第23話 鏖殺

 シグマ大帝国・帝都ベルサの東区地下に存在する古い下水道を改造した地下空間の領域である『東区地下街特別区(通称:地下特区)』に根城を構える獣人のみで構成された賊達の集団[牙の鉄槌]を取り仕切る頭目の『アゼル』はその日の朝から妙な胸騒ぎを覚えていた。


 昼近くになるとその予感は益々大きくなり、いつもの仕事強請りに出掛けた手下三人が帰って来なかった。そのため別の手下を使いにやって調べさせたところ、三人の姿は見当たらなかったという……しかし、他の手下二人がとんでもない事実を掴んで戻って来たときには思わず自分の耳を疑う内容を知ることになる。



「……何? 殺されただと?」


「へい。 場所は特区の東側出入口付近でさぁ」


「ほお? で、三人を殺った奴はどういう人相をしていたんだ?」



 アゼルは自分の手下が殺されたという事実よりも殺した相手のことが気になっていた。

 基本的にこの地下特区の住民達はお互いに対して不干渉を貫く者が多い。

 殆ど住民が地上での暮らしに嫌気がさしたか、街で暮らせなくなって地下特区に来る者が大半なため、お互いに無関心を貫くのだ。


 だが、中には干渉をしてくる奴がいる。

 それは『自治所』と呼ばれている組織の連中で、文字通り地下特区の自治を司るために地下住民達が協力して設立した私設の役所だ。


 その自治所と『牙の鉄槌』は当然ながら険悪な仲にある。

 特にこの地下特区に来た当初、勢力を拡大し始めた頃は何かと自治所の連中とのいざこざが絶えなかった。


 

(もしかして自治所の連中、殺し屋でも雇ったか?)



 自分と同じ獣人の手下を地下特区の内外から集め始めた頃、自治所の連中は元傭兵や冒険者といった腕に覚えのある住民達をこちらに差し向けようと画策していた。なので、警告としてこの地下特区に暮らす娼婦達数人を拐って散々楽しんだ後でバラバラに解体して『喰った』のだ。


 結果、「人間を調理して食うような奴等と関わり合いたくない!」として自治所の呼び掛けに応じて集まった荒事専門の傭兵や冒険者達は一人残らず逃げ出しため、討伐の計画は御破算になった。が、どうやら今回は話が違うようだ。


 

「近くにいた奴らを手当たり次第に締め上げたところ、判ったのは奇妙な二人組みだそうで……一人は長身の女魔族、もう一人は何処にでもいるような平凡な男の人族だったと言ってましたぜ」


「女魔族?」


「へい。 それがどうやらただの魔族ではなく、軍人だったと。

 あっという間に三人を殺して火炎魔法で灰にしちまったと聞きやした」


「魔族の軍人ねえ……」



 魔族と聞いただけでも気分が悪くなるというのに、オマケに相手は軍人らしい。この大陸の魔族国家で軍隊を持つのは『魔王領』と『ツァスタバ王国』、そして『シュタージ自治共和国』とリグレシア皇国に制圧された旧『ルガー王国』だけだ。他にも幾つかある魔族国家は[国]というよりは都市国家未満の規模であり、保有しているのはせいぜい警備隊に毛が生えた程度の兵力しか持っていない。



「お頭、どうしやす?」


「どうするもこうするもねえさ。

 その二人を見つけ出してそいつらの首で落とし前をつけさせる。

 それだけだ」



 魔族の軍人ということは相応の腕っ節があるのだろうが、人間種主体の国であるシグマ大帝国の帝都『ベルサ』には魔族国家の大使館や領事館はひとつも存在していない。ここが他種族達がひしめき合う第二都市『メンデル』であれば相手の女魔族の軍人は中級魔族以上の可能性もあるが、常識的な考えから見れば帝都ベルサに階位が中級以上の魔族が来ることは考えにくい。



(となると……女魔族は下級魔族の一般兵士か下士官相当か?)



 仮に自分の予想が当たっていた場合、何らかの理由でベルサに来ていた腕に覚えのある下級魔族の軍人が小遣い稼ぎを目的として自治所に雇われている可能性が高い。だが、下級魔族や中級魔族の中にはひとつ上の階位に相当する魔力と武力を持つ『変異種』や『変異体』と言われる突然変異的な個体が少なからず存在していたりするので、例え相手が下級魔族であったとしても油断は禁物だ。



(皇国軍と殺りあっていたときはそれが仇になったんだよなぁ……)



 今となってはこの世に存在しない祖国を守っていた『ザハル諸部族同盟軍』の将兵の一員としてリグレシア皇国軍と戦っていたアゼルは、この『変異種』の魔族に散々煮え湯を飲まされた経験がある。下級魔族のみで構成されたリグレシア皇国本国軍部隊と戦ったとき、敵の部隊長は奴の部下達と同じ下級魔族であったが、階位が『男爵級』でありながら実質的には中級魔族の中核を成す『伯爵級』に匹敵する魔力と武力をその身に宿していたのだ。



(お陰で俺が指揮していた部隊は壊滅。

 それから暫くして軍の潰走が始まったんだよなぁ……)



 軍を構成する将兵の大半が人間種とほぼ変わらない能力を持つ下級魔族で占められていたルガー王国軍と違って魔力は兎も角、身体能力では遥かに上を行っていた獣人の将兵のみで構成されているザハル諸部族同盟軍は当初、リグレシア皇国外征戦略軍との戦闘においてはほぼ互角に渡り合っていた。


 しかし、『変異種』の魔族や中級魔族達が各野戦部隊の指揮官を務めるリグレシア皇国本国軍が後続隊としてバレット大陸に上陸し、戦闘が始まるとその状況は一変する。上級魔族に及ばないにしてもそれなりに強力な攻撃魔法に物を言わせたゴリ押しの戦闘によってザハル諸部族同盟軍主力部隊の殆どが地上から消え去り、残されたのは僅かながらの後方部隊と戦闘部隊とは名ばかりの国境警備隊と警察の治安部隊のみという大変お寒い状態だった。



