エスメラルダ・リージェント・ダイナディア


「私の名はエスメラルダ・リージェント・ダイナディア。

 ……これより貴方を、天より引きずり堕とします」


「うそ、ダイナディアって言ったよあの人……?」

 ダイナディア。

 その名前を知らない人間は、きっとこの街にはいない。

 何故ならそれは、であり、であり……

 ついでに言うなら、だからだ。


『だろうな。であるなら……よっく捕まっておけ!』

「えっ、何が……わわわわっ!?」


 ぐるんっ! わたしの身体が急に右に回転した。髪が振り回されて、突然のことに頭が追い付かない。

「箒さん、何を……」

「あら、避けましたか。良いですね。歯ごたえがあって嫌いじゃありません」

 前を見る。ダイナディアと名乗ったわたしと同い年くらいの少女は、手に小さな杖を持っていた。

「まさか……」

「《光よ、矢となれ》!」

 短く叫んで、彼女は杖を振る。

 と、その先端に光が集まって……わたしに向け、放たれた。

『チッ!』

 箒さんは舌打ちしながら、また逆方向に回転。わたしは頭をぐるぐる回される。

 光弾は、わたしがさっきまで飛んでいたその場所を通過して、爆ぜる。

「あっ……危なくない!? 当たったら……」

「死にはしませんわ。もちろん、とても痛いですが」

 彼女はさらりと言い放つ。そんなものを人に向けて放たないで欲しい。

 ……ただ。流石にわたしでも知っている。

『……やっとレースらしくなってきたな。向こうにその気があるか知らんが』


 魔箒レースは、そういうものだ。


 魔法で相手を妨害しながら速度を競う。死なない程度の攻撃なら当たり前。

 墜落してケガをする魔法使いさんだって、後を絶たない……


「機敏ですね。ですが逃がす気はありません!」


 エスメラルダさんは連続で光弾を放つ。箒さんは左右に動いてそれを回避するが、その分速度が落ちて、彼女との距離が開いた。

『厄介だな。詠唱が短い分連続して撃てる、というわけだ』

「よくわかんないけど、当たったらいやですからね……?」

 痛いのは本当にいやだ。出来るなら今すぐ諦めて降りて欲しいんだけど。

『心配するな。このオレ様が乗り手に怪我をさせるような三流箒だとでも?』

「いや、でも相手はダイナディアだよ? えらーい人の娘さんだよ?」

 ダイナディアの領主は、代々スゴい魔法使いなんだ、と聞いたことがある。そこの娘だというなら、実力も並大抵じゃないはずだ。

『だから勝たねばならんのだ。相手がダイナディアであるからこそ……』

 話が通じてない気がする……

 そもそもこれって勝負だっけ? ただ攻撃されてるだけでは?

 その後も、しばらくの間箒さんは攻撃を避け続ける。合間合間に距離を詰めようとするけど、もう一歩のところで光弾が来て、詰め切れない。


「……ただの平民と思っていましたが……大会に参加しようというだけのことはありますね」


 エスメラルダさんの方はと言えば……少し驚いた顔をしていた。

「実は、ただ飛べるだけなのでは、と侮っていました。ですがなかなか、悪くはありません」

「えっと、どうも……」

 褒められているのは、本当は箒さんだ。ただ箒さんは全く反応してないし、そもそも箒さんの声はわたし以外には聞こえないらしい。

「ですので、えぇ。少しは本気を出さないと、失礼というものですよね?」

「……はい……?」

 にこり。エスメラルダさんは笑って、杖を振る。


「《我が声は怒り。我が杖は導き。天より出でその偉大なる姿を現したる者よ》」


『……!? マズいぞ大魔法だ!』

「だい? おおきいの? なにが……?」

 なんだかわからないけど、とんでもない魔法が来るらしいということは分かった。

「《我は拍手で出迎えよう。故にここに来りて示せ。万雷の力を。覇王の咆哮を》」

『詠唱の長さは魔力の出力と操作を……ああ、キサマには分からないんだったな!』

 あわてた箒さんの様子が、事態の深刻さをわたしに伝える。

『本来なら防御魔法を併用する所だが……まぁそこはオレ様の力の見せどころというやつか。身を低くして、しっかり捕まっておけ……!』

「う、うん……」

 言われた通りに姿勢を低くし、箒をぎゅっと握り締める。

 その時、気が付いた。わたしたちの上に、黒い雲が広がっていることに。

「さっきはこんなの――」

『それが大魔法だ。……来るぞ!』


「――《砕きの稲妻》!」


 声と共に、雷鳴が響いた。

 わたしのお腹の中まで響く、破裂音。鼓膜が破れるんじゃないかと本気で思うほどの轟音の中を、箒さんは下降しながら飛んだ。


 ずがん!

