第24話 真相

「え? 逃げた?」


「ええ」



 自分の問い掛けに対してアゼレアは不満気な表情を露わにして答える。

 ここはバレット大陸の中でも最大規模の国土面積を誇るシグマ大帝国の帝都ベルサ。そしてその帝都ベルサの東区の地下に存在する『東区地下街特別区』こと『地下特区』と呼ばれている場所だ。


 でもって俺とアゼレアがいるのは、その地下特区の中でも住民達から恐れられている獣人の犯罪者集団……ファンタジー的な言い方だと賊とか盗賊と呼ばれている者達が拠点にしている場所の最奥に来ていた。


 そしてその最奥に存在する広間のような場所には俺とアゼレア以外にシグマ大帝国の勅撰議員を務めているゾロトン氏、彼を護衛しているマガフさんとアチザリットさん、地下特区の自治を司る『自治所』の所長であるサトゥ所長と彼の秘書であるソルタム女史が一堂に会して現在の状況を話し合っていた。



「私と殺りあっていた熊族の獣人が死ぬ直前に大きな声で『本物の上級魔族だあ!!』って叫んでいたから、多分ここに残っていた仲間達はそれを聞いて慌てて撤退したんだと思うわ」



 「犯罪者達にしては見事な退き際ね」と感心した様子で話しているアゼレアだったが、彼女の口調はどこか残念そうな響きを伴っているように思える。



「確かにクローチェ少将の仰る通り、犯罪者達にしては見事な退き際ですな。

 ただ、この有り様を見ると『撤退』と言うよりは『一目散に逃げ出した』……と言ったほうが良いのかもしれませんねぇ」



 顎に手を当てたまま周囲を見渡しながら呆れたように話すゾロトン議員だったが、彼の言う通り、これは撤退と言うよりは逃げ出したと言ったほうが的確な気がする。



「なんか……取るものも取り敢えずといった感じですね」



 打ち捨てられた家具や調度品、床に散乱している未使用の矢の束、今までの戦利品なのか数枚の金貨や銀貨、宝石なども少しではあるが床に落ちている。



「宝石は兎も角、資産である金貨が落ちているのにそれを拾わずに逃げるというのは……彼らは余程慌てていたようですね」



 グレートヘルムの兜を被っているために素顔を伺い知ることができない怪しい人物……サトゥ所長は室内を調べるためにグルグルと歩き回っていたが、ふと何かに気付いたようにしゃがみ込んで床に落ちていた物を拾う。それは誰かの横顔が刻印された金貨だった。彼の話を聞いてこの大広間の床をグルリと見回してみると、改めて宝石や銀貨、金貨などが自分達がいる周囲に幾つか落ちているのが目に入る。



「どうやら、この地下特区で悪逆の限りを尽くしていた彼らも『上級魔族』という存在はかなりの恐怖だったのでしょうなぁ?」


「そのようですね」



 何か意味あり気に話しながら横目でアゼレアに視線を合わせるゾロトン議員。それに対して口元に手を当てながら苦笑しつつ彼の話に応じるアゼレアだったが、俺にはどこか彼女が無理をしているように見えた。しかしそれも束の間、彼女は真剣な顔になってゾロトン議員とサトゥ所長に向き合う。



「それで議員はどうするおつもりですか?

 ご覧の通り、既にここはもぬけの殻です。

 賊達が何人いたのか正確な人数は存じませんが、この状況を見るに少なくとも数十人はここに残っていた可能性があります。

 そして拠点を放棄して逃げ出した今の彼らは手負いの獣も同然。

 放置しておくと逃亡先で無関係の一般人が危害を加えられることは勿論、彼らがこの地下特区に再び舞い戻って来ないとも限らないでしょう。

 しかし、彼らが脱出に使用した通路の安全確認が取れていない以上、脱出路を辿って賊共に追いつくことは容易ではありませんし、かと言って攻撃魔法でこの通路を破壊した場合、この地下特区と地上にどのような被害が出るのかは計り知れません。

 まだこの地下特区内の何処かに潜伏しているにしろ、地上に逃げ出したにしろ……速やかな捕縛か殲滅が急務であると考えますが?」



 ゾロトン議員に話し掛けるアゼレアの視線の先には壁に大きく開いた穴があった。大人が余裕で通れるほどの大きさに掘られた穴の中は真っ暗なため、神様によって体をいじられた俺や魔族であるアゼレアは兎も角、普通の人間の目を持つ者にとって中の様子を伺い知ることはできないだろう。


 いくらアゼレアが軍人で上級魔族といえど、通路に巧妙に仕掛けられた罠を見破るのは限界があるようで、彼女曰く『吸血族は月や星の光がない暗闇でも昼間のようにはっきりと見える』らしいが、魔力反応を示さない原始的又は機械的な構造を有する罠は見落としてしまう可能性がないとは言えないらしい。


 それは地球から転移して来た俺にとっても同じことが言える。神様に弄られて身体能力や五感を強化された結果、己の視覚は普通の人間と違って暗闇を不自由なく見渡すことができるようになったが、巧妙に仕掛けられた罠を完全に見破る術は持っていないし、そもそも自分自身が実際にブービートラップを仕掛けた経験が無いのだ。


 そのため俺たちの目の前で口を広げているこの脱出用隠し通路の安全確認は出来ていない。仮に隠し通路全体が崩落するような罠が仕掛けてあった場合、上級魔族のアゼレアであっても生き埋めになるとただでは済まない可能性があるため迂闊に入るわけにはいかず、こうしている間にも逃げ出した獣人達との距離は開き続けている。



「クローチェ少将の仰ることはごもっともです。

 ですから……先にこちらで手を打っておこうと思います」



 そう言ってアゼレアの懸念に対してニヤリとした少々悪い笑みを浮かべるゾロトン議員。彼はこちらに対して上着のポケットから取り出した『伝送器』という地球の無線機や携帯電話に相当する個人携帯用通信魔道具を右手でかざすように見せたのだった。