「調べたところ、その女魔族と人族の二人は自治所に向かったそうですぜ」



 そう遠くない過去をぼんやりと思い出していたアゼルは手下の声が耳に入って来たところで我に返る。よくよく考えてみると、下級魔族以外の上位階位にある中・上級魔族が人間種の男と一緒に行動することなど普通はあり得ない。ましてや件の女魔族が軍人であれば尚更である。


 あり得るとすれば女魔族が魔王領国防軍こと魔王軍の軍人だった場合か軍人を装っている場合だが、魔王領本国はおろか、メンデルにある魔王領の在シグマ大帝国大使館からも遥か遠くに位置するここ帝都に来る理由などまずない筈だ。それに魔王領の中・上級魔族が本国から国外に出ることは大使や外交官以外では滅多にないし、強力な軍用攻撃魔法を使える上級魔族の軍人は国外への出国を厳しく制限されている。



(まあ何れにしても気を抜いて良い相手……という訳じゃねえだろうがな?)


「よし。 全員を集めろ。

 集まり次第、自治所に向かう。

 それと念の為だ。 ここの守りも固めておけ!」


「へい!」



 自分の支持を受けた手下達がそれぞれの役目を果たすべく散って行く。

 中には気合を入れるためか獰猛な笑みを浮かべたまま、拳を打ち鳴らしながら去って行く者もいる。しかしこの時、彼等には想像もつかない強さを持つがここに向かって近付いて来ていることなどアゼル達『牙の鉄槌』の面々は知る由もなかった。





 

 ◆






「お頭、門を守ってる奴ら以外全員集まりやしたぜ!」


「よし」



 獣人だけで構成された賊の集団『牙の鉄槌』が地下特区に構えている本拠地の空間内部は少々騒々しかった。アジトのほぼ中央部に位置する大広間には出入口を守る見張り番以外の獣人達が勢揃いし、それぞれが身に付けている防具や武器がガチャガチャと擦れて耳障りな金属音を出している。


 人間が扱うには大きくて重すぎる分厚い剣や斧、槍といった武器以外にも弩弓や銃などの飛び道具で武装した者や自作を思われる鉤爪や鎌などの変わった形状の武器が目につく。どの武器も使い込まれてよく手入れがされているためか、ギラギラとした独特の雰囲気を周囲に振り撒いている。


 が、それよりも賊徒である彼等獣人達の発する荒々しく興奮した様子の鼻息や気合を入れる雄叫びが耳につく。アジトの大広間には四十三人もの厳つい顔つきの屈強な獣人達が勢揃いしており、よく見ると女性の獣人も数人ばかり目に入る。



「お頭!」


「ガルフ達が殺られたって聞きましたが、本当ですかい!?」


「殺った奴は何奴ですか!? オレがそいつを同じ目に合わせてやるぜ!」



 手下が勢揃いしている大広間にアゼルが入室すると手下達は口々に彼に自分達が耳にした噂の真意を問い質す。そんな彼等に対してアゼルは落ち着いた様子で手下達をゆっくりと見回してその口を開いた。



「お前ら落ち着け。

 何人かは既に聞いてるだろうが、ガルフ達三人が殺された。

 相手は女魔族と人族の男の二人組だそうだ」


「女魔族に人族!?」


「くそがぁぁ!! ふざけやがってぇ!!」


「生きたまま、なます斬りにしてやらぁ!!」



 アゼルから今現在判明している下手人の素性を聞いた手下達は怒髪天を抜いたかの如く怒りを露わにする。血管を浮き上がらせ、牙を剥いて目を血走らせた彼等の怒りの形相は善良な一般人が見たらそれだけで失禁し兼ねないほどの迫力を伴っていたが、アゼルはそんな手下達を前にしても涼しい表情を崩すことはない。



「お頭! その二人組は今何処にいるんですかい!?」



 手下の一人が怒りの形相のままアゼルに尋ねる。

 彼は居場所が判明したら、その足で仲間を殺した下手人を殺しに行くと言わんばかりの態度だった。


 

「とりあえず、まずは落ち着け。

 その二人は今自治所にいる。

 そうだな?」


「へい」


「というわけで、今から自治所に行く。

 例の二人が自治所とどんな関係なのかは知らんが……まあ自治所の連中が庇って歯向かうようなら、連中の一人二人くらい殺しても構わんだろう」


 

 確認のためとばかりにアゼルは側近である獅子の獣人に仲間を殺した下手人の居場所を聞き、目の前に立つ手下達に向き直ってこれから行うことを話すが、アゼル自身も手下を殺された怒りがあるため静かで落ち着いた口調に怒気が混じり始める。



「で、例の女魔族と人族の男はどうしやすか?」


「仲間を三人も殺られたんだ。

 女魔族は全員で輪姦まわした後で喰っちまうか?

 まあ、男の方は細かく切り刻んで魔獣の餌だな」



 仲間を殺されたのだ。「そう簡単には死なせない」という決意が彼の口から聞くだけでも恐ろしく思える内容が飛び出て来たのを聞いて手下達は獰猛な笑みをアゼルに向け、それを見た彼は同じように獰猛な笑みを更に深くして彼等に返す。



「気をつけろよ? 聞いたところによると女魔族の方は軍人らしい。

 魔法も使うそうだから例の盾を持って行くぞ。

 まあついでだ、小煩い自治所の連中にも俺たちの恐ろしさを分からせてやろうじゃねえか!」


『おう!』



 手下達がアゼルの呼び掛けに対して力強い返事で応えた瞬間、大きな爆発音がアジト内に響き、同時にやや強い振動が伝わって来て天井から埃が落ちてくる。



「……何だ?」


「おい? 何だ今のデカい音は?」



 突然響いて来た大きな音にアゼルだけではなく手下達も訝しんだ表情で互いの顔を見たり、音が聞こえて来た方向を見やる。それから直ぐにひとりの馬のような面長の顔を持つ獣人が血相を変え、文字通り転がり込むようにして大広間に入って来た。



「お、お頭ぁ! しゅ、襲撃です!!

