ケース3:アレックス・ローハンの症例①

この街に来てすでに7日が過ぎていた。


相変わらずといっていい程、来る日も来る日も疲れた体を引き摺りながら仕事場とウェスカーさんのお宅を往復するだけの日々を過ごしていた俺は、さすがにこれではまずいだろうと思いはじめ、まずは手始めとして観光雑誌の特集にこのマルッセル劇場の記事をまとめてみる事に決めた。


本当は他にも穴場となりそうな観光地の取材にも行きたいのはやまやまであったのだが、今のこの自分の体力では仕事の後にどこかへ探索に行く元気などないというのはもちろんの事、当然そんな時間すらとれないというのが正直なところであった。


せめてオシャレなバーでもあればいいんだがな…


そんな事を考えたりもしたが、やはり連日の無理な肉体労働がたたってか、今は大好きだったはずの酒すらも口にする気にはなれなかった。


とりあえず明日の仕事が終われば、ようやく休みがもらえる。しかも2連休だ。


連休に入ればこの街の探索もゆっくりと出来るだろう。


だから俺は、毎日否が応でも通勤の為に前を通過しなければならないこのマルッセル劇場を、とりあえず今回の特集の柱とすることに決めた。


そうすれば通勤の度に何か原稿の案となる情報が入ってくるかも知れないし、何か気のきいた文体が浮かんで来るかもしれない。


そして休みの日は、気分転換を兼ねてこの街の探索を行い、新たに記事になりそうな場所を探す。


はじめから分かっていた事だとはいえ、自分が想像していたよりも遥かに過酷なこの現場での仕事を掛け持ちしている現在の状況では、せいぜいこの程度での活動が限界であった。


仕事の帰り道、まずはこの劇場の外観を写真に納めようとスマホを取り出す為に自分の作業着のポケットの中を探った。


…が、いくら探せどもスマホが見つからない。


「…クソ…仕事場だ。」


最後にスマホを見たのは確か休憩中だった。


現場にスマホを忘れた事に気がついた俺は、舌打ちを一つすると、また今来たばかりの道程を再び戻る事にしたのだった。


現場に戻るとアレックスが角材を見つめたまま静かに立ちすくんでいた。


沈みかけた太陽がやけに眩しい。


「ちょっと忘れ物を取りに…」


アレックスにそう声をかけながら辺りを見渡すと、休憩時間に座っていた木陰の下に自分のスマホが置かれたままとなっているのを発見した。


俺は挨拶もそこそこにアレックスのすぐ横を足早に通りすぎる。


…良かった。

誰にも踏まれたりはしてないみたいだ。


何の気なしに木陰に置かれたスマホを拾おうとしゃがみ込んだ俺だったが、その瞬間ある異変に気がついた。


なんと俺の目の前には、俺の物とは明らかに違うもう一つの大きな影が地面の上で大きくゆらりと蠢いていたのだ。


スマホを拾い上げると同時に何とも言えぬ違和感を抱きながら、反射的に後ろを振り向く俺。


そこに立っていたのは、角材を高く頭上で構えるアレックスの姿だった。


アレックスは角材を掲げたまま、ゆらりゆらりと体を前後に揺らしている。


「どうしたんだ?アレックス。悪い冗談は辞め…」


俺がそう言いかけた瞬間…


「ダグラス!逃げろ!」


突如放たれたロベルトさんのその声にハッと我にかえった俺は、すぐさますばやく横へと避けた。


そのまま容赦なく力いっぱい角材を振り下ろすアレックス。


ロベルトさんの呼び声がなければ今頃俺は確実に頭をぶん殴られていた事だろう。


「何をするんだ!アレックス!」


突然の出来事に思わず見上げたアレックスの顔は無表情で、その瞳からはすでに光が失われていたばかりか、もはや焦点すらも合っていない状況だった。


…やばい…


彼のそんな表情を見た瞬間にそう感じた俺はその場から逃げようと必死にもがいた。


そんな俺の上から無表情のまま俺に向かって角材を振り降ろし続けるアレックス。


だが情けない事に、俺の腰は完全に抜けてしまい、あまりの恐怖に体が思うように動かずあたふたと地面を這い続けるだけで精一杯だった。


そんな俺に向かってロベルトさんが、


「ダグラス!横に避けろ!!」


と強く指示を出した。


ロベルトさんの声に反応して横に転がりながら避ける俺。


するとロベルトさんは自分が手にしていた工具のコードを強く引っ張り、アレックスの両足にそれを引っ掛けた。


たまらずバランスを崩し、その場で前方へと倒れ込むアレックス。


すぐさま起き上がろうとバタつかせているアレックスの手足をロベルトさんが押さえつけ、工具のコードでアレックスの両足を縛り始めた。


「お前も手伝え!」


突然の出来事にその場で固まってしまった俺に向かって、ロベルトさんはアレックスを押さえつけたまま、もう1つのコードを俺に向かって放り投げた。


俺はロベルトさんの指示に従い、投げられたコードを拾い上げると、暴れるアレックスに馬乗りとなってロベルトさんと一緒にアレックスの手足を縛り上げた。


手足の自由が奪われると同時に今度は大きな呻き声を上げながら何度も噛みついて来ようとした為、仕方なく近くに落ちていたガムテープでついでに口も塞いでおく事にした。


「警察…!警察…!」


慌ててスマホを拾い、警察へと連絡をしようとする俺。


そんな俺を腕を力強く掴み、ロベルトさんは静かに首を横に振った。


「警察を呼ぶ必要はない。このまま俺の車に乗せるんだ。」


言われるがまま、ロベルトさんと共に暴れ続けるアレックスを二人で抱え込み、そのまま彼をロベルトさんの車の後部座席に無理矢理押し込んだ。


男二人とはいえ、本気で暴れ続ける肉体派の男を抱えて運ぶのは本当に至難の技だった。


「病院に連れて行くのか!?」


助手席へと乗り込みながら言う俺に向かって、ロベルトさんは車のエンジンをかけながら険しい表情で答えた。


「いや、このままマルッセル劇場に連れて行く。」


「劇場…?こんな時に劇場だなんて…。」


「…行けば分かる。」


いまだ暴れ続けているアレックスを乗せたまま、俺達はマルッセル劇場へと車を走らせて行くのであった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る