部屋の中の追憶

空を厚く覆った曇天は、本来ならば頭上で人々を照らしているであろう太陽の姿をすっかりと隠し、まだ昼間だというのにも関わらず、辺りは薄暗くそして今にも降り出しそうな雨を含んだ湿った風が、かすかに自分の肌をかすめていった。


そんな俺の目の前には巨大な建物が鎮座していた。


…ベイウェスト・ミドルスクール———…


かつては多くの生徒が通っていたであろうその学校も、今は何人たりとも立ち入りを許してはいないようで、有刺鉄線が張り巡らされた異様に高い鉄柵と「立ち入り禁止」と書かれた文字が全ての人々の行手を阻んでいる。


不気味なくらいに沈黙したその薄黒い巨大な校舎は、誰もいない荒れ果てた校庭に深い影を落としながら、異様な存在感を放っていた。


どうやらこの学校も少子化の余波をまともに食らってしまったようで、数年前に隣町の学校と統合し、そのまま廃校となってしまったようだ。


数十年前までは確かに栄えていたものの衰退…


変わりゆく時代の残像が確かにそこにはあった。


「…ここにも話を聞けるような人はいない…か。」


廃校となっていた事を実際に自分の目で確認した俺は、溜息まじりにそんな事を静かに呟くと、そのままスマホである人物に電話を掛けた。


その時…


電話で話す事に夢中になってしまっていた俺は、その誰もいないはずの校舎の中で、静かに蠢く人影のようなものがあった事に全く気づきはしなかったのだった。



「突然すみません。どうしてももう一度調べておきたい事があって…」


そう話す俺に対してドアの向こうから姿を現したのは…


「急に電話を貰ったもんだからビックリしたよ。元気にしていたか?ダグラス。」


そう言って優しく微笑むロベルトさんの姿だった。


「確かに息子はベイウェスト・ミドルスクールに通っていたよ。これがその時のアルバムだ。」


そう言ってロベルトさんが手渡して来たのは

一冊の卒業アルバムだった。


俺はそのアルバムの表紙に記載されている年号を確認すると、すぐにグレッグの写真を探しはじめた。


数ページほどめくっていくとすぐにグレッグの姿を見つけることが出来た。


俺はその卒業生の顔写真が一覧となって掲載されているページを開くと、スマホのフォルダを開き、あるリストを画面上に表示した。


そしてそのままそのアルバムの写真と、リストに記載されている名前とを一つ一つ丁寧に照らし合わせていく。


「ライズ・グルーマン…サラ・ヒース…ナタリー・ミラー、カルロス・ドーラ…」


驚くべき事に、バレリーから手渡されたリストの名前とアルバムの中の写真がことごとく一致していく。


しかもそれらの生徒はまるで示し合わせたかのように、全員がグレッグと同じクラスに所属していたのだ。


「…どういう事だよ、これ…」


偶然にしてはあまりに違和感が残るその一致に俺は頭を掻きむしりながら眉をひそめた。


一人ずつその他の生徒達の写真も眺めていると、その中にブラッド・アンダーソンという名前の生徒を見つけた。


アンダーソン?

アンダーソンという名前は…


そんな事を考えながら自分の前髪をかき上げ、そのままその生徒の写真をトントンと人差し指で叩いていると、


「おや、その写真はブラッドじゃないか。知り合いなのかい?」


コーヒーを持って来たロベルトさんが後ろからそう声をかけてきた。


「ロベルトさん、この人の事知ってるのか?」


ロベルトさんからのその声に俺は眉をひそめながらそう尋ねた。


「知ってるもなにも…あの街に長く住んでいる人間で、ブラッドの事を知らない人がいるというなら、多分そっちの方が珍しいだろうね。」


俺にコーヒーを差し出しながら、そう答えるロベルトさん。


「…それってどういう意味なんスか?」


差し出されたコーヒーに口をつけながらそう答える俺に対して、ロベルトさんは少し笑みを浮かべながらこう答えた。


「なんだ、知らずに言ってたのか?ブラッドはあれだよ。バリー・アンダーソンの息子だよ。」


「…なんだって!?」


ロベルトさんのその言葉に、思わず驚きの声をあげてしまった俺は、すぐさまスマホで発症者リストを確認したが、やはりそこにはバリー・アンダーソンの名前も、ブラッド・アンダーソンの名前も無かった。


