第八話

 土壁の中を縫い、時に壁自体を破壊して、こちらへと肉薄してくる土偶の腕。

 二人の人間をいとも簡単に破壊してみせたそれに、果敢にも馬崎さんは自分から挑みかかっていく。

 捨て身の攻撃である。


 腕には目か――あるいはそれに類するセンサのようなものでもついているのだろうか、接近した馬崎さんに気が付いたらしく、もこもことその表面が盛り上がる。

 礫が飛ぶ、そう思った時。


「させねえよ!!」


 浩一こうさんが叫ぶ。

 燃え盛る火槍を持って印を結べば――たちまちに火の粉が馬崎さんの周りに舞う。

 それとほぼ同時、飛び交った礫を火の粉がまとわりついて溶かした。


 火燐襖かりんぶすま

 火系影縛術の中でも珍しい、防御を主体とする技である。高位の影縛術であり、私には使うことができない。


 この火燐襖かりんふすまを展開し、槍を振るいて敵を薙ぎ払う。火の申し子たるその戦いぶりをして、『大太郎亭火男だいたろうていかなん』の名跡は、一門の中でも最も戦闘に長けた者に送られる。


「……熱いぞ、浩一」


「死なねえだけましだろ!! それより馬崎!! そこまで詰めたんだ、きっちり決めろ!!」


「分かっている!!」


 伸びてくる腕など意に介さずその根元――土偶のカゲナシに迫る馬崎さん。

 その左腕が軽くひかれる、と、すかさずに、タンタンと、軽快な音と共に土偶の胸を左手が二回叩いた。土偶のカゲナシの態勢が、その打撃にぐらりと揺れる。


 その体勢が崩れた所を狙って――下段から緩やかに本気の一撃。

 馬崎さん渾身の右アッパーが繰り出される。

 同時に、彼の土偶を打った左手は印を結んでいた。


「――開、土甲門どっこうもん!!」


 土系の影縛術師は、主に肉体・環境操作の術を得意とする。土甲門どっくもんは肉体に巡っている気の経路に、影縛術で練り上げた土の気を流し込むもので、いわゆる気功と同じ原理で、爆発的な破壊力を生み出すことができる。

 更に土の気は固く、強く、そして荒々しい。それを体内に流し込まれたカゲナシは、内部から、その力によって脆く崩れ去る――。


 ただし。


「……ッ!!」


「やはり同系属性には効果薄か」


 土偶のカゲナシの胸に確実に打ち込まれた馬崎さんの拳。けれども、彼が砕いたのは、土偶のカゲナシの胸元を覆っている、薄い鎧一枚だけであった。

 相手もまた、土の気を馬崎さんの『土門甲どもんこう』に合わせてぶつけてきて、その力を相殺してみせたのだ。


 いささか、相性が悪い。

 いや、相手が悪い。


「馬崎さん、一旦、離れてください!! 浩一こうさん!!」


「分かってるお嬢――滾れ火の気よ、渦曲げ業火!! 穿て、火葬錨かそうびょう!!」


 馬崎さんが一歩退くと同時に、その後ろで印を結んでいた浩一さんが、盛大に声を張り上げた。


 その印は、火系影縛術を専門とする『大太郎亭』でも、秘奥に属する印。

 影縛術により練り上げた業火に剛性を持たせ、炎の槍として打ち出す技だ。


 朱槍の周りにとぐろを巻いていた火が、その槍と同じ形に姿を変える。

 紅い鋼のようになった二振りの炎は、破、と、浩一こうさんが唱えると、馬崎さんの横を抜けて、土偶の体へと一直線に飛んだ。


 紅色に輝く火槍が土偶の体を打ち抜く。

 岩が激しく砕ける音と共に、なんとも言えない土の焦げる匂いがした。


 やった、か。


「……きゃは、キャハハハハハハ!!!」


 私たちのそんな思惑を嘲笑うように、土偶のカゲナシが甲高いを声を上げた。

 と、同時に、浩一こうさん、馬崎さんを囲んでいた、触手が大きく振り上がる。鎌首をもたげた蛇のように、天高く舞い上がったそれは、勢いよく二人に向かって振り下ろされる。


