第六話

 カゲナシ。


 それは人類の不俱戴天の仇。

 古くは古事記・日本書紀の時代から、鬼や土蜘蛛といったように、妖魔として記されて来た者たちである。


 しかし、長らくの人類――いや、『天眼の衛士』との戦いの中で、その姿は秘匿隠蔽され、今ではいないものとされている者たちである。

 妖怪という言葉に当てはめるのが適当かもしれない。


 彼らは人に害をなし、あるいは喰らう。

 また、時ととして人に化け、社会に紛れ込み人を襲う。

 そうやって人知れず社会秩序を混乱させる害虫である。


 根本として、人とは相いれない、そういう性質を持ったバケモノたちだ。


 その姿形は、妖怪の言葉に表さられるように千差万別。

 牛鬼のようなものもあれば、西洋のモンスターゴルゴンのようなものまで、さまざまなものが存在する。


 だが、共通してとある特徴を持っている。


 影だ。


 彼らは影を持っていない。


 故にカゲナシ。そう、私たちは彼らを呼称している。


 もっとも、人間に化けて生活をする上で、影が無ければ、まず真っ先に異質であると周りに悟られてしまう。彼ら異形もそこまで馬鹿でも間抜けでもない。太陽の下では、影を自らの力で作り出してそれを誤魔化している。


 だが――深い深い夜の帳に包まれた時間。

 太陽の消失と共に、彼らはそれを隠すのをやめるのだ。


 そして、それと同時に、自らの本質をさらけ出し、人を襲い始める。


 京都の外れ。

 多くの京都人が信奉する牛頭天皇が鎮座する八坂大社を抜けた円山公園。

 そこに、私たち御陵坂学園文学部の面々は集結していた。


 夜はとっぷりと暮れて深夜二十四時。

 そこを歩く人影はない。


 だが――読闇に紛れて蠢く何かの息遣いを、確かに私たちは感じていた。


「……人を喰らうほど、でけえのは居ないみたいだな」


「京都府警の『天眼の騎士』は優秀だからな。予防には余念がない。まったく、中央に居ながらそんなことも知らないとは」


「分かってるよそんなもんは!! いちいち突っかかってくんじゃねえ、氷室!!」


「しっ。浩一こうさん、静かにして。周りには民家もあるのよ」


 深夜だというのにいやに元気な浩一こうさんに釘を刺す。

 やはり言えばやめてくれる根が良い人の彼は、不貞腐れながらも、氷室くんに背中を向けると、道端に転がっている石を蹴った。


 火男かなん師匠格好悪い、と、口元を押さえて香奈ちゃんがからかう。

 そういうことを言うもんじゃないよと注意をしてあげたいところだったが、その一言も、馬崎さんの邪魔になりそうだったので、私は口を喉奥に飲み込んだ。


 地面に握った拳を打ち付けて、こつりこつりと鳴らしている馬崎さん。

 その手には黒い革製のグローブと、特殊な――カゲナシに対して比類なき殺傷能力を発揮する魔術鉱石に覆われていた。


 馬崎さんだけではない。


 浩一こうさんは身の丈より少し長い朱柄の槍と、腰にこれまた朱鞘の刀を佩いている。

 氷室くんは冷たい群青色をしたリボルバー拳銃を、腰のホルスターに入れていた。

 香奈ちゃんは、紅白の紐が結ばれた簪を、これまた腰のベルトに、何本も結び付けて挟んでいる。彼女は治癒術の使い手ではあるが、一応、戦闘の心得はある。


 そして私は――赤銅色をした魔術鋼で作られた長い連環を手にしていた。

 灼銅鎖しゃくどうさ。火系の影縛術を、一応得意としている私の得物だ。


 先には円錐状の分銅が結わえ付けてあり、これをカゲナシに打ち込む、または、鎖を巻き付けて動きを封じる。火系の影縛術により、その鎖に熱を通せば、たちまち敵を焼き切ることも可能だ。


 使い勝手はすこぶるよい。

 流石は、古より京都を守護する重責を負う『大太郎亭』。それを数多く輩出してきた名家、天崎家に伝わる武具である。三女の私にも、それはすんなりと馴染んだ。


 などと考えている前で、馬崎さんが顔を上げる。


「……数は少ないが、数体ほど居るな。竜馬像の辺りだ」


「種別は」


「……羽虫タイプのようだ。風の流れを読むのに苦労した」


「となると、風属性ってことか。となると、風に強い火属性の影縛術を使う、俺とお嬢の独壇場ってこったな。いや、悪いな氷室、今日は出番がなくってよう」


 嫌味たっぷりに、浩一こうさんが氷室くんに笑顔を向ける。

 ふん、と、氷室くんは不満げに視線だけを横へとずらした。


 どうして浩一こうさんは、氷室くんとだけは反りが合わないのだろうか。

 氷室くんも氷室くんで、もう少し、先輩の浩一こうさんを立ててあげてもいいだろうに。

 といっても、仕方ないか。なにせ一年そこいらの付き合いなのだもの――。


 さて。

 仲間の心配よりも、今は、この公園内の何処かに確実に居る、敵――カゲナシへの対応の方が大切だ。


「風属性のカゲナシとなると、土属性の馬崎さんは属性不利です。後ろに下がってください。私と、浩一こうさんで前衛を組み、氷室さんと香奈ちゃんで後衛を担当」


「いよっしゃ!!」


「……ふん!!」


「任せてくださいお姉さま!!」


 言葉もなく馬崎さんが後ろに下がったのを確認すると、私と浩一こうさんが前に出て、その三歩後ろに氷室さんと香奈ちゃんが立った。


「……行きましょう」


 リーダーらしい言葉を口にして、私たちは、人気のない円山公園の坂を、ゆっくりと上り始めたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 はたして、カゲナシは三体、竜馬像の上を回遊していた。