「バリー・アンダーソンは大地主でな。だからこそあんな広大な土地にあそこまで大きな劇場を建設することが出来たんだろうがね。一時期は裏では悪どい取引もしていたんじゃないかっていう噂もあったりもしたんだけど、とにかく親子共に有名な人物だったよ。」


そう言って自らもベッドへと腰掛けてコーヒーに口をつけるロベルトさん。


ロベルトさんの息子であるグレッグと、発症者リストに載っている11名の生徒達…そしてバリー・アンダーソンの息子、その全員が同じ学校でしかも同じクラスにいるなんてことが実際にあり得るのだろうか。


ちなみにバレリーが俺に提示してきた当時の22歳〜23歳に集中していた発症者のうち、残りの人物達についても他のクラスに3〜4名ずつ点在していた。


「この中の誰かに話を聞くことって出来ないかな?」


そう言ってロベルトさんに向かってグレッグのクラスのアルバムのページを指をさす俺。


「さぁ〜…昔だったら当然この家にもグレッグの友達が何人か定期的に来ていたりもしたけど、彼が亡くなってからはだんだんと訪れて来る人もいなくなってきてね…残念ながらこの中に私が今連絡を取れるような人物はいないよ。」


そう言って再びベッドから立ち上がると、俺の手元にあるアルバムをじっくりと眺めはじめたロベルトさんだったが、そのうちその中の一人の写真を指差しながらこう話した。


「グレッグが一番仲が良かったのはこのレナードって子なんだがね、ほらガチョウのパン屋の長男だよ。」


そう言ってロベルトさんが指し示したのはレナード・グースと書かれた少年の写真だった。


その少年の肌はとても白く、金髪がよく似合う端正な顔立ちは、俗にいう美少年という部類に属するのだろうが、それよりもまずその表情の暗さに目が止まった。


他の生徒はもちろん、グレッグやブラッド達も含めて、皆あどけなさを残した輝やかしい笑顔となっているのに反して、レナードというその少年の冷たい暗い表情だけは、一目で俺の目を捉えて離さなかった。


…まるで全てを悟っているかのように異常に大人びた瞳…


その表情は哀しみと憎悪とがぐちゃぐちゃに入り混じったかのような何とも表現がしづらいもので、とても15歳やそこらの少年がするような表情とは思えなかった。


その顔を見た俺は、本棚の中から再びグレッグの書いた手帳を取り出した。


そしてその手帳に挟まれていた例のパン屋の前で撮られた一枚の写真を取り出し、そのアルバムの写真と見比べてみた。


その写真の中のレナードは家族と共にはちきれんばかりの笑顔を浮かべている。


「この写真のレナードは何歳くらいだったんだ?」


そう言ってその写真を見せながらロベルトさんに尋ねる俺。


「それは12歳か13歳くらいだったろうなぁ。グース一家が引っ越して来てすぐの写真だよ。グレッグとレナード、それとレナードの妹のミランダはすぐに仲良くなってね。いつも一緒に遊んでいたよ。それにその頃はちょうど私も仕事で長らく帰れない時期が続いていてね。よくグレッグもグース一家の家に泊まりに行っていたようだよ。」


