6 Worst Encounter(3)

 目を開けた時、真っ先に視界に入ったのは白い天井だった。横を見れば先程まで乗っていた車椅子と来客用の椅子が。そしてその椅子には、黒い軍服と黒い軍帽を身につけた金髪青眼の男性――クレアがうつらうつらしていた。


 ハッと我に返って起き上がろうとする。だが一人で起き上がることは出来なくて。仕方なしに目と首だけを動かして場所を確認する。どうやらここは、レガリアの医療区画にあるワイアットの個室病棟のようだ。


(今のは、夢? 夢にしてはやけにはっきりしてた。……いや、今のは夢じゃない。どこかは知らないけどあれは、間違いなく僕だった)


 悪夢から覚めたワイアットは、今見た夢を振り返る。着ていた服は汗で湿っていた。いつの間にか解かれた白髪は汗で顔に貼り付いている。心臓がドクンドクンと脈打つのを感じた。


 手足こそ動かせるようになったが力はまだ入らない。体力も落ちているため、すぐに身体が重くなる。やっと舌や口が上手く動いて長く話せるようになった所。そんな身ではあるが、夢を見て確かめずにはいられない。


 おもむろに、左手を口元まで動かした。深く考えるより先に、左の人差し指を口に咥える。人差し指を力いっぱい噛んでみた。歯の痕が残るように、深い傷になるように。そして人差し指を口から取り出す。


 左の人差し指は、綺麗に歯の形に穴が空いていた。皮膚に空いた穴から血が流れ出る。だがすぐさま人差し指に異変が起きる。


 見る見るうちに血が止まった。穴が塞がり始め、やがて最初から傷など無かったかのように綺麗に治ってしまった。それは、ワイアットの自己治癒力が異常であることを示す。


 聖戦士は筋肉と自己治癒力が強化されるよう改造されている。そう、シェリファが教えてくれていた。聖戦士は遺伝子を書き換えることで、エアと戦えるだけの筋力と自己治癒力を手に入れた存在だと。


(あれは、僕の、過去、なんだ。僕は……僕は……聖戦士、だったんだ。エアと戦う、聖戦士の一人、だったんだ)


 今ワイアットの眼前で起きた出来事は、夢が現実に起きたことであると知らしめるのに十分だった。それに、目覚めて一週間でリハビリ出来るまでに回復したという事実も、ワイアットの自己治癒力の異常さを訴えている。


 ワイアットが自分の自己治癒力の異常さを知ったと同時だった。ベッドの近くで睡魔と戦っていたクレアが目を覚ます。目覚めた彼は、ベッドの上で自分の指を見て顔を真っ青にしたワイアットに気付いた。


「ワイ――」

「ねぇ、クレア。クレアは僕のこと、知ってたんだよね? 僕の正体、知ってたんだよね?」


 ワイアットはベッドに横たわったまま顔だけをクレアの方に向ける。その顔に笑顔は無くて。怒りも哀しみも、喜怒哀楽全ての表情が消えた完全な無表情で。


「隠してたんだ、僕のこと。クレアの言ってた、隠したいことって、この事だったんだ」

「ワイアット?」

「僕は、聖戦士だったんだ。人造聖戦士、だったんだ。皆の代わりにエアと戦う、ただの道具だったんだ。エアと戦うための道具が、聖戦士だったんだ」


 ワイアットの変貌へんぼうぶりに驚いたクレアだが、その言葉で何が起きたかを察した。ワイアットは、思い出したのだ、記憶の一部を。クレアが隠したかった記憶を。


「忘れる? 隠し通す? 出来るわけ、ないよ。そんなこと、出来るわけないんだよ、クレア。だって僕は、戦う以外に生き方を知らないんだ」

「ワイアット……」

「知らないふりをするには、無くした記憶が多すぎたよ。それに、この世界には、エアがいるんだ。エアがいる以上、いつかは――いつかは、思い出すんだよ。クレアの言うように、忘れられたら、どんなに楽だろう。いっそ、何も思い出さなければよかったのに。一つ思い出したら……無くした記憶を全部、思い出したくなっちゃう」


 人は過去の経験から自我を形成する。過去の記憶の大半が曖昧となってしまったワイアットは言わば、自分という存在が不安定な状態。そんな彼が喪失感を埋めるために記憶を思い出そうとするのは当然のことと言えた。


 皮肉なことにワイアットが一番最初に思い出した記憶は、自分が「聖戦士」と呼ばれるものであるという記憶。自分は聖戦士としてエアと戦う存在だ。そう自覚した彼が記憶を思い出すために選ぶのは――。