 一瞬前までわたしが飛んでいたその場所を、光が貫く。


 ずがん! ずがん! ずがん!

 それは一撃でなく、無数の光。わずかでも速度をゆるめれば……砕かれる。


「死なないレベルじゃないのっ!!??」

『死には、しない! だが大怪我はする!!』

「なにそれぇぇぇっ!!」

 無茶苦茶じゃん! わたしは雷の中を、これまで出したことのないような大声で叫びながら飛んだ。

「あああああああぁぁぁぁあああっ!!」

 もう、体の振動が雷鳴によるものなのか、自分の叫び声によるものなのか、左右に暴れ回る箒さんのせいなのか……それすらも分からない中。

「ぅああっ……あ、れ……?」

 わたしは、不意に見つけた。エスメラルダさんは、杖を手に神妙な顔をして……その速度は、さっきよりずっと、遅い。

「箒さん、箒さんっ……!」

『なんだっ!』

「抜き返すなら、今がチャンスなんじゃないの……?」

『はぁっ!? 当たったら貴様、無事では済まんのだぞ!』

「でも、エスメラルダさん、今速度落としてるよ……?」

『……! そうか、大魔法は魔力の調整が……この規模なら……』

 箒さんは、何かを納得したみたいにぶつぶつ呟いて、それから『だがな』とわたしに問い返す。

『今真っ直ぐ飛んで、当たらない保証は無い。左右に動かねば捕捉されやすいからだ』

 それでも良いのか、と箒さんは尋ねる。

 わたしはというと……そう聞かれたこと自体に、ちょっと驚いてた。

「箒さん、人の気遣いとか出来たんですね……?」

『バカにしてるのか、キサマは。魔法使いでもないキサマにそこまでの覚悟は期待してないと言っているのだ』

「なんだ、そっか。……いや、正直いやなんだけど……」

 ケガしたりとか、痛いのとか。本当にいやだし、そんな覚悟は無い。

「でも、抜かないと箒さんは納得できないんでしょ?」

 箒さんがあの子に勝ちたいんだ、って気持ちは……伝わってるから。

「だから仕方ないというか……」

『よし、行くか』

「決断はやっ!」

『隙を見せているのは一瞬だけだからな。飛ぶぞ!』

 そして箒さんは、上昇しながら加速していく。

『掛け値なしの直進だ。オレ様の力を全て速度に注ぐ。回避は出来ん』

「う、うん……」

 ホントに大丈夫かな……

 わたしはもう既にさっき言ったことを後悔し始めていた。だって痛いのいやだし。……でも、それと同時に。

(箒さんは、ホントに勝てるのかな……?)

 そんな興味が、胸に湧いていたんだ。


 息が苦しいくらいの飛行も。

 全身が振り回される感覚も。

 雷の中を突き進む恐怖心も。


 乗り越えた先に、箒さんの勝利があるんだとしたら。

 それを、見てみたい。感じてみたい。わたしだけじゃ絶対に味わえなかった、その感触を。箒さんとなら。だから。


 雷の雨を突き進む。

 光の矢はわたしのすぐ前に。すぐ後ろに。耳の真横に。降り注いでは消えていく。きっとほんの少しでもタイミングがずれていたら、わたしの身体は雷に打たれていただろう。


 だけど、箒さんは飛び続けた。

 長く、長く長く感じる……一瞬だった。


「……っ!?」


 エスメラルダさんの顔が見える。近付いている。

 そしてわたしは。


『……抜いたッ!』


 エスメラルダさんの、横顔を見た。

「これでっ……!!」

「お見事、です」

 エスメラルダさんは、驚いた顔で一言、そう言ってから。


「――《繋ぐ光よ》」


「えっ……えっ……!?」

 気が付けば、わたしの身体には光で出来た鎖が巻き付いていて。


「えぇ、えぇ。本当に本当にお見事です。まさかあの中を、抜けていらっしゃるとは思っていませんでしたから。ですが……」


 ぐいっ! わたしの身体は引っ張られて、エスメラルダさんのすぐ隣まで引き戻される。動けない。あれ、え、あれれ……?