 出入口の扉が木っ端微塵に吹き飛ばされましたぁ!」


「何だと? で?

 襲撃して来たのは自治所の連中か!?」


「そ、それが灰色の軍服を着た長身の女魔族です! 

 右手に剣を持ってました!」


「分かった」



 それを聞いたアゼルは隣に立つ熊のように背が高く、鋭い目つきの厳つい男に目配せをするとそれを受けた男は一歩前に出て手下達を睥睨しながら大きな声でこう言った。



「野郎共、聞いての通りだ!

 どうやら態々向こうからご挨拶にいらっしゃったようだぞ!

 お前らでをしてやれ!!」


『オォーッ!!』


「一応、隊を二つに分けるぞ。

 お前達はお頭と女達の護衛として、ここで守りを固めろ。

 残りはオレと一緒に来い!」



 頭目であるアゼルの信頼が高く、『副長』と手下達から呼ばれている少々毛深くて恰幅の良い黒熊族の『ベングリオン』という名前の獣人が軍人のような口調で彼等に的確な指示を出していく様を彼は静かに見守っていた。それもその筈で、熊の獣人である彼はザハル諸部族同盟軍においてアゼルが指揮する中隊の先任魔導下士官を務めていた人物なのだ。


 軍におけるアゼルの階級は元中尉であり、黒熊族のベングリオンは元曹長で同じ隊の戦友であり上官と部下という関係だった。だが、ザハル諸部族同盟がリグレシア皇国軍に占領されたのに伴って軍を抜けて敗残兵から野盗化し、流れに流れてこの地下特区に行き着く。そして獣人のみで構成された賊徒の集団『牙の鉄槌』を設立したのである。


 そのような経緯があるために、アゼルは自分の元部下であったベングリオンに全幅の信頼を置いていた。彼は獣人であるにも関わらず魔剣を用いた攻撃魔法を得意とする魔導軍人であり、リグレシア皇国本国軍との戦争では中級魔族を一騎討ちで仕留めた経験があるのだ。



(まあ、ベングリオンが出張って行くのならば、俺の出番はないだろう……)



 攻撃魔法が使える分、戦闘における手札が多いベングリオンは実質的な戦闘能力ではアゼルよりも強い。だが、部下を率いて部隊を運営するという面ではアゼルの方に適正があったため、軍を抜けた今でもベングリオンは『頭目』という立場ではなく『副長』という地位に落ち着き、組織の運営はアゼルが担っている。



(こっちはこっちで守りを固めておくとするか……)



 ベングリオンの指示によって四十人からなる手下達は二つの隊に分けられた。一つはベングリオン率いる攻撃隊ともう一つはアゼル率いる守備隊だ。



「よっしゃぁー!! 行くぞ野郎共!

 敵に殺されるような腑抜けは、俺が地獄まで追いかけてもう一度殺してやるから覚悟しろよぉ!!

 いいなぁーーっ!?」


『おう!!』


「行くぞぉーーっ!!」


『オオーーッ!!』



 地面が揺れてしまぅうかのような大きな声を出し、手下達数十人を率いてベングリオンは殺気も露わに大広間を出て行く。一方、アゼルはかつて軍人時代だった頃の副官であり、今は組織の副長であるベングリオンを残りの手下達と共に見送る。



(とっとと女魔族の首を持って帰って来い。

 そしたら、とっておきの葡萄酒で乾杯だからな? ベングリオン!)



 手下達の手前、心の中で今でも自分の補佐役であり続ける彼の名前を呼びながら自分なりに無事の帰還を祈るアゼルであったが、彼はこのとき見たベングリオン達の背中がひどく儚く見えていたことに気付かないままだった。






 ◇






「ふん」



 地下という閉鎖空間でありながら意外にも広い作りになっている通路に不満気な声が漏れる。



「やはり犯罪者の集団だけあって統制は碌に取れていないようね?」



 獣人達のみで構成された犯罪集団『牙の鉄槌』が根城にしている地下空間の廊下において[魔王領国防省保安本部]に所属する高位上級魔族『アゼレア・フォン・クローチェ』魔導少将は嘆息気味に不満を漏らす。


 自分に初めてできた掛け替えのない存在ともいうべき『孝司 榎本』という元人間であり、現在は神である彼が『ロケット砲』と呼ばれる地球の兵器でここの扉を粉々に吹き飛ばし、自分が最初に中へと突入したのがほんの数分前だった。



「軍人や警官達と違って統制が取れていないから攻撃を行う瞬間もバラバラなら、撤退に移る行動もてんでなっていないわね。

 いくら犯罪者とはいえ、この統制の無さは酷すぎるわ……」



 現在、自分が立っているこの廊下の床には孝司から貰った『軍刀』と呼ばれる剣によって首を切断された死体が三つ転がっている。いずれも自分が殺した獣人達の死体であり、扉が吹き飛ばされた際に最初に駆けつけて来た者達だ。


 まさかいきなり問答無用で攻撃されるとは思わなかったのか、はたまた入って来たのが女である自分の姿を見て油断したのかはわからないが、相手が武器を構える前に予め抜刀していた軍刀で三人の獣人達の首を刎ね飛ばした。



「私が愛用していたサーベルもかなりの切れ味を持っていたけれど、この『九五式軍刀』の斬れ味は目を見張るものがあるわねぇ」



 孝司の説明によると、この軍刀は彼が元いた世界……『地球』と呼ばれる世界にある[日本]という国にかつて存在していた『大日本帝国陸軍』という軍隊の下士官用に作られた剣らしい。元々は日本で古くから使われていた『日本刀』という剣を参考にし、あらゆる戦場での使用を想定して日本刀を近代的な科学技術を用いて分析し、刀工の手によるものではなく兵器工廠での機械加工によって生み出されたのがこの九五式軍刀だと彼は言っていた。



(私達が使用しているサーベルとは斬り方に対する姿勢が違うといえ、この頑丈さと斬れ味は特筆に値するわ)



