07. エラー37

 異常が確定した今、接続を解除する方針に所長も賛同はした。

 しかし、システムの停止と調査には、理事会の承認が欲しいと言う。


「この待機センターも隣の病院も、理事会が一括して運営しています。今晩、緊急召集しますので、そこで対処させてもらいたい」

「今から五、六時間後くらいか。中の患者は三日近く放置されると、分かって言ってるんだろうな」

「まさか時間を加速させてたなんて……。個別の患者なら、私にも権限があるのですが」


 数名を離脱させても根本的な解決にはならないが、一人優先して解除すべき人物はいる。


「神堂玲巌、この男が中で教祖になって、皆を扇動してる。せめてこいつは即刻解除しろ。仮想殺人容疑で任意聴取したい」

「神堂……ですか」


 所長が机の上をトントンと指で叩くと、空中に透明モニターが立ち上がる。

 タッチ操作で画面に患者リストを表示させた坂本は、これ見よがしに大きく首を横に振った。


「神堂という名前は見当たりません。聞き間違えでは?」

「間違いも有り得なくはないが……宗教関係者はいないか?」

「調査票の内容によれば、宗教家や過激思想の持ち主は皆無です」


 共有現実に接続した患者は、簡単な職業と思想の調査を受けている。他者とのトラブルが危惧されるからで、誰がどの共有空間に送られるかは、一応の配慮がされる仕組みだ。


「偽名の可能性も有るな。患者リストを本部で調査したいが――」

「患者の一覧は秘匿義務があります。正式な令状がなければ、見せられません」

「そう言うと思ったよ」


 病院相手は色々と煩わしい。ここはやはり、所長の言う通り先に令状を取ってくるべきか。


「死亡した中木尚の記録と、医者の所見、これは出せるだろ?」

「ええ、まあ……」

「県警に送ってくれ、そいつで令状を用意する。殺人事件としての捜査だ」

「はあ、承知しました」


 理事会の許可が出たら、間髪置かずにシステムを停止する。そう約束させて、涼也たちは一旦、本部へ戻ることとなった。

 帰りの車の中、動きの鈍い所長の対応へ、綾加が不満を述べる。


「人の生き死にの問題なのに、なんだか緊張感が無いですね」

「巨大組織は、こんなものかもな。失点を出さないことだけを考えてるんだ。まともに捜査させる気なら、最初から転送課に連絡しないさ」

「なんだか便利屋扱いされてるみたいで、不愉快です」


 されてるみたい、ではなく、便利屋そのものだ。職員が接続して危険を冒すことすら、所長は回避した。筋金入りの保身主義者と見える。


「不愉快なのは、転送捜査官はまともな刑事と思われてないところだよ。俺達がどうなろうが、何を知ろうが、問題無いと考えられてる」

「それはナメ過ぎですね。でしょ?」

「ああ。まあ、怒鳴り込むのは一課の連中だけどな」


 転送課に帰ると、綾加は今朝のナル事件の後始末に追われた。一方、涼也はセンターの捜査に向け、慣れない書類作成に励む。

 捜査礼状の電子申請の準備と、一課への付託書に必要事項を書き込めば、後はセンターから被害者の記録が来るのを待つのみ。本部内手続きは半紙半電といった状況で、大昔から比べても煩雑さは相変わらずだ。


 中木の死亡診断書が県警の中央サーバーに届いたのは、予想より遅い夕方の五時。漫然とした仕事ぶりに文句も言いたくなるが、半日以内の報告という公的な規則には間に合っている。

 問題は、そこに付された警察向けの医師による所見だった。

“病状悪化による衰弱死。事件性は無し”

