エピソード2 今さら、平和なんて。(#1~#5)

#1 このままじゃイケナイ、けどどうすれば?




 最寄りの駅まで歩くこの数分間、いつも人通りのない道はいつも通り人がいませんでした。この街のテンボがゆっくり流れています。それとは無関係に垂れてくる頬から汗が鬱陶しく、冷房を求めるから肉体が歩くテンポは速めるのです。毎年更新する過酷な暑さ。明日もあさってもクソ暑く退屈な日常は同じように続くのです。額の汗を肘で拭いながら、きょろきょろと後ろを見たり空を見上げてみたりしましたが、別に変わった様子は感じません。いつも通りの駅の周辺はいつものように閑散としていますが、自分の体に内蔵されている時計の針だけが早く流れていました。この商店街同様この国の民はなんだか悠長にだという言葉は当てはまりません、何というか無関心で冷めているでもなく、狂っている訳でもなく、私の精神のメカニズムが妙な方向へ進んでいるというか……つまりはテレビやら何やらのマスメディアだけが大騒ぎしているだけで、ローカルな一般庶民にとってはぴんとこない感じ、これがこの町の表現に落ちつくと思います。




#2 「唯一の被爆国」というカンバン




 まったく偶発的に「唯一の被爆国」という看板を降ろさねばならなくなったこの国は、どういうフレーズで語られるのだろう、とそんなことを考えていました。東京の下町でさほど大きくはないこの街は、ビジネス街の雑踏と無縁ですし、若者が集まるほど先端をいく洒落た町でもなく、狭い路地が不規則に広がっている迷路のような所です。ガキが後ろから歓声を上げて走り抜いて行きました。流行のメガネをかけた玩具の拳銃から弾を「死ね、死ね」と声を連呼して私を駆け抜けていきます。入り組んだ路地は戦争ごっこをするにはかっこうな街です。こざっぱりとした商店街があって、お総菜やら事務用品店やら、普通に暮らすなら困らない退屈な街です。雨よけのビニル屋根がかけられていて陰っていて、やや暗い感じの雰囲気ですが、多少の陽光を遮り、影を作ってくれるし、雨なら傘を差さずにすみます。所々に穴があり雨漏りに少々困る程度でしょうか。主婦の横で幼子が手を引っ張られながらコロッケを選んでしました。泣き出した子をあやしながら釣り銭を揃えるために一円玉を一つ二つと数えながら支払いをしていました。少女はここぞという感じに文房具店のアニメキャラクターのノートを買ってくれとせがんでいました。駅前にあるゲームセンターやらパチンコ屋からけたたましい音が町中に漏れて、少しのぞくと足を台に乗せタバコを吸いながら球筋を眺めているスーツ姿の中年の男が見えます。自販機でジュースを買う少年は、出てきたペットボトルのキャップを開けて背を反らし、喉を鳴らして飲んでいます。女子高生が歩きながら画面を指で弾いては、にやにやと笑っています。団子屋の軒先でガラスケースを開けてなかにあるみたらし団子を、割烹着に三角巾をかぶった店の人が取り出していました。常連客と四方山話に興じていました。店員は戦時中を駆け抜けてきたような様子を醸していましたが、年代を計算すると百歳を超えてしまうのでおそらく戦後世代でしょう。その店頭で客に団子をふるまっては、お金を出すの、出さないのという押し問答をしていました。こんな光景はこの街に溶け込んでいて、日常生活が起承転結に収まっています。平和ぼけと評論家は猛り狂うでしょうか。いや、それすらソフトに呑みこんでしまうほどの気怠さが溜まっています。麻痺をしているのか、それとも対岸の火事とばかりに現実感がないのか。モールのもう一方にある角の小さな電気屋には大型液晶テレビで ニュースが報じられています。ある老婆はカートを止めると、半透明のビニル袋からあめ玉を取り出して、ゆっくりと口に入れると、カートの天板に腰を下ろし舐めながら視聴していました。すでに始まっている銃撃戦にぼんやりとして目を擦ったりして覗いています。ぎょうさん集まって凝視しているわけでもなく、銃撃戦は目を爛々とさせて、まるでハリウッドの映画を眺めているかのように。




#3 そしていつものケンタイ感。




 街のインタビューもなんだか紋切り方で、怒るでもなく笑うでもなく落ち着いた表情を晒しています。たぶんそんなことよりパチンコの玉の出がどうか、特売日の情報だとか、それともちょっとしたつぶやきを入力するほうに現実感があるのでしょう。実は私も同じです。殺しあいをしているという事実を伝えているとは思えませんでした。私はその日常を単に上から目線でぼんやりとしていただけでしょう。マシンガンの銃声はゲームで散々聞かされています。

 ニュースは終わって早くて安くてうまいと評判の定食屋の特集が始まりました。若くやたらバストの大きなアイドルがその店を取材して、おすすめメニューの紹介が始まると、

 もっちりとした食感がとうとか、シューシーな肉汁だのとか紹介していました。


 やはり平和だな、とがっくりとしました。漫然と過ごしていれるほど、変化のない毎日を繰り返しているこの日常が、ずっと続くのでしょうか。売れない原稿ばかり書いている小説家気取りの私は、この心象風景をどう表現しようか、そんなことばかり考えていましたが、実は焦っていました。文筆の感性をも奪っていかれそうな日々に呑まれていくという恐ろしさです。文筆家には致命的な感性の欠如。悩みがない日常を憂い、自由が倦怠感を誘う。そして思考が鈍る。この国では無思考でも、生活できてしまうのですから。そんな時代の文学なんて消去です。