 基本的に日本で作られた刃物はこの世界で一般的に使用されている刃物とは違って『押して切る』のではなく『引いて切る』ものらしい。なので、『叩き斬る』といったような使い方では直ぐに刀身の刃が駄目になるので注意が必要だと孝司は口を酸っぱくして言っていた。


 最初はその意味がわからずにどういうことなのかと疑問に思っていたが、成る程、実際に対人戦でこの軍刀を使用してみて彼の言っていたことが今はっきりと分かったのだ。



(これは凄い剣を彼からいただいたことになるわね)



 実際に刃を引いて斬るということを意識して斬った場合と、今までのサーベルと同じ要領で斬った場合とでは斬れ味は段違いであった。鋭過ぎると言っても過言ではない程の軍刀の斬れ味は普通に斬ってもかなりの威力を発揮したが、敢えて意識して引いて斬った場合、例えようのないヌルリとした滑るような斬れ味の感触に思わず驚いて声を上げそうになっている自分がいることに気がつく。


 この軍刀はサーベルと違って片手ではなく両手で構えて斬る剣なので初めて軍刀を孝司から手渡されたときにはその取り扱いの違いに少々戸惑ったが、慣れてくるとこの剣が自分にとってかなり扱い易い武器であることが判った。


 孝司がギルドへ講習に行っている間の時間を利用して宿の部屋で彼から渡された『剣道』や『居合い』と呼ばれる剣術の教範と大日本帝国陸軍の剣術教範を参考に自分なりの戦い方を模索していたが、こうして実際の対人戦を通してみるとまだまだ軍刀を使った戦いに改善の余地があるということが分かる。



「さてと、軍刀の斬れ味に関してはまた後で孝司に聞くとして、先にこっちの対処を優先させなければ…………ねぇっ!!」


「がっ!?」



 こちらの死角から突如として射られた矢を避けることなく左手で受け止めて掴み、腕を鞭のようにしならせてそのまま矢を元来た方向へと投げ返す。こちらに向かって飛んで来たときよりも遥かに早い速度で矢が飛翔して行った方向から短い悲鳴が聞こえてきたと思うと、直後にが地面に崩れ落ちる音が耳に入る。



「なるほどね。 ようやく本隊のご登場……と言ったところかしら?」



 進路上の通路の左右にある扉が開いて中から屈強な獣人の男達が数十人ほど出てくる。そして全員がそれぞれの手に剣や斧、銃や弩弓といった武器を構えていた。






 ◆






「よお」


「こんにちは」



 最後に部屋から出てきた男の獣人――――黒熊族のベングリオンがアゼレアに対してぶっきらぼうな挨拶をしてきたのに合わせて彼女も同じように挨拶で返す。



「お前か? うちのガルフ達を殺ったって言う女魔族ってのは?」


「ガルフ?  一体誰のことかしら?」


「お前が地下特区の入り口で殺した獣人達のことだよ」


「ああ、彼らのことね」


「よくもうちの手下達を殺してくれたよな。

 とっとと逃げとけば良いものを、のこのことこんな所まで来てよぉ。

 お前、自分がこれからどうなるか分かってるのか?」


「さあ? どうなるというのかしら?」



 ベングリオンの問い掛けに対してアゼレアはあっけらかんとした態度で答えるが、その態度が癪に触ったのか彼は顳顬に青筋を浮き上がらせて鋭い牙を剥き出しにし、そこら辺のチンピラであれば裸足で逃げ出しそうな恐ろしい表情でアゼレアを睨み付ける。



「てめえをここにいる野朗共全員で輪姦まわした後で喰ってやるよ」


「あらそうなの? でも、ごめんなさいね。

 さっきまた追加であなたの部下を三人殺してしまったから、全員ではなくなってしまったわよ?」



 アゼレアはベングリオン達に対して自分の背後に倒れている獣人達の死体が良く見えるように左に避ける。すると彼らの目に入ったのは首が切断された仲間の無惨な姿であった。



「……前言撤回だ。 

 オレ達が一発毎にてめえの骨を一本ずつ折っていって、その後でゆっくりと喰ってやろうじゃねぇか」


「是非、頑張ってちょうだい。 ところであなたは元軍人なのでしょう?」


「…………いきなり藪から棒に何でえ?」



 ベングリオンはアゼレアに対して先程宣言したことを撤回して更に恐ろしい内容を彼女に伝える。それに対して物怖じした様子が全く無いアゼレアは試しにと彼へひとつの質問をぶつけるが、女魔族の質問を怪訝に思ったベングリオンは神妙な表情で逆に問い掛けを行い、女魔族は彼の疑問に対して丁寧に答える。



「フフフッ。 話し方をわざと乱暴な口調にしても駄目よ。

 あなたが持つ雰囲気や均整の取れた体格、武器の構え方……どれをとっても軍人のソレと一緒だもの。

 喧嘩を繰り返して我流で戦い方を覚えていったようなゴロツキ達が、そんな隙が無くて微動だにしないしっかりとした構えなんてできないわ。

 その構えは専門の訓練……それも均一化された戦闘訓練を受けた者にしかできない」


「へっ! だったら何だって言うんだ?」


「あなたとは一対一で殺り合いたいの。

 だから先ずは……邪魔者であるあなたの部下達から排除していくことにするわ」



 そう言った直後にアゼレアの姿が残像か蜃気楼のようにブレたかと思うと、いきなりベングリオン達の目の前に彼女の姿が出現する。彼等達との距離が約十五メートルほど離れていたにもかかわらず、アゼレアは一瞬でベングリオン達との間合いを詰めて手近なところにいる獣人を手にかけた。



「え!? ギャ……!」


「て、て……めぇ!?」



 最前列でそれぞれ銃と弩級を構えていた二人の獣人が一瞬のうちに殺されてしまう。膝撃ちの姿勢で銃を構えていた獣人はいきなり頭上から垂直に振り下ろされた軍刀の柄の兜金を頭頂部に叩き込まれて頭が潰れ、耳や鼻の穴から血が勢いよく噴出する。隣に控えていながらも、咄嗟に反応できたもうひとりの獣人は反撃しようとする前に己の頭をまるで林檎を持つように左手で鷲掴みにされたかと思ったら、直後に物凄い力でそのまま“グシャ!!”っと握り潰されてしまう。



