08. ベアフレンズ

 没入感の強いより高度なVRほど、必要な機材も高額になる。

 異世界で狩りを楽しむモンスタークラン、城下街を作り他者と交流するキャッスルロード、動物に成り切ってコミュニティーを作るアニマヴィル、どれも人気ゲームであり、必要経費もべらぼうに高い。

 未成年者がゲームに多額の金を注ぎ込むことは、常に社会問題となっていた。


 殺人や性愛をテーマにしたVRは、かなり厳しく規制されるようになり、一時の野放図なゲームの有様は落ち着いて来ている。

 現在の主流は、異世界での生活を楽しむコミュニティー系だ。


 接続カプセルを家に用意できない者は、制限の多い簡易VRで楽しむしかないのだが、そういうプレーヤーのためにレンタルカプセルのサービスもある。

 涼也が入ったのは、そんなVR機器を一時提供する有名チェーン店の一つだった。


 仮装世界で披露宴を開いたと思しき一団が、ロビーで祝福の言葉を連呼する。

 彼はその脇をくぐり抜け、受け付けに三十分だけの短期レンタルを申し込んだ。

 身分証明無しでは短時間しか許されず、どうせ手持ちの現金も少ない。料金先払いで、彼の財布はほぼ空となる。

 案内された個室でカプセルに身を沈めた涼也は、早速、目の前に浮かんだ接続先リストから希望ゲームを選んだ。


「ベアフレンズ」


 パステルトーンのログイン画面に切り替わる。IDは既に登録済みである。


「リョウ33716」


 網膜スキャンで、本人と確認されると、数十秒の同期タイムが開始した。


 市販のゲームでは、例え副作用が無いサロリウムβであろうと、睡眠剤の類いは使用されない。脳波の同調には、本人の心構えも必要なため、中にはこの同期に数分を要する者もいた。

 涼也は慣れたもので、十秒もかからずメルヘンチックな世界へと潜って行く。


 彼には似合わないヌイグルミたちが暮らす世界、ベアワールド。

 色とりどりの屋根と壁、花が溢れ、菓子やジュースの屋台が並ぶ。

 黒いツキノワグマの人形となった彼は、通りに一定間隔で設置された転送スポットの一つへ飛び込んだ。


「マーブルタウン、ガーベラ地区」


 一瞬で転送された黒熊は、暖色の花が咲き乱れる住宅街に出現する。

 丸っこい手足を懸命に振り、ガーベラ地区で唯一のカタツムリの殻を模した家を目指して走る熊。

 玄関に辿り着き、呼び鈴を鳴らすと、扉の横にヒマワリの花が咲いた。これがインターホンの代わりであり、メッセージの録音機能も有る。


 涼也が花に顔を近付けた瞬間、黄緑の玄関扉が勢いをつけて撥ね開いた。

 ピンクの熊が、回転ダンスで客を歓迎する。


「ようこそクマ! ここはアヤポンのおうちだよ」

「…………」


 彼より一回り小さなピンクベアが、綾加のアバターだ。

 涼也のログイン通知を受けた彼女は、すぐに自分も転送室のカプセルからここへ接続して彼を待っていた。

 無言で切り株の椅子に腰掛けた黒熊へ、ボソボソと弁明がされる。


「歓迎ダンスは自動設定していて……切るの忘れてたから……」

「ああ、うん」

「ハチミツジュース、飲みます?」

「要らない」


 彼の最大の関心事は、なぜ自分の警察官としての権限が停止されたのか、だ。

 綾加もすぐに気を取り直し、ここまでに得た情報を話し始めた。


「待機センターの坂本所長が、死体で発見されました」

「どこでだ!?」

「市内の自宅です。帰宅した妻が見つけ、通報したのが二時間前」


 殺害方法は、麻痺銃パラライザーで昏倒させた後の薬殺。麻痺銃は未登録の違法銃ではなく、警察の正規品だと分析された。


「正規銃? おい、まさか――」

「そのまさかです。真崎さんの銃でした」


 警察官のパラライザーには、必ず識別符号トレーサーが付随する。所持者のDNAコードを封入したトレーサーは麻痺弾と一体化しており、着弾点の周辺にコードが残る仕組みだ。

