第16話 予兆(1)

 バレット大陸での長距離移動には転移魔法を除けば主に鉄道が用いられている。ごく一部の列強国で最近発明されて実用化され始めた自動車はまだ纏まった数が普及しておらず、発展途上国を除いて殆どの国々では鉄道網がある程度整備されており、人間だけではなく大量の物資が鉄道によって目的地へと送り届けられるようになった。


 山間部や渓谷が多い国では狭軌鉄道が用いられ、それ以外の平地が多くて国土が広い国々では線路の軌間が標準軌と広軌のどちらかの鉄道が用いられており、普通列車や貨物列車以外にも広い寝台を備えた長距離旅客列車が作られて快適な列車の旅を乗客に提供している。


 しかしながら全ての面で列車での旅が便利になったとは必ずしも言えない。国家安全保障上の観点から、敵軍が線路を利用して戦闘部隊を送り込んで来ることを警戒して隣国同士での鉄道路線の共有化や線路の接続は殆ど行われていない場合が多く、仮に同じ規格の線路を使っていたとしても国境を越える際には列車を降りて駅と駅の間にある国境の入国審査場において入国の手続きを終えてから国境を越えて隣国の駅で列車に乗り換えるという手間が必要であった。


 また鉄道会社が民営化されて久しい日本とは違い、全ての国において鉄道会社は国営であり、列車を操縦する機関士から車掌や駅員、掃除係に至るまで鉄道運行に関わる全ての者が公務員で構成されているのが特徴だ。そのため、半民半官の組織としての側面が強いギルドとは違って利用客に対する鉄道会社の社員達の態度は十人十色であった。



「メンデル行き、メンデル行き……ああ、こちらですね。

 三月二十二日の十三時発のメンデル行き旅客列車『リンドブルム四号』ならば、まだ席に余裕があります」



 俺が今立っているのはシグマ大帝国帝都ベルサの中央鉄道駅の中にある乗車券購入受付窓口の前である。ギルドで冒険者資格を取得してようやくアゼレアと魔王領の大使館があるシグマ大帝国の第2都市メンデルに行く要件が整ったので、今日はメンデルへ向かう列車の切符を購入するために駅を訪れていた。


 その駅の乗車券購入受付窓口の席で駅員が時刻表の紙を一枚一枚捲って該当する列車の発車時刻を見つけて俺に空席状況を案内する。発車日時には問題無いので駅員に案内された日時の列車に決めて切符を購入する手続きをお願いする。



「ではその切符を2名分お願いします」


「はいはい。 乗車人数は二名ですね。

 客室の等級はどれにしますか?」



 日本の鉄道会社が運行する列車に乗り慣れている日本人にとって客室の等級とは聞き慣れない言葉だ。だが新幹線や特急列車でいうところのグリーン車や指定席のように価格によって座る席の質が違うと言えば分かりやすいだろう。


 因みに駅員が俺に見せてくれた案内表には一等客室は乗車席とは別に用意された寝台付きの個室型客室で、二等客室はそのまま横になって寝れる横長の乗車席兼用の椅子が用意された客室、三等客室は乗車席のみの客室と書いてあったので、迷わず一等客室を希望する。


「えっとぉ……一等客室はまだ空いてますか?」


「ええ、今現在の空席状況では余裕があるようですね」


(ほっ。 良かった。

 もし一等客室が空いていなかったら、別の日に発車する列車にしないといけないから運が良かったなぁ)


「では一等客室を2名分買います」


「はい、一等客室で二名っと。 それでは身分証を拝見します」


「はい。 どうぞ」


「はいはい……お? お客さん外国から来た人なんですね?

 それでは旅券証も一緒に拝見するんで出してください」



 どうやらここでも外国人は身分証以外に旅券証を提示しないといけないらしく、ギルドから貰ったばかりの冒険者身分証と異世界の神様が作った旅券証の両方を駅員に渡す。



「はい」


「どれどれ? えーとぉ……ああ、問題無いですね。

 では乗車券と一等客室利用券の二枚で金貨二枚、メンデルまでの燃料加算料金でとして銀貨五枚をいただきます」


「えっと、金貨2枚と銀貨が1、2、3……はい。

 金貨2枚と銀貨5枚です」


「確かに金貨二枚と銀貨五枚ですね。

 ではこちらがメンデル行きになる旅客列車の乗車券と一等客室利用券になります。

 発車時刻は三月二十二日の十三時丁度です。

 この二つの券がないと列車には乗車できませんので、絶対に失くさないでください。

 あと列車には発車時刻の十分前には乗車しておいてくださいね」



 そう言って駅員がこちらに見せたのは現代の日本ではほぼ見掛けることがなくなった『硬券』と呼ばれる厚紙で作られた乗車券……切符であった。駅員はそのまま席を立ち上がって窓口の後ろにある机まで行くと、机の上に置いてあった機械のようなものを操作して硬券を差し込んでそのまま横にスライドさせる。



(ほう? あれはダッチングマシン……なのか?)