「貴様ぁぁぁぁーーーーー!! うおっ!?」



 目の前で仲間を一瞬のうちに殺されたベングリオンは激昂して耳がつんざくほどの大声を張り上げる。が、直後に自分に向かって蹴り飛ばされた手下を避けることもできずに咄嗟に受け止めるも、威力を相殺できずに抱えたままの格好で通路の奥へと吹っ飛ばされて行った。



「うあ……な、に?」



 通路の奥に立ちはだかる壁へ背中を強かに打ち付けたベングリオンは激突時の衝撃で肺から強制的に酸素を押し出されて頭がクラクラする中、気力だけでなんとか立ち上がることに成功するが、自分の視界に入ってきたのは思わず目を背けたくなるような惨状だった。


 通路の壁に頭を押し付けられてそのままの勢いで頭部を押し潰されて死んでいる者、女魔族の体当たりを真正面から受けて全ての肋骨と背骨が粉砕されて上半身がぺしゃんこに潰されている者、剣による斬撃で首を刎ね飛ばされてしまった者、胸に腕を突き込まれて心臓を貫かれ、大穴が空いて死んでもなお止め処なく血が流れ続いている者などなど……


 大凡、反撃と言える行動を取る間も無く一撃で、しかも治癒魔法による回復が絶対に不可能な状態で殺されている死体ばかりだった。ふと思って視線を下に向けると、足元には自分と一緒に吹っ飛ばされた手下が物言わぬ状態で通路の床に倒れており、隊の前列で矢を射るために膝撃ちの状態で弩弓を構えていた彼は女魔族の蹴りを下腹部へまともに食らって吹き飛ばされているのが一目で分かった。


 吐血している彼の口からは舌がダラリと垂れ下がり、上半身と下半身は腰の位置で生き物としては有り得ない方向へとそれぞれ折れ曲がった結果、千切れかけた腹部からは腸がはみ出ていて大量の出血が確認できる。彼の目は突然受けた攻撃に対して驚きのままカッと見開かれたままだったが、その目が再び輝きを取り戻すことはなかった。

 


(オレとコイツが吹っ飛ばされている僅かな時間のうちに全員を殺ったというのか!?)



 ベングリオンは己の見ているものが信じられなかった。自分以外は魔法を全く使えないとはいえ、人間種よりも遥かに強靭で頑丈な肉体と優れた身体能力を持つ屈強な獣人達が、それもてんでバラバラの種族で構成された戦闘能力だけで言えばシグマ大帝国軍の兵士を上回る能力を持つ獣人達数十人がたった一人の女魔族によって皆殺しにされたのだ。


 しかも銃器や魔導弾などによる攻撃ではなく、至近距離での肉弾戦による鏖殺という事実にベングリオンは言い様のない恐怖に駆られる。そしてこれだけの人数を相手にしたというのに、当の女魔族は傷ひとつ受けていない上に息切れどころか汗さえもかいていないのだ。



(コイツは間違っても下級魔族なんかじゃない。

 さりとて中級魔族なんかでもないぞ……!)



 リグレシア皇国軍との戦いで中級魔族達の強さは嫌というほど目にしてきた。自分自身も皇国軍の大隊指揮官である中級魔族と対峙したことがあるのだが、あのとき必死で戦った敵軍の中級魔族が可愛く見えるほど目の前の女魔族は常軌を逸した強さを持っている。



(まさか変異種の魔族? いやそれでもあの動きの速さは説明がつかん……!!)



 中・下級魔族の中には時折『変異種』と呼ばれる魔族が同じ階位の同族に混じっていることがある。変異種は同じ階位にある魔族よりも魔力や身体能力が遥かに高く、上級魔族に匹敵するほどの力を持っており、往々にしてそういう変異種達は数代前の先祖に上級魔族の血がいくらか入っているのだという。


 だがそれでもあの動きの速さは異常だ。十五メートルも離れた場所から瞬きする間もなく、いきなり目の前に現れた上に鷲掴みにした獣人の頭――――人間種よりも遥かに頑丈な筈の頭蓋を片手で握り潰すなど変異種の魔族でも限度を超えている。



(オレの魔力感知の首飾りが反応しなかったということは、少なくとも魔法の類は一切使っていない筈だ)



 幻覚魔法や精神系魔法、精霊魔法などを使用して敵の五感を欺いての奇襲は一般的な戦い方だ。ベングリオン自身も自分より強い相手と戦うときはよく使う手法でもあるのでそこに異論を挟むつもりは毛頭ないが、あの女魔族は魔法を一切使用せずに自分の身体能力だけで奇襲を成功させた。



(まさか、上級魔族……)



 自分が至った考えの結果にベングリオンは思わずゴクリと唾を飲む。もしあの女魔族の階位が上級魔族であった場合、こちらの勝てる可能性は万に一つもないだろう。いくらこちらが実戦経験が豊富で魔法が使える元魔導下士官の獣人といえど、上級魔族に対抗できる術は全く無い。



「てめえ、ただの魔族兵じゃねえな?

 制帽に付いてる帽章を見る限り魔王領の軍人ってのは分かるが、その軍服に付いてる勲章の数や略綬の多さといい……一体何者なんだ?」

 


 

 ベングリオンは最初から気になっていた疑問を女魔族にぶつける。このバレット大陸に限らず、各国の軍隊における階級章や勲章に略綬といった各種徽章の類は様式や基準が国ごとによって異なるため、自分が所属している軍組織と他国の軍組織が必ずしも同じ基準で軍服に徽章を取り付けているとは限らない。


 女魔族が被っている制帽の帽章を見て彼女が魔王領国防軍の所属であるというのは一目で分かったが、果たしてどの部隊に所属していて階級は何なのかが分からなかった。見た目からして少佐か大尉辺りかとは思うが、それにしてもあの強さは異常だ。


 そのためベングリオンは目の前にいる女魔族の所属部隊や階級が気になって女魔族に質問をぶつけてみる。間違ってもあの女魔族が下級魔族の兵士ではないのは確実だろう。もしそうだった場合、自分はリグレシア皇国軍の中級魔族と戦ったときに戦死している。



「他人に素性を聞くのなら、まずは自分から答えるべきではなくて?