「この平和ボケが!」

 憂国の志士のつもりになって、よくあるフレーズをメモしました。近い将来この国はどうなってしまうのかという問いかけは、自分にとって警鐘なのかそれとも苛立ちなのか。私は次第に好奇に染められていくのです。だんだん腹の底が沸していくばかりです。そうしてやがて私は苛立っていくのです。私はいったいどういう精神構造しているのでしょう。ゴキブリ殺せないくせに、こころは滾たぎるばかりです。

 電子決済が普通の時代にあって、私はわざわざ財布から小銭を出して切符を買い、改札口を抜けていきました。プラットホームに電車が滑り込んでくるのを待ち、やがて定刻通りに電車が入って来て、ドアが開き、人が降り、そして私はいたって普通に乗車したのでした。




#4 聖書とサブカルと都市伝説。



 場所はイスラエルの「ハイファ」という都市の近郊だ、と車中に備え付けてある液晶モニターを見て確認しました。私はスマホを取り出しイヤフォンにつないで、その動画にアドレスをセットしました。なんでもイスラエルの地中海側の大都市で、レバノンとの戦争ではミサイルの猛攻を受けたこともあったそうです。

 確かその近くに「メギド」があったはずです。約束の丘、メギドは邪教との世界最終戦争が行われ、正義の信仰をした者たちによる「千年王国」が開闢される……とかどうとかサブカル系のサイトにあったのを思い出していました。その箴言を本気で信じていた、今更ながらあのわけの分からない宗教団体は、存外要所をついていたのかもしれないなどと余計な邪推を始めます。一九九九年の予言も、核戦争の危険もなくなったという退屈な時代に、この空白をどう埋めればいいというのでしょうか。

 動画はこの都市の繁栄ぶりを示すシーンに変わりました。ハイファタワーとかいうビルが現れました。二百階建てのビルだそうです。まるで「バベルの塔」を醸したような巨大なビルです。報道の通り、ここで核兵器が炸裂したならこのビルにいた者どころか、数十万、数百万もの命は、まず絶望的でしょう。驕った人類への絶対神の怒りでしょうか。ネット上には実際そのようなつぶやきもあります。イスラエルは一気に総攻撃に走りましたが、どこまで戦うのか。あっという間にイスラエルは中東地域を占領するでしょう。しかし再反撃が恐ろしい。暗躍するテロリストたち。核を使ったテロなんて起こされたら? ユダヤ人とパレスティナ人の数千年に及ぶ、嬲りあいと殺しあいの現場、悲劇の国家イスラエルは、ほぼ間違いなく保持している核兵器を使用するのに躊躇しないでしょう。あ、いや、もしやこれが裏筋なのかも。すでに発射している核兵器は実はイスラエルの陰謀じゃないか! するとアメリカや欧州各国も芋づる式に攻撃を始めるのではないか。「第三次世界大戦」は人類存亡の危機。あの予言者の言葉は迷信ではなかった! 




#5 空想の楽園




 私はいてもたってもいられず、ツィートしてみましたが、無反応です。メール検閲しているのでは? ……しかしそのような情報はありません。同じイスラム教を信仰しているパレスティナ人に協力している中東諸国には核兵器を持っている国家もあります。おそらく双方が共に核兵器を打ちあうという最悪の状況を考えてのことでしょうか。その先にある地獄絵図が、国家指導者の想像力にはあるのだという希望に、ちょっとした失望感が芽吹きます。不謹慎とかいうモラルも手伝ってその感情を禁圧して「論理的」に整理し始めます。その時々で「最悪な」シナリオを描き始めてしまいます。モラルとかいう余計な思想教育が抵抗するのです。微笑みを浮かべながらも、押しとどめようとする脳活動は止まりません。私のうちにあるこの居心地の悪さも人間性の現れに違いない、救いがたい号を背負っている感じ。

 それにしてもどうやってテロリストが核兵器を発射できたのでしょうか。核兵器はアメリカの専売特許ではありません。すべては水面下で? そこでどんな丁丁発止が行われているのかを想像していくと、そんな人物にうらやましさを感じてしました。それは歴史に名を刻むとかいう権力を志向する欲求なのか? 私の緊張した心がいやに格好良く映るのです。ダウンロードした動画を繰り返しスマホで視聴して、キノコ雲、黒煙、そして歓喜。悦びは私の想像を凌駕しています。その動画を見るにつけ祭りのように騒いでいる、うっとりとした表情も私にとってはカタルシスの一つでした。彼らが所謂「政治家」であるなら、現実的に対応するはずです、が――しかしテロリストなら……という空想がまるで希望のように頭を過ぎります。あの歓喜。あの高揚感。非常識と感じる以上の羨ましさがありました。

 もっともそれは自分が過去のことは水に流すということを美徳として包み隠す日本人だからだ、と知ることになるのは、それからしばらく待たねばなりませんでした。

 しかしそれ以上に、私はこの殺伐とした社会システムに、退屈な毎日に、飽きを感じていたのも事実です。沸き上がる熱気は変事を楽しみ悲劇を流す、その程度の自称平和主義者な私は、遠い国の出来事として地獄のような社会システムの恐ろしさを知りませんでした。結局ねれがその時々で憂さ晴らしをしているだけでした。私はうっとりとしながら笑んでいると、乗りかえ駅だと気づいて当たり前のように下車しました。

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