 端末を取り上げた涼也は、所長が教えてくれた個人IDへ電話をかける。数秒の待機音の後、妙に鷹揚な声が流れた。


『もしもし、坂本です』

「昼に邪魔した真崎だ。中木の死亡診断書、事件性が無いってのはどういうつもりだ?」

『診断書は医療センターの医師によるものですから、私に尋ねられても困ります』

「アンタが事件と認識したから、通報したんだろ? 死亡者がいなくても、あの共有現実は捜査対象だぞ」

『いえ、私も勇み足だったかと。病状の悪化が続いたせいで、動転してしまって』

「おい、まさか勘違いで済ますつもりじゃないだろうな。俺達は実際に潜ったんだ。誤魔化せると思うなよ」

『捜査官のお二方には、お手数を掛けさせてしまい……申し訳ありません。もう大丈夫ですので』

「おい! 大丈夫なわけあるか――」


 通話終了の短い断続音。

 所長は明白あからさまに会話を打ち切り、捜査を拒んできた。今朝は自ら通報したのにも拘わらず、だ。


 二課から転送課へ戻ってきた綾加に所長とのやり取りを伝えると、彼女も眉をひそめて憤った。

 彼らが数時間を過ごした火の海は、あのまま放置するには余りに禍々しい。


「共有現実の失敗を、隠蔽する気でしょうか」

「かもしれんが、隠し通せるもんじゃないだろうに。俺たちが黙ってると思われてるのか?」


 二人とも、所長の拙い言い訳には首を捻るしかない。

 彼らは坂本の真意を問うべく、夕暮れの街に車を走らせ、もう一度センターへと向かった。





 正に門前払い、待機センターの受け付けの態度は、昼とは打って変わって冷淡なものだった。

 折り返し所長から連絡すると言われ、中に入ることも拒まれる。

 来訪者用の駐車場に停めた車の中で、涼也たちは次の手を考えた。


「やはり強制捜査に持ち込むしかないのでは?」

「昏睡者の多さから、医療過誤の嫌疑をかけるか。少し無理があるが、一応それで申請を頼む。運転を代わってくれ」

「真崎さんは帰らないんですか?」


 車を降りようとする涼也へ、綾加が訝しく尋ねる。

 彼はここに留まり、坂本が退所するのを待つつもりだと告げた。


「所長以外にも、出て来る職員に話を聞いてみる。申請が済んだら、また迎えに来てくれ」

「分かりました。何かあったら、連絡してくださいね」


 綾加が去ると、駐車場に独り残った彼は正面守衛所へ移動した。ここからセンター入り口が見渡せる。

 警察権限で、敷地内を自由に行動できるのは不幸中の幸いだろう。守衛も彼を邪険に扱う気は無いらしく、質問にも素直に答えてくれた。


 守衛所は外ゲートの開閉を担っており、不審者が進入しないように監視している。来訪者は身元を登録した上で、臨時のパスが渡される仕組みだ。

 警官である涼也は、携帯端末がそのまま身分証明を兼ねているため、パスは必要なかった。


 センターへの人の出入りは少なく、ほとんどがIDカードを所持した正規職員である。三交替制で勤務し、夜勤者は午後八時頃から来るそうだ。

 所長は日中だけセンターにおり、通常なら五時半頃には退所するはず。現在は六時過ぎ、少し遅い。


「この正面玄関以外に、出入り口はあるのか?」

「裏側が医療センターと直結しています。一階で、建物自体が接続しているんです」

「じゃあ、病院側から自由に出入りできるんだな」

「いえ、待機センターの出退はここで記録しますから、病院から出ればエラーになりますよ。規則違反です」

「エラーねえ……」


 所長の車が来た際は、ゲートを開けるのを少し待って欲しいと守衛に頼むと、問題無いと快諾してくれる。

 若い守衛は人懐っこい性格らしく、話し相手、特に警官のような特殊な専門家には興味津々だった。

 小さな箱型の建物の守衛所には、現在、彼一人しか勤務していない。なんなら涼也も中で待ってくれていいとまで言ってくれたので、その言葉に甘えさせてもらう。


 皆川みながわと名乗る彼からセンターの話を聞きつつ、退勤者には聞き込みを繰り返す。

 機器のメンテ要員や医療スタッフが建物から出てくるが、警察が来ていること自体に驚くほどで、彼らからは有意義な話は聞けなかった。

 中央管理室にいたような上級職員には出会えず、所長の姿も一向に現れない。


 守衛の知らない出入り方法があるのではないか、涼也がそんな疑念を持ち始めた時だった。

 彼の携帯端末が、綾加からの着信を伝える。


『真崎さん! 今どこですか?』

「正面の守衛所に入れてもらってる。所長には会えてない」

『すぐそこから離れてください。何だかおかしいんです!』

「おかしい? どうしたって言うんだ」

『いいから早く――』


 いきなり切れた端末を、涼也は怪訝な面持ちでポケットに戻した。

 ――接続障害か? 後でかけ直そう。


 皆川に礼を述べ、彼はセンターを後にして近くの駅前へと歩いて行く。

 綾加の口ぶりから只事でないのは伝わったが、何が起きたのか全く見当が付かない。駅前を目指したのは、彼女に拾ってもらいやすいだろうと、その程度の理由からだ。


 閑散としたセンター周辺から約十分くらい歩くと、夜の雑踏が通りを行き交うようになり、駅に近づいたことが分かる。

 二十四時間営業のカフェの前で足を止め、彼はポケットからまた個人端末を取り出した。


 透明板をなぞってロック解除。

 通信先に鳴海綾加を選び、耳元へ端末を持って行く。声も呼び出し音もしない――操作ミス?

 彼は画面に視線を落とす。


『エラー37:機能制限中』


 その表示が何を意味するのかを考える、一拍の間。

 三十七番エラーは、警察権限の剥奪で生じる。


 工事用の軽トラックが、彼の横を通りかかった。

 警察のマニュアルを尊重するなら、その場で待機が正しい。涼也が従うはずもないが。

 土砂を積むトラックの荷台に向けて、彼は端末を投げ込む。コントロールに狂いはなく、透明板は土に突き刺さり、そのまま彼方へと走り去って行った。

 拘束される可能性が高く、カード類を使うのも危険、現金の持ち合わせはわずか。

 公共交通機関では、乗客が不審物を持っていないか改札などでスキャンされる。警察官用の端末無しだと、麻痺銃が検出されて警報が鳴るだろう。

 まだこの段階で、銃まで捨てるのは躊躇われた。


 綾加に賭けるしかない。同僚がどれくらい自由に動けるか分からないものの、先ずは彼女へ連絡を取ることにする。

 涼也は近隣の個室式レンタルVRを探し、そこから綾加への接触を試みた。

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