生まれた時はみんな同じ

その子は私が産みました。

1994年1月22日の夕方ごろだったと思います。

私は旦那より早く仕事を終えて、自宅に帰ろうとしたらキテしまったのです。

生まれる前にそうまでして抵抗するのかと頭の中で思いながら、旦那より先に119番に連絡しました。

そこから病院で目覚めるまでは記憶がありません。

目が覚めたら元気な赤子が私のそばにいました。

笑っているかなんて、わかりません。でも、笑っているのだと思います。

いや、笑っていました。

「おまえ、ほんまようやったな」

旦那は泣きべそかいた声で笑顔で言い寄ってきました。

「生まれたで、生まれたんや。女の子や!」

私は旦那の声掛けに笑顔でうなずきました。

そのあと私の記憶にないこと早口でしゃべってたような気がするけど、そんなこと聞く余裕なんて私にはありませんでした。

でも、病院食にしてはすごく豪華だった退院までの日の食事は今でも忘れません。


いつも通り仕事してた時の話やった。

嫁は飯を作りに先にあがって職場から出て行った。

それから出先から帰ってきた社長さんから「いつ生まれるんや?」なんて聞かれて、「もう一か月もないですね。」なんて他愛のない話をしていたら携帯電話が鳴った。

それは義理の母からやった。

「あゆちゃんが病院に運ばれたで」

それだけはしっかり聞こえた。

その後のことはてんやわんやであんまり覚えてへん。

でも、生まれた赤子の産声は覚えてる。

それはそれは静かな病院中に響き渡るような大きな声やった。

看護師に見せてもらったときはうれしいと不安が交じり合って変な声出てたような気もしたけど、男がそんなことあるなんて思いたくない。

嫁が目を覚ました時は涙は枯れてたけど、少し不安やった。

でも、男が涙を流すわけにも行かへんから笑顔で赤子のこといってやった。

「生まれたで、生まれたんや。女の子や!」

そしたら、今まで見たことない笑顔で頷いてくれたんよ。

あん時の笑顔は今でも忘れられへん。

あれが俺のみた最後の満面の笑みやった。

それから毎日職場と病院を通う日々や。

忙しかったはずやけど、毎日楽しくてわくわくしてたな。

でも、退院してからはそら大変な日々の幕開けよ。


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羽が生えた時にはもう遅い @mimizuiroshine

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