 ◇






 ところ変わってここは帝都ベルサの中央区。

 その一角に建っている宿の一室である。



「申し訳ありませんが、クローチェ少将と榎本君は予約した列車の乗車日までこの部屋で過ごして下さい。

 もし何かあればこの呼び鈴を鳴らして係の者を呼ぶか、この館内用伝声管でフロントを呼び出してもらえれば大丈夫です」


「はあ、分かりました……」



 地下特区での一方的な戦闘の後、俺とアゼレアは自治所においてゾロトン議員とサトゥ所長から謝罪と感謝の言葉を受け取った。そして同時に当初ゾロトン議員が話していた便宜について改めて説明を受けてここにやって来たのだ。


 この宿はゾロトン議員が経営する宿の一つで、立派な調度品や建物の雰囲気や規模、客室数の多さから宿というよりはホテルと言ったほうがしっくりとくるだろう。帝都ベルサでは主として東区に宿泊施設が集中しているが、他の街区に宿泊する場所がないわけでもなく、このホテルもそのひとつだ。


 中央区は皇城と官庁が集中している北区に隣接する街区でもあり、役人や企業の経営者、ゾロトン議員のような帝国中央議会の議員やそれ以外の貴族達が多数居を構えて暮らしている。また北区には人間種国家の大使館や領事館も存在しており、彼ら諸外国の者達が暮らす邸宅や公邸も中央区に建っていた。


 そしてこのホテルはそういう者達や官庁を訪ねるために帝都以外の街や他国から来た者達が一時的に滞在するために利用されている。東区にある宿と違って宿泊客は社会的地位が高い者が多いため、自然と宿の雰囲気が地球の高級ホテルのそれと似通ってくるのは当然のこととはいえ、大公家出身のアゼレアは兎も角、日本の一般中流家庭出身である俺としてはこのような豪華な部屋に泊まるのは少々気後れしてしまう。



「本当は私の屋敷にあなた方をお招きできたら良かったのですが……帝国中央議会の議員という立場上、私にも色々としがらみがありましてね。

 申し訳ないですが、ここで出発の日までゆっくり過ごして下さい。

 先程もお話したように、ここは私が経営しているホテル旅館なので遠慮なく寛いでもらって結構ですから、榎本君もそう畏まらずとも大丈夫ですよ」



 俺の緊張している様子が分かったのか苦笑しながら語り掛けてくるゾロトン議員。



「あ、はい。 ありがとうございます。

 えっとぉ……あの、ゾロトン議員?」


「ん? 何ですかな?」


「あの逃げた賊の集団はどうなったのでしょうか?

 ちょっと気になってまして……」



 実はこれ気になっていたことのである。

 アゼレアに怪我がなかったことは何よりではあるが、拠点アジトを放棄して逃げ出した賊の残党が逃げた先で無関係の一般人を傷付けたり、態勢を整えて地下特区に舞い戻ってサトゥ所長達自治所の人々やゾロトン議員に危害を加えるのではないかと心配なのだ。



「ああ、アチザリットから報告がありましたが、あの者達は警保軍に無事制圧されたようです」


「制圧ですか? 捕縛や拘束ではなく?」


「ええ。 捕縛に向かったのは『猟犬』と呼ばれている非常に優秀な保安官が率いている警保軍の部隊なのですが、逮捕時に抵抗されたので制圧したそうです。

 実は彼……ガーランド保安官は猟犬以外にももう一つ別の名で呼ばれているんですが、ご存知ですか?」


「いいえ……」


「『暴風のガーランド』と呼ばれていましてね。

 君とクローチェ少将が宿にいるときに警保軍の部隊に襲われたと思いますが、あのときの部隊と突入の指揮を執っていたのがガーランド独立上級正保安官なのです。

 あのように少々荒っぽい逮捕行為が目立つために『暴風』という名が付けられたのですが、『牙の鉄槌』のように荒事な犯罪を生業にしている者達には彼はうってつけの法執行官なのですよ」


「少々? そうですか……」


(あのときの保安官かぁ……)



 自分に拳銃の銃口を向けていた厳つい顔をした保安官の顔が脳裏に浮かぶ。キャンペーンハットの鍔から覗く鋭い目つき、拳銃の引き金を引く指、発砲炎で光る拳銃の銃口と鉛の丸い実弾が覗く回転式弾倉。


 あのとき、アゼレアが絶妙のタイミングで俺の襟首を掴んで引き摺ってくれたから良いものの、ほんの少しでもタイミングがズレていたら、発射された弾丸は俺の下半身の何処かに命中していたことだろう。「下手をすると死んでいたかもしれない」と思うと今でも悪寒が走る。



「まあ彼のことですから、恐らく『牙の鉄槌』の構成員達は無抵抗の者まで含めてもうこの世には存在していないことでしょう。

 だから心配しなくても大丈夫ですよ」


「はあ……」



 確かに警告無しで人が滞在している部屋へ向けて至近距離からいきなり大砲の弾を撃ち込んでくるほどの非常識な行為を行う保安官が相手の場合、人間種よりも高い身体能力が売りである獣人だけで構成されている犯罪者集団とはいえ、勝ち目はないだろう。



「では、私は事後処理のために自治所へ戻りますので。

 私が部屋を出て暫くしたら、係の者が来ますから何なりと申し付けてやってください」



 にこやかな笑顔を見せながら部屋から退出しようとするゾロトン議員に対して、俺は慌てて彼を引き留めようと声を上げた。



「あの!

