第4話

 彼はトラの背に乗る。はじめのうちこそなかなか安定しなかったが乗りこなしていく。その様子を見ながらトラになった男は草むらを走りだす。




「早いな!〇〇〇〇!!」



「捕まってろよ落ちたら死ぬぞ」



「ハハ、それはお前が食うからか?」



「お前なんか食ったらバカになるわ」



「そうかもな」





 トラになった男は、いやトラは男を乗せて走っている。そのうち2人は口数も減り、トラはどんどんと山奥へ進んでいく。








 〇〇〇〇〇〇









 走りながらこいつの考えていることがなんとなくわかってきて、だけどそれに付き合えるほどの時間が果たして自分に残されているだろうか、と。その思いから少しずつスピードを上げたが、振り落としてしまうほどの速さは出ない。ここまで来たら自分も覚悟するしかない。俺は彼に声をかけるだけでよかったんだ。だけどきっと俺も逆の立場なら、姿を見せろと言うだろう。友だちとして彼の姿を残したいと思うのだろう。


 なら俺も彼に見せたい景色がある。できることなら写真にしてほしい。俺にはもうできないことだ。まだ待ってくれ、俺の脳みそ。この男を食らってしまうのは恐ろしい。そうなるくらいなら死にたい。いやいやまずは崖を登り切ろう。そう思う、そう考えることができている。まだ、もう少しだけこのままでいたい。あともう少しで登りきる。登った。








「すごいな」






 そこはまるでファンタジーの世界

 月と山が綺麗で

 世界にはもっとずっと綺麗な景色があるが

 そうではない

 俺が見ていた世界なんぞは小さくて

 自然の大きな流れの一部でしかなくて

 俺はその中の小さな一部だと思わせる

 だけどこうして生きている

 息をしている

 大きいとか小さいとかではなく

 同じ流れに乗っているのだ

 そう思う

 まだそう思える










 やはり隣の男は写真を撮る。

 景色だけ撮ったり自分も1人で撮ったり、俺も撮られた。今度は2人で撮ろうと言われた。俺は、俺は、




「俺とは撮らないでくれ」



「思い出になるだろ?」



「そうやってお前は、」






 軽いノリで俺を誘う。大学時代のこいつが嫌いだった。俺は笑えなかった。楽しくなった時の緩んだ自分の顔が嫌いだった。いったいどんな顔をすればいいの分からないんだ。


 いつの日か大学の敷地内のすみの方に咲いてた花を撮ってた。花といってもタンポポだけど。彼は突然俺に言った。お前写真撮るとき笑うんだな、と。なんだか懐かしい思い出ばかり蘇る。



 トラと人がツーショットで収まる。行くぞと言われて、シャッターの音が鳴るまでのわずかな時間。笑おう、と俺は思ったがすぐに頭が痛くなってきた。





 待ってくれ、あともう少しなんだよ

 俺から友達を奪わないでくれ

 友だちをとらないでくれ

 俺の脳みそよ、まだ待ってくれ






 朝日が昇ってきた。文字通り目が焼けるようだ。







「「綺麗だ」」












 〇〇〇〇〇〇











 朝日と

 シャッター音と





 ハッとしたらもう隣にはいなくて





 突然飛び降りていった。少し滑り落ちるような勢いで。彼はもう彼でなくなってしまったんだろう。いいや、彼でないなら僕は襲われるはずなのだから、まだ彼だったのだ。それでも名前を呼べなかった。


 



 僕は何とも言えない虚無感に襲われていた。もう何も考えたくなかった。黄色と黒の背中の上で、頭の中で、ひたすら彼を助けられないか考えていた。僕はやっぱり頭がよくない、バカなんだなあと思った。気づいたらだいぶ進んだ森の中で、もしかしたら食われるのかもしれないと思った。それでもよかった。録音もしたけど、なんとかして写真だけは撮りたかった。他の誰が信じなくても、ここについさっきまであいつはいた。あいつがあまりにもつらそうで寂しそうだったんだ。久しぶりに草むらで声を聞いて、大丈夫と言ったあの声が全然大丈夫じゃなかった。



 簡単に繋がるようでつながらない世界で

 それでもどこかに居場所を求めて

 みんな走っている

 あの背中に乗りたいと思った

 そしたらもっと速く走れて

 どこかに連れてってくれるかと思った

 彼は体に反してとてもとてもつらそうで

 どこかに彼を連れ出したかった

 ここじゃないどこか遠くへ

 彼と見た景色は世界に溢れているけれど

 そのどれとも違う

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