 礫と違って、この直接打撃は封じることはできない。

 攻撃に専念していた二人は、とっさに防御に転じることもできそうにない。

 少しだけ余裕のあった馬崎さんが、かろうじて、印を結んで土壁を展開するが、左側から襲い来る一本を防ぐので手いっぱいだ。


 すかさず、私も印を切る。

 結ぶのは灼銅鎖しゃくどうさに万力を与える単純な強化影縛術――万力功ばんりきこう

 放った灼銅鎖しゃくどうさを襲い来る左腕に向かって絡みつけると、その動きを封じ込めた。


「お嬢!!」


浩一こうさん!! 馬崎さん、この隙に距離を!!」


 と、その時。

 土偶のカゲナシの顔が、にんまりと怪しく微笑んでいるのに気が付いた。大きく開いた、その虚なる口の闇。その中から、何かがセリでて来るのが分かる。


 まずい――。


 完全にこのカゲナシの計略にはめられた。

 追い詰めているように見せかけて、このバケモノの狙いはこれだったのだ。

 左右を大きな触手の腕により囲み、身動きの取れなくなった所を、中央の本体から攻撃を放つ。きゃははは、と、響いていた声が鳴りやんだかと思うと、すうと、大きな何かを吸い込むような音が闇夜を裂くように響いた。


 来る。


「――浩一さん!! 馬崎さん!! 避けてぇっ!!」


「……くっ!!」


「馬崎、後ろに回れぇっ!!」


 展開までに時間のかかる防御の影縛術を展開してすぐである。

 そう乱発もできない馬崎さんに代わって、浩一さんが槍を構えて前に出る。その穂先に、灼熱に燃える焔を宿して、やぁ、と、彼は気炎を上げた。


 はたして、土偶のカゲナシから撃ちだされたのは、三つの土塊。

 大砲の玉くらいあるだろう。しかし音速を越えるかとばかりの速度で打ち出されたそれは、当たればたちまち、人の体を粉砕するだろう。


 それを、伊達に『大太郎亭火男だいたろうていかなん』の名跡を拝命してはいない。

 一振り、二振り、三振りと、最小動作で切り裂き、弾道を逸らしていく。


「……きゃは?」


「これくらいのことで、イキってんじゃねえぞ、ダボがぁっ!!」


 間抜けた声を上げるカゲナシに向かって、浩一こうさんは流石の貫禄でメンチを切って見せた。御陵坂学園一の埒外漢ここにあり、という感じである。


 しかし、その疲労の色は隠せない。


 先ほどから、火系影縛術の連打・連打・連打である。

 もう一人、決め手を打てる影縛術の使い手が居れば話も変わってくるのだが、困ったことに、彼と同格の使い手である氷室くんは、土属性のカゲナシに対しては属性不利でほぼほぼその術の効果がない。