ロベルトさんのその言葉に、俺は再びパン屋の前で撮られた写真を凝視する。


その写真の中のレナードは、とても少年らしい無垢で年相応な笑顔を浮かべていた。


「…こんなにも表情が違うもんだな。まるで別人じゃないか。」


俺のそんな言葉に、ロベルトさんは哀しい表情へを浮かべながらこう答えた。


「この頃は仕方がなかったんだよ。グース一家の経営するパン屋もある時期から急に経営が上手く行かなくなってね。奥さんも病気で亡くなってしまったし、この卒業アルバムの写真はちょうどそんな時に撮られた写真だろうからね。」


そう言ってロベルトさんは、卒業アルバムに載っているレナードの写真を懐かしそうに指でなぞっていた。


「このガチョウのパン屋の土地はもともとグース一家の祖父が持っていた土地だったみたいでね。彼らの祖父が亡くなって遺産として受け継いだグース一家が、昔からの夢だったパン屋をそこでひらいたんだよ。結局この写真を撮った数年後に旦那さんの方も自殺してしまってね…この土地をバリーが購入してあのマルッセル劇場が出来たってワケさ。」


そんなロベルトさんの話を聞きながら手にしていたその分厚い手帳を、何度も何度もペラペラとめくっていた俺だったが、繰り返しめくってゆくうちに、ページの中の数カ所かが貼り付いてうまく開かない事に気がついた。


…なんだ?

ページが古くてくっついてしまったのか?


そう思った俺が貼りついたページを無理矢理開いてみると…


10/1 ○

10/2 ○

10/3 ×

10/4 ○

10/5 ○

10/6 × …


といったように日付と記号が記入されたリストのようなものが出てきた。


「…なんだぁ?そりゃ。グレッグのヤツ、俺に内緒でギャンブルでもしてたのか?」


そう言って手帳を覗き込んで来るロベルトさん。


「…ロベルトさん。息子さんは家にいる時は大体この部屋で過ごしていたのか?」


「あぁ、家にいる時は大体絵を描いて過ごしてたからな。ゆくゆくは庭にあるあの倉庫をアトリエにしたいとは言っていたんだが…」


ロベルトさんのその言葉に、俺は部屋の中にあるベッドの下を覗き込もうと床に手をついた。


「…お…おい!ダグラス!何をするつもりだ!」


俺の突然のそんな行動に、驚いたロベルトさんが思わず声をあげる。


「なにって…男が親や友人から隠したい、やましい物がある時は大体ベッドの下に隠すっていうのが昔っからの決まりだろ?」


そうあっさりと言ってのける俺に対してロベルトさんは慌ててこう答えた。


「だからだよ!生前の息子の名誉を守る為にも、私もこの数年間このベッドの下だけは絶対に触らないようにして…って、あ!こら!」


俺はそんなロベルトさんの制止も聞かず、ベッドの下を覗き込むと、無理矢理腕を突っ込んでベッドの裏を探りはじめた。


すると…


「…ビンゴ!」


俺の指先に硬い板のようなものが触れた。


俺はさらにベッドの下に深く自分の腕を突っ込むと、それを無理矢理引っ張り出した。


俺の手にはアルバムと同じくらいのサイズのスケッチブックが掴まれていた。


どうやらそれは、ベッドの裏に工具で取り付けられていたようで、埃もその表面にだけ残されているような状態だったた。


俺はそのスケッチブックの埃を大雑把に手で払うと、1ページ1ページをペラペラとめくってみる事にした。


そのスケッチブックの最初の数ページこそは景色や人物画などのデッサンが描かれていたが、その絵も途中で止まってしまい、それ以降は空白のページが続いている。


だが…


繰り返しページをめくっていくうちに、ここでも再び貼り付いているページが数カ所あることに気がついた。


…またか…


そう思って俺がそのスケッチブックの貼りついてしまったページを丁寧に開いてみた瞬間…


「…なんだよ、これ…」


俺は思わずその驚きによって声と指を震わせた。


その貼りついてページの一面に丁寧に貼りつけてあったのは…


マルッセル劇場の前で毎日配られているあの赤い飴の空袋だったのだ。

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