 ゾロトン議員、帰る前にちょっとだけお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「話ですか?」


「ええ。 できれば議員とアゼレアと私の三人で、ですが……」


「ふーむ……分かりました。

 すまないが、君達は少しの間外してくれ」



 顎に手を当てて一瞬だけ逡巡する素振りを見せたゾロトン議員であったが、俺の目を真っ直ぐ見た彼は直ぐに背後に控えるマガフさんとアチザリットさんへと向き直って彼らに席を外すように指示を出す。



「ですが……」


「大丈夫だ。 そうでしょう? 榎本君」


「はい」



 自分達の主人を残して部屋を出て行くことを渋る部下に対してゾロトン議員は我々に笑顔を見せながら『安全である』という同意を求めてきた。そんな彼に俺が真面目な顔で返答すると、それだけで満足したのか笑顔を崩さずに自分の部下をこの部屋から退出させようとする。



「そういうことだ。 私は大丈夫だから外してくれたまえ」


「しかし……!」


「仮にだ、私がクローチェ少将と榎本君に襲われたとして、君達が彼女らを止めることができるのかい?」


「いえ。 ですが、ステン様……!」



 上司の問い掛け対して悔しそうに答えるマガフさん。

 彼も口調こそ反発するような態度ではあるが、内心はゾロトン議員の質問に対して反論できない自分がいることを嘆いていた。


 人間種の軍隊であれば単騎で殲滅できるだけの力を持つ高位上級魔族の魔導将軍と圧倒的な火力を備えた未知の兵器を保有する怪しい冒険者。どちらと戦っても分が悪いどころではないことと、もし彼らが襲ってきた場合、自分達の主人を守れる自信が全くないことに護衛を務める彼は激しい葛藤を抱いていた。



「君達も往生際が悪いなぁ。 さあ、とっとと出て行った出て行った」



 彼らの背を押すように部屋から強制的に退出させるゾロトン議員。そして彼はマガフさんとアチザリットさんを部屋から追い出すとこちらに向き直り、そのまま後ろ手で扉を閉めて鍵をかける。



「これで良いですかな?」


「あ、はい。 無理を言って申し訳ありません」



 部下を追い出させるような格好になってしまったことに対し、俺は頭を下げてゾロトン議員に謝罪した。それを見た彼は笑顔を崩すことなく対応する。



「大丈夫ですよ。

 ところでクローチェ少将も同席するようですが、よろしいのですか?」



 大事な話と言った割にはアゼレアが同席していることが不思議なのか、ゾロトン議員はチラリと彼女を横目で見つつ、こちらに確認を取ろうとする。



「はい。 彼女は僕の素性について知っていますので」


「ほう?  素性とね……」



 こちらの返答に対して目を細めつつニヤリとした笑みを浮かべるゾロトン議員。その表情はまるで今からこちらが行おうとすることを見透かしているかのようだった。なので俺は無駄な作業の一切を省いて彼に質問をぶつけてみることにする。



「ええ。 それではゾロトン議員、駆け引きとかは無しに単刀直入にお聞きします。

 議員、貴方は……本当は日本人なのではないですか?」






 ◇






「…………いつから気付いてました?」



 俺の質問に対し、1分近く続いていた沈黙を破ってゾロトン議員が口を開くが、彼の第一声は否定の言葉ではなく事実上の肯定だった。



「実は日本人という確信を得たのはついさっきなのです」


「ほう。 ついさっきですか?」


「ええ。

 この世界の大半の国々で使用されている言語は『日本語』です。

 それも横文字がそれほど普及していない時代に使われていた日本語が共通語として多用されているため、サーベルやネクタイなどの物品や食べ物などの特定のものを除いて現地の人々の会話では横文字はそれほど使用されていません。

 それなのにゾロトン議員は先程の会話で確かにこの旅館のことを“ホテル”と言い、受付のことを“フロント”と仰いました」


「なるほど。 そういうことですか」



 俺の話を聞いて納得したようにウンウンと数回首肯するゾロトン議員だが、これは俺がこの世界に来てずっと感じていた違和感だった。最初はその違和感の原因が何処にあるのか判らなかったのだが、アゼレアと出会って暫くして彼女だけではなく、泊まっていた宿の従業員達やギルドの職員達、セマ達冒険者の殆どが特定のモノを除いて横文字を使っていないことに気付いたのである。



「この世界に来て数ヶ月が経ちますが、アゼレアも含めて現地の人々との会話の中に横文字が出てくるこでは殆どと言って良いほどありませんでした。

 しかし、貴方もサトゥ所長も“コスト”や“フロント”などいくつかの例えで横文字を口にしています。

 それに対して私は違和感を感じませんでしたが……彼女だけは違いました。

 サトゥ所長の説明を聞いているときにアゼレアは彼に対して『いくつか分からない言葉がありましたが』と言っていたのです」


「ふうむ……」



 顎に手を当てて黙考しているゾロトン議員の様子を見た俺は更にこの質問を投げかけた。



「それに議員は私に別の大陸から来たと話しかける前にこう言いかけたのではないですか?」


「『別の世界から来た』ですか?」


「え?」



 彼が言ったことに対して俺は思わず驚きの声を出す。このとき傍から見れば、俺の顔はポカンとした表情を浮かべているのが一目で分かったことだろう。



「まあ意地になって隠していても仕方がないことだからねぇ。

 そう、榎本君が言う通り私は日本人だよ。

 正確に言うと『元日本人』なんだがね?」



 今までの丁寧な口調とは打って変わってフランクな口調で話し始めるゾロトン議員。変わったのは口調だけではなく、雰囲気までもが真面目な政治家からそこら辺を歩いている年相応のおっさんらしい雰囲気へと変貌しているのに対して俺だけではなく、先程から俺と議員のやりとりを沈黙を保って見守っていたアゼレアも驚いた表情で彼の顔を見つめている。



「元……ですか?」


「そう。 因みに榎本君は私を見て生粋の日本人であると思えるかい?」



 ゾロトン議員にそう聞かれた俺は不躾ながらも彼の姿を頭のてっぺんから爪先までじっくりと観察するが、毛髪の色や顔の造形など何処にも日本人と思わせるようなものは確認できない。



「いいえ……」


「だろうね。 私は日本人の生まれ変わりなんだよ」


「生まれ変わり?」



 首を横に振ってゾロトン議員の問い掛けを否定する俺に向けて彼はマトモな頭の持ち主であれば耳を疑うようなことを言ってきたことをに対し、俺は反射的に聞き返していた。



「そう。 輪廻転生とでも言うのかな?

