第六話

 はたして、これにて散々に私たちをひっかきまわした、浩一こうさんの再テスト事件は一旦の決着を見た。


 浩一こうさんに助けを求めた柳原さんは、その後、御陵坂学園の調査部隊に保護された。

 厳密な調査の結果、彼女は無事にカゲナシでないことが確認された。また、彼女の両親や祖母についても調査したが、カゲナシになっていないようだった。


 自らの肉親が異形のバケモノに変ずる。そのショックは、相当に大きいモノだっただろう。彼女が再び、立ち直るのには、まだまだ時間がかかるような気がした。

 しかし、面会に来た私と、浩一こうさんに、姉の仇を取ってくれてありがとう、と、告げる彼女の姿には、辛い現実を受け止めようという、そういう姿が見てとれた。


 きっと、彼女は大切な姉の死から、立ち上がって見せることだろう。


 さて、それとは別に問題になったのは青林女学院だ。

 今回の一件により、例の青林女学院生の徒会長が残した負の遺産が、あらためて大きいことを私たちは気づかされた。はたして、何人の生徒が、カゲナシに入れ替わっているか分かったものではない。


 これについては、厳密な調査が必要と、瀬奈姉こと京都守護役、及び、その傘下にある京都の『天眼の衛士』たちは考えている。

 御陵坂学園が、どのようにそこに関わることになるのかは分からないが、近々、青林女学院に対して、大掛かりな捜査が行われるのは決定事項であり、カゲナシとの大きな戦闘に発展することは想像に難くなかった。


 なんにしても、彼らをこのまま放ってことはできない。

 今回の柳原さんの一件のように、人知れずカゲナシの脅威に脅かされている人たちを救うのもまた、私たち天眼の衛士の使命である。


 はたして、どういう決定を瀬奈姉がくだすのか。

 まだそれには情報も足りないし、時間も足りない。


 ただ、私と同じで浩一こうさんと長く接してきた瀬奈姉だ。

 彼が抱えている、カゲナシに対する憎しみは、彼女もよく理解している。

 必ず倒さなくてはいけない。事情の確認のためにやって来た瀬奈姉に、力強くそう言い切って見せた浩一こうさんの言葉に、きっと、瀬奈姉は応えてくれることだろう。


 やれやれ、これから忙しくなりそうだ。

 今からそのことを考えると、正直に言って憂鬱でしかたなかった。


 そう。

 憂鬱ついでに言ってしまえば。


「……浩一こうさん。事件は解決したんだから、真面目に勉強してくださいよ」


「えぇ、だって、今回の一件で俺は勲一等だろう? 『大太郎亭』一門の中でも、評価鰻登りの、就職先より取り見取りなんじゃないの?」


「だから、それとこれとは話が別だって、言っているじゃないですか!! いくら手柄を立てたって、基礎学力が犬並みじゃ、どうしようもないんですよ!!」


「犬並みって!! 酷い、お嬢、そんな言い方しなくたっていいじゃないか!!」


「いや、犬ほどあるかどうかも怪しい」


「鳥くらいっすかね?」


「猿から突然変異したって言われても、納得できるヤバさがありますよね!! 火男かなん師匠ってば!!」


「……みんな、酷すぎないか。一寸の虫にも五分の魂という言葉があるだろう」


「お前が一番酷いよ馬崎!! 虫並み!? 俺、昆虫類と同じなの!? テ○フォーマーズレベル!?」


 寮のエントランス。

 入ってすぐの所に置かれた、ソファーとテーブルに集まって、私たちは文学部総出で浩一こうさんの勉強を監視していた。


 抱えていた悩みは解消された。

 だというのに相変わらず、浩一こうさんは、真面目に勉強しようとしなかった。

 どうやら正義に燃えて柳原さんに加勢したと言うのは事実のようだけれど、それを勉強をしない口実にしていたのも、また事実のようだった。


 本当。仕方がない人。


 あまりにどうしようもないので、瀬奈姉の影縛術により、学園の敷地内に出ると体が発火するようにして貰った。なので、しぶしぶと、授業が終わると寮には戻って来るようになったが、その筆の進みはすこぶると良くなかった。


 よって、こうしてエントランスで、他の皆の監視の下、強制的に勉強中という次第になった訳である。


 威厳もなにもあったものではない。

 寮長でこそないが、寮内の最年長者として、こう、思う所はないのだろうか。

 ないのだろうな、浩一こうさんのことだもの。


 この調子では、再テストを無事にパスすることができるか、怪しい感じだ。

 いざとなったらやってくれる人だとは信じているが……。


 まだまだ、寮長として、私の心配は絶えないようであった。

 浩一こうさんのことを信頼していない訳ではないが。


「……憂鬱だわ」


「どうしたんだお嬢!? そんな物憂げな顔なんてして!! 何か、心配事でもあるのか!? だったら遠慮なく俺に相談してくれよ……」


 その心配事の原因が、こちらの気などまったく知らないという感じに軽口を叩く。

 もういい加減にして欲しいモノね、と、私の口からため息が漏れた。


 まぁ、いつも頼りにさせてもらっている浩一こうさんだ。

 たまにはこっちが世話を焼くのも、やぶさかではないか。


「何かあるならすぐに俺に相談しろよ、お嬢。俺だけは、何があっても、お嬢の味方だからな!! 絶対になんとかしてやるから!!」


「……だったら、ちゃんと勉強して再テストにちゃんと受かってください」


「……それは、ちょっと、約束できない」


「なんでですか!!」


 そう言って私はエントランスのテーブルを叩く。

 ひょいと肩を躍らせる浩一こうさん。

 はい、真面目に勉強します、そう叫んで再びペンを手に取ると、ひんひんと、目の端に涙を浮かべながら、またノートにがりがりと文字を書き出したのだった。


「今度は何分持つと思う」


「五分」


「最低記録を更新して、二分とか?」


「……浩一、頑張るんだ」


「お前等も煩いんだよ!! 人が集中して勉強してるのに、横から茶々入れるな!!」


「ほら、浩一こうさん!! 喋っていないで口を動かす!!」


 はい、すみません、と、頭を下げる浩一さん。

 半べそをかいて筆をノートに走らせる彼、しかし、解いた数学の答えは、二年生の私が見ても、明らかに間違っていたのだった――。


 あぁ、憂鬱だ。

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