『……チッ。二段構えとは、随分と用心深いことだな』

「え、二段構え……?」

「その通りです。もしあの魔法を抜けて来られても、その時はこの魔法で拘束を、と思っていましたから……」

 ふぅ、とエスメラルダさんは、何処か安心したように溜め息を吐く。

「とにかくこれで、降りていただけますね?」

「えぇと……」

 箒さん、どうする? 小さな声でたずねてみても、返答はなく。

 だけどそれから箒さんは、大人しく地上に降りた。


「……全く。いけませんよ、街中であんな騒ぎを起こしては!」


 そして地上に降りたわたしは、怒られていた。


「今は大会に向けた大事な時期なのです。もし墜落や衝突などで怪我をしては、大会の運営に響くというモノです」


「ご、ごめんなさい……」

 最初はわたしも一緒になって飛ぼうとしたので、素直に謝るしかない。

「でも、エスメラルダさんもやり過ぎだったのでは……?」

 あれ、当たったら大怪我してたわけですよね……

「……! あれは、仕方なくです。貴方があんまり抵抗するから……!」

 指摘すると、エスメラルダさんは顔を真っ赤にしてそう答えた。

「それに、です。ダイナディア家の者として、わたしは負けるわけにはいかないのですから」

「そういうものなんですか?」

「まぁ、私が負けるハズはないのですけれど。ダイナディア家の人間ですから」

「そういうものなんですね」

 流石に、領主の娘は違うなぁ。自信も実力もあるってことなのか。

 わたしが感心していると、エスメラルダさんはじっとわたしを見つめる。

「……不思議ですね。貴方、本当にさっきまで飛んでいた子なんですか?」

「あー、ええと……魔法使いじゃないし、変ですよね、やっぱり」

「いえ。稀にそういう方はいらっしゃいますし、大会に出場することも問題はありません。主催側の人間として保証します。ただ……」

 エスメラルダさんは、何か言いかけて、視線を落とす。

 と……箒さんのことが気になったのか、「それは?」とわたしに尋ねてきた。

「えっと。実はこれ、古道具屋で買って……」

 良い機会なので、わたしは事情を話した。


 箒さんという喋る箒を買ってしまったこと。

 その箒さんが無茶苦茶を言って、大会に出なくちゃいけなくなったこと。

 さっきも、エスメラルダさんと戦っていたのは箒さんだ、ということ。


「……成程ね。貴方が飛べる理由は、それで納得出来ました」

 エスメラルダさんは頷いて、箒の刻印をじっと見つめた。

「スゴいですよね、この箒さん。わたしみたいに何にも出来ない子でも、あんな風に飛ばせるんですから」

 ただの宿屋の娘であるわたしが、あんな速さで空を飛べたのは、全部箒さんのおかげだ。

「結局捕まっちゃいましたけど、エスメラルダさんの魔法の中を飛んでいた時は、なんだか今でも驚きで……」

 自分がその場にいた、という事が、未だにちょっと信じられなかった。

 相手は領主の娘。凄い魔法使い。それと戦える箒さん。


「怒られるようなことをして、不謹慎かもしれないですけど……実は凄く、楽しかったんです」


 怖さもあったんだけど。過ぎ去ってみれば、わたしの胸の中に残るのは、興奮だけだった。

 あの一瞬が。わたしには夢みたいに感じられて……


「……そう。そう思うのなら、貴方、レースには出ない方が良いんじゃないかしら」


「えっ」

 けれど、わたしの話を聞いたエスメラルダさんは……どこかがっかりしたような顔で、そう言った。

「いえ、別に、貴方が望むなら出場登録は止めませんが。……魔箒レースは危険なレースです。貴方のような子には、荷が重すぎる」

 突き放したような言い方に、わたしはびっくりして……でも、まぁ、それもそうだなぁ、と思う。

「そうですよね。所詮わたしなんかに、あんなレースは……」

「えぇ。自覚があるなら出ない方が良い。時間の無駄だから」

 エスメラルダさんは冷たく言い放って、わたしに背を向ける。

 出場するなら登録は明日までよ。彼女はそれだけ言い残して、どこかへ行ってしまった。