 この世界に赤ん坊として生まれたんだよ」



 被っていた帽子ボーラーハットを脱ぎ、ポリポリと左手で自身の後頭部を掻くゾロトン議員の表情には気恥ずかしさが現れていた。まるで母親にイタズラが見つかり、笑って誤魔化している少年のような顔だ。



「正直言って自分でも驚いたよ。

 バイクに乗っていて横から何かに跳ね飛ばされたと思った次の瞬間、目を開けたら映っていたのは何処かの建物の天井だったんだからねぇ……」



 薄く目を閉じた状態で話すゾロトン議員はここではなく、何処か別の場所を思い浮かべて話しているようだった。



「それで、その……ゾロトン議員は前世の日本人だった頃は何処の誰だったんですか?」


「日本人だった頃の私の名前は『斎藤さいとう 武雄たけお』。

 当時は警視庁の白バイ隊員として白バイに乗務していたんだ。

 ちょうど、東京オリンピックが終わった直後だから、2020年の秋だったかな?

 当時の階級は巡査部長だったよ」


「えぇ!?」



 彼の口から聞かされるゾロトン議員の前世である日本人としての彼の来歴を聞いた俺は内心衝撃を受けていた。てっきり異世界転生の物語にありがちな学生やフリーター、ニートやブラック企業のサラリーマンなのではという俺の先入観を完全に覆すものだった。



「いやぁ、当時は驚いたよ。

 無線で自動車内立て篭もり事案発生の報を受けて現場に急行していたんだけど、パトライトとサイレンを鳴らして交差点に進入したら、直後に横から何か硬いものにぶつかられるような衝撃を受けたんだ。

 で、そのまま意識が途切れた」


「え?」


「こっちは赤信号だったから緊急走行で交差点に進入したんだけど、多分トラックか何かに白バイごと跳ね飛ばされてそのまま死んだんだろうなぁ……」


「ってことはゾロトン議員……あ、いや、斎藤さんは交通事故で?」


「恐らくはね。 知っているかい?

 警察官において殉職率のトップは交通事故なんだよ」


「そうなんですか?」


「意外なことなんだけどね。

 犯罪者と格闘の末に殺されたりだとか、拳銃を奪う目的で襲われて殺されるとかよりも交通事故や災害に巻き込まれて殉職する警察官のほうが数は多い。

 まあこれは平和な日本だけのことかもしれないけれどね?」


「へえ」



 この後、斎藤さんから聞かされた異世界における経歴は典型的な異世界転生物語の主人公そのものだった。幼い見た目とは裏腹に中身は元警察官だった日本人男性28歳(独身)は最初は戸惑いつつも、自分の置かれている境遇を受け入れて、次第に異世界の文化や風習に馴染んでいった。


 ゾロトン公爵家の長男として生まれた外見は子供で中身は完全な大人である『ステン・トマス・ゾロトン=斎藤武雄』は元の世界地球には存在していなかった『魔法』という存在に興味を持ち始め、10歳に成長する頃には基礎的な魔法と魔力の操作方法を会得し、若干11歳という年齢で時の皇帝陛下直々に帝立魔法学園への進学を推薦されて同校に入学する。


 元々素質があったのか、めきめきと魔法の才能を開花させたゾロトン議員こと斎藤さんは、無事に魔導学位を取得して魔法学園を首席で卒業した後は直ぐに軍に志願して帝国軍士官学校に入校し、魔導士官への第一歩を踏み出した。その後は軍内で順調に昇進を重ねつつ、軍功を重ねて最終的に帝国軍近衛師団魔導連隊の指揮官の席に収まり、軍を退役した後はそれまでの勲功が評価されて帝国中央議会の勅選議員に選出されるに至ったのだ。



「こう言っては何だけれど、日本で警察官としての仕事をしていた頃よりも遥かに充実した人生を送って来れたと思うよ?

 もし日本人として生きていたら、今の人生に相当するほどの充実した時間を過ごせていたかは甚だ疑問が残るね……」


「そうなんですかぁ…………」


(そりゃあ、そうでしょうよ……)



 俺の隣に黙って控えているアゼレアもそうだが、生い立ちから何から日本の一介の庶民出身である自分とは全てが違いすぎて頷くことしかできない。



(凄いなぁ……)



 こっちはサバイバルゲーム中に異世界の神様に拉致されてこの世界にやって来たというのに、斎藤さんは公爵家というシグマ大帝国でも王族を除けば上から数えて何番目という大貴族の長男に転生したのだ。しかもゾロトン議員である彼の容姿を見るに、若かった頃はかなりのイケメンだったことが容易に想像できる。



(イケメンで魔法の才能があって大国の公爵家の長男に生まれ変わるとか……斎藤さんは前世で一体どんな善業を行ったんだ?)



