終章

 『霧』の捜査に区切りがつき、18部隊は本部があるシヴァール王国へ帰還する事になった。

 ニーナの血縁者であるハミルトンが『霧』のリーダーである事で18部隊はこれ以上捜査を担当出来なくなってしまったからだ。一端の落ち着きを見せたこのタイミングで第13部隊への引継ぎが行われた。

 引継ぎは部隊長であるヴァンフォートと副隊長であるアッシュが行い、夕方の部隊会議でその引継ぎが無事終わった事が伝えられた。

 その報告を聞く隊員は皆複雑な表情を浮かべている。

 誰もが途中で別部隊に引き継ぐ事を良く思っていないのだ。やはり自分が担当した案件は最後まで担当したいのだろう。

 その原因ともいえるニーナは顔を上げる事も出来ずにじっと机の上のメモ帳を見つめていた。

 自分があの時IPUを辞める決意をしていたら、こんな風に迷惑をかける事にはならなかっただろう。

「――気持ちはわからないでもないですが、ここまで追い詰められた事は皆さんの力あってこそです。我々が集めた情報をもとに必ず13部隊が『霧』を捕まえてくれるでしょう。それから『霧』のアジトで見つかった『鷹』の資料は16、17部隊が裏付け調査を行い、内容に間違いない事が確認されました。現在資料に書かれていたアジトを潰す作戦を実行中です。恐らく2週間もあればハミューズ内の全拠点を制圧できるでしょう」

 驚くべき事にあの拠点に残されていた『鷹』のファイルの中にはハミューズ内の拠点だけではなく、『鷹』に捕らえられた人達が何処へ売られていったのかという内容が書かれたものもあった。そしてその内容を読んだ18部隊に激震が走ったのは記憶に新しい。

『鷹』の売買先がハミューズの貴族、およびバルトの政府軍、王族、貴族であると書かれていたのだ。しかもしっかりと売買リストが添付されており、これも裏付けの結果ほぼ間違いないと報告があった。そしてやはりそこからの圧力でハミューズの警察や軍の一部が鷹から犯罪を見逃し、さらにその都度賄賂を受け取っていた事も判明している。

「……この事がハミューズ国民に伝わったら国内の混乱は必至でしょうね」

 誰もがバルト王国の二の舞になる事を懸念する中、そんな思いを代弁するかのようフィジーが口を開いた。その後をキースが引き継ぐ。

「バルトの政府軍や貴族、王族も関わっているんですよね?だったら混乱が世界的に広がる恐れもありますよ」

 それにアッシュが頷く。

「ハミューズは間違いなく現国王が失脚、一気に民主化が進む可能性がありますね。当然それに伴った混乱は起きるでしょうが、世界の注目が集まればそう簡単に民衆を制圧できないでしょう。混乱が起きても比較的短期間で治まる可能性は高いですね。バルトもこの事が公になれば解放軍を支援する動きが強まり、対して政府軍を支援する動きは弱るでしょう。当然その時にはハミューズは混乱の最中でバルトの政府軍に武器を流せないでしょうから、戦いにおいても一転して不利になるでしょう」

「……確かまだ『霧』から解放軍へ武器は流れているんですよね」

「はい。あの拠点は対した武器も押収できませんでしたし、ダミーだったようですね。相変わらず定期的に武器が流れ込んでいるようです」

 最後までやられましたねとアッシュが苦笑している。彼がこんな顔をするのは初めて見たような気がする。心底参っているような表情に、それほど『霧』は強敵だったのだと改めて思う。いや、正確にはそのトップが強敵だったのだ。

