重なる面影
「…すみません…!キャサリンが…友達が病室からいなくなったって聞いたんですけど…!」
そう言って病院に着くや否や、バレリーが病室の前で何やら話し込んでいる二人の警察官達に話しかけた。
バレリーに案内されてきたのは、例のハリス総合病院。奇しくもキャサリンはバリーと同じ病院に運び込まれていたようだ。
「…あぁ、君はさっき電話で私と話した人だね?そうなんだよ。私達二人でこの病室の入り口で待機していたんだがね…少し目を離した隙に病室の中からいなくなってたんだよ。」
そう言ってキャサリンがいたと思われる病室の中へと瞳を移す警察官。
病室のベッドの上の布団は乱れ、キャサリンに施されていたであろう点滴は抜かれ窓が開けられていた。
外から拭き込む風が、病室のカーテンを静かに揺らしている。
「…大の警官が二人もいて、目を離すなんて事が起きる自体がおかしいだろう⁉︎こないだからずっと思ってたけどな、この街の警察官達はちょっと気が抜けてるっていうか職務怠慢がすぎるんじゃないのか⁉︎いくら発症者の疑いがあるといってもキャサリンは今回の役場の放火事件の重要参考人だろ?それをきちんと見張りもせず持ち場を離れるなんて事があってもいいのかよ⁉︎」
そう今にも掴みかかりそうな勢いでその警察官二人の事を捲し立てる俺の剣幕に、警察官達は思わず怯えた表情となりながらこう答えた。
「…それは…俺は担当の先生に呼ばれてて…」
そう言って一人の警官がもう片方の警官に目を向ける。
彼からのその視線を受けた警察官は、なんとも罰の悪そうな表情を浮かべながらこう答えた。
「私も彼が彼女の主治医の先生に呼ばれてこの場を離れていたのを知ってたんだが、運が悪い事にその時ちょうど警部に呼ばれて…」
「…警部…?」
彼の口から出たその言葉を聞いたと同時に、思わず俺の顔が曇る。
「…私の事だよ。」
それと同時に俺の背後から、あの嫌味な声が響いた。
振り向くとそこにいたのは長いコートをはためかせながら何食わぬ顔でこちらへと向かってくる、例のビリー•カルバン警部の姿だった。
「…またあんたかよ。」
彼の姿を捉えた瞬間、俺の表情が険しくなった。
だが、当の警部の方はそんな俺の様子になど気にも止めていないようで、飄々とした表情で言葉を続けた。
「…私の部下が騒がしてしまったみたいですまないね。なぁに、別に大した事ではないんだよ。彼女はきっと我々が目を離していた隙に再発症を起こして出て行ってしまったんだろうなぁ。きっとあの火傷じゃあそう遠くには行けないだろうし、これから我々も探しに行くから君達は何の心配もいらないよ。」
そう思って病室の前の壁に持たれかかりながら退屈そうに自分の前髪を触る警部。
そんななんともやる気がなさそうな警部に向かって、警察官二人は姿勢を正しながら同時に敬礼を行なっていた。
「再発症って…あんたキャサリンが再発症したのをきちんとその目で見たのかよ!警察が持ち場を離れたり、憶測で物を言ったりするのはいくらなんでも常識がなさすぎるんじゃないのか!?」
そんな警部の言葉とあからさまな警官達の態度に苛立ちを覚えた俺が思わず言い返す。再び険しくなった俺の剣幕に、側にいたバレリーが心配そうな表情でこちらを眺めている。
「…もちろん、再発症したところは私も見ていないよ?だけど発症者がすぐに再発症しやすいのは…誰もが知っているこの街での常識だろう?」
そう言って何とも大袈裟な身振り手振りを加えながら相変わらず呑気な表情でのらりくらりと話す警部。
警部のそんな態度が、より一層俺の神経を逆撫でた。
「…行こう、バレリー。コイツが出てきた以上、どうせ何も聞きだす事は出来ない。」
そう言って俺はバレリーの腕を掴むと、振り向く事なくその場を後にした。
そんな俺達の背中を満足そうに見送る警部に向かって、一人の警官がこう声をかけた。
「…警部…彼女がいなくなった時間帯に、例の劇団員と看護師1名がこの部屋から出て行くのを防犯カメラが捉えていたそうですが…その事は伝えなくても良かったんですか?」
「もちろん、いいに決まっているだろう?アイツらはあくまで素人でオマケに部外者だ。それを伝える義務なんてどこにもないさ。」
そう言ってビリー•カルバン警部は軽く鼻先で笑うと、その警察官の胸元を掴みながらこう囁いた。
「…それとも…お前もいらぬ情報を流して消されちまいたいのか?それが嫌ならば、無駄な発言は控えておく事だな。あと…その防犯カメラの映像も処分しておけ。」
ビリー・カルバン警部は、未だ腑に落ちない表情のままでいるその警察官の肩をポンと一つ叩くと、また長いコートをはためかせながら、俺達とは全く違う方向へと歩み出したのだった。
「…くっそーあの警部、絶対何か隠してるんだよな…」
そう言って俺は病院の長い廊下を進みながらビリー・カルバン警部に対する不満を漏らした。
「…キャサリンは、本当にどこへ言ってしまったのかしら。あんな酷い火傷まで負っているのに…せめて無事ならばいいんだけど…」
そんな俺の側で、バレリーはキャサリンの身を案じ続ける。
「…多分、キャサリンは何者かに連れ去られたんだよ。それか、彼女には協力者がいる。」
「え?」
俺のそんな言葉に思いもよらなかったのか、バレリーが驚きの声をあげる。
「お前も見ただろ?病室に置いてあった点滴を…」
「見たけど、あれがどうしたの?」