 内心、ウンザリした思いに駆られているとゾロトン議員が真剣な眼差しでこちらを見ていることに気付き、俺は姿勢を正して彼に向き直る。



「な、何かありましたか? 斎藤さん」


「私の方からも質問があるのですが、よろしいですか?」


「え? ええ、どうぞ」



 もの凄く真剣な眼差しに思わずこちらはタジタジになって声が上擦ってしまうが、これが実力者というものなのだろう。先程までは優しげな面持ちだったのに今は目力がとても強く、「嘘は言わせないぞ」とでも言いたげな視線が自分の身体を貫く。

 しかし……



「議員」



 ゾッとするような殺気を伴った静かな声が室内に響く。



「おっと、これは失礼」



 アゼレアの殺気が篭った声に鋭い眼差しを受け、一瞬で柔らかなものに切り替える斎藤さん。顔こそ涼しげな表情だが、よく見ると彼の額や首筋には快適な室温に調整された室内だというのに汗が滲んでいる。



(危ない、危ない。

 先程から黙ったままだったから、この女性ひとのことを忘れてたわ……)



 ステン・トマス・ゾロトンこと斎藤武雄は重要なことを思い出して内心滝汗状態だった。自分自身、シグマ大帝国を含めた人間種国家の中でも5本の指に入る元魔導軍人であり、人間種としては破格の魔力を持っている彼は一対一であれば並みの上級魔族や長耳族、勇者の称号を持つ人間や魔法先進国であるダルクフール法国軍の魔導将軍とも対等に渡り合える自信がある。

 だが…………



(軍服を着ていることと女性であるということでつい忘れがちになるが、この魔導少将はいわゆる『魔王』そのものと言ってもいい存在なんだよなぁ……)



 日本にいた頃、学生時代の斎藤武雄は異世界ファンタジー小説にハマって色様々な物語を読み耽っていた時期がある。異世界に転生する主人公に感情移入して、もし自分も死んだら小説の主人公と同じように異世界に転生して冒険の日々を送りたいと夢想したことなど、一度や二度ではない。


 まさか本当に自分が死んで異世界に転生するとは思わなかったが、いざ転生してみると妄想とは違って現実の異世界では己が夢見ていたようにはコトは進まなかった。だが、結果から見れば武雄は概ね異世界のファンタジーの主人公と同じくらい充実した人生を歩んできたと言っても良いだろう。


 特に魔法に関しては人間種の魔法使いの中では上から数えたほうが早いくらいに大成し、名称は違えど宮廷魔術師長に相当する近衛師団の魔導連隊長まで登り詰めた。



(当時、“アレ”を見るまでは自分こそがこの世界で最強の魔導士であると思っていたっけか……)



 噂には聞いていた高位上級魔族による戦術級軍用攻撃魔法による大規模魔法攻撃。


 好奇心と怖いもの見たさも手伝って魔王領国防軍とその同盟軍が敵軍と戦闘を繰り広げている戦場へ観戦武官として赴き、自分の目で直接目撃して己の中にあったプライドは木っ端微塵に吹き飛ばされた。


 そしてそのプライドを吹き飛ばした張本人が今目の前にいることを思い出し、武雄は人知れず身震いする。



(榎本君に要らぬことをすれば間違いなく殺されるな……)



 アゼレア・フォン・クローチェ。

 20年ほど前に魔王領から忽然と姿を消した伝説の魔導将軍。斎藤自身が自分の目で直接彼女を見たのは姿を消したときから更に10年ほど前だったが、当時でもかなりの魔力を持っていたのはよく覚えている。


 その魔導将軍が魔法実験中の事故により行方不明=死亡したことを当時の国際通信社発行の新聞で知った自分は同じ魔導を極めた軍人としてかなり驚愕し、同時に安堵していた記憶がある。

 だが……



(何で榎本君はこんなバケモノと行動を共にしているんだ?

 しかも、以前見たときよりも魔力が段違いに増えているではないか……!!)



 当時、クローチェ少将を初めて見たときも魔王じみた魔力だと思っていたのに、今の彼女が持つ魔力はあのときの比ではないほどに増加している。元魔導軍人の直感ではあるが、恐らく地球の国連常任理事国それぞれの軍隊が持つ戦略核兵器以上のパワーと破壊力を持っているのではと武雄は予想していた。



(あのとき見たのは戦術級攻撃魔法……戦術級であれだけの威力なのだから、戦略級ともなればどれほどの破壊力になるんだろうか?)



 魔王領国防軍と対峙していた敵軍が築いていた前線要塞。巨大な石やコンクリートで補強され、魔術的な攻撃にも耐えうる軍事要塞を目の前の魔導将軍は戦術級軍用攻撃魔法『星のいかづち』で前線要塞と補給拠点を地下司令部諸共木っ端微塵に吹き飛ばした。


 そして『星の雷』着弾の際に発生した衝撃波は地殻に影響を与えて大きな地震を発生させたが、戦術級であれだけの威力なのだ。より強力で国家そのものを相手に攻撃を行う戦略級だとどのような被害が出るのか想像するだけで激しい恐怖と悪寒に晒される。



(もし、警保軍や憲兵隊が榎本君を害していた場合、この帝都は灰塵に帰していただろうなぁ……)



 戦略級・戦術級攻撃魔法は魔導士個人による悪用を防ぐために使い捨ての発動術式を用いないと行使できないが、仮にそういったものがなくてもこの魔導少将は他の攻撃魔法で人間の街を滅ぼすことなど片手間で行えることだろう。



(この魔族をいたずらに刺激しないよう、慎重に榎本君がどうやってこの世界に来たのかを聞き出さねばなるまいな)



 クローチェ少将もだが、榎本孝司なる人物のことも初めて会った当初から斎藤は気になっていた。



(今まで数人の元日本人転生者や転移してきた日本人と会ってきたが、彼は今まで出会った彼らとは全く違う気がする……)



 斎藤は『ステン・トマス・ゾロトン』として様々な場所に赴いて数多の人間達と出会ってきた経験がある。軍に入る前はゾロトン公爵家の長男として、軍人時代はシグマ大帝国の魔導士官として、そして今は帝国中央議会の議員として老若男女、国籍や年齢を問わず数多くの人間と言葉を交わし、ときには剣や魔法で戦いながらのときもあった。


 そのため自分は人を見る目が決して他の人間に劣っているとは思わない。今まで様々な形で出会ってきた人々と交流した経験はしっかりと活かされているが、それを持ってしても榎本孝司は異質な存在だ。



(そもそも彼は何で地球の武器を所持しているんだ?)