 IPUで将来を期待されたハミルトンとと孤児から貴族の養子となり名門大学を卒業し、美術商としても成功したやり手のシュナイザー。

 結局最初から最後まで彼らの手の中で踊らされていたような気がする。

 あれだけ捜査に苦戦していた『鷹』に関しても彼らの資料がなければ制圧にかなりの時間を要していただろう。

 IPUは二人に敗北したのだ。

 全員の思いが一致したかのように静寂が会議室を包み込む。

 その静寂を断ち切ったのはヴァンフォートだった。

「……多少乱暴ではあるが、これでバルトの内戦問題もようやくひとつ駒を進める事になる。時間はかかるだろうが戦いが終われば難民たちも自国へ帰れるだろう」

 難民たちが国へ帰る事が出来ればハミューズ内のスラムも縮小するはずだ。

 そうすれば今よりも少しはいい状態になるだろう。

 どちらにせよニーナは支援活動を継続するつもりだ。

「――しかしなんとも言い難いですね。この気持ちは」

 不意にアッシュがため息交じりに吐き出した。その目は窓の外の空に向けられている。

「中途半端な状態で投げ出す事もすっきりしませんし、この功績が『霧』のおかげだと思うと、ね」

「気が抜けているのは私も同じだ。だがここから始まる混乱にIPUが派遣されないとも限らない。前にも言ったが、待機の状態であろうと鍛錬を怠らず、常に戦闘態勢は整えておくように」

 前半はアッシュに向けて、後半は隊員に向けてヴァンフォートが告げた。

 全員で「はい」と声をそろえて返事を返す。

最後に「では各自捜査中にたまった書類の整理を今週中に終え、来週月曜日には提出するように」とヴァンフォートが爆弾を投下した事で張りつめ出していた部屋の空気が一気にだらけた。

自分の机に積みあがった書類はどのくらいあったか。

ふた山くらいあった気がする。

それを通常訓練をこなしながら片付けて来週月曜日までに提出するとなると1日どれくらいのペースで処理すればいいのか簡単に計算する。その結果『霧』の捜査中よりも休んでいる暇がない事がわかって思わず白目になった。

 そしてそれは他の隊員も同じだった。






 それから数か月後。

 世界情勢は一旦の落ち着きを見せていた。

 実質『鷹』は壊滅し、アッシュの読み通り『鷹』と関わっていたハミューズの王族や貴族、軍や警察に一斉にメスが入れられ、政治に関わる面々もほぼ総入れ替えとなった。それにより王族が国を治める体制は終わり、一気に民主化の流れが進んだ。それとほぼ同時期にバルト王国の内戦も解放軍の勝利で幕を閉じ、こちらもまた民主国家となった。これに伴いハミューズへ流れ込んでいた難民も国へ帰れることになり、ハミューズ国内の難民キャンプは閉鎖、スラムも縮小した。