「はい。 こちらに乗車日と時間が印字されてますので、改札口と車掌にはこの印字が打刻されている面を見せてください。

 あと水に濡れるとインキの顔料が滲んだり落ちたりして読めなくなることがあるので、濡らさないように注意してください」


「わかりました」



 駅員から切符を受け取った俺はそのまま窓口を出て駅を後にした。






 ◇






「やっぱりアレはダッチングマシンだったんだな……」



 駅のロビーを歩きながら、先程切符を買ったときに見た小型の機械を思い出す。『ダッチングマシン』とは日本語で『日付印字器』とも呼ばれている道具で動作に電力を必要としない最近の日本の駅では殆ど目にする機会がなくなった鉄道施設用の機械である。



「しかも購入した切符が『硬券』とはね……あのダッチングマシンや切符に機関車といい、往年の鉄道オタクが見たら狂喜乱舞する状況なんだろうな?」



 駅のロビーから改札口越しに見えるのは黒いボディを持つ鋼鉄の車体……いわゆる蒸気機関車が複数両見えていた。端頭式ホームには入線して来てこちらに顔を向けた状態で停車している蒸気機関車がズラリと並ぶ姿は現代の日本では最早絶対に見られない光景だ。



(うーむ、NHKで深夜に放送されていた『昭和のSL』という番組を思い出すなあ……)



 あの番組の映像は大半が白黒モノクロだったが、目の前の光景はまごうことなき裸眼でのフルカラー、しかも音と匂い付きの特別映像である。蒸気が吹き出す音やグリースの持つ独特の匂いが五感を刺激する。


 4つのホームをスッポリと覆うドーム状の高さのある大きな屋根の下に並ぶのは様々なデザインの機関車達。戦後の高度成長期に日本の線路を走っていた機関車そっくりの車輌もあれば、いかにも欧米的な……それこそ喋る機関車そっくりのデザインを持つ車輌もあって見ていて飽きない。


 駅舎も重厚かつレトロな雰囲気を持つデザインで、どことなく日本の門司港駅を思い出させる。ひっきりなしにホームとロビーを行き交う人々で溢れ、里帰りなのか見慣れた人間に混じってケモミミや尻尾を生やした獣人や羽や角を持つ亜人種の集団も少数ながら目にすることができ、非常に興味深い。





『十時発メオプタ行き普通列車は遅延の為、一時間遅れで運行します。

 十時発メオプタ行き普通列車は遅延の為、一時間遅れで運行します』


『十四時発フォレスト行き特急列車は列車未着の為、十五時以降に発車予定です!

 繰り返してお知らせします。

 十四時発フォレスト行き特急列車は列車未着の為、十五時以降に発車予定です!』





「うーむ、やはり日本と違って時間ピッタリに列車が運行されているわけじゃないかぁ……」



 地球であっても日本以外の諸外国では遅延が当たり前なのだから、連絡手段や制御技術が未熟な異世界では言わずもがな列車の運行状況はそれに輪を掛けて悪いようで駅のロビーで駅舎や機関車を眺めている間にも列車の運行遅延を報せる構内放送を既に7回も耳にしている。


 しかしながら、列車の到着や発車を待っている人々は慌てたりガッカリして憤慨する者はほぼ皆無で、逆に時間通りに運行しているという放送があったときは拍手すら湧き起こる始末である。これだけ見ても列車の運行遅延が日常茶飯事と化しているのかが分かるというものだ。


 

「ふうむ……今の時間でこれだけ遅延しているとなると、メンデルに着くにはどれだけの時間が掛かるんだろう?」



 地球と違って全ての鉄道路線を効率的に管理する技術が脆弱なこの世界の鉄道であれば、帝都から約750キロメートルも離れているメンデル到着まで数日……いや、下手したら一週間以上の時間が掛かるかもしれない。



「むうぅ……どうやって列車の中で時間を潰そうか?

 やっぱり、ひたすら寝るしかないかなあ……」



 俺はそれで構わないが、問題はアゼレアである。

 今は宿暮らしだから良いものの、長距離列車での移動だと女性にとって辛い状況に陥ったりしないだろうか?



「まあ……軍人さんだし、以前は野戦将校として戦場に立っていたってアゼレアが自分で言っていたから大丈夫かな?」



 少なくとも戦場よりかは格段に良い環境であるのは確かなので、彼女に我慢してもらうしかないだろうという思いのもと俺はアゼレアの待つ宿へと戻ることにしたのだった。






 ◆






――――シグマ大帝国 帝都ベルサ 官庁街 内務省 警保軍本部庁舎 




 

 内務省警保軍のとある部屋の中において“あるモノ”を前にして二人の男が立ち話をしていた。窓の類が一切存在しない室内であるにもかかわらず、室内の温度と湿度は金属で構成された兵器や武器に対して最適になるように保たれており、不快な感じは一切しない。


 だが不快な感じがしない一方で非常に緊張感が漂う空間でもあった。

 専用の架台に立て掛けられた剣や槍に警棒や警杖、刺又や盾などといった近接用の武器や逮捕用具などの他に鎖で銃架に繋がれた小銃や散弾銃、木製の棚に整然と並べられている拳銃などなど……内務省警保軍本部庁舎内に存在する兵器保管庫内には様々な武器が立ち並び、一種独特な雰囲気を醸し出している。


 そんな中、ひと際異様な緊張感を生み出しているモノが並ぶ一角で警保軍の独立上級正保安官であるルーク・ガーランドはこの保管庫の責任者であり、警保軍本部庁舎内全ての武器の整備を一手に引き受けている男と話し込んでいるところであった。


 

「まあ腐っても『軍』という名称が付くだけのことはあるな警保軍うちは。

 もちゃんと常備してあるんだからよ」


「とはいえ警保局に改編された場合、これらは全て帝国軍か別の軍組織を持つ省庁に移管させることになりますから、使うのなら今の内しかありませんよ?」


「まあ近い内に使うことになるだろうさ。

 何たって相手は見たこともない未知の銃を使う奴だからなぁ。

 しかも既に憲兵を一人殺ってるときている。

 そんな奴相手に使われるとなれば、コイツも本望だろうさ。

 あとは帝国軍なり情報省軍なりで余生を過ごせばいいんじゃねえのか?」


「ですが大丈夫なのでしょうか? を市街地で使っても?

