クリス・ローズとステラの壁


「ぼくはねー。クリス・ローズっていうんだ。

 きみと一緒に連隊レースに出る、箒レーサーだよ」


 ふにゃ、とした顔で笑うクリスさんの言葉に、わたしは驚いた。

 箒レーサー。それも連隊レースの選手。

 ってことは、エスメラルダさんが選んだ人だ。

 並大抵の魔法使いじゃない……はずだ。


『先に仕掛けるぞ』


 ぐんっ。箒さんが早速前に出ようと魔力を高める。

『レース用でない箒で、このオレに勝てる筈がないのだ……!』

 魔箒レースに使われる箒は、掃除に使う箒とは作りが違う。

 魔法使いの身体と馴染む、年を経た木。魔力を放出しやすい草を使った穂先。全体には魔力を浸透させるための薬も塗るのだと、箒さんは言っていた。

 掃除用の箒は違う。ただ持ちやすく、掃きやすければそれで良い。

 本来なら、飛ばすのにも一苦労なのだ、と聞いていた。

 ……聞いていたんだけど。


「へーえ。速度はまぁまぁだね?」


 クリスさんは、まだ

 速いんだ。箒さんの速度に置いて行かれないくらいには、速い。

 それに位置取りも巧かった。のんびりしているように見えて、箒さんが抜かそうとすると、ひょいとその前に出て、抜かせない。

「うーん、ちょっと重い……まぁでも、いっか」

 クリスさんの乗る箒からは、きゅいきゅいという異様な音が発せられていた。


「ねぇ。今から十周で勝負しよっか」


 光の膜でおおわれた、草原のコース。

 その中を十周して勝敗を決めよう、と彼女は言った。

「コースの形は分かるよね。塔から離れちゃダメだよ」

 コースを形作る光の膜は、練習場全体に点々と置かれた塔から発せられている。

 そこから離れるとコースアウト。失格だ、とクリスは説明する。


『コイツ、本気でオレ様たちに勝つつもりか……!?』


 箒さんはその提案に、苛立ちのこもった声で呟く。

『ステラ。受けろ。そして勝つぞ』

「うん。……にしても箒さんの予想って、外れること多いですよね」

 大魔法は来ないとか、掃除箒じゃ飛ぶので一苦労とか。

『言ってる場合か! やる気はあるのか!?』

「そりゃ決まってるでしょ。勝負だもんね」

 にぃ、とわたしは笑ってしまう。

 相手はこれから一緒に戦っていくチームメイト。エスメラルダさんが選んだもう一人のレーサー。

 使ってる箒の事は気に掛かるけど、それでもきっと、いい勝負が出来る相手。


「やります、クリスさん! 十周ですよね!?」

「うん。あー、でも、もう九周かな?」


 話している間に、コースは一回りしてしまう。

 街全体で行われるレースと違って、一周の時間は短い。十周といってもあっという間だろう。

「だったら次の周回から……!」

 ぐ、と箒さんを握り締め、体勢を低くする。

『どうする、ステラ? 気の抜けたヤツだが、前に出られると抜きづらいぞ』

「でも速さはこっちが上だよ。一回抜かせば……だから、思いっきりいこう」

 要するに、相手の意表を突いて進めばいいんだ。

 ひゅぅ、と風を髪に受けながら、わたしたちは飛ぶ。と、目の前にクリスさんが現れて、風を切ってしまう。

 このままでは衝突だ。さっきはそれで速度を落としてしまった。多分、抜こうとすれば何度でもクリスさんは同じことを仕掛ける。

 なら……「突き進んで!」と、わたしは箒さんに頼む。

 箒さんは何も言わず、速度を下げない。ぶつかるかもしれない。ごくり、とわたしは息を呑む。とくん、と胸が高鳴る。

 早すぎたらダメ。遅過ぎたらもっとダメ。

 いち、にの……さんっ! タイミングを見計らって、わたしは身体を思いっきり横に倒した。

 ぐるんっ! わたしの身体に引きずられて、箒さんの位置がずれる。目の前には、誰もいない。

『そのまま抜ける!』

 ばささ、ひゅう。体勢を戻しながら、わたしは全身に風を受ける。前には、誰もいない。……抜いた!