俺のその言葉の意味が分からなかったようで、バレリーはキョトンとした表情を浮かべている。
「ちなみに聞くけど、キャサリンは医療関係者か何かか?」
「…多分違うと思うけど…」
バレリーへと投げかけた質問の答えを確認した俺は、そのまま言葉を続けた。
「だろうな。…なぁ…もう一つ、俺の思い出話をしてもいいか?数年前にな、俺のばあちゃんが足の骨を折って入院した事があったんだけど…そん時の話だ。」
「…こんな時に、あなたは一体何の話をしているの?」
俺がそこまで言ったところでバレリーがさらに不可解そうな表情でこちらに目を向ける。
「まぁ聞けって。たまには俺の思い出話にでも付き合えよ。俺のばあちゃんなんだがな。どうやら医者が言うには骨折した場所が悪かったらしくて入院して3日後に手術する事になったんだ。ばあちゃんも結構な年だったしな。俺も両親もすっごく心配してたんだけど、腕がいい
そう言って病棟の端に置いてあった自動販売機でコーヒーを買った俺は、バレリーにその内の1本を手渡した。
バレリーは無言で俺からコーヒーを受け取ると、まるで独り言かのように語る俺の話に耳を傾けた。
「だけどばあちゃんは翌日にはおかしくなっててな。まだ起きれないはずなのに、突然大声をあげて起き上がろうとするし、それを止めようとする看護師さん達を暴れて殴ったり蹴ったりしてな。もちろん入院する前は普通の優しいばあちゃんだったんだぜ?俺は『こんなにも人って変わってしまうのか』っていう衝撃でしかなくてさ。まるで別人のようになってしまったばあちゃんを目の前に怖くて体が動かなかった事を今でも覚えてるよ。」
「…まるで発症者…」
そう呟いたバレリーに向かって俺は静かに頷いた。
ふと目を向けると、扉が開かれたままとなっている空き部屋が一つだけあった。
その空き部屋を見つけた俺は、中にある誰もいない真っ白なベッドの上に、あの日のばあちゃんの姿を重ねていた。
突然ベッドから起き上がったばあちゃんは、ベッド横の床の上に座り込んで、近づこうとする看護師に向かって両手を激しく動かしながら罵声を浴びせていた。
「…想像してみろよ。お前がもし、キャサリンの立場でこの病院から抜け出そうと思った時、自分で点滴を抜いてしまったら、その後どうする?」
「よく分かんないけど、そのままにしてたら血が出るだろうからシーツか何かで抑えながら逃げ出すんじゃないかしら。」
「じゃあ抜いた方の点滴の事はどうする…?」
「そんなの…よく分かんないけど、急いでいるから気にも止めずに、ほったらかして出て行くんじゃないかしら。」
多分俺も錯乱していたらバレリーと同じくそうするだろうし、もしくは点滴を抜いた後の血液もそのままにして去って行くかもしれない。
「俺のばあちゃんも一度だけ点滴を抜いた事があってな…ばあちゃんの横には抜かれた点滴のチューブ垂れ下がっててさ、その先からは透明の液体がずっと流れてたんだ。まぁその液体はもちろん、ばあちゃんが抜いてしまった点滴の中身なんだけど、その周りにはお前が言った通り床にばあちゃんの血が点々と散らばっててさ…」
「…まさか…」
ここまで話した所で、バレリーもようやく俺が言わんとしている事を理解したようだ。
そう。錯乱して飛び出して行った者の部屋にしては、キャサリンの病室はあまりにも綺麗すぎたのだ。
「…で、その時床へと流れ続けている俺のばあちゃんの点滴を止めたのは…」
「…看護師さん…」
「正解。」
バレリーのその言葉に、俺はパチンと指を鳴らすとバレリーに向かって人差し指をさした。
俺はばあちゃんが点滴を抜いてしまった時、一人の看護師がばあちゃんの腕から流れる血の処置をしている間に、もう一人の看護師が点滴を止め、針先の処理をしてからその点滴のチューブの先をまとめて点滴の棒にかけているのを覚えていたのだ。
キャサリンの部屋も同様に、点滴は中身の液体が漏れないようにきちんとロックされており、点滴のチューブの先は綺麗にまとめて点滴の棒の上へとかけてあったのだ。
もちろん床やシーツに一滴の血液も残されてはいないし、ご丁寧なも点滴の針先にはプラスチックのキャップがはめられていた。
…血液で汚すことなく点滴を抜く事ができる…
そんな芸当が出来るのは、どう考えても医療関係者くらいだろう。
もしバレリーが言うようにシーツなどで抑えながら抜け出したとしても、素人が抜いたとなれば抑える前に床に血液が落ちてしまってもおかしくはない。
…それに、錯乱していた人間がわざわざ床を綺麗に拭いて出て行くような真似をするだろうか。
どちらにせよ、錯乱したキャサリンが自分の意思で一人でここを脱出したという説には、どの方面から見ても違和感が残る。
「…それじゃあキャサリンは何者かに連れ去られたって事じゃない!早く助けに行かないと…!」
そう言ってそのまま駆け出そうとするキャサリンの腕を掴んだ俺は、彼女の動きを止めながらこう呟いた。
「なんとなくだけど…」
そう呟いた俺の脳裏に、あの時燃え盛る炎の中で微笑んでいたキャサリンの姿が鮮明に蘇ってくる。
「…彼女とはまたどこかで会える気がする。」
その時、なんの確証もないはずのそんな言葉が、俺の口から自然に溢れ落ちたのだった。
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