 各地で多少の小競り合いはあるようだが、それはどこの国でも同じだろう。

 ニーナたちはあれ以来大きな任務を与えられることはなく、ある意味実践より辛い書類整理に追われる毎日を過ごしている。

 そんなある日、ニーナはひとり中庭でティーブレイクしていた。

 昨日それなりに処理をしたはずなのに気づけばまた同じだけ積みあがっている書類の山に心が折れたのだ。

 そこに同じようにお茶のボトルを抱えたキースが「よー」と片手を上げながらやってきて隣に腰をおろした。

「お疲れー。キースも休憩?」

「ああ、まあな」

 二人してため息を吐くと沈黙が落ちて、しばらくの間風が葉を揺らす音や鳥の鳴き声だけが空間を満たす。

 数か月前では考えられないほど穏やかな時間にどうもやる気がそがれてしまう。

「平和だねー」

「だなー」

 交わす言葉も少なくただベンチから澄み渡る空を眺めていると、不意にキースが「なあ」と少し硬い声で声をかけてきた。

「ん?なに?」

 隣を見るも、キースは正面を見たままこちらに視線を向けようとはしない。

 その横顔に緊張の色を見て、首を傾げる。

「いや……、ハミューズで俺お前に色々言ったと思うんだけど、結局お前俺の事どう思ってんの?」

「は!?」

 まったくもって予想していなかった言葉を投げかけられて軽いパニックに陥る。

 顔に熱が集まり出して急いで視界からキースを外した。

「なに突然……」

「お前な、俺なりに結構勇気出したんだぞ……。どう思われてるか気になるだろうが」

「だからって、なんで今なのよ。今まで何も言わなかったじゃない」

「お前がいつも通り過ぎて言えなかったんだよ。でもずっと気になってたんだ。そろそろ返事が欲しい」

「返事って、なんの」

「まさか本当にわかってないのか?」

 呆れたような声の後、大きなため息が隣から聞こえる。

 そのひとつひとつに心臓が大きく脈打って反応していた。

「ニーナ、俺はお前の事が――」

「わあああ!!待って!」

 空気に耐えきれずに思わず大声を上げて立ち上がる。

 13歳の頃からIPUに所属する為にすべてをささげてきたニーナはこういう事に慣れていないのだ。

「よしキース!今から体術で勝負よ!」

「はあ?なんでそうなるんだよ」

「ライラックのタイプは自分より強い人ですからね」

「うわ!!」

 二人が座っていたベンチの背後から気配もなく現れたアッシュに二人して飛び上がる。

 そんな二人を見てアッシュは楽しそうに笑っていた。

「いやー、面白い事になりそうな予感がしたのでつい後をつけてしまいましたが、素直じゃない子を相手にするのは大変ですねぇ」

 驚きで引いていた熱が一瞬で戻ってくる。

 ちらりと見たキースもほんのり顔が赤くなっていた。

「確か体術では負け続きだったと記憶していますが、勝算はあるんですか?俺なら5分もあれば組み伏せられますが、どうですライラック。ここは俺に乗り換えてみては?」

「は?」

「ちょ、アッシュ!?」

 一瞬思考が停止したが、「フフッ」と楽し気な声を上げているのを見るにからかわれているらしい。キースもそれがわかったのか、肩を落として脱力している。

「いやあ若いっていいですね」

「勘弁してくださいアッシュ……」

「お前たち何を堂々とサボっているんだ」

 救世主とも思える声に振り返れば、案の定庭の先の渡り廊下から怪訝そうな顔をしたヴァンフォートがこちらを見ていた。

 その手には大量のファイルが抱えられている。

「おやおや。どうやら時間切れですね。仕方ありません勝負はまた別の機会に。ちゃんと審判しますから、その時は呼んでくださいね」

 にこっと人当たりのいい笑顔を残してアッシュが足を止めてこちらを見ているヴァンフォートのもとへ歩いて行った。ふたりも複雑な表情を浮かべたまま慌ててその後を追う。

 廊下まで戻るとヴァンフォートが持っていたファイルの束をアッシュに手渡す。そして「お前たちそんなに暇ならこの書類を片付けてくれ。今日中にな」と言い残して執務室の方にさっさと歩いて行ってしまう。

「じゃあ仲良く三分割しましょう」

 はい、はい、とアッシュが二人に平等にファイルを配る。

 一番上に乗せられたファイルを少しだけ開いて中を確認して絶望した。

「なんでこれ暗号で書かれてるんですか!?」

 数字の羅列で組まれた暗号文書の解読はニーナが最も苦手とするものだった。

 これを3冊分と考えるととても今日中には無理だ。加えてまだ自信の机の上には山と積みあがった書類がある。訓練で抜けなければならない時間を考えるとさらに絶望感は募る。

「アッシュ1冊引き受けてください」

「嫌ですよ。連帯責任で頑張りましょう。それに1日中机にかじりついて書類処理が出来るってことは平和って事ですからね。良いことです」

「それを言われるとなんとも……」

「……がんばって終わらそうぜ」

「そうね」

そうは言いつつも肩を落としたままの二人。前を行くアッシュだけが楽しげな笑みを浮かべていた。

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IPU-国際治安維持部隊 柚木現寿 @A-yuzuki

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