 はあくまで反乱や暴動、大規模な騒乱などの鎮圧を想定して用意されていたもので、個人を相手に使用することは考えられていませんが?」


「構わねえよ。

 相手は銃だけじゃなく投擲魔導弾を所持している可能性もあるんだ。

 火力で圧倒しないでどうするよ?」



 兵器保管庫責任者である男の疑問に対してルークは獰猛な笑みを浮かべながら答える。並みの犯罪者であれば竦み上がるほどの怖い顔を見ても責任者の男は涼しい表情を浮かべていた。


 この業界ではこの手の怖い顔を持つ輩など掃いて捨てるほどいるので、最早慣れっこであった。唯一の救いは彼らが真面目な公僕であるということだろう。彼らは犯罪を人一倍憎むが故に多少やり方が強引であっても常に職務熱心で勇敢で無鉄砲なところがあるが、そんな強引さが大帝国の治安を護る一助となっているのもまた事実である。



「しかし、幾ら何でもを市街地で運用するというのは些か……」


「課長にはごり押しして許可は取ってある。

 お前さんのやることはコイツを整備してちゃんと使えるようにしておくことだ」


「はあ、了解しました。

 用意する魔導弾の弾種は暴徒鎮圧用の砲弾で間違いないですか?」


「ああ、間違いない。 それともう一つ、暴徒鎮圧用とは別に殺傷用の貫徹魔導弾も用意しておいてくれ」


「は? 命令書にはそのようなこ内容は記載されておりませんが?」


「いいから、ついでだよ。 つ・い・で!

 課長には俺から言っておくから、な!?」


「はあ……了解しました」


「じゃあ、頼んだぞ。

 あと例の新型小銃とラッパ喇叭銃の手配もよろしくな」


「喇叭銃? ああ、今は散弾を撃ち出す銃は喇叭銃や鳥撃ち銃などとは呼ばずに『散弾銃』と言われていて全く別物の銃ですよ」


「じゃあその散弾銃と新型の小銃を人数分用意してくれ。

 あとで正式な命令書を事務官に持って来させるから」


「はっ! 了解しました! 上級正保安官殿!」



 こちらに満足気に頷き、背を向けて軽い足取りで保管庫を出て行くルークを見送った男は先程まで話の話題になっていたに正面から向き合う。



「はあ。

 しかし、本気でコイツを帝都の市街地で使うつもりなのかねえ……」



 銃架に立て掛けられ、光を反射して妖しく黒光りする銃とは違って目の前のは濃い灰色の塗装を施されていたが、それでも異様な雰囲気を隠すのには役立っていない。それどころか重量感溢れる外観が見る者を威圧する始末であった。


 普段は埃が積もらないように覆いをかけられているソレは保管庫の室内を明るく照らす魔道具の光の下で目の前にいる男が行うであろう行為を今か今かと待ち続けている。これから自分が整備することによってコレは万全の状態になり、数日後には帝都でその猛威を振るうかもしれない。


 男はそう考えると果たして自分がこれから行う行為が正しいのかと自問する一方、帝都の街中でコイツが火を吹く姿を想像してワクワクする自分がいるのも感じていた。



「まあ、こうやって指示書が来ているんだから、俺が拒否できる訳ないわなあ……」



 先程まで一緒に言葉を交わしていた上級正保安官殿お得意の独断専行という訳ではなく、正式な指示が上から出ているのなら是非もない。そう思い彼は手袋を嵌めて作業に取り掛かる。



「『六〇式ロクマルしき可搬かはん百五十ミリ魔導砲』か……コイツを人に向けて撃ったら、バラバラになっちまうぞ?」



 警保軍兵器保管庫内において男の発した言葉を聞いた者は誰一人としていなかった。






 ◇






 泊まっている宿に到着してアゼレアのいる部屋に行くと、一階の食堂から届けられたであろう食事を摂っている彼女の姿が目に入る。



「ただいま」


「あら? お帰りなさい。 先に昼食いただいているわよ」


「ああ、もうそんな時間だったんだ? ……っと、これ。 

 メンデル行きの切符、買ってきたよ」



 腕時計を確認すると時刻は午後0時09分を指していた。

 下の食堂で食事をするとアゼレアの容姿的にまず間違いなく注目の的になってしまうため、彼女の食事はこの部屋で食べることを余儀なくされている。そのため、この宿の女将さんやその娘がこうして食事を持って来てくれているのだ。



「ありがとう。 これでメンデルの大使館に行くことができるわ。

 孝司には感謝してもしきれないわね……」



 先程、駅の窓口で購入してきた切符を見せると、途端に食事を中断してこちらに深々と頭を下げて感謝するアゼレアに俺は少し戸惑う。



「いや、別にそんな畏ることないんだけれど?」


「お礼は何を用意すれば良いのかしら?