 それとも犯罪者というのは皆自分の素性を答えられないのかしら?」


「けっ! 何とも食えねえ女だ。

 オレはベングリオン。

 元ザハル諸部族同盟軍・南方方面軍管区・第二師団第五歩兵連隊・第一〇三捜索中隊で先任下士官として魔導曹長を務めてた。

 今はこの『牙の鉄槌』で副長をやってる」


「魔導曹長ということは実質的には准尉だったということね?」


「てめえのほうも名乗れよ。 あんだけいた手下達を一瞬で皆殺しにしたんだ。

 ただの魔族兵じゃねえんだろう?」


「私の名前はアゼレア・フォン・クローチェ。

 魔王領国防省保安本部・スプリングフィールド出張所所長の席をいただいていたわ。

 軍における階級は魔導少将よ」


「は?」



 女魔族の所属と階級を聞いたベングリオンはポカンとした表情で少々間抜けな声を出す。自分の耳に入ってきた内容がよく理解できないのか女魔族に対して怪訝な視線を向けていたが、何を思ったのか突然怒りだした。



「ふ、ふざけんなぁー!!

 ホラを吹くならな! もう少しまともなホラを考えやがれってんだ!!」


「嘘ではないわよ? ほら、これが私の身分証よ」


「な……何だとぉ!?」



 女魔族が己の軍服の胸ポケットから手帳のようなものを取り出し、律儀に手帳の中身をベングリオンに見えるようにして広げる。それは女魔族の言う通りの身分証であり、そこには彼女の名前や種族と魔族階位、所属組織の名称や階級が記載されていたが、それだけではなく魔法的な仕掛けが作動して身分証に埋め込まれていた小さな魔法石が光り輝いて人形と同じくらいの大きさを持つ女魔族の全身像、そして魔王領国防省と国防軍の紋章が空間に投影される。



「な、何で魔王領の高位上級魔族がこんな所にいるんだ……?」



 ベングリオンは思わず自分の思考の中に湧いた疑問を素直に口に出す。

 身分証の内容は恐るべきものだった。目の前の女魔族は本人の言う通り、魔王領国防省保安本部に所属する魔導少将であり、尚且つ戦略級・戦術級攻撃魔法の使用者であることや吸血族大公家の生まれであることなどが記載されており、ご丁寧にも魔王領国防省発行を示す紋章が透かしで印字されている。


 そんな身分がしっかりしている上級魔族――――しかも大公の娘ということは公爵級以上の階位を持つバケモノがなぜ魔王領から遠く離れたシグマ大帝国の帝都にいるのかが全く分からず、ベングリオンは内心混乱していた。



(クソッ!!

 上級魔族はよっぽどのことがない限り、魔王領から出てこないのがこれまでの常識じゃなかったのか!?)



 ザハルの元軍人としてリグレシア皇国軍と戦うことになったとき、ベングリオンは魔族のことについていくつか学んだことがある。その中で知ったのは上級魔族はその大半が魔王領に集中していることと、上級魔族は外交官や大使、総督などの任に就いているごく一部の者を除いて殆どが魔王領から出てこないことや戦略級・戦術級攻撃魔法を使える上級魔族は国家の許可がない限り、国外への渡航はできないことなどだ。



(魔導少将ということは……実質的な階級は中将と同義ということか)



 上級魔族は長耳族と同じく長寿命とはいえ、人間種で言えば二十代前半に相当する外観を持つ女が魔王軍の中将など何の冗談だろうか?



(まさか祖国の元味方だった魔王軍の将官と戦うことになるとはな……)



 ザハル諸部族同盟軍がリグレシア皇国軍との戦闘に突入したとき、そしてそれよりも前のルガー王国軍とリグレシア皇国軍との戦争が始まった時から魔王領はルガー王国軍を含めて彼の軍を支援していたザハル諸部族同盟やミネベア共和国にも借款や武器供与、軍事顧問を送り込んで軍の強化を手助けしてリグレシア皇国軍と戦えるようにと極秘に支援してくれていた。それが……



(今はこうして正面から睨み合うことになるとはな……)



 「皮肉なものだ」とベングリオンは内心苦笑する。

 目の前にいるのは上級魔族でもただの上級魔族ではない。

 魔王直下の大公家を生家に持つ高位上級魔族の魔導少将というとんでもない怪物なのだ。



(生き残れる確率はゼロ

 だが、アゼル中尉達のためにもここで相手の力を少しでも削いでおく必要があるな)



 脳裏に浮かぶ元上官である頭目のアゼルや手下達のことを思いながら怪物と対峙するベングリオンは覚悟を決め、左腰に佩でいる剣の柄に手を掛けて勢いよく抜剣する。鞘から姿を現したのは銀色に輝くのではなく、光を反射しない黒一色の刀身を持つ一振りの剣だった。



「黒色の刀身に魔導回路? ……成る程、それは『魔剣』なのね」


「ほお?