「ねぇ、クレア。僕、聖戦士として、戦うよ。エアと戦う」


 クレアが最も避けたかった、死に最も近い選択肢。エアと戦うこと、である。





 クレアの中で一瞬、時が止まった。それほどまでにワイアットの選んだ答えは衝撃的なものだった。だがクレアは決める。聖戦士としての道を選んだワイアットに、ある一つの話をすることを。


「ワイアット、君に伝えなきゃいけないことがあるんだ。君が元々いた都市は『アトランティス』って言う。アトランティスは四年前に崩壊していて、今は瓦礫がれきしかない状態。これが大前提。ねぇ、ワイアット。ワイアットは自分がいつ、どうやってここに来たと思う?」

「わからない。でも、僕一人じゃ動けなかったと思う。僕は、気がついたらここにいたから。誰かが運んだ、とかかな?」

「……君は人造聖戦士と呼ばれる存在だ。人造聖戦士は、全部で十人いるんだ。そのうち五人は生死がわからない状態。残る四人は、君をこのレガリアに連れてきた人達。今はここで目的のためにここで働いてる」

「目的?」

「この都市の技術班が協力して、アトランティスへ向かう方法を模索する。医療班がワットの治療をする。その代わりに、聖戦士としてここで働いてくれることになった。技術班の探す資材や使えそうな素材を探したり。都市のためにエアを討伐してくれたり。アトランティスを調査出来る日までって条件で、色々動いてくれてるんだよ」


 ここまで一息に語るとクレアは大きく深呼吸をした。限られた時間で出来る限りの情報を伝えようとつい早口になってしまう。そんなクレアに、ワイアットは必死についてきてくれた。


「僕と同じ聖戦士が十人。五人は不明。四人は、ここにいる。アトランティスって都市を、調査するために。……ダメだ、少しも覚えてない」

「だろうね。四人はここに来てからの四年で、レガリアの中でも指折りの聖戦士になった。すぐには会えない、が現実だね。僕の方で調整はしてみるけど。大丈夫だよ。ゆっくり、思い出していこう。あまり良い記憶ではないから、ね。それに、まずはリハビリが先だ」


 ワイアットを気遣ってか、クレアの口調が優しくなる。だがその顔は苦いものを口に入れたかのように険しい。それはワイアットの今後を気遣ってのことだと、この時のワイアットはまだ気付かなかった。


「ねぇ、ワイアット。今なら二つの選択肢がある。よく聞いてほしい。引き返すなら今しかないから。……一つ目、聖戦士であることを隠して普通の人として暮らす。その代わり、アトランティスに戻ることも、アトランティスに関する話題をここにいる四人と話すことも禁じる。……二つ目、四人と同じように聖戦士としてここで働く。こっちだと禁止事項はない。でも、ワイアットが何に巻き込まれようと僕は責任を負わない。……今なら戻れる。辛いことを少しでも避けることも出来る。それでも、聖戦士として戦うことを選ぶかい?」


 クレアは濃い青い目でワイアットを見つめた。いつの間にか笑顔が消え、その三白眼がワイアットの赤い目をジッと睨みつける。


 ワイアットに与えられた選択肢は二つ。故郷を忘れて平穏に生きるか、エアと生死を賭けて戦うか。記憶を思い出したいなら、いつか故郷に戻りたいなら、聖戦士としてエアと戦え。そう告げられたも同然だ。


 ワイアットはクレアの顔を見上げる。ちょうど軍帽の影になって表情が見えない。だが、ワイアットを見下ろすクレアの眼差しは身体が凍るかと思うほど冷たくて。


 クレアの言いたいことは理解した。他人が遠ざけたいと思うほどの何かがあった。そしてそれは、ワイアットの見た悪夢より悲惨な内容なのだろう。


(どれだけ辛くても、苦しくても、それでも僕は……少しでも記憶に近付きたい。何が起きたのか、知りたい。そのためなら、僕は頑張れる)


 聖戦士として戦う以外に手段が思いつかない。ならば、聖戦士として戦うことで記憶に近付きたい。彼はそう願った。


 ワイアットの心は揺らぐ。警告の意味を知りながらも、興味と理性の狭間で揺れ動く。迷い戸惑うワイアットはやがて一つの決断を下した。


「それでも僕は、聖戦士として働くよ。アトランティスに行きたい。クレアの言う四人にも会いたい。だから、聖戦士として戦う」


 ワイアットの返事にクレアはあからさまに悲しそうな顔をした。だがそれをワイアットに悟られないよう、すぐに作り笑いを浮かべる。


「わかった。僕は支部長として、義父として、全力でサポートする。僕も、アトランティスで何が起きたのかを知りたいから」


 ありとあらゆる負の感情を押し殺すように発せられたその言葉。だがワイアットはその奥に隠されたクレアの本心には気付かない。気付かないが故に、子供のように無邪気に笑うのであった。

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