 やはり、いっそのこと私の貞操を貴方に捧げたほうがいい?」


「いやいや、そう言って俺のことを見るアゼレアの目が超怖いんだけれど!

 つーか、それってどさくさに紛れて俺の血を吸う気マンマンだよね!?」



 突然彼女の口から出た『貞操』という言葉に俺は狼狽と同時に恐怖する。普通なら、自分の肉体をお礼に差し出すという内容を口にする方が羞恥に震えるものだ。が、逆にその言葉を聞いたこちら側が慌てるというのも変なのだが、一番おかしいのは口に出して話しているアゼレアの目が完全に獲物を前にした捕食者のソレだったことだ。



「あら、人聞きが悪い。

 どさくさに紛れて吸うわけないわ。

 ちゃんと貴方に許可を得てから吸うわよ?」


「何かさ、この前俺の血を吸って羞恥心でのたうち回ってのに、いつの間にか性格が変わってない!?

 アゼレアってそんなノリの性格だったっけ?」



 この前までのアゼレアであれば羞恥で顔を赤くしてプルプルと震えていたはずなのに、今目の前にいる彼女はそんな態度など何処吹く風とでも言うように涼しい顔をして話していた。



「失礼ね。 私だって軍人の前に『アゼレア・フォン・クローチェ』という一人の個人なのよ?

 ならばもっと砕けた態度を取っても良いじゃない」


「ええー?

 俺、アゼレアってもっと真面目な性格だと思っていたんだけれど?」


「ええ、いつだって私は真面目よ。

 真面目だからこそ、私の胃袋を掴んだ貴方に本当の私を見て欲しいと思ったからこうして普段他人の前では見せない態度を取っているんじゃないの」



 胃袋とは一体どういうことなのだろうかという疑問が湧き起こるが、彼女に料理を振る舞った経験が無い俺には該当する項目は一つだけである。



「真面目な顔して胃袋掴んだって言ってるけど、それって俺の血がアゼレアの嗜好に合ったってことだよね!?

 別に俺のことが好きって訳じゃないんでしょ?」


「ん? 私、孝司のことは異性として好感を持っているわよ」


「……………えぇ?」



 突然、真顔で言われた内容に対して自分の脳が思考を放棄してフリーズする。



「今、嘘だと思ったでしょう?

 でもこれは嘘偽りない本当のことなのよ?

 もし嘘だと思うのなら、今ここで首を掻っ切っても良いわ」



 そう言いつつ、机の直ぐ傍に立て掛けられた95式陸軍軍刀を手にとって鞘を抜いて刃を己の首筋に当てるアゼレアを見て俺は驚きつつも、突拍子もなく行われた物騒な行為に驚いた俺は慌てて彼女を止める



「うえぇぇ!? ちょ、ちょっと待った! 信じる!!

 信じるから、刀を収めて!!」


「ふふっ……冗談よ」


「いや、心臓に悪いからそういう冗談はやめて……」



 笑みを浮かべるアゼレアに対してこちらは吹き出た冷や汗をハンカチで拭いつつ、乱れた呼吸を整えて落ち着きを取り戻すために深呼吸をする。



「ごめんなさい。 でもね、貴方に魅かれているのは本当よ。

 この気持ちは何なのかしらね?

 貴方と一緒に居ることができて私は今とても幸せなの」

 

「……俺みたいな男、自分で言うのも情け無いけど本当に何にも無いよ?

 別に顔がイイわけでも身体を鍛えているわけでもないし……」


「確かにそうね。 顔や体格だけで言えば、貴方は凡人だわ」



 自分自身で言っておきながら、それを肯定されつつ事実を突き付けられると心がキュッと締め付けられて堪えるものがあるが、こちらの気持ちを他所にアゼレアは真顔のまま言葉を続ける。



「でもね? 貴方と一緒に居ると、心が落ち着くの。

 貴方の前でなら軍人や大公家という身分を纏う必要がない。

 一人の女として接することができてとても心が安らぐのよ。

 何なのかしらこの感じは?

 貴方という存在がとても掛け替えのない存在に思えてくるの。

 そうね、ほんの一瞬だけ体験できた春の心地よい陽だまりのような……とでも言えば良いのかしら?」


「は、はあ…………?」


「命を助けてもらったからじゃないわ。

 ここ一カ月もの間、貴方と一緒に過ごしたことで貴方が普段何気なく私に対して行っていた言動や心遣いは本当にありがたいものだった。

 他人の領域に土足で踏み込んで来ない気遣いに、イーシア様が仰られていたような魔導少将や大公家の娘という身分を目当てにしていない気持ちは私にとって掛け替えのないものよ」



 正直言って肉親以外で、しかも異性から掛け替えのない存在と言われたことがないためどう返答してよいか分からないが、アゼレアは俺のことを本気で好いていてくれていることは本当のようだ。



「う、うーん……あのさ、アゼレア?」


「何かしら?」


「俺、ちょっとビックリしちゃってね。

 こう……女性に面と向かってというか、真面目な話として俺のことを好きとか掛け替えのない存在とか言われたことがなくてさ?

 う、嬉しいんだよ!

