一の節 鮮血の獣。




 鱗粉の一片が、青白い月夜に淡く舞う。


 広域に散る小雨の粒が、踊りながら遊ぶよう。青く燃える輪郭。白い灯火を内包する胞子のよう


 それは、生命の円環。


 それは、眞力マリョクの触媒たる可視化する眞素マソ


 それは、世界を席巻し、牽引する力の方向。


 検体けんたいを山とする高名な学者はうたう。世界には、棲まう総ての生命の精が満ちると。それらは生命の形を保てなくなれば、あおく昇る月の引力によって死せるこんが、白き円環へと招き寄せらる。罪に染まるぱくは、罪の重さ故に黒き地の底へと沈むとも重ねた。


 その、青く冴える月下。


 不自然に拓けた平地には、異形をかたどる黒く巨大な雄獅子が夜の影を落とす。 


 喉を震わせ吐き出される大音量の咆哮は、その欲望を表す歓喜と死の刻印こくいんを、届く相手に等しく与えているかのようだった。


 黒獅子の双眼は鮮血色。その禍々しい視界に収まるのは、現実にある危機とは隔絶した不動の姿勢。


 淡く青白い明度は、黒の外套姿がいとうすがたと白の外套姿の人影に似た二つの輪郭を浮かび上がらせる。


「たまには、正攻法で行ってみようか」


「任せる」


 会話する二種の音は、低く通る青年の声。


 人影を宿すには長身ではあるが、差は歴然だった。黒獅子の体躯たいくの高さは、青年達の三倍を軽く超える。

 大きな街道から外れ、棲息する獣の気配すら消えてしまった深い森林地帯の先にある現場。

 元より近くには人の集落、最後の砦たる聖法典セイホウテンの加護を掲げる救済院きゅうさいいんと呼ばれる施設もない。


 この黒獅子のように〝ケダモノ〟と呼称される異形種が各地で跋扈ばっこする、青い月アオイツキに照らされた夜。状況にある総てが絶望的だった。


 この場面でさえ、ほぼ同じ背丈の二つの形容は暢気のんきに短い言葉を交わし合う。


 目深に被る黒い頭巾フーザから垣間見えるのは、凄まじく整う口元。そこに、状況を無視したような笑みを浮かべながら、片足を浮かせ一歩いっぽ先へと降ろす。


 しかし、黒の靴底は地面に触れず、何かの抵抗によって空間の上に乗っていた。


 運悪く風の眞素マソが踏まれ、間もなく八角形の薄緑の光の枠をつなげ、あるいはあふれる。


「足場に問題はない」


 黒の装束姿の青年が放った、確認の一言の直後。事態は動き出す。


 無垢だった眞素マソに敵意が注ぎ込まれ、黒獅子の周囲で踊り猛る。青い月アオイツキに染まる夜を灼く程に、天へ向かい狂い咲く巨大な紅蓮ぐれんに似た眞素の具現ぐげん

 あるいは夜空に消え失せる事なく、黒い巨躯にあおられる火の粉のすえと思わせる。


 大振おおぶりの黒い頭巾フーザが、灼熱を含む風圧に応じて後ろに払われた。


 黒い巨軀に対峙たいじする、右側に立つ青年の素顔が熱波に曝される。しかも、一瞬で消し炭になるであろう高温の中にあっても、小揺るぎもない姿勢と黒の装束があった。


 凄まじく整う容貌ようぼうよりも、誇張する特徴。風圧に舞う髪の色は岩群青いわぐんじょう。鮮血に陰が落ちる、どこにも属さない似紅色にせべにいろ双眸そうぼうが、青い月アオイツキの夜にひらめいた。





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