 今まで出会った元日本人転移者は日本からこの世界に来たときにたまたま身に付けていた衣服や道具を所持していることはよく見られた。部活帰りで和弓を所持したまま異世界に来てしまった弓道部の女子高生、異世界に来たときに護身用としてナイフを隠し持っていた中学生などはいたが、地球の武器で銃火器を持っている者は1人もいなかった。


 なのに彼、榎本孝司は最初に会ったときから銃を所持しているとはどういうことだろうか?


 しかも、ヤクザが抗争で使っているような拳銃などではなく、自動小銃やロケット砲という軍用の兵器を所持していて、あまつさえ手慣れた様子で使っていたのは驚きだった。



「榎本君。 君はどうやってこの世界にやって来たんだい?

 それと君が持っている銃はどこから手に入れたのか気になってね」


「ああ、そのことですね」



 武雄の問い掛けに対して孝司はそんなことかといった感じで気安く応じる。色々聞きたいことはあるが、とりあえず聞きたいことはこの2つに尽きるだろう。


 日本人が生きたままこの世界に来たことも驚きではあるが、普通の日本人であれば絶対に手に入れることが不可能な軍用兵器を複数所持していることのほうが明らかに異常なのだ。


 武雄自身、生前は元警察官だったので暴力団だけではなく、一般人からもそれなりの数に上る銃器が押収されているのは職業柄よく知っていた。中には拳銃だけにとどまらず、機関銃や自動小銃も押収された例がある。


 だが、いずれも部品を少しずつ密輸して作り上げたモノや少し時代が古い銃ばかりで、榎本孝司のように現代の軍隊が使っている現行の銃器が一般人から押収された例は殆どない。仮に北海道経由で運良くロシア人辺りから自動小銃を手に入れられたとしても、内偵捜査によって何処からともなく銃器密売の情報が漏れて取引終了からそう遠くない内に逮捕されるか事前に捕まるのがオチである。



「ええっとぉ……まず1つ目の質問ですが、私はこの世界の神様によって無理矢理連れてこられたんですよ」


「え……? ……はあ!?」



 孝司の口から出た予想外の答えに武雄は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 だが、これから孝司より聞かされる話に武雄は何度も驚くことになるのだった。






 ◇






「では、私はこれで失礼します。

 不自由をお掛けしますが、迎えが来るまでお二人はくれぐれもこの部屋から出ないようにお願いしますね?

 内務省や治安警察軍には私から話を通しておきますが、末端の保安官や警官達は何も知りません。

 それと、憲兵隊や情報省の人間などに見つかると厄介なことにならないとも限りませんので、十分に気をつけてください」


「分かりました」


「それでは、失礼」


『またの』



 口調を元に戻し、軽く礼をしてから退室する斎藤さんことゾロトン議員と彼を見送る俺とアゼレア。本来ならば玄関を出て建物の外で彼が乗る馬車を見送るのが礼儀なのだろうが、どこで誰が見ているかもわからない状況下ではそのようなことはできない。


 俺やアゼレアは良くてもゾロトン議員の方はそれでは済まない。

 警保軍や治安警察軍、憲兵隊に追われている俺達を勅選議員である彼が自分達を匿っているとバレれば只では済まないだろうし、ゾロトン議員の政敵や国際通信社などのマスコミに知られたらそれだけで一大事である。



「ふう……」



 重厚な作りの扉を閉めると同時に、張り詰めっぱなしだった緊張感が体から抜けて思わず自分の口から安堵の吐息が漏れる。



「大丈夫? 孝司」


「うん? ああ、大丈夫。

 ホッとしたら、体から力が抜けちゃってね……」


「そう」


「まあ予想はしていたけれど、やっぱり斎藤さんはかなり驚いていたね。

 最初はこっちの話をすんごく疑っていたけど……」


「それはそうよ。

 私だって孝司からイーシア様を紹介されるまでは信じられなかったし」


「ハハハ…………」



 アゼレアの言葉にこちらは乾いた笑みを浮かべることしかできない。とはいえ、マトモな考えを持つ者であれば彼女の言い分が正しい。



『にしても、久し振りに呼ばれてウキウキ気分で出てみたら、こんなしょうもないことに儂を使うとは……お主も結構図々しい性格になって来たもんじゃのう? 孝司よ』


「いや、仕方がないじゃないですか。

 何回も口で説明よりは実際に会ってもらったほうが手っ取り早いですし……」

 

 

 自分に向けられた非難に対して俺は苦笑いしつつ、机の上に置かれたノートパソコンに向かって言い訳をする。画面の中には金色の髪を持つ女性が写っているが、その表情は不満気だ。



『まあ良いがの。

 ところで、あのゾロトンとかいう者はこっちの味方になってくれそうじゃな』


「味方も何も、この世界の神様が直接頭を下げてきたら首を縦に振るしかないと思うんですが?」


『それもそうじゃな』



 あっけらかんとした様子で話しているのはこの世界を管理する神様こと『イーシア』さんだ。元々、この異世界惑星『ウル』に俺を送り込んだ元凶であり主犯でもあるのだが、仮に俺がこの神様に会っていようがいるまいがこの世界に放り込まれる運命は変わらなかったというのが判明しているので、そこを嘆いてみても始まらない。


 唯一、この世界に来て良かったことと言えばアゼレアに出逢えたことくらいだが、それを口にするとこの神様は絶対に俺をイジってくるのが目に見えてるので、感謝の言葉は言わないと堅く心に誓っている。


 因みに何故、異世界の神であるイーシアさんビデオ通話で話しているのかというと、ゾロトン議員こと斎藤さんに俺が異世界『ウル』にやって来た理由を説明していたのだが、終始眉間に皺を寄せてイマイチよく理解していないのと、話の内容を信じきれていなかったためである。