「やった、箒さん!」

「ふーぅん……ちょっとはやるんだー」

「ってわぁっ!?」

 急に真横から話しかけられて、わたしはびくっとしてしまう。見れば、クリスがわたしの隣にぴったりと付いてきてるじゃないか。


「その箒、意志……っていうか、命があるのかなー? キミ、ずっと喋ってるし、魔力もなさそうだもんね」


「えっ、その……そうです……」

 なんで分かったんだろう? 疑問に思いながら、わたしは頷いた。

『バカかキサマは。何故自分の情報をぺらぺらと喋る』

「だってホントのことだし……隠す理由ないし……」

 これからチームメイトになる人だよ? 知ってもらってた方がよくない?

 わたしはそう思うんだけど、箒さんはせめて勝負が終わってからにしろ、とぶつくさ文句を言ってくる。

 それより、問題はクリスさんだ。

 抜いた、ハズだよね。なんでまだ隣にいるんだろう?

 ぎゅるぎゅると、妙な音を立てながらクリスさんの箒は飛んでいる。

 クリスさんは、不思議そうな顔でわたしのことを見ていた。

「あの、なにか顔についてます……?」

「いーや? なんか、楽しそうだなって思ってさ」

 かくり。またクリスさんは首をかしげる。癖なんだろうか。

「楽しいですけど……変ですか?」

 空を飛ぶのは楽しい。レースも楽しい。そういえば、エスメラルダさんにも楽しいのはおかしいって言われたまんまだっけ。


「別に? よりは良いんじゃない。どっちもボクには分かんないけど」


 そう言って、クリスさんは平然と、わたしたちの前に出た。

 するり、って感じ。あんまり何気なさすぎて、一瞬気付くのが遅れた。

『加速が、滑らかすぎる。何だコイツは……!?』

「わ、分かんない……え、っていうかなんで抜かせたの……?」

 箒は掃除箒。速さだってこっちの方が上だった。なのに……


「あれ。最初のが本気だって、ボク言ったっけ?」


 その疑問に、クリスさん自身はそう答えた。

「それに、さっきの。抜く時は良かったけどー、それから体勢戻すまで、遅くなってるんだよ」

 言われて、ハッとする、風を体中に受けた、あの一瞬のことだ。

 多分、クリスさんはその一瞬でわたしの隣に飛んで、そのままついて来た。

『ええい、振り切るぞ!』

「あ、もう抜かせないよ」

 加速して逃げ切ろうとするわたしたちだったが、その時、クリスさんは何処からか一本の杖を取り出して。


「《強固なる意志よ。全てを塞ぐ壁となりて輝け》、っと」


 淡々と、呟くような詠唱。

 マズい、と思ったのもつかの間。わたしの目の前がぴかっと輝いて。


 がんっ!!


 箒の先端が、何かにぶつかった。

『……ちっ。壁魔法か。厄介な……』

 箒さんは悔し気に速度を落とす。

 ぐらっとくずれた体勢を戻し前を見ると、目の前には……


 桃色に輝く、結晶の壁が広がっていた。


「この壁、壊せる? 壊せないなら勝てないよ」


 壁の向こうで、クリスさんはぼんやりした顔でそう言うと……くぁ、と大きな欠伸を一つ。

「壊せ、ったって……」

 これ、どうしよう?

 魔法使いじゃないわたしには。魔力すらないわたしには。攻撃魔法のひとつも使えやしないんだから……壁を壊すなんて、出来るはずもなく。

「……あー、諦めるなら言ってね。そこで終わりにするから」

 箒の上で伸びをしながら、クリスさんは言う。箒は相変わらずぎゃりぎゃり言いながら一定の速度を保っているが、抜くも何も、壁が邪魔をして前に進めない。


 どうしよう。どうしよう。どうしよう……!?


 考える間に、二周目が終わり、三周目。

 だけど三周目でも何も思いつかず、四周目。

『これが大会であれば、誰かの魔法に頼るというのも手だったがな……』

 箒さんにも良い案は浮かばないようで、五周目。

 事態は何も変わらず、ただ静かなレースが続いた。

 っていうかもうこれ、レースなの……?


