第三話

 しかし、そんなあり得ないだろうという予想を、どうにも裏切るような事態が起きた。


「美紀、これはいったいどういことです!!」


「どういうことって……なんの話ですか、瀬奈姉?」


浩一こういちのことです!! どうしてあの子が、駅前のファストフード店に居るのですか!! しかも……女性を連れて!!」


 そう、電話がかかって来たのは、香奈ちゃんが、浩一こうさんに彼女ができたのではないだろうかと、そんな与太話をした数十分後のことであった。

 一向に帰ってくる気配のない浩一こうさんに、仕方がないとあきらめて、各々の自室に戻ったあと、私のスマートフォンに着信が入ったのだ。


 久しぶりに、瀬奈姉の言っている意味が分からなかった。

 いや、遠回しな言い方が多い瀬奈姉だが、これは、直球なのに理解が追い付かない。


 誰が、駅前で、誰と一緒に居るって。


 くらくらと頭が割れるように痛んだ。

 そうこうしているうちに、電話が一方的に切られ、次に、メールで写真が送られてくる。

 そこには確かに見覚えのある男性と、少し、暗い顔色をした白いブレザーを着た女の子が、二人掛けのテーブルに膝をつき合わせて、座っている光景が映っていた。


 ぷつり、と、頭の奥で何かが切れる音がしたような気がした。

 それと同時に、ただいまぁ、と、なんだか間延びした声が寮内に響き渡った。


 ……どうやら、、の、お帰りのようである。


「いやぁ、こっちの寮になってから、寮監の見回りがなくって気が楽だよなぁ。お、いい匂い。馬崎、今日の夕食はなに作ってんの?」


 スマートフォンを握りしめたまま、私は、ふらりふらりと、自室を出ると、そのままその声のする方へと向かって近づいて行った。


 写真の中には、ファストフード店でハンバーガーを食べているスケコマシが居た。

 なのに、まだお腹が空いているというのだろうか。


 本当に食い意地の悪い男である。


 エントランスのソファーにどっかりと背中を預けて、まるで何事もなかったかのような顔をしてくつろいでいる浩一さんスケコマシ

 そんな彼の背後に立つと、私は無言のオーラを彼に向かって振りかけた。


「あれっ? お嬢、どうかしました? なんか今日はご機嫌ななめなような感じが」


「自分の胸に、それは聞いてみたらどうなんですか?」


「自分の胸? はぁ、そんなことを言われても、俺は男だから、そんな言うほど豊満なのはついてないしなぁ……」


 そう言って自分で自分の胸をもみしだく浩一さんスケコマシ

 こっちがどれだけ、彼のことを心配しているのか、そして、していたのか、まるで分かっていないその様子に、思わず、私は彼が座るソファーの足を蹴り上げていた。


 揺れるソファー。

 それと同時に、つるりとその革張りのソファーの上を滑って、床へと落ちる浩一さんスケコマシ


 きょとんとした顔がこちらを見ていた。

 そこに私は、自分が出来る限りの、ありったけの侮蔑の感情を詰め込んで、睨みを利かせてみせたのだった。


「えっ、お嬢? なんでそんな怒ってるんですか?」


「再テストで赤点を取らないように、放課後はみっちりと勉強する。そういう約束をしていましたよね?」


「……あっ、あぁ、あぁそれね。いやぁ、まぁ、けど、せっかくテストも終わったことだし。少し骨休めがしたい的な?」


「テスト期間にそれは充分したから、今に至ってるんじゃないんですか」


 なんだよ、今日は妙に意地悪だなぁ、と、ぶぅ垂れる浩一さんスケコマシ


 それでも何か、そうした理由があるのかもしれない。

 一応、長らく一緒に生活を共にし、また、縛影術の手ほどきをしてもらった、師である彼のことを信頼したいという気持ちが、私の中にも少なからずあった。


 そんな縋るような思いで、私は、浩一こうさんに、単刀直入に尋ねてみた。


「どこ行っていたんですか。皆、心配していたんですよ」


「えっ、あぁ……。悪い、そりゃ、心配をかけた」


「そう思うなら、何処に行っていたか、何をしていたか、話してくれますよね」


 果たして、駅前のファストフード店で、女性と密会していたと、彼は素直に認めるだろうか。また、その理由として、納得できる言葉を言ってくれるだろうか。


 そんな気持ちで、私は、彼が次の言葉を発するのをしばし待った。

 しかし、彼から返って来たのは――。


「えー、あー、いやー。駅からちょっと行った所にあるレンタルショップが、DVDレンタルのセールをしていてさぁ。ちょっと、面白いDVDがないかなぁと」


 嘘だった。


 私たちが、自分のやっていることを知らないと高を括って、浩一さんスケコマシは嘘を吐いた。

 平然と、それでいて、まったく悪びれもせず。


 ろくでもないろくでもないとは、前々から思っていたけれど。

 まさか、ここまでのものとはちょっと予想外だった。


 怒りも通り越して、呆れが私の心の中に湧き出してくるのを感じた。


 失望。

 底も見えないどろどろとした負の感情に心の中が満たされる。

 目の前の、頼りにしていた兄貴分へと湧き上がる、どうしようもない苛立ちに、私は耐えかねて、またソファーの脚を蹴った。


「ちょっ、ちょっとちょっと!! お嬢、いったいどうしたんだよ!? いつものお嬢らしくないぜ!! 勉強サボったのは悪かったよ、謝るよ!! けど、そんな風に怒らなくってもいいだろう!!」


「煩い!! 浩一こうさんのバカぁっ!!」


 どうしてこんなに感情的になっているのか、自分でもよくわからなかった。

 心のどこかで、浩一こうさんが、私たちを欺くような人ではないと、信じている部分があったのだと思う。それを傷つけられたのが、悔しかったのかもしれない。


 いや、それだけじゃない。

 浩一こうさんだけは、決して、私を裏切らないだろう。

 そんな思いが、私の中にあったのだと思う。


 けれど、彼は現実に裏切って見せた。

 それもこんな状況下――自分の将来がかかっていて、それを心配して、文学部の皆が、協力して救おうとしているその最中――で、だ。


 深い信頼は、裏切られれば、深い拒絶へと変わる。


「お、お嬢?」


「もう知らない!! 浩一こうさんなんて、勝手にすればいいのよ!! このアンポンタン、ろくでなし、ごくつぶしのただ飯ぐらいの、スケコマシ!!」


「ひでぇ!? というか、お嬢のちょい古めの語彙力がちょっと心配なんですけど!?」


「他人の心配より、自分の心配をしたらどうなのよ!! とにかく!! そんなに勉強よりもしたいことがあるのなら、勝手にすればいいわ!!」


 私はもう知らないから。

 そう言い切ると、私は彼に背中を向けて、再び自分の寮室へと戻ったのだった。


 お嬢、待ってくれ、と、叫ぶ浩一さんスケコマシの声が背中に聞こえた気もしたが、あえて、私はそれを聞こえないふりをして無視した。


 なによ。


 なによなによ。


 なによなによなによ。


「好きな女の子が出来たならできたで、紹介してくれたっていいじゃない。なんで隠すのよ、それならそれで、それを踏まえて勉強の応援をしてあげるのに」


 その日は結局、馬崎さんが、私の部屋まで夕食を運んできてくれた。

 彼が作ってくれたウィンナーとキャベツがたっぷりと入ったポトフは温かかったのだけれど、どうして、どれだけ食べても、砂を噛んでいるような味しかしなかった。

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