 嬉しいんだけど、何かその……むず痒くて」


「孝司は女性に好きって言われたことないのかしら?」


「子供の頃、一緒に遊んでいた女の子から言われたことしかないね」



 もう25年以上も昔の小学生低学年のときに言われた以来、常にこちらが異性に好きと告白して付き合ったことしかないために女性のほうから好きと言われてもどんな態度で接すればよいのか正直言って分からない。素直に喜べばよいのか、「何か裏があるのでは?」と疑うべきなのだろうか……


 しかも地球に居たら絶対に目にすることが出来ない絶世の美女から告白されているのだ。ここ最近一緒にいるおかげで見慣れてきたとはいえ、これは男にとって一大事である。


 それに相手はただの美女ではない。

 魔族で軍の高官というスペックだけ見ても普通の人間を軽くぶち抜いて凌駕している存在だ。異世界に来るときに女性と付き合うということを期待していなかったと言えば嘘になるが、まさかこんなことになるとは誰が想像し得よう?



「そう……ということは孝司のほうから女性に告白していたのかしら?」


「まあね……」


「因みに孝司は性の営みは経験済みなの?」


「えッ!? い、いや……う、うん。 ま、まあね。

 前にいた世界で、だけれどね」


「そう……なのね」


「ひっ!?

 ま、まあそういった話はまた今度でいいじゃない!

 さあて……俺も夕飯を食べようっと!!」



 惚れた腫れたの話から突然真顔で性体験の質問をされてしどろもどろになるこちらの態度を見ていたアゼレアが次第に恐ろしく獰猛な笑みを浮かべる様子を見て、空恐ろしくなった俺は場の空気を誤魔化すべく、そそくさと部屋を出た。



(な、何かアゼレアの目が肉食獣のソレのようで怖い……)



 部屋を出る際に背中に突き刺さるような視線を感じたのは気のせいではなかったと思う。額に吹き出た汗を拭いつつ、俺は階下の食堂へと向かって行った。






 ◆






――――シグマ大帝国 ハーベスター村付近





 所変わってここはシグマ大帝国の帝都ベルサより北西へ約五十キロメートルほど離れた場所にその村はある。人口約五百人ほどの『ハーベスター村』は帝都から比較的近いとあって街灯や鉄道が整備されて『村落』いうよりは『街』としての体裁が整った場所である。


 この村の主産業は林業だ。

 冬の暖房用として最近人気が急上昇している魔道具よりも以前から長年使用されてきた薪に適した木を択伐することで過度に木の伐採を防ぎ、環境への負荷を最小限に抑えており、計画的に苗木を植栽することでこの村は林業による恩恵を得てきた歴史がある。


 その村から北に約二キロの場所に伐採を行っている森林地帯がある。本当は伐採を行いやすくするために村を森林の傍に作った方が効率が良いのだが、時折他所の森や山からやって来た魔物や魔獣が出没することもあるため、魔物など村に害をもたらす存在の被発見率を上げて迎撃出来る場所を確保するためにわざと拓けた場所を村と伐採場の間に設けていた。


 森林と村の治安維持は帝都から派遣されてきた治安警察軍の部隊が交代で行っており、駐屯する部隊のお陰で伐採場が雪に閉ざされて択伐が出来ない状況でも村の経済はそれなりに回っている。


 魔物や魔獣が村の中に侵入されても大丈夫なように頑丈な石造りの建物で構成され、重い丸太や木材を輸送しやすいように街路は分厚い石畳で作られて荷馬車の車輪が沈んで立ち往生するのを防ぐなど、所々に効率を重視した質実剛健な面を持つ村だ。


 この村に至る街道では一台の荷馬車が村を目指して北上していた。

 白い幌が展張された荷台には縄で縛って纏めてられた藁の束が幾つも積まれており、御者台には一組の男女が座っている。


 しかし、それは奇妙な組み合わせだった。

 三十代半ばと思しき男の方は短く刈り込んだ茶色い髪を動物の毛皮で作った帽子で覆い、上半身は同じく厚手の防寒用外套を纏って下は厚目の綿で織られたズボンと革製のブーツを履いていて、如何にもこの地方の農家の格好を表している。


 そしてもう片方の女性は男よりも随分と年下の……おそらく十代後半くらいだろうか?頭に被っている広いつばブリムを持つ灰色のつば広帽子ピクチャーハットからは流れ出ている背中まで届く綺麗な銀髪が風に揺れており、厚い雲で太陽の光が遮られているにも関わらずまるで光を受けた銀糸の如く光沢を放つのが印象的だった。


 肩幅が広く全体的にガッチリとした体格の男とは対照的に狭くなだらかな角度を形成する肩、思いっきり抱きしめたらへし折れてしまいそうな少女特有の細い腰に街道周囲に積もる雪に引けを取らないくらいに白い肌、絹で織られた手袋は見るからに小さく、包まれている手指は確実に嫋やかであると想像できる。


 その雰囲気は何処かの貴族か、はたまた名のある資産家や企業家の娘と彼女に付き従う下男のようで、パッと見は何処からどう見ても平和な光景そのものであったが、そんな彼女らが乗る荷馬車の先にとあるモノが待ち受けていた。



「はーい。 ここで停車して下さい」



 紺色の制服に防刃を目的とした金属製の板金鎧の胸当てに頭部を防護する金属兜に肘当てと脛当ての防具類……この村に駐屯する治安警察軍の若い兵士だ。ご丁寧に腰にはサーベル、手には小銃を持っていた。