「……ねぇ、もう止めない……?」


 痺れを切らしたのか、眠そうな顔でクリスさんが言い出した。

「その箒も速いは速いし、チームメイトとしては十分だよ。結果も決まってるしー……これで終わりにしない?」

「いや、まだ! 十周はしてませんから……!」

 正直言って、打開策なんて何一つ浮かんでない。だけど……だけど、ここで投げ出すのは、いやだと思った。

「変なの。結果の分かる勝負って、つまんなくない?」

 それはそうだ、とわたしも思う。

 空を飛ぶのはそれだけで楽しいけど。勝負ってなると……胸が高鳴るのは、もしかしたら勝てるかもしれない、って思った瞬間だから。

 今みたいに、何をどうして良いか分からない時間は、辛い。

「でも、まだ勝負は決まってないです……!」

「……エスメラルダもさー。そう言って続けるんだよね、勝負。でもさー、やっぱ面白くないじゃん、そういうの……」

 クリスさんはこっちを向かない。喋る声も、ぎりぎり聞き取れるかどうかくらいの小さな声だ。

「勝つ方も負ける方もつらいだけなのに、よくやるよねー……よく分かんないんだ、エスメラルダの気持ち……」

 そういえば、クリスさんはエスメラルダさんのこと、息が詰まる、とか言ってたっけ。……苦手なのかなぁ。っていうか……あれ……?

「あの、エスメラルダさんにも勝ってるんですか……?」

「うん。ちゃんとした箒でなら、負けたこと無いよ?」

 えっ、それ、めちゃくちゃ強いのでは?

 っていうか、それならわたしが勝てる理由が……見当たらない……

『落ち着け、惑わされるな。相手がいくら実力者だろうと、キサマの目の前にある問題は別にある』

「別……あぁうん、今は壁をどうするか、だよね……」

 エスメラルダさんなら、これを壊すことも出来たのかもしれない。

 でもわたしはエスメラルダさんとは違う。別の方法で、この壁を乗り越えなきゃいけない。

 ……乗り越える、かぁ。

「上から行くのはどうかな?」

『あの位置取りスキルを見るに、難しいな』

 桃色の結晶壁は、クリスさんの背中を守るようにして広がっている。

 だから、クリスさんが動けばそれに合わせて動くんだ。

 つまりさっきみたいに意表を突いて何処からか抜く、って手は使えない。

 そのまま、六周目に入った。

「……諦めないんだ。なんで? つまんなくないの? 勝てないのに?」

『勝てないと決まったわけではないがな』

 箒さんはぶすっとした雰囲気で答えるが、その声はクリスさんには聞こえない。

 わたしは、どうしてか。まぁ面白い状況じゃないのは確かなんだけど。

「難しいなら、乗り越えた時はもっと楽しいのかな、って」

 これまでは、そうだったから。これからも、そうかもしれないって思ってる。

 だから目の前に壁があったとして、それを見なかったことにして引きかえすのは、なんか、もったい無いなって。

「ふぅん。前向きなんだ。じゃあ頑張ってねー」

 クリスさんは、わたしの返事に大した感慨も持てなかったみたいで、そのまま飛行を続ける。

「いっそぶつかってみるのはどうかな?」

『魔法壁だからな。出力を上げれば上げるほど危険だぞ』

「だめかぁ……」


 そのまま、八周目を超えた時のことだ。

 風が吹いた。向かい風だ。


 それ自体は特に大したことじゃない。速度にも影響しない。

 だけど、風の上に。


「……あれ……?」

 木の葉は、どこから来た?

 決まってる。前から来たなら正面から。でもわたしの目の前には、壁があって。

 そして不意に思い出す。そういえば、この壁って……

「……。箒さん、ちょっと試したいことがあるんだけど」

『良いだろう、聞いてやる。だが危険なことじゃないだろうな?』

「それは……うーん……危ないかも……」

 でも、そうだ。それなら可能性はある。

 わたしは自分の見たものと考えを箒さんに伝える。箒さんもそれを聞いて、納得してくれた。

「よし、じゃあ……」

 一度、速度を落とす。

「あれ、もう終わる?」

 急に距離を取ったわたしたちを見て、クリスさんは尋ねる。

 わたしはただ、首を振った。終わらない。諦めない。最後に試してみる。

『……行くぞ、ステラ!』

 箒さんが叫び、全魔力を集中させ、加速する。

 ぐわんっ。身を低くしていても、なお引きはがされそうな感覚それに耐えて、一直線に結晶壁を目指す。

「……へぇ」

 クリスさんはわたしたちを見ながら、小さく、つぶやいた。激突したら多分めっちゃ痛い。でも、クリスさんは魔法を解きはしない。

 それで良い。わたしはぎりぎりまで魔法壁に近付いていって……


「――今だよ!」


 叫ぶ。箒さんが全ての力を抜く。

 箒は前に進む力を残したまま、魔力を停止させる。ただの魂を持った箒と、魔力を持たないわたし。ふわ、と身体に掛かる力が弱まったような気がして、ほんの少しずつ下に落ちている気がして、それでも。

 前に、進む。結晶に、近付く。そして。


 ぽわん、と温もりを感じた。

 風の無い、一瞬の間。だけどそれは本当にわずかな間の事で。


『――抜けたぞ!』


 前を見る。青い空。緑の草原。桃色の壁は何処にもない。

「やった、合ってた!」

 考えた通りだ!