 坂本の体から回収されたトレーサーから、涼也の銃が使われたことが断定されている。銃の使用には指紋認証も必要なため、彼が真っ先に容疑者とされた。


「使用された薬はサロリウムです。瓶などは見つかってません」

「サロリウムで殺すなんて無理だろ。痕跡だって残りにくい鎮静剤レベルなのに」

「βじゃなくて、α。精製前の劇物ですよ」


 それなら確かに殺害可能だが、一般人が手に入れられるような薬ではない。βを製造する薬品会社、またはαから気化βを作る病院施設が、入手先として疑わしい。

 待機センターに隣接する病院を捜査するべき、そう進言しようとした涼也へ、綾加が追い打ちをかけた。


「銃だけじゃないんです。坂本の指の爪から髪の毛が回収されて――」

「おいおい、それも俺のじゃないだろうな」

「真崎さんのです」


 二つの物的証拠が揃えば、彼が指名手配されたのは当然である。

 身に覚えが無い以上、これは何者かによる罠だ。髪の毛はともかく、彼の銃を偽装工作に使おうとするなら、チャンスは少ない。

 本部内の管理庫にアクセスできる人間か、もしくは――


「――あの昼の接続の時か。カプセル内で寝ている十五分間に、俺に銃を撃たせた」

「でも、その時点では所長は健在でしたよ」

「そうだな……」


 綾加が連絡を入れてくれたのは、彼のトレーサーが検出された報告が上がった時だ。

 その後、指名手配まではあっと言う間で、彼女は転送課で待機を命じられている。


「殺人容疑者の相方なら、もっと厳しく拘束されそうなもんだが?」

「種崎課長が、上手く立ち回ってくれてます。もう来ると思うんですが……」

「来る?」


 彼女の言葉に合わせたかのように、玄関の呼び鈴が来客を告げる。

 出迎えようと、ピンクの熊が立ち上がった。


「おい、自動設定を切らないと――」


 涼也の忠告は間に合わない。


「ようこそクマ! ここはアヤポンのおうちだよ」

「……鳴海だな? バカかお前は」


 茶色いグリズリーのヌイグルミは、捜査二課長、種崎毅のアバターだった。


 課長はVRとは縁遠い人間で、接続にも相当難儀したようだ。

 ようやく綾加の家までやって来たものの、まだ感覚に馴染めず、自身の身体を不思議そうに見回している。


 涼也の接続時間には限度があるため、手を振り回して感触を確かめる茶熊へ、彼は本題に入るように促した。


「あ、ああ。なんとも言えん感覚だな、高度VRってのは……」

「課長は俺を逮捕するつもりは無いんですか?」

「動機は無し、アリバイは鳴海が保証してる。これでも、お前のことは信用してるんだ。誰が苦労して引き入れたと思っとる」


 涼也をスカウトしたのは、この種崎であり、転送課の新設を本部長に掛け合ったのも彼だ。では、指名手配を解除してもらえるかと言うと、それは個人的な信頼だけでは如何ともし難い。


「物的証拠、特に銃の使用記録はマズい。全国の末端警官にまで、既に情報は共有されてしまった。家宅捜査で薬は出てこないだろうな?」

「サロリウムなんて持ってませんよ。今頃、家はひっくり返ってるのか……」


 黒熊は情けなく眉を垂れ下げた。プレーヤーの感情は、やや誇張されて表現される。


「俺は見つかったら即、豚箱行きですか?」

「まあ、そうなるな。一課の連中も、お前を本ボシとは考えておらんが、だからと言って逮捕しないわけにもいかん」


 暫く身を隠せ、その間に真犯人を探す、そんな話の流れを涼也は予想していた。現金さえ用意してもらえれば、市内に留まったまま潜伏も可能かもしれない。

 しかし、茶熊の要求は違った。


「なんとか転送課に戻って来い。この捜査、お前がいないと始まらん」

「そんな無茶な! 本部に近付いたらたちまち逮捕されるじゃないですか」

「無理でも来い。報告にあった神堂とかいう男だがな。データベースで検索した途端、公安課が飛んで来たよ」

「公安、ですか。まあ宗教団体の教祖なら、そっちの管轄でしょうね」


 拝火神統会の創始者、神堂玲巌。小規模ながら、熱心な信者を抱える新興宗教のカリスマだと言う。

 ここ数年、近隣で相次いだ連続寺社放火事件は、実行犯と思しき二名が半年前に逮捕された。最近になって、彼らはいずれも拝火神統会の信者と判明する。

 この教団には、表に出ていない信者が、まだまだ隠れているようだ。


 当然、教祖は犯行教唆で取り調べを受けるはずだったが、その半年前から行方をくらまし、現在の所在は不明。

 放火事件の舞台となったこの県でも、公安が躍起になって教団関係者を捜索中であった。


「公安課の幣良木しでらぎが、転送課と連携したいと申し入れて来たよ」

「種崎課長が窓口をやってくれてるんだ」

「お前がこんな状態じゃ仕方ないだろう。すっかり俺も保護者扱いだよ」


 涼也も協働捜査にやぶさかではないが、では、どうやって転送課に戻るのか。

 県警本部まで、徒歩で一時間ほど。市の要所にはもう検問が設けられているのは明らかで、これらを避けるのも厄介である。

 車輌で迎えに来てもらっても、検問を突破できないのは同じこと。

 更に最難関は、県警本部の玄関だ。


「到着したら、入り口のスキャンシステムは止めてもらえるんですね?」

「そんなこと、出来るわけがないだろう。お前の技術で、何とかならんのか?」

「人を魔法使いみたいに言わないでください」


 茶熊と桃熊が、二匹揃って腕を組んで考え込む。

 黒熊は立ち上がり、室内をウロウロと歩きながら難題に頭を悩ませた。


“残り五分です。延長の際は追加料金が発生しますので、ご注意ください”


 時間切れか。

 これがゲームなら小型機で空から進入する手もあるのだが、本部屋上にもチェックゲートは在る。窓を開けてもらって、そこへスカイダイブとか。屋上、窓――。


「――もう一つ進入路があるな」


 僅かな可能性に賭け、涼也は桃熊にメッセージボックスのアドレスを記録させる。


「このアドレスにデータを送ってくれ」

「何のデータを?」

「捜査用のチートデータ、ゲーム名は“ダンジョンシティ・デルタ”、そのマップフォルダを見ろ。どのマップか分からなければ、全部送れ」

「分かりました」

「暗号化は解除しといてくれよ。ろくな端末は手に入りそうにないから」


 言うべきことを言い終わると、挨拶も無く、涼也はログアウトする。

 これで残された二匹の熊にも、このメルヘン世界に長居する理由は失くなった。


「よし、後は真崎次第だ」

「大丈夫ですかねえ」

「あいつの捜査官採用の最終試験だがな、運動能力以外は、ほぼ歴代最高得点だったらしいぞ」

「へえ、それは凄いですね……」


 木の丸テーブルを挟み、見つめ合う二匹。


「……あの、ハチミツジュース飲みます?」

「いらん」

「…………?」

「……この熊、どうやれば終了するんだ?」

「ああ」


 ログアウト方法を教えてもらった茶熊が消え、続いて桃熊も世界を閉じる。

 この日もベアワールドは、外界の騒乱とは無縁であった。


 少なくとも、マーブルタウンでは。

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