 ここに属性有利の風系の影縛術の使い手が居てくれたなら。


 いや、居てくれたなら、ではない。

 どうしてそれを用意もせずに、私はこの場に来てしまったのだろう。そう、後悔した。


 若き『天眼の衛士』のリーダーとして、メンバーの身の安全を考えるのは当然の行いだ。彼らに危害が及ばないように、最善の策を常に考えておかなければならない。

 風系の影縛術の使い手が居ないなら居ないで、補助符ほじょふを準備しておくなど、できることなど幾らでもあった。


 なのに、それをしなかった。


 たかがいつもの探索であると気を抜いていた。

 浩一こうさん、馬崎さん、氷室くん、そして香奈ちゃん。

 この四人で退治できる、低位のカゲナシしか遭遇することはないだろう。

 そんな甘い考えをしていた。


 カゲナシは、どこにだって潜んでいる。

 彼らを私たちが狙っているように、彼らもまた私たちを狙っている。

 カゲナシと『天眼の衛士』は不倶戴天の敵なのだ。いつ、どこで、戦いになってもおかしくない。その根本的な理を、どうして私は失念していた。


 情けない。

 自分の手際の悪さと、段取りの悪さ、そしてリーダーとしての注意力の欠如に、嫌気がさした。


 やはり、私など――。


「お嬢!! 灼銅鎖だ!!」


「……えっ?」


 浩一こうさんの叫び声。

 ふとその悲痛な声色に顔を上げると、私が巻き付けた土偶のカゲナシの右腕が、大きく膨張していた。


 カゲナシが、腕に力を込めているのだ。

 何故か。


 大きく振り上げられたそれは、万力功ばんりきこうを練り込んだ、私の灼銅鎖を軽々と持ち上げる。同時に、私の体がふわりと宙に舞い上がった。


 まずい――。

 すぐに灼銅鎖しゃくどうさから手を離したが、既に天高く舞い上がった私の体は、自由落下に身を任せるばかりである。

 そこに向かって。


「きゃ――こぁあああああああああああ!!」


 唸るような土偶の声と共に、顔にぽっかりと開いた虚な闇が向けられる。


 やられる。

 そう、確信した時だった。


「させるかよぉおっ!!」


 声を張り上げて、私と土偶のカゲナシの射線上に、浩一こうさんが、その体を差し込んできた。私に背中を向けて、朱柄の槍を土偶のカゲナシに向ける彼。


 その穂先には、炎は宿っていない。

 印すら、満足に結べていない。

 だというのに、彼は身を挺して私の前に飛び出してきたのだ。


 いけない、浩一こうさん。

 ダメよ、これは私のミス。

 貴方が身を挺して私を守る必要なんてないの。


 そんな言葉が口から発せられる間もなく、土偶のカゲナシの虚なる口の中から、再び土塊が一つ放たれた。


 朱柄の槍が大きくたわんで――折れた。

 構えていた浩一さんの体に激突した土塊は、彼の体を、地面に向かって落下する私の横まで吹き飛ばしたのだった。


 幸か不幸か、アスファルトの道の上から逸れて、草が生い茂る土の上へと落下した浩一さん。攻撃は貰ったが――流石は、『大太郎亭火男だいたろうていかなん』である。ぐぅ、と、声をあげるや、すぐに折れた朱柄の槍を杖にして、その場に立ち上がった。


 だが、この状態ではとても、善意で戦うことは不可能だろう。


「……香奈ちゃん!! すぐに、治癒術を!!」


「……はっ、はいっ、お姉さま!!」


 着地するなり、治癒術の使い手である香奈ちゃんに指示を出す。

 浩一こうさんの抜けた穴を埋めるべく、私は、灼銅鎖を再び手に取り、土偶のカゲナシから引きはがすと、馬崎さんの横に駆け寄ろうとした。


 しかし――。


「先輩!!」


 私の肩を、いきなり後ろから、誰かが掴んだ。

 誰かも何もない。

 高木くんである。


「これはいったい何なんだよ。いったい、何が起こってるんだよ。いや、それよりなにより、先輩、行っちゃダメだ。あんなバケモノ、先輩に相手が出来る訳がない」


「……できるできないじゃないんだよ、高木くん」


 やるかやらないかでもない。

 やるしかないのだ。


 京都守護役にして、火系影縛術の最高峰『大太郎天目だいたろうてんもく』の名跡を継ぐ姉。そして、それを誇りとする、天崎の一族。

 その中にあって、私は――この戦いから逃げることを許されない。


 だから、戦う。


「先輩が戦うことはない、逃げよう!! あんなの、警察に任せておけばいいんだ!!」


「無理よ」


「けど先輩!! それじゃ先輩が死んじまう!!」


「……死んでも守らなくちゃならないものが、世の中にはあるの」


 分かって、高木くん、と、私は彼の目を見る。

 悲痛な顔をして、顔を歪める、私より一つ年下の彼。


 その時、ふと、彼の背中に、一陣の風が吹きすさぶのが見えた。


「……嫌だ」


「……え?」


「これ以上、俺の周りで、俺の知ってる人間が傷つくのを見るのはごめんだ!!」


 そんな高木くんの叫び声と共に、身を裂くような激しいつむじ風が円山公園のアスファルトに、突如として吹き下ろした。


 ――これは。まさか。

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