 クリスさんの結晶壁は、多分『魔力を放つモノ』しか阻めないんだ。

 だから木の葉は壁を抜けることが出来たし、最初にぶつかったのも、わたしじゃなくて、箒の先端だけだった。

 なら、速度だけ上げて、途中で魔力を落とせば?

「違ってたらどうしようって思ってたけど……」

「合ってるよー。すごいね」

 すぐ後ろから、クリスさんの声。その顔はさっきまでの眠そうな顔じゃなくて、少し起きた顔だった。……少しだけど。

「あとは逃げ切れば……!」

 最後の一周に差し掛かる。

 わたしと箒さんはもう一度魔力を回して、速度を上げる。

 勝てる。勝てる。勝てる! 自然と上がってしまう口角を、気にする余裕なんかない。ただゴールに一直線に……!


「じゃあ、ボクも、本気だそっかな……」


 その時。

 クリスさんの雰囲気が、変わった。

 ぶる、と何故だか背筋が震えて、後ろを振り向く。

 ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり……クリスさんの箒から出る破裂音はだんだんと大きく、強くなり、だんだんと速度を上げている。

『まだ速くなるのか……!?』

 箒さんの驚く声。わたしもびっくりだ。だってあれ、掃除箒じゃん。あれ以上速くなるって、いったいどうすれば……


「……って。あれ?」


 ばきんっ!

 一際大きな破壊音と共に、クリスさんが首を傾げる。ひゅん、とその姿が後ろに消えていった。

 ……じゃなくて。クリスさんの速度が、急に落ちちゃってるんだ。

「もっ、戻って箒さん!」

『はぁっ!?』

「いやだって、クリスさんが……」

 ぐいぐいと無理矢理後ろを向いて、わたしはクリスさんの元に飛ぶ。


「あー。箒、折れちゃったみたい」


 ひゅぅぅと落下しながら、手元を見つめ、クリスさんはぼんやりと呟く。

 いや、今まさに地面に落下しようとしてる人の余裕じゃないよそれ!?


「おーちーるー……」


 そのままクリスさんは手足を伸ばして地面に真っ逆さま。

 間に合わない!

 頭が真っ白になった瞬間、地面のすぐそばを何かが飛んで……がしっ! 激しい音と共に、クリスさんを捕らえて上昇する。


「全く、どこにもいないと思ったら、何をしてるんですかクリス!?」

「あはは。ごめん、エスメラルダ」


 それは、エスメラルダさんだった。

 彼女は息を切らせながらクリスを掴み、そのままゆっくりと下降していく。


「クリス! 時間になったら屋敷に来てくださいと私言いましたよね!?」

「言ったねぇ……」

「ならどうして! 来てくださらないのですか! それに練習場にいるなら来た時に声を掛けていただければ!」

「そうだねぇ……」

「そうだねぇじゃありません! 少しは反省してくれません!?」


 地上に降りると、クリスさんは猛烈な勢いで叱られていた。

 まぁ、うん、そうだよね。レースをしていた手前、わたしもちょっと申し訳ない気がしながら、大人しく説教が終わるのを待つ。

『……箒が折れたのは、アイツの魔力に箒が耐えきれなかったからだろう』

 その間、箒さんが話してくれた。

 クリスさんが普通の箒で飛べたのはきっと、使う魔力の量が尋常じゃなかったからだ。ただその分、木の方が魔力の重圧に耐えきれなくて壊れてしまう。


 なら……あの時使っていたのが、飛行用の箒だったら?


「……さて、ステラさん。その様子では、クリスさんとの実力差を感じてしまったようですね……」

 いつの間にか説教が終わっていたのか、エスメラルダさんは何故か嬉しそうな表情で話しかけてくる。

 たしかに、その通りだった。元々自信のある方じゃなかったけど……改めて、思う。わたしがチームメンバーになって、本当に良いんだろうか?

 その疑問を知っていたかのように、「安心してください」とエスメラルダさんは胸を張る。何故なら……


「ステラさんには、を用意しましたからね!!」


 ……あ。

 嬉しそうな理由、それだったりします……?

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