「なんか……怒ってた?」

『オレ様も怒ってるぞ』

「わっ、箒さん!? 急に喋らないでよびっくりするから!」

 っていうか、なんでさっきまで黙ってたんだろう、この箒。

『キサマ、自分で分かっているのか? 自分が今どういう顔をしているのか』

「え? 顔? ……なんかついてる?」

 触ってみたけど、汚れとかゴミとかはついてない。


『そうじゃない。キサマは……どうして笑っていられるんだ?』


「笑ってた? わたし?」

 全然気づかなかった。いつからだろう?

『オレ様の話をしている間からだ。にやにやと気持ちの悪い顔をして。キサマ、自分がどういう状態におかれていると思ってるんだ』

 うぅん……箒さんの言っていることは、わたしには本当に分からない。エスメラルダさんもそうだけど、何を怒ってるのかな?


、と聞いているんだ!』


「悔しい? ……えーっと、負けたから?」

『その通りだ! 貴様はあのダイナディア家の娘に負けた! ギリギリのところで負けた! だが貴様は、地上に降りてから一度たりとも悔しがる素振りを見せはしないッ!』

 箒さんは叫ぶ。その声には、どうにもならない悔しさが滲んでいて……あぁ、やっぱり箒さんは勝ちたかったんだなぁ、と今更ながら実感する。

「ごめんね、箒さん。わたしがうかつなこと言ったせいで……」

『それが違うと言っているのだッ! キサマは……ッ! キサマ自身はこの負けをどう感じているのか、答えてみろッ!』

「わたし……? わたしは、そりゃあ……」


 当然だ、と思ってる。

 だって箒さんはともかく、わたしが勝てる理由なんて、全く無い。

 箒さんがちゃんとした魔法使いの乗り手を選んでいたら結果は違ったかもしれないし、少なくとも、わたしなんかより良い乗り手はたくさんいると思う。


「だから悔しくはない、です……」


『っ……! そんな事だからキサマは――』

「――けど。ちょっとだけ思ってることもあります」

 負けるのは当然だ、仕方ない。っていうかそもそも、わたしは勝負していない。

 わたしは本気でそう思ってる。箒さんには悪いんだけど。

 でも、それと同時に思ってることもあるんだ。


「ねぇ、箒さん。あの時もしエスメラルダさんを抜けてたら……どれくらい、楽しかったかな?」


 抜けそうだ、というだけであんなにわくわくした。

 エスメラルダさんの横顔を見た時の気持ちといったら、これまで体験した事のないくらいのものだった。

 だったら……あの時本当に、勝ててたら?


「あのさ。もしかしてだけど、箒レースって、すごく楽しいんじゃない?」


 危険なことばっかりだけど。勝てる気なんて全くしないけど。

 それでももし。こんなわたしでも、何か出来るんだとしたら。


『ふはっ……フハハハハハハハ!! なんだキサマ! なんだその答えは!』


「えっ、なんで笑われてるの……」

 わたしには、箒さんが笑う理由が分からない。さっきまで笑うのが悪いみたいに言ってたの、箒さんだよね?

『そうか、そうか。キサマは悔しさだのなんだのという以前の問題か。それはオレ様の想定外だった。あぁ、あの娘も同じだろう!』

「だから、なに笑ってるんです……ちょっといやなんですけど……」


『いや、それで良い。キサマはそれで良い。

 ……ならば約束しよう。このオレ様が、キサマにを教えてやる』


 だから、と箒さんは続ける。

 だからオレ様と組んで、レースに出ろ、と。


「……? 何をいまさら。出ないと許さないんでしょ?」

『キサマの希望を聞いてやるといっているのだ、このオレ様が』

「わたしの、希望? うーんと……そうだなぁ……」

 もし、出なくても良いと言われるのなら。それはそれで楽だし、危なくないし、良いかなと思う。

 でも、うん。箒さんと一緒にいて、けっこう楽しかったのも事実だし。


「今回だけ、なら。一緒に出たい……かな?」


 わたしは、そう答えた。


 大会までは、あと、数日。

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