「失礼。 お二人の身分証を拝見」



 馬車が停止すると同時に、小銃ではなく拳銃を腰の右側に装備した先程の若い兵士と同様の格好をした年嵩の兵士が近付いて身分証の提示を求める。若い兵士は彼の部下なのか、年嵩の兵士の後ろに一定の距離を保って立っていた。



「あら、何かあったんですの? 警察軍のおじさま」



 身分証の提示に対して少女が疑問の声を上げる。

 鈴のようなとはよく言ったもので、透き通るような上品な声に年嵩の男は少女を怖がらせないように笑顔を意識しつつ御者台に座っている男女を瞬時に走査していく。



「ああ、驚かしてすまないね。 この時期になると人がいなくなった伐採場周辺においての密猟を目的として村を目指す不届き者が多くてね?

 こうして村を出入りする馬車を一台一台調べているんだよ」



 そう言って兵士は周囲をグルリと見渡すような仕草をする。

 兵士に釣られるように辺りを見ると、少し離れた場所には軍馬から下馬して待機している騎兵が三騎、こちらをジッと見つめており、よく見ると騎兵以外にも進行方向側の街道右脇に土嚢が積み上げられた塹壕があり、そこには歩兵が四人ほど待機しているのも確認出来た。



「そうなんですの? 寒い中、お仕事ご苦労様ですわ。

 どうぞ、これわたくしと彼の身分証です」



 周囲をそれとなく確認していた少女は和かに自分と馬車を操る男の身分証を兵士に渡す。



「はい。 どうも」



 そう言って受け取った身分証の内容を確認していた兵士はあることに気付いて少女の顔をジッと凝視した。銀髪に碧眼、白い肌というこれ以上ないというほどに完璧な美少女然とした彼女に違和感を覚えたのだ。


 隣の男が春になっても寒さを感じるこの地方特有の気候に合わせた厚手の防寒着とは逆に、少女の服装は厚手の外套を羽織っているとはいえ、よく見るとドレス姿である。地球で言うゴシックロリータ調に相当するデザインのドレスは灰色を基調としたものだが、少なくともこの寒さの中で着るものとは思えない。



「…………はい。 どうもご協力ありがとう」


「いいえ、とんでもありませんわ」


「ところで聞きたいのだが、冬の間、伐採場が封鎖されているこの村ハーベストに何か用かね?

 何やら藁を積んでおるようだが?」


「はい。 ちょっとこの村に置いてあるモノをお借りしたくてやって来ましたの」


「ほう。 そうなのかね?」


「ええ。 そうなのですわ!」



 場の空気が一瞬にして変わったことを年嵩の治安警察軍兵士はこれまで積み上げてきた経験で知覚する。己の後ろにいる若い兵士は経験の差なのか、それに全く気付いていなかった。



「それにしてもよくよく見ると疑問に思うことがあるのだが?

 何故藁を運ぶのに幌を装備した荷馬車が必要なのかね?

 もうすぐ三月になるとはいえ、季節こそ冬だが、雪はこの辺りではもう降らんよ?」



 もちろん雨もほぼ降らないことはこの地方に住む者は周知の事実だ。

 それなのに幌を展張していることに年嵩の兵士は疑問を持ざるを得なかった。まるで荷台にが載っているのを隠すかのような幌の存在に……



「いやあ、参ったなあ……もう勘付いたわ。 このオッサン」



 少女の声色がそれまでの年相応の……如何にもな少女然とした甘ったれた声から、彼女の外観からは似付かわしくない大人の女性の声に様変わりする。その瞬間、感じていた異変を確信した年嵩の兵士が一歩下がり警笛を口にしようとしたその時……!



「んぶっ……!?」



 少女の右手が兵士の目の前で一閃した瞬間、彼の喉が斬り裂かれ血が吹き出して兵士の喉元を胸を赤く染め上げ、そのまま返す刀で腕を乗馬鞭のようにしならせながら握っていた刃渡り十センチほどの小刀を勢いよく投げつける。



「あがっ!?」


「出せ!!」



 投げた小刀が若い兵士の首に命中するのを確認せずに馬車を発車させる指示を出す。少女の指示に応えるように同時に鞭を打つ音と共に二頭の曳き馬が嘶いて荷馬車が急発進する。



「止まれぇーー!!」



 同僚が倒れたことと、馬車が急発進したことで異常事態を察知した歩兵が塹壕から飛び出して馬車の行く手を塞ごうとする。



「少佐殿!?」


「構わん! 速度を上げろっ! そのまま進めぇー!!」



 立ちはだかる歩兵四人が片膝をついて手にしていた小銃の射撃体勢に入るのが御者台からはよく見えた。男は少女に判断を仰ぐが『少佐』と呼ばれた少女はそのまま馬車を進める指示を出す。



「撃ち方用ぉー意!!」



 馬車が減速どころか、逆に速度を上げる様子を見て四人の兵士達は小銃に紙製薬莢を用いた弾丸を装填するとたちまちのうちに射撃態勢が完了する。あとは合図さえ出せば四丁の小銃は火を噴くことだろう。