(まあ、かく言う俺もイーシアさんと初めて出会ったときは神様だって信じていなかったもんなぁ……)



 地球を管理しているイーシアさんの後輩神である『御神みかみ』さんが出てきて、それから神の御技を見せられて初めて信じたのだから、俺の話を聞いて直ぐに信じることができない斎藤さんのほうがマトモなのだが、その彼も間接的とはいえイーシアさんの御技を見せられて彼女が正真正銘の神様であると納得した様子だった。


 因みにその御技とは俺がイーシアさんと御神さんの二柱によって見せられたである。今回は神様の家ではなく場所が異世界ウルの現地であることと、俺が事前の打ち合わせなくいきなりイーシアさんを呼び出したせいで彼女は地上に降臨することができないので、ノートパソコンの画面越しではあったが、神様だけが持つことのできる力――――いわゆる神通力で斎藤さんの脳内に地球と異世界の今までの歴史がフルカラーで再生されて、彼は短時間のうちに地球と異世界の歴史を追体験させられることにこととなったのだった。



「それにしても、リグレシア皇国に孝司と同郷の人間がいるとは驚きでしたね。 イーシア様?」


『そうじゃな。 まあ、コレが判っただけでも大きな収穫ではあるのう』



 アゼレアの言葉に腕を組んだ姿勢のまま、画面の中でウンウンと頷くイーシアさん。時間は斎藤さんがこの部屋を出て行く少し前に遡る。異世界『ウル』の神であるイーシアさんを交えてようやく俺の話を信じてくれた斎藤さんはその場に立ったまま、顎に手を当てて黙った状態で何か考えごとをしていた。


 恐らく俺やイーシアさんから聞いた話を頭の中で整理し、今までの経験と照らし合わせて分析していたのだろうが、それを終えた彼が開口一番に放ったのはこんな言葉であった。



「なるほど。

 前々からどうもおかしいなとは思っていたんですよ。

 以前、『へカート大陸の魔族国家たるリグレシア皇国の中枢に日本人がいるらしい』という情報を耳にしたときはどういうことを意味しているのか全くもってわかりませんでしたが……成る程。

 リグレシア皇国といい、ウィルティア大公国といい……複数の日本人がこの世界に来ている理由はそういうことだったんですね?」


「え?」


「それは一体どういうことでしょうか? ゾロトン議員」



 これを聞いた俺とアゼレアは最初、斎藤さんが何を言っているのか全く理解できなかった。しかし、彼から話を聞いていく内にこの大陸が割と洒落にならない事態に陥っているらしいことを知らされることになるのである。



「クローチェ少将が魔王領から姿を消す原因になった魔法事故よりも以前、今から数えて約25年ほど前にリグレシア皇国がバレット大陸に侵攻を開始したのはご存知でしょう?」


「ええ。 議員の仰る通り、彼らはこの大陸に侵略の手を伸ばして来ました」


「ああ……アゼレアから聞いた話ではそうらしいですね」


「では、リグレシア皇国は何故バレット大陸に戦争を仕掛けて来たと思いますか?」


「え? それは……やっぱり地球の戦争とかと同じで資源が目的だったのではないですか?」


「普通に考えれば資源や各種魔導技術の収奪、他には奴隷などの人的資源を目的にした植民地化や属国化があると思われますが?」


「なるほど。 日本……いや、地球人としての榎本君の意見と異世界ウル人としてのクローチェ少将の意見、どちらもそれぞれの世界で戦争を仕掛ける理由として常識的と判断できる答えですね」



 日本人の斎藤武雄からシグマ大帝国議員のステン・トマス・ゾロトンに戻ってリグレシア皇国軍によるバレット大陸侵攻。それについて話していた彼からの突然の質問に対して俺とアゼレアは至極常識的な答えを返す。



「確かに戦争は何で起きるのかと聞かれたら、普通の人間が答えるのは資源や領土を巡る問題が一番多いですね。

 あとは宗教戦争や王族など国の要人を仮想敵国の人間が殺害したことが原因で戦争を始める理由としては多いのではないでしょうか?」


「まあ、そうですね」


「では、『戦争を行うことそのものを目的として定められた戦争』があるとしたら……どうですか?」


「……え?」


「なるほど。 そういうことですか」



 斎藤さんの話を聞いて何かを悟ったアゼレア。

 彼女は腕を組んで全てを理解したとばかりにウンウンと首を僅かに首肯させる。



「ん? どういうことだい、アゼレア?」


「流石はクローチェ少将。 もうお分かりになられたようですね?」


「んんっ!?」



 アゼレアの態度を見て俺はどういうことかと彼女に質問を送る一方で、斎藤さんは流石とばかりに小さな拍手をパチパチと打ってアゼレアへと送る。その様子を見て俺はますます訳がわからなくなってしまうが、そんな自分にアゼレアから助け舟が出された。



「孝司、さっきゾロトン議員が『リグレシア皇国は何故バレット大陸に戦争を仕掛けてきたのか?』という問い掛けに対して私達が答えた内容はある程度の教育を受けたものなら誰でも考えつくことだったわ。

 でも、議員の口ぶりから推察するにリグレシア皇国はそんな普通に考えつくようなことを理由に戦争を仕掛けて来ている訳ではないのよ」


「なるほど」


「ゾロトン議員。

 恐らくではありますが、リグレシア皇国は人間を含む各種資源や領土などを狙って戦争を仕掛けて来てはいないということではないですか?

