はただ涙した。そして一景は続けた。

「さて、我らは寺に戻り、雲之助の跡を追うことにいたそう」

 そんな事が出来るのかと、老人はハッとなり膝を浮かせた。

「では、わしらは再び若様にお会い出来るのでございましょうか」

「いやいや、それは雲之助自身がこの場に戻ろうと思わぬかぎり無理であろうよ。ただ我らはあやつの奪っていったものを取り返さねばならぬ。あれらは我が一族の物じゃからな」

 がっくりと肩を落とした老人に一景は

「雲之助、幸昌殿を追うにあたり、彼らの身につけていた物を何か頂戴したいのだが。それがあった方が追いやすいのでな」

 老人は少しためらっていたが、やがて一番端に座っていた女に着物を持ってくるように言いつけた。

 女が一番奥の部屋から、着物などを数枚携えて戻って来ると、老人は一景に両手をついて嘆願した。

「これをお渡しいたします。そのかわり、…、もし幸昌様にお会いなされることがありましたら、どうか、そのお命だけはお助けくださいますよう、お願いいたしまする」

「私とて幼子の命まで取ることなど望んではおらぬ。すべて雲之助らの出方しだいじゃ」

 それだけ言うと一景ら四人は着物を受け取り、抜け殻になったような顔つきの老人達を残して庵を後にした。


 四人はまた来た道を戻り、途中、繋いでおいた馬に乗って寺に戻っていった。すでに夜の闇が街道を覆っていたが、夜目の利かない馬たちは乗り手の指示するままに暗闇の中を駆けていった。

 彼らが寺に帰り着いたのは夜も明けようとする頃であった。



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