「撃……っ!?」



 「撃てぇ!!」という合図を出そうとしたそのとき、馬車に乗る少女の手元が光った瞬間、隣にいた同僚兵士がもんどり打って地面に倒れた。驚いて倒れた同僚を見ると、彼は首筋から大量の血を流して声にならない悲鳴を上げて血が流れ出る首を押さえながら地面の上を苦しそうに転がり回る。


 再び正面を向くと御者台に座っている少女の手元が先程と同じように数回光ると、無傷だった残る二人の同僚兵士も血を流しながら地面へと倒れてしまう。



「クソ! 拳銃だと!?」



 少女の右手に握られていたのは彼女によって喉を斬り裂かれた兵士の持つ拳銃だった。いつの間に奪ったのか、あの一瞬のうちに少女は拳銃を奪取していたらしい。兵士が射撃をする為に静止していたとはいえ、地球のパーカッション式リボルバーに相当する回転式弾倉拳銃を振動の激しい馬車の御者台から一発も外すことなく人間に当てる技術は咄嗟にできるものではない。



「う……っ!」



 治安警察軍兵士としてある程度の経験がある彼はあの少女が只者でないことを悟る。自分はこの場で果てることになるだろうと予感めいたものを感じたが、それでも彼は最後の足掻きとして小銃を構え直した。


 馬車と彼我の距離はどんどん短くなるということは、小銃の命中精度が上がるということだ。しかし、相手が持つ小銃より銃身が短い拳銃の命中精度も上がるという事実が兵士に異常な緊張感をもたらす。



(この一発を外せば俺は死ぬ……!)



 少女の隣にに座る男は馬車の操縦に集中しているためか。こちらに武器を向ける素振りはない。ならばこそ兵士は少女の胸に銃の照準を合わせて引き金を引いた。



「がっ!? がああぁぁーーーー!!!!」



 銃声が鳴り響き、自分が撃った銃の弾が発射されたと思った直後に己の左肩に今まで経験したことがない衝撃が走り、後ろへ勢いよく突き倒されるかのように地面に背中を強かに打ち付ける。次の瞬間には自分が銃を撃ったのではなく、撃つ前に自分の肩が撃ち抜かれたのだと気付いて泣き叫びたい気持ちに襲われた。



「轢き殺せ!!」


「はっ!」



 が、兵士は撃ち抜かれた左肩付近を自由に動く右手で圧迫して必要以上に血が出ないようにしつつ、地面の上を文字通り転がって塹壕に中へと逃げ込む。街道上に倒れ臥す彼を踏み潰さんとする少女の指示によって荷馬車が速度を保ったまま兵士の元へと迫って来ていたからだ。



「ひっ!?」



 奇跡的に重傷で済んだ兵士が左肩が燃えるような激痛に我慢して這々の体で塹壕に逃げ込むと、荷馬車は微妙に進路を変えてそのまま通り抜ける。倒れている兵士達の死体を踏み潰してしまうことを嫌ったのだろう。金属鎧や兜を馬の蹄や馬車の車輪で踏んだ場合、最悪横転する可能性もあるので馬車を操る者としては当然の判断だ。


 そしてこの判断が結果的に塹壕に逃げ込んだ兵士の命を救う。

 馬車が死体を踏まないように進路を変えたため、拳銃の狙いを定めていた少女の腕に車輪から伝わる振動によって不意に照準が外れて弾は塹壕に退避する兵士の手前の地面に当たる。その後も一発、二発と次弾を発射するが塹壕に逃げ込んだ兵士に当たる筈もなく、弾丸は積み上げられた土嚢の布袋に穴を開けただけであった。



「…………行ったのか?」



 恐る恐る塹壕から顔を出すと少女達が乗った荷馬車はもの凄い速度で通り過ぎて行き、それを追うために待機していた騎兵三騎が彼がいる塹壕の脇を走り抜けて行く。



「大丈夫か!?」


「俺は大丈夫だ! それよりもあの馬車を!!」


「ああ、分かってる。 野郎、捕まえてブッ殺してやる!!」



 仲間を殺されたことで鬼の形相になって騎馬を操って馬車を追いかけて行く騎兵達。彼らはあの少女達を確実に捕まえることだろう。荷台に沢山の藁を積んで重量を増した荷馬車など、騎兵にとっては豚と同じくらい遅い相手だ。特に幌を展張している荷馬車など、風の抵抗が負担となって思うように速度は出ない。



「あの餓鬼、捕まえたら両手両足を圧し折って魔物の餌にしてやるからな!」



 同僚が殺されたことと自分が撃たれたことで興奮し、怪我をしているにも拘らず治安警察軍の兵士としてとして普段なら有り得ない罵詈雑言を吐き、余裕さえ漂わせていた彼は次の瞬間顔を真っ青にしていた。馬車を追跡していた三騎の騎兵が騎馬ごと血煙を上げて地面に倒れる瞬間を目撃したからだ。






 ◆






「糞っ! あのオヤジ、中々勘が鋭いこと!」



 先程までの上品な言葉遣いは何処に行ってしまったのか、少女はその性別にそぐわない荒々しい言葉で話していた。



「やはり少佐殿が着ているその服装が不味かったのではないですか?

