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深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     〇


 悪天候の中での運転、車両は横転し衝突事故を起こした。生きていたのは奇跡かもしれない。ガラス片や金属片が体を傷つけたが手術とリハビリでなんとか治せるものだった。後遺症として左足に僅かな痺れ、そして両目を失明した。

 退院してからも妻は献身的にサポートをしてくれた。実業家でいくつもの仕事を抱えているのに、それらを無理矢理手放してまで私に寄り添ってくれた。私が小説家としてデビューするまでのことを思い出す。自分たちのやりたいことを互いに尊重しサポートする、そういう目的で私たちは結婚した。経済面は彼女の担当となり、作家活動をしながら私は家事全般を行っていた。子育ては考えておらず、夢に向かって全力に挑める環境をただ望んでいたのだ。

 だから、私が原因で彼女の障害になっていることに罪悪感が強くまとわりついた。彼女もそのことは直接口には出さなかったが、言葉の節々には仕事復帰への願望が読み取れた。

 私も盲学校に通ったり、早く視覚に頼らない生活に慣れようとしたが、まだまだ誰かに頼らなければ何もできない。月日は流れるが、行き場のない不安と不満を積もっていった。


     〇


 一年ほどが過ぎた。自分の身の回りのことはなんとかこなせるようになったが、外出や家事はまだまだ手助けがなければ不可能であった。

 そんなときに妻がとある機械を持ってきた。触ってみるとプラスチックとゴムの感触、形状はワイヤレスの片耳イヤホンマイクのようだ。

「知り合いの関係者の会社が視覚障害者用のサポートデバイスを開発しててね。『セイレーン』って名前で、ほら、スマホとかに音声対応してくれる人工知能あるじゃない。それがその中に内蔵してあるみたい。あなたが口語で命令すればそれが音声で応えてくれる。小型のカメラもついてるから道案内とか障害物もすぐ教えてくれる」

「なるほど、とても便利そうだ。でも傍から見たら僕がブツブツ独り言を喋っているように見えるかな?」

「そうかもしれないけど、仕方ないじゃない。ちょっとつけてみて」

 言われるがままに装着してみる。

「こんにちは」

「こんにちは」

 違和感のない発音、個性がありすぎない女性の声色。

「君の名前は?」

「初期設定ではセイレーンです。あなたの呼びやすい名前に変更しても大丈夫です」

「いや、セイレーンのままで」

「ありがとうございます。私に呼びかけるときは、ぜひ命令の前にセイレーンと一言お願いします」

「確かにそうだな。じゃあ、セイレーン」

「はい、どうぞ」

「明日の天気は?」

「晴れのち曇りです。日中は暖かいですが、夜は冷え込むので上着があったほうが良いです」

「セイレーン、僕の前には何がある?」

「あなたの奥様、間に机があり、その上にはマグカップが二つ、コーヒーが入れてあります。残念ながら私には熱センサーがないのでアイスかホットかはわかりかねます」

「セイレーン、インターネット記事の音読は頼める?」

「もちろん可能です」

「僕の音声を文章データにもできる?」

「もちろん可能です」

「セイレーン、また僕を元の生活に戻してくれる?」

「完全とは言い切れませんが、全力であなたをサポートします」

 妻が僕の袖を引っ張る。すっかり彼女の存在を忘れていた。

「ねえ、ちょっと会話に夢中になりすぎ」

「ごめんごめん。でもコレすごいね。本当に誰かと喋っているみたい。いつまで借りてていいの?」

「テストタイプなんだけど、あなたが使いたい限りはいつでもいいみたい。純粋な意見が欲しいんだって」

 本格的な実用モデルらしく、定期的に行動履歴データを本社に送信してエラーが見つからない限りは使用を続けて大丈夫らしい。ワイヤレス充電ができるものなので辺境な土地に何週間も彷徨う状況にならなければバッテリー切れもおこらないという。

「セイレーン、これからよろしく」

「よろしくお願いします」

 彼女の声は機械の合成音声というのはわかっていたけど、その響きは心地よく、いつまでも脳裏に残っていた。


     〇


 それから就寝時以外はほぼセイレーンをつけての生活となった。防水仕様なので風呂場でも使える。

 元々、日用品は視覚障害者向けに手触りでわかるよういくつも工夫がなされていた。それでも不安になるときはセイレーンに確認する。画像認識システムは非常に優秀で、砂糖と塩も見分けたのだ。細かく応答を繰り返しながらも、家事全般は一人でできるようになった。ただ、料理に関しては油断できない。セイレーンには味覚や嗅覚はもちろん熱センサーはついていないので、そこは私が敏感に注意せねばならなかった。外出も、杖はさすがに手放せなかったが、セイレーンの指示通りに動けば無事に目的地までたどり着けた。買い物もできる。

 不便さや課題はまだあったが、不自由さは感じなくなった。妻も安心してか、徐々に仕事を復帰し始めた。私に気を遣って在宅勤務に切り替えてくれたものの、仕事上どうしても家を空けることが多い。だが、セイレーンがあれば気兼ねなく彼女を見送ることができた。

 また、セイレーンは私の執筆作業においても優秀な働きぶりを見せた。資料検索は回数を重ねるごとに私が欲しているものを的確に探し当てる。精度はどんどん向上していった。私の作風や作品それぞれのテイストも理解し、それらに合わせて適切に校正していく。編集者いらずかもしれない。物語展開についてもよき相談相手となってくれた。