 この真っ黒の剣を一目見て魔剣と判断するとは、さすが上級魔族だな」



 剣としては異様な雰囲気を醸し出している刀身から立ち上る微かな魔力を感じ取ったアゼレアは一目でソレが『魔剣』であると判断した。一見すると光の反射防止を目的とした夜間戦闘や潜入破壊工作用の特殊な剣を思わせるが、刀身から僅かに立ち昇る魔力と刻まれた魔導回路を誤魔化すことはできない。





 『魔剣』――――正式名称は『魔法剣』または『魔導剣』と呼ばれる魔導武器の一種だ。





 大抵の場合、『魔剣』と略されて呼ばれることが多いこの手の剣は内蔵されている術式を現出させるための魔導回路の紋様が刀身に彫り込まれている。現出する術式は刻まれている魔導回路によって千差万別であり、全ての魔剣が刀剣職人と魔法使いによる手作りであるため、同じ魔剣、同じ属性の魔法術式であっても微妙に異なる術式が現出する場合が多い。


 そして魔剣を含む各種魔法兵器や魔導武器には、既存の製品に魔導回路を刻み込んだもの以外に製造段階から特別な素材や希少金属等を用いた特殊な武器が存在する。鉄以外に銅や銀、金などの希少金属から龍の鱗や甲虫の外殻を粉末状にして鉄に混ぜて製鉄した金属などである。



(いくら上級魔族とはいえ、対魔族用に作られたこの剣であれば多少の傷を負わせることができる筈だ……)



 遥か昔、まだ人間を含む他種族と魔族が大陸各地で争っていた時代に作られた対魔族兵器のひとつである『黒炎剣』。数百年前に作られたものであるにもかかわらず、今尚朽ちることなくピカピカに輝くこの剣は対魔族兵器ということもあり、現代の魔族にも十分通用する威力を持っている。



「上級魔族とはいえ、女にコイツを使うのは気が引けるが……悪く思わねぇでくれよなっ!!」



 ベングリオンが抜剣した黒炎剣に魔力を流し込みながら大上段の構えでアゼレアに向かって斬撃を放つ。すると空を切る音と共に剣の刀身に彫り込まれた魔導回路の紋様が輝いたかと思った次の瞬間、切っ尖から剣の銘にもなっている黒い炎が出現して意思を持っているかの如くアゼレアへと襲い掛かる。



(コイツの黒い炎を喰らって無事でいた魔族は今のところいねぇ!!

 上級魔族を仕留めれるとは思わねぇが、少なくとも何かしらの傷を負わせられるはずだ……!)



 黒い炎がアゼレアに到達し、炎は蛇のように彼女の体に纏わり付いて全身を焼き尽くさんと激しく燃え盛る。



「どうだ!!」



 この黒い炎は不思議なことにすぐ近くにいるベングリオンには熱さは伝わらない。それどころか炎に包まれているアゼレアの周囲にある廊下の床や壁、天井などに一切炎が燃え移っていないのが分かる。この黒炎剣の炎は魔力を伴った特殊なもので、対象のみを骨まで焼き尽くす能力を持つのだ。

 だが…………



(な、なに……?)



 黒い炎が次第に小さくなって消えていくと、炎に包まれていた女魔族ことアゼレアは何事もなかったようにそこに立っていた。



「なるほどね。 かつて、人間種達が私達魔族と戦うために開発した対魔族用魔導兵器があると所長から聞いていたけれど……まさかこんな所でそんな骨董品の剣と出会うとは思わなかったわ」


「ば、馬鹿な!? あの炎に包まれていたのに全くの無傷だと?」


「それはそうでしょう。 あんなこけ脅し程度の炎では火傷もしないわよ?」


「こけ脅し……だと?」



 ベングリオン自身、あの程度の攻撃で女魔族が死ぬとは思っていなかった。だが、何かしらの手傷くらいは負わせられると思っていたのに、相手は無傷どころか軍服が焦げた様子さえもないのだ。



「クソ! バケモノがぁ!!」



 ベングリオンは手にしていた黒炎剣でアゼレアへと斬り掛かる。普通の人間であれば、身体能力に優れた獣人……それも元軍人だったベングリオンの斬撃は避けることも叶わなかっただろう。

 だが、彼が斬り掛かった相手は普通ではなかった。



「遅いわ」


「…………え? ぐふぇ!?」



 一言、女魔族が呟いて直後に彼女の姿が自分のすぐ目の前……正確には自分の体に密着するような形で女魔族が被っている制帽の天辺が己の視界に映っていた。そして、身体の中心部にチクリとした痛みを感じた直後に自分の口から吐いた息と共に意図せずに何かが吐き出される。


 突然のことに驚いて視線を下へ向けると、女魔族の持っていた剣が自分の胸の中心部に近い場所を貫いていた。ベングリオンに寄り掛かかるような姿勢のまま右手で剣の柄を持ち、左手の掌で兜金を押し込むようにして突き刺された剣は鍔が彼の胸に触れそうになるくらいまで突き込まれおり、一目で自分が死に至る傷を負ったことが認識させる。



(くそ。 手傷を負わせるどころか、こっちが致命傷を負うことになるとはな……)



 心臓に近い箇所を剣で貫かれて大量の血が滴っているのが、己の肌の表面を液体が流れる独特の感触で知覚する。大量の出血で身体全体に悪寒が走っているのに、刺された所は異様に熱い。そして出血による影響か意識が朧気になり始めた。



「おじちゃん、なにしているの?」


「……え?」



 ぼんやりとした意識の中、突如耳に入ってきた幼い声に覚醒するベングリオン。彼は別の意味で全身の血の気が引く感覚に捉われながら、必死の力を込めて声が聞こえて来た方向へと首を巡らす。



「おじちゃん、なんでいっぱいちがでてるの?」


「な、何でこんなところに……」



 ベングリオンの視線の先、そこにいたのは少女だった……いや、舌ったらずの口調をから見れば、幼女と言っても良いだろう。クリクリした愛くるしい目に兎族特有の白くて長い耳が幼女の可愛さに華を添えている。


 幼女は『牙の鉄槌』にいる構成員とその妻との間に生まれた子供であり、殺伐とした組織の中でも数少ない良心でありベングリオン達の心の安寧を保っていた存在だった。頭目のアゼルを含め、構成員の男達は父親と共になにかと世話を焼いて気にかけている。が、それだけにベングリオンはよりにもよって何故この場にいるのかが分からずにいた。



「ん?」


(まずい! 気付かれた!!)



