マルッセル劇場の過去

俺は自分の部屋に着くやいなや、すぐさま机に向かってジョンからもらった広告を眺めはじめた。


その広告は赤と黄色を基調とした派手なデザインをしており、その広告の所々にはまるで絵画のようなテイストの人物写真が載せられていた。


まるで古き良き時代の映画のポスターを思わせるかのようなその広告の右下には、立派な髭を蓄えた恰幅のいい中年男性の姿が掲載されていた。


若き日のバリー・アンダーソンだろうか。


広告の中の彼はサーカスやなんかでよく見かけるような、シルクハットと燕尾服の衣装に身を包み、そして満面の笑顔で客を迎え入れようとしている。


「…昔はこんなに恰幅が良かったんだな。」


俺は思わずその広告の中の健康そうなバリーに向かってそう声を掛けた。


広告の表に書かれていたのは、『マルッセル劇場、ついにオープン』という大きな見出しと、華やかでド派手な衣装に身を包んだ劇団員達の集合写真となっており、その見た目は子供の頃に見に行ったサーカスのポスターのようにどこか懐かしさを遺すものだった。


ふと、写真の中のジャグリングのような事をしている男性の姿に目が移る。


「そういや、今のマルッセル劇場の周辺では男性の劇団員っていうのを見たことがないな。今の女劇団員達の衣装も、この時とは全く違っていたんだな…」


今のマルッセル劇場の劇団員は、メイクも衣装もオリエンタルな雰囲気で統一されており、全員が揃ったように無表情となっている。


だが、この広告の中の劇団員達はどれも輝かしいばかりの笑顔を浮かべており、その衣装も派手で露出度の高いものばかりだった。


むしろ今のオリエンタルな雰囲気よりもこちらの衣装や雰囲気の方が、どう見ても華やかで楽しそうに見える。


…この数年間で劇場のテイスト自体が変わってしまったのか?


俺はそんな事を考えながら、広告をさらに凝視した。


確かに十数年もの間、同じ内容の劇をしているだけでは、今ほどの集客はとても望めないだろう。ましてや観光客が少ないこの土地であればなおさらだ。


もしかしたら今はオリエンタルな内容の劇を上演するシーズンであって、たまたま俺がこの街に来た時期とそれが重なっているだけかもしれない。


「…あとは男の劇団員がいないって事も気になるんだよな。」


もっとも、外の客寄せ業務は見た目が華やかな女性劇団員達に任せて、実際に劇場の中に入れば男性劇団員も働いているのかもしれない。


…だがそれならば、アレックスやエリックさんの症状が出た時に、ブザーと共に女性劇団員ばかりが出て来た事に対しての合点がいかない。


あそこまで理性が感じられない程に暴れまくり、誰も予想ができないような行動を繰り返す人間を劇場の中へと運び込む際に、一番戦力となりうるはずの男性劇団員が、全く表に姿を見せないというはとにかくおかしい。


ましてや過酷な肉体労働の現場で働いていた俺やロバートさんが、二人がかりでも相当手こずった相手である。


「あ~!分からない!」


どう考えても納得できるような答えにたどり着きそうになかった俺は、そう言って頭を乱雑に掻きむしると、今度は広告の裏面を眺め始めた。


そこには、実際に劇場内で上演されていたであろう演技の写真が数枚と、「バリー・アンダーソンが、◯◯跡地に劇場を建設!ガチョウから白鳥へ――――…」と書かれた見出しが載せられていた。


生憎、◯◯跡地の部分はすでに色が褪せてしまっており、上手く読み取る事ができない。


仕方がなく俺はいつも持ち歩いているルーペを取り出そうと、自分のカバンの中を探ったが、ルーペと共に出て来たのはマルッセル劇場の前でいつも配られているあの例の飴だった。


「…毎日劇場の前を通るたびに渡してくるんだもんな。さすがに溜まってくるよな。」


そう言って俺は、その飴の外袋を取り外すと、そのまま口の中へとそれを放り込み、そして舌でゆっくりと飴を遊ばせながら手にしたルーペで広告の文字部分を眺めはじめた。


だが、『◯◯跡地』の部分には汚れがついており、ルーペで覗いて見てもその文字を読み取る事ができなかった。


…ガチョウから白鳥へ――――…


何かの童話にでも重ねているのか…?

その言い回しが妙に気にかかる。


その他に書かれていたのは、劇のおおまかな内容で、こちらも所々がすでに剥げ落ちてしまっていて、全ての文字を読みとる事はできなかった。


「このマルッセル劇場がこの街の中心となって、観光客の増加や街の発展に貢献してくれればと願っています。」


広告の下の方でそうコメントをしているのは、ジェフェリー・ログワース市長だった。


俺はポケットの中から自分のスマホを取り出すと、この街の市長の名前を検索してみた。


すると出て来たのは、「ビリー・ハミルトン」という名前の若手の市長の写真であった。


…さすがに十数年も経てば当時の市長も変わってるか…


なんとなくその現市長の経歴にまで目を落とす。


そこには、『大学法学部卒業後、地元の弁護士事務所で働いていたが、ログワース市長の汚職事件後に市長となった前ケイト・ランウェル市長の秘書を経て、現市長となる』と書かれていた。


…汚職事件か…どこにでもある話だな。


俺はその広告を手にしたままベッドに横たわると、引き続きその広告を隅から隅まで丁寧に眺め続けた。


しばらくして俺は現実と夢の狭間、深いまどろみの中で漂っていた。


俺は何故かマルッセル劇場の前で佇んでいる。


あたりを見渡すと、劇場の入り口から例の女劇団員達がゆらりゆらりとまるで陽炎のように体を揺らしながら、俺の前へと集まってきた。


「…あの、飴を…」


そう言って俺がその劇団員に向かって手を出そうとしたその瞬間…


その劇団員が突然両手で俺の首を締めてきた。


その白くか細い腕からはとても想像が出来ないような強い力で締め上げられた俺の首へと、彼女の細長い指が強く食い込んでくる。


…やめろ…やめてくれ…


必死に抵抗しようともがきまくるが、もがけばもがくほど指先への力は強く込められ、ついには自分の体自体も持ち上げられてしまう程だった。


…やめてくれ…誰か…誰か…誰か助けて――――…


「うわぁぁぁぁぁ―――ッッ!!」


その瞬間、俺は叫び声をあげながらベッドの上で飛び起きた。


「…夢か…」


どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。


体は冷えきっているはずなのに、その額や背中を大量の汗がつたう。


そればかりか心臓は強く高まり、怒張させ続ける血管を伝いながらその音は自分の耳にまで響いていた。


「…とりあえずシャワーでも浴びてくるか…」


俺は額に流れた汗を軽く拭うと、そう呟いて風呂場のある1階へと向かった。


1階に降りるとそこには既にジョンとウェスカーさんの姿はなく、小さな灯りだけが玄関口を照らしていた。


…多分ウェスカーさんはジョンに誘われて飲みにでも出掛けたんだな。


「あの叫び声が聞かれてなくて良かった。」


そう思った俺は胸を軽く撫で下ろすと、洗面台でコップ一杯の水を一気に飲み干した。


鏡に映った自分の姿は心なしか顔色が悪い。


その事に気がついた俺は、自分の顔色を確かめようと思わず鏡の中を覗き込んだ。


その瞬間…


「…なんだこれ…」


自分の首筋にはまるで必死に掻きむしったかのように腫れ上がった、無数のミミズ腫れが出来ていたのであった。

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