 ガガンボが大きくなったようなそれは、人を喰らうことまではなくても、害を与えることはできるサイズのものである。


 昼は円山公園の森の中にでも隠れ、夜に、酔っぱらって円山公園を歩いている人などを襲っていたのかもしれない。

 なんにしても、今日は人がいないようでよかった。


 もし、人が襲われている場面に遭遇していたら、『天眼の衛士』についての説明も必要だが、いろいろと手続きが面倒になってくる。


 そして――。


「どうするお嬢。先制イニシアチブは取れるぜ」


「……今夜の相手はこれだけでしょう。最初から、全力で行きましょう、浩一こうさん」


「おっけおっけ!! そう言ってくれると信じてたぜ、流石は俺のお嬢だ!!」


 人の目がないおかげで、急いでカゲナシに対して攻撃を加える必要がない。

 彼らの目を盗んで、こっそりと近づき、先制攻撃を仕掛けることができる。


 まだまだ、『天眼の衛士』としての技量が未熟な私たちにとって、カゲナシたちに対する奇襲攻撃は卑怯でもなんでもなく、当然として取るべき行動であった。

 ゆっくりとゆっくりと、巨大なガガンボたちの視界に入らないように、私たちは近づく。


 もう、よいのではないですか、と、香奈ちゃんが言った。

 その言葉と共に、浩一こうさんが私に視線を向ける。


 黙ったまま、私は彼の視線に頷いて応えた。


 すぐさま、浩一こうさんが槍を左手に持ち替えて、右手を使って印を結ぶ。それは火系の影縛術の中でも中位に当たる技。広範囲に向かって、火炎を放射状に吹き付ける――飛炎扇ひえんせんという術であった。


 ごう、と、朱色をした帯が、放射状にガガンボの群れに向かって吹き付ける。

 三体のうち二体が、まったく気が付かないうちに、その炎に身を焼かれて、その場に落下した。


 すかさず、私はその落下したガガンボの頭に、灼銅鎖を打ち込み絶命させる。

 カゲナシの体は、まるで影か霞か、致命傷を負うと、たちまちの内に霧のようになって、夜の闇の中へと消え去った。


 まずは、二体だ。

 しかしあと一体残っている。


「お嬢!!」


「分かっています。氷室くん、お願いできますか」


「……ふん。駄目太郎亭火男だめたろうていかなんのしりぬぐいというのが癪に障るが、仕方ない」


 あんだと、と、怒る浩一こうさんの前で、無駄口も叩かずに氷室くんもまた印を結んだ。

 大太郎亭と水月亭では流派が違う。その影縛術の原理についてはそれぞれの秘奥に属するため、その使う技が水系ということくらいしか、私にも分からない。


 たちまち、大気中の水を集めた氷室くん。

 闇の中にそれが尖り――氷の矢となって、炎を逃れたガガンボに向かって構えられるのを私は見た。


氷閃ひょうせん


 その一声と共に、氷の柱が闇を飛び交う。そして、空を飛んでいる巨大なガガンボの、腹と、頭と、羽を、瞬く間に貫いた。


 ぴぎぃ、と、鳴いて、ガガンボがその場に落下する。

 ひくりひくりと、蠢いているそれに向かって、私はまた、灼銅鎖しゃくどうさの先を叩きこんで絶命させた。


 闇へと溶け込んでいくカゲナシ。

 その姿を確認して、ほっと、私は息を吐いた。


「いつもながら、見事な手際です。浩一こうさん、それに、氷室くん」


「お嬢こそ。仕留めの一撃の鮮やかさ、お見事としかいいようがありません」


「気比学園から派遣された身としてはこれくらい当然だ。礼を言われる筋合いはない」


「おいこら、なんだその言い方。もっとなんかあるだろ氷室」


「当然を当然と言って何が悪い。まぁ、天崎の灼銅鎖しゃくどうさの打ち込みの速さ・正確さについては、素直に認めているが」


 ふん、と、何故か鼻を鳴らして顔を逸らした氷室くん。

 褒められたのだろうか。


 悪い気分がしないな、と、思う反面、とどめの一撃こんなことしかできない自分が、少し情けなくもあった。放っておいても、あとは絶命するだけのカゲナシに、少し早く、引導を渡しているだけだ、そんな褒められるようなことではない。


 私には、浩一こうさんや、氷室くん、そして、馬崎さんのような、単独で敵を蹴散らすことができるレベルの、強力な影縛術は使いこなすことができない。

 せいぜい、単体の敵を相手にする程度の術が精一杯だ。


 灼銅鎖だって、本来は補助武器である。

 それを使ってしか戦うことができない、それで敵にとどめ刺したくらいで、自分を褒めることなどできない。


「……私なんて、まだまだだよ」


 皆には、聞こえないようにそんな弱音を漏らした。

 山から吹きおろしてくる風が、私の弱音をちょうど隠してくれた。


 情けない。


 こんな形ばかりのリーダーで、本当に情けない。

 もし、瀬奈姉さまや――であったら、きっと先頭に立って、自ら影縛術を振るってカゲナシどもと戦うことだろう。


 なのに、こんな、申し訳程度の戦い方しかできないだなんて。

 自分はなんてダメなのだろう。


 そう、意気消沈しそうになった、その時だった――。


「あれ? 先輩?」


 不意に聞き覚えのある声が、背後から聞こえてきたのは。

 それと同時に、背筋が凍るような耐えがたい悪寒を、はっきりと感じたのは。


 人にカゲナシを狩る光景を見られたからではない。

 これは……。

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