 外套を羽織っているとはいえ、この寒空の下での礼服ドレスの着用は不自然かと」



 正面を向いたまま馬車を操ることに集中していた男は少女の悪態に冷静に答えるが、その言葉の端々には抗議する姿勢が含まれていた。



「これは普段着であり、私の外観に一番合っている服装なんだ。

 貴官は私が軍服を着用している姿を想像出来るのか?」


「…………すいません。 想像してみましたが、凄く不自然です」


「そうであろう。 ならばこそ、この服が一番良い選択なのだよ」



 「それならば礼服ではなく、普通の町娘の格好でも良いのではないですか?」という言葉を男は辛うじて飲み込む。今言ったら、御者台から叩き落とされてしまうという予感があったからである。そしてこの上官は絶対にやるだろうという確信があった。



(これほどお綺麗な姿をされているのに何と勿体無い……)



 銀髪碧眼に白い肌、髪や肌はよく手入れがされていてくすみ一つもなく、華奢とも言えるその肢体も含めてその外観は正に上流階級出身の婦女子のそれ。手袋に包まれた細い指は本を捲り、楽器を弾いていてもおかしくはないのに今持っているのは先程の兵士から奪取した無骨な拳銃という、その姿から見たら矛盾も良いくらいのおかしさだった。



「うーむ、着いて来るな……」


「はい。 まあ、あれだけの騒ぎを起こしたのですから当然かと。

 ですが、このままだと追い付かれます……」



 御者台から身を乗り出して後方を見ると騎兵が三騎、この馬車を追って迫って来ていた。曳き馬二頭立ての荷馬車と騎馬では速度が違い過ぎるために騎兵は彼我との距離をみるみる縮めて来ており、このままでは並走されるどころか回り込まれて引き馬を害されて強制的に停車させられることだろう。


 先程自分が首を掻っ切った兵隊から奪った拳銃の弾は全弾撃ち尽くしてしまい、今手元にあるのは短剣のみだ。本来であれば銃を含めたいくつかの武器を携帯しているのだが、ここに至るまでの道中で予想される検問や職務質問を警戒して必要最低限の武器しか持って来ていかった。


 結局、ここハーベスト村に来るまで一度の検問や職務質問を受けなかったのは僥倖だったが、こんなことならばきちんと武装しておけば良かったと少女は内心毒付いて恨み言を吐く。



「…………やむを得んな。 軍曹、発砲を許可する。 始末しろ!」



 少女が御者台から後ろの荷台に向けて大きな声で指示を出すと、荷馬車の荷台に載せられていた最後尾の藁の塊が崩れて道に落とされる。すると藁の塊が崩れたその奥――――左右を藁が積み上げられて壁のようになって周囲の目を遮るように囲まれている中心に何かが鎮座している姿が馬車を追う騎兵達の目に映る。



「銃身の回転速度を一定に保つことに留意しつつ射撃開始。

 装填不良を起こすなよ?」



 そう言って少女が指示を出した直後、大きな銃声が周囲に響き渡る。

 二つの車輪に載せられた大きな銃器の右側に突き出た取っ手ハンドルを回すと、六本の銃身が時計回りに回転して十二時の位置に銃身が来ると銃口から火が吹いて銃弾が発射される。


 少女から『軍曹』と呼ばれた男が彼女の指示に従いつつ、銃身の回転を一定に保つことで銃弾が止め処なく銃口から撃ち出される度に馬車を追っていた三騎の騎兵は騎馬ごと銃弾によってズタズタに引き裂かれて血飛沫が舞い散り、道の上に倒れ伏してその骸を晒す。


 馬も人も断末魔を上げる暇なく、ともすれば己の身になにが起きたのか知る由もなく被っていた兜ごと頭を撃ち抜かれて派手に脳漿を飛び散らせた彼らはあの世へと旅立って逝く。そんな凄惨な状況を御者台から身を乗り出して見ていた少女は満足気な表情でもって喜びの声を上げる。



「おおーっ!! やっぱり『六七式ロクナナしき回転多銃身斉射銃 二型』の性能は一型と比べて目を見張るものがあるな!」


「ですが、これでシグマ側の目が一気にこちらへ集中することになりますが、良かったのでしょうか?」


「なあに、この村に立て籠もる訳じゃない。

 我々の目的はあくまでの奪取だからな。

 それさえ終われば、こんな場所とはおさらばだ。

 それにこちらに目が向けば、別の場所で作戦を遂行している部下達の負担も軽くなることだろうさ」



 心配そうに語る御者の男の言葉に対して少女は勇気付けるかのように語り掛ける。その言葉に対して男は納得したかのように頷いて曳き馬の速度を上げさせた。



「よーし、そろそろ目的地だ。

 さっきの銃声と騒ぎで連中は警備を強化している筈だ。

 気を引き締め掛かるぞ!

 奪取に時間が掛かると、作戦自体がご破算となるからな?」



 遠くに見える目的地を視認した少女は獰猛な笑みを浮かべて後ろの荷台に聞こえるように声を出してに喝を入れる。



『はっ!! 少佐殿!! 大隊長殿!!』


「よろしい。

 それでは戦友諸君、今回は戦争ではなく強盗のお時間だ!

 状況開始! 大隊第一小隊前進!」



 頼り甲斐のある恐れるものを知らない男達のしっかりとした返事に対して『少佐』と呼ばれた少女はこれから起こる自分達が作り出す惨劇を思い浮かべて獰猛な笑みをさらに深くし、荷台から突き出された回転式弾倉拳銃の銃把を握り返した。

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