 女魔族が声に反応してベングリオンの肩越しに彼の背後を見る。そして幼女を視界に捉えた直後に無表情のままの女魔族からほんの僅かに殺気が膨れ上がったことを感じ取ったベングリオンは、死に行く己の体を叱咤して残された力を使って女魔族に抱きつき、渾身の力を込めてそのまま締め上げた。



「うおおぉぉーーーーっ!! こいつは本物の上級魔族だぁーーーー!!

 逃げろぉーー! 早く遠くに逃げるんだぁぁーーーー!!」



 ベングリオンはありったけの力を込めて兎族の幼女に対して逃げるようにと叫ぶ。ともすれば殺気さえも篭っていそうな大きな声は幼女に本能的な危険を感じさせるのに充分な迫力を伴っていた。



「う、うん!」


(早く奥まで逃げてくれぇ!! そして皆と一緒に逃げるんだ!!)



 ベングリオンの叫びに反応して幼女は踵を返して元来た道を辿って走って行く。大人の獣人と違ってその走り方は心許ないものだったが、それでも必死に走って逃げているの姿を自分の肩越しに見たベングリオンはどこか満足感を感じていた。



「逃がさないわよ」


「うっ!?」



 自分の耳にゾッとするような殺気が籠もった声が聞こえてきたベングリオンは反射的にアゼレアに対する締め付けを緩めてしまう。

 そして……



「ぎいィィヤぁぁーーーー!!!!」



 ベングリオンの上半身に激痛が走り、彼の口からものすごい絶叫が迸る。

 激痛で血走った目で見ると、自分の両脇に女魔族の両腕が深く突き込まれているのがはっきりと見えた。



(ぐあぁぁーーーーっ!! 痛ぇ…………!)



 突き込まれている女魔族の両腕の肘からは血が滴って床に小さな血溜まりの池を作っていた。もはや誰が見ても明らかな致死量の出血によってベングリオンは生まれて初めて感じる異次元の激痛の最中、再び意識が段々と薄れていくのを出血性ショックによるぼんやりとした思考の元に知覚する。



「ア、アゼル中尉…………ッ! 母ちゃ……ん………………」



 薄れていく意識の中、己の視界にぼんやりと映るかつての上官と今は亡き母親の面影を捉えて名前を口にしていたベングリオンの体は突然糸が切れた操り人形のように力が抜け、アゼレアに重くのし掛かる。



「…………………………」



 無言のままベングリオンの両脇に刺し込んでいた両腕をゆっくりと引き抜くアゼレア。ダラリと両腕が垂れ下がり、彼女に寄り掛かかる姿勢のまま死んでいる獣人の死体を廊下に放り出すように突き放すアゼレアはベングリオンに抱きつかれて締め付けられた拍子に自ら手放して床に落とした軍刀を血で汚れたままの手で拾いあげ、そのまま投擲の姿勢のまま鞭のようにしならせた右腕で軍刀を己の前方へ向けて投擲した。



「フンッ!」


「あっ!」



 裂帛の声の直後に聞こえてきた小さな声、それから直ぐに床に倒れ伏す音が廊下に響く。



「ふう……」



 一息ついて廊下を進み始めるアゼレアはジッとある一点を見つめたまま歩いて行く。獣人の血がベッタリと付着して汚れていた両腕は一歩一歩進む毎に洗い流されるように消えてゆき、目的の場所まで辿り着いたときには両手に嵌めていた手袋はおろか、制服に染み込んでいた血液さえもその痕跡を伺い知ることはできなくなっていた。



「まったく!

 こんなにも小さな子供をここに置いておくなんて、何を考えているのかしら?」



 アゼレアの目に映るのは軍刀によって文字通り串刺しにされてこと切れている獣人の幼女だった。背後から投擲された軍刀が背骨と心臓を貫き、鍔が背中に接触することで完全な貫通はしていないものの、後ろから見たら背中に軍刀の柄が生えているようにも見える。


 

「ふう。 さてと……」



 一呼吸置いてから軍刀の柄を握って一気に刀身を背中から引き抜く。大人と違って小柄なため軍刀は容易に引き抜くことができた。幼女の傷口からはこの小さな体の中のどこに入っていたのかと思うくらいの血が流れ出て廊下の床を赤く染める。


 幼女の死体を無表情のまま一瞥したアゼレアは廊下を歩き始めるかと思ったが、何かに気付いたのかすぐに踵を返してベングリオンの死体が倒れている場所の近くまで戻って来て途中にあった扉の前に立つ。そのままドアノブを握って扉を開けようとするが、鍵が掛かっているのか扉は開く気配を見せない。



「ハァ……」



 小さくため息をついた後、右足少し上げ扉へ向けて軽く蹴りを入れる。すると破砕音と共に掛かっていた鍵が破壊されて強制的に扉が開く。



「こんにちは」



 知り合いに会ったときのような軽い感じで挨拶をしながら「誰も通さない」とばかりに部屋の出入り口に立つアゼレア。口調こそ軽いが、彼女から放たれる殺気は並みの魔族兵士であれば裸足で逃げ出すほどの迫力を伴っていた。


 そんなアゼレアの目に写っていたのはそれぞれの手に短剣を持ってこちらに切っ尖を向けて構えている二人の獣人女性だ。二人ともアゼレアに対して敵意を隠そうともせずに睨みつけていたが、どちらの目にも絶望と怯えが見え隠れしていた。


 アゼレアはゆっくりと二人の顔を見る。それぞれ猫耳と兎耳を持つ獣人女性であったが、そのうち兎耳の獣人女性は先程殺した幼女とどことなく雰囲気が似ている気がした。



「なるほど。 貴女、あの子の肉親なのね?」



 白い兎耳の獣人女性の顔を見て納得した表情を見せるアゼレアに対して更に敵意を増幅させる二人の獣人女性。それを見たアゼレアは右手に持つ軍刀を強く握り締めて部屋の中へと入って行く。



「ごめんなさいね」



 一言謝ってから更に部屋の奥へと踏み込んで行くアゼレア。

 直後に部屋の中からドタバタと、短い悲鳴や断末魔が聞こえてきたが、その騒ぎを止める者は誰もいなかった。

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