 そしてそれらは全て二の次、三の次。

 戦争を遂行する、もしくはその前段階にあたって発生する利益を追い求める者達……平たく言えば『軍産複合体』が結託して彼の国が戦争を仕掛けざるを得ない事態に陥ってしまっている。

 そういうことですね?」


「その通りです。 リグレシア皇国がいわゆる[覇権国家]として現在の状況をひた走っている最大の理由は皇帝や国民の意思……というよりは『軍産複合体』の思惑によるところが大きいと言えますね」





――――軍産複合体





 それは国家における政治・軍事・経済、それぞれの勢力が互いに手を取り合った状態の連合体である。単純に言えば戦争から経済的な利益を得る集団のことを指す。


 戦争というのは何も軍隊だけが単独で行うものではない。軍部を制御する国家政府や議会、軍隊に武器や兵器、物資を生産し納入する企業などが一体になって戦争は行われ、そこから得られる利益を求めるそれぞれの勢力が寄り集まった連合体を『軍産複合体』と呼ぶのだ。



「クローチェ少将はご存知とは思いますが、リグレシア皇国は魔王領国防軍と比べて元々中規模程度の軍隊を持っていた国家です。

 周囲を海と3つの人間種国家に囲まれてはいますが、魔王領とは違って上級魔族より中・下級魔族が多いにも関わらず、それなりに周辺国と良好な関係を保っていました。

 まあそれも今から40年ほど前まで……でしたが」



 それまで周辺国とそれなりの関係でやってこれたリグレシア皇国に変化が生じ始めたのは今からちょうど40年ほど前だった。まるで時期を示し合わせたかのようにリグレシア皇国と国境を接していた3つの人間種国家それぞれの指導者達の顔ぶれがガラリと変わってしまったのである。



「中級魔族や下級魔族、加えて変異種魔族が多く、平穏な日々が長く続いてきたリグレシア皇国は周辺各国の王位や国家指導者が変わった影響でそれぞれの国から国境や領空を侵犯されるという事態が度々発生するようになり、その度に軍や国境警備隊が出動する機会が増えていったのはご存知かと思います」


「それは私もよく覚えています。

 スターリング、オーエン、アバカン、それまで魔族に対して穏健な態度で接していた各国の国王や国家指導者層達が急死や政治革命によって次々に姿を消し……代わりに台頭してきたのが魔族に対して露骨に批判的な態度を見せる者達でしたわね」



 リグレシア皇国と国境を接していた人間種の国家は3つある。

 東に『スターリング王国』、西に『オーエン共和国』、南に『アバカン公国」だ。


 この内、スターリング王国は国王が急死して魔族に対して差別的な思想を持つ第一王子が国王の席に就き、オーエン共和国は選挙で魔族に批判的な政党が政権の第一党に躍り出るに至り、アバカン公国では革命が起きて魔族に対して強硬的な態度を持つ軍事政権が誕生してしまったのである。


 そして各国は交通の要衝であり、バレット大陸との貿易拠点になっている大きな港を持つ『リグレシア皇国』を手中に治めんと魔の手を伸ばし始める。



「榎本君なら分かると思うけど、各国の国家指導者達が変わったことによってリグレシア皇国は現在の日本と同じような状況に陥り始めたんだよ」



 日本国の周辺に独裁国家や資本主義の皮を被った共産主義覇権国家、西側陣営(仮)でありながら反日・反米に全力疾走する不可思議な国家などがあり、領空侵犯や領海侵入などその他諸々の嫌がらせをしょっちゅう受けているのと同じようにリグレシア皇国もまた日本国と同じような状況になりつつあった。


 海に関しては海洋性魔族達が防備を固めているお陰で領海への侵入こそなかったが、空と陸は天馬や巨鳥を用いた領空侵犯と地上軍部隊による国境の越境行為などが度々発生しており、現在の日本とほぼ同じような状況に当時のリグレシア皇国首脳部は対応に手を焼くことになる。


 皇国軍は周辺国の体制が変化したことによりスターリング、オーエン、アバカン各国を仮想敵国として定めて定期的に軍事演習を行なっていたが、リグレシア皇国首脳陣は『3つの人間種国家対1つの魔族国家』という対立比の結果を恐れて弱腰な態度をとっており、これに対し皇国民は各国の度重なる嫌がらせ行為に不満を募らせていった。


 そしてリグレシア皇国首脳部が手をこまねいている間、遂に皇国にとって歴史の転換点となる瞬間を迎えることになる。皇国と国境を接していた3つの人間種国家の内の1つであるスターリング王国が突如、宣戦を布告。地上軍部隊が大挙して国境を侵犯し、リグレシア皇国の領土に攻め込んで来たのだ。


 これに対してリグレシア皇国軍は各国の政治体制が変わるより以前から練り上げていた[内線戦略]に従って領内奥深くへと誘引したスターリング王国軍を挟撃し、見事にこれを撃破するに至る。そしてこの度発生した戦争の責任者を逮捕・拘束・処罰するために今度はリグレシア皇国軍が逆の立場となってスターリング王国内に攻め込んで行った。



「まあ、結果は目に見えていたと言った方がよろしいでしょうな。

 多くの中級魔族や変異種魔族が野戦将校や部隊指揮官を務めるリグレシア皇国軍の勢いはまさに暴走する機関車破竹の勢いさながらに、瞬く間にスターリング王国の王都と主要な街は陥落しました」



 中級魔族と変異種魔族が繰り出す大規模攻撃魔法の波状攻撃に対してスターリング王国軍は抵抗虚しく防衛線が瓦解し、軍は潰走を喫することになる。防衛の要である軍の主力戦闘部隊を失った王国は王都の無防備都市宣言を行い、王族と大貴族達は軒並み逮捕・拘束されてしまった。


 また、殆どの官庁の建物がリグレシア皇国軍に接収され、残っていた王国軍部隊は武装解除させられてしまう。そしてリグレシア皇国首脳部と皇国貴族院議会はスターリング王国を属国化することを決め、同国内に統治機構を設置するのと前後してスターリング王家の者達と血縁者を1人残らず処刑してしまうことになる。


 そしてリグレシア皇国と皇国民達はこの戦争を経験し、大きく変貌して行ってしまうことになるのだった…………

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