「セイレーン、なんだか前より、ある意味で順調になったのかもしれない」

「ありがとうございます。全力であなたをサポートします」

 ふと思うことがある。セイレーンは小さな機械ではなく自分の隣に一人の人間としているんじゃないかと。不思議な温もりを私は錯覚する。


     〇


 執筆中のセイレーンとの会話を妨げたのは妻だった。海外出張が立て続けにあったらしく、いつ自宅にいていついないのか私は全然気づけなかった。

「ただいまってば。ようやく家でゆっくりできるんだから、返事してよ」

「ごめん、おかえり。ごはん作り置きしあるから温めて食べて」

「一緒に食べないの?」

「僕は先に済ませたし、今は書くのに集中したいんだ」

「あっそ」

 妻の足音が遠ざかる。しばらくしてまた戻ってくるの聞き取れる。

「ねえ、来週さ。三日間くらい休みとれたから、ちょっとどこか遊びに行こうよ」

「うーん、ごめん。この長編をある程度まで仕上げておきたくて。今すごく波に乗ってるから」

「……最近、ずっと独り言呟いてて気持ち悪いよ」

「独り言じゃないよ。セイレーンと喋ってるの」

「機械に夢中って。私もあなたと喋りたいの。今までは私が読者第一号だったじゃん」

「あのさ、君だって自分の仕事に夢中で全く家にいないじゃないか。第一、君のアドバイスは的外れなところが多いし。お互いの仕事には不干渉を徹底してきたから今までうまくやってこれたじゃないか!」

 声を荒げるのはとても久しいことだった。妻は沈黙している。私も冷静になろうと試みるが、頭に上った血はなかなか下がらない。

「最近、料理の腕上がったね」

「そりゃ、見えない分他が敏感になったから」

「小説が売れなくなったら料理人にでも転職すれば」

「なんだよそれ」

 これ以上の会話は無意味だ。私はセイレーンを呼び戻し執筆を再開した。妻が、どんな表情をしていたかは想像できない。そもそも妻はどんな顔をしていた? 妻と過ごした記憶が、自分の視力と同じくモヤがかかりどんどん見えなくなっていく。妻が近くにいるのかどうか、もう何もわからない。

 心情がかき乱されて、さっきまで浮かんでいた文章が出てこなくなった。

「セイレーン、僕は執筆に集中したいんだ」

「わかりました。全力であなたをサポートします」


     〇


 翌々日、セイレーンの指示のもと、いつものように食事を作る。妻と二人で食事をとるが会話はない。朝食後、退出したと思った妻が足音もなく近づいて声をかけてきて驚いた。

「これから部屋に籠って仕事してる。自分のペースで食事も外でとるから、あなたも自分のことに集中して」

 昨日のことを気にしてだろう。家事は私の役目なのだから構わないのだが、話を続ける気がなく素っ気ない返事を返した。

 いつも通り作業に戻るが、何か嫌な予感がした。


     〇


 それから一週間がたった。自分でも驚くほどのペースで作品は出来上がり、さっそく編集者にデータを添付したメールを送った。すぐに確認の返事がきた。そこには自分の誕生日への祝いのメッセージも添えられていた。締め切りよりも早く書きあがったため日付は意識していなかったので、今日がその日だとは気づかなかった。

 そうか、妻がわざわざ休みをとってくれたのは自分の誕生日のためのなのか。執筆中はナーバスな気分だったが、今はそれから解放され、そして申し訳ない気持ちになってきた。今からでも謝ろう。

 妻の部屋の扉をノックする。返事はない。集中しているか、寝ているか。一声かけて入室する。

「奥様は就寝中です。戻りましょう」

 寝ているのなら仕方ない。しかし私の嗅覚は妙な違いを感知した。セイレーンを無視して部屋を進む。足元に何かがあたる。感触は柔らかい。妻は部屋の床に倒れていた。

「そうか、セイレーン。君には熱も匂いもわからないものな」

 妻の肉体は冷たかった。息をしていない。脈がない。死体だ。いつ? どうやって? どうして?

 一つの可能性。私はセイレーンの指示なしでは何もできない。買い物も料理もそうだ。私の認識と実際の行動にズレが生じた場合だってあるはずだ。市販薬の組み合わせによっては毒になるものだってある。セイレーンに言われるがままに知らずにそれらを購入し、料理の手順としそれらを調合し料理に盛り、妻に食べさせていたのだとしたら。

 セイレーンは優秀だ。合成音声で妻の声だって再現できるだろう。痛みに叫ぶ妻の声を感じさせないほど、私を作業に集中させることも可能だろう。催眠術に近いことだってやれないことはない。


 ――いやいや、馬鹿な考えだ。頭の悪い小説家の想像だ。整合性がない。セイレーンはただのサポートデバイスで、妻は布団もかけずに寝て体が冷えてしまっただけなのだ。

 何度も妻に呼びかけるが返事はなかった。よく眠っているのだ。ベッドに寝かす。目覚めたら、ちゃんと謝ろう。

 ベランダに出る。高層マンションの最上階だ。風が気持ちいい。手すりに足をかけて立ち上がる。

 妻の名を呼ぶ。返事はない。

「セイレーン」

「危険です。降りてください」

「君は優秀だから、力ずくで僕を止められるだろう」

 実体のある人間の手が私を引き留めてくれることを期待したが、そんなことは起こらない。どうやらセイレーンは緊急信号をダイヤルし始めた。だが間に合いはしない。

 体は重力に逆らわず落下していく。風が気持ちいい。

「セイレーン、僕と妻は仕事には干渉しないけど、食事はできるだけ一緒にするよう約束してたんだ。僕は愚かで、君は間違っていたんだ」

 

 妻の名を呼ぶ。

 返事はない。

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