特別宿舎の聖母

 聖女モーリィは解体の終わった鶏肉を調理台に置いた。


 解体作業はフィーアが行っているものを残し全て終わっている。

 モーリィは焦らずやるように伝えると、他の女騎士達を見ることにした。

 彼女たちに頼んだ皮むき作業はほとんど終了しているようだ。


 男前イケメンな笑顔でサムズアップをだす女騎士ごりら達に、笑顔でサムズアップを返す聖女オカン


「普段から刃物慣れしているだけあって皆さんとても皮むきが上手ですね。では、次はこの食材を切っていただきます。まずは私が手本を見せますね」


 モーリィはニンジン、玉ねぎ、ジャガイモといった大量な食材をまな板の上に無造作に置いた。

 そしてナイフを手に取るとまぶたを閉じて静かな深呼吸。

 女騎士たちが固唾をのんで見守る中、聖女は空色の目をカッと見開き「あちょーっ!」と間抜けな声をだしながらカッカッと切断・・していく。

 まるで流れるのような勢いで、鍋一個分の食材をあっという間に綺麗に切断・・し終えてしまう。


 ナイフを持った細い腕が無数に見えた……あり得ない速度だった。


「できるだけでいいので、こんな感じで均一に切っていただけますか? 指を切らないように気をつけて作業をしてくださいね」


 聖女はナイフを片手に握ったままにっこりと微笑む。

 汗一つどころか、頭巾に覆われた銀糸の髪には一本の乱れもない。

 女騎士達は一斉に、同時に、力強く首を上下に振った。

 背中には変な汗がにじんでいた。

 それはかつて彼女達が、王都に巣食う暗殺集団を壊滅するため、闇ギルドを襲撃カチコミした時と同等以上の重圧だった。


 解体した鶏肉、フィーアに部位ごとの切り分け方などを教えながらモーリィは切断・・していく。

 それを見たフィーアの白皙の顔は再び引きつっていた。


 女騎士達にとって少々ショッキングな出来事がいくつかあったが、料理に必要な下ごしらえは全て終わったので、かまどに火を入れることになった。

 そこで聖女は、ぽつりと独り言のように呟く。


「……前々から思っていたのですが、特別宿舎の設備は凄いですよね? 王国文化の最先端って感じがします」

「最先端……なの?」

「そうですよ!!」


 フィーアが何気ない追従の相槌を打つと、モーリィは待ってましたとばかりに堰を切ったように喋りだした。


「いいですかフィーアさん? 各部屋には水道管が当たり前のように通ってるし、下水道も完備だし、大部屋には魔道具の照明とかもあります。台所もそうです! こっちのかまどなんて普通の家庭では使われないような大型の高級品で、パンとか焼ける機能もついているんですよ。これはとてもとても凄いことなんですよ? あ、ちなみにここの円形のプレートはですね、火を入れた時に鍋を乗せておくと余熱でお湯とか沸かすことができるんです。しかもですね……」

「え、ええ……?」


 元々、特別宿舎は高貴な方々が滞在するための施設で、炊事場などもお抱えの料理人が満足できる高級な設備が整っている。

 それがどれだけ凄いことなのかを他の者にも知ってもらいたくて、モーリィは新築の家の台所自慢をするオカン状態になっていた。

 興奮したように身振り手振り万歳で喋り続けるモーリィに言い知れぬ恐怖を感じ、フィーアは他の女騎士に救いを求めたが全員にソッと顔を逸らされる。

 彼女達は女騎士イケメン故に、女性・・のこの手の話題は黙って聞く以外に対処方がないことを知っているのだ。


 十数分後……フィーアが涙目になったあたりで、お喋りな聖女の台所自慢熱はようやくおさまり、作業を再開することになった。


「最初はこれくらいの量の炭で様子見をしまして、少しづつ薪を追加して火加減の調整に慣れていくといいですよ。それにこのかまどには火力調整用の吸気弁もついているので簡単に微調整もできますね」

「そうやって、やるんだ……」


 以前、フィーアが調理に挑戦した時は、炭と薪をかまどに目いっぱい突っ込んで最大火力で燃やし焦がしていた。

 少し考えたり観察すれば分かりそうなものだが、人は普段あまり関わり合いのないことや興味が薄いことには中々知恵が働かないものだ。


「では火を点けますね」

「ちょっとまってね……」

「はい?」


 フィーアは騎士服の胸ポケットから術式札を取りだすと、目を丸くするモーリィに構わず、かまどの中に入れて発動させた。

 大きい火が一瞬だけ噴き、すぐに消えるが炭に着火できたようだ。


「……つけたわ」

「あの、火は火打ち石を使って点けるのですが」

「え? ……あっ」

「術式札を、かまどの火を入れるたびに使っていたのでは値段的に割に合わないかと……流石の騎士団長も燃料費では出してくれないと思います」

「……うん、ごめんなさい」


 しょぼんと落ち込むフィーアにモーリィは不思議な気持ちになった。


(フィーアさんみたいな完璧そうな人でもこんな失敗をするのか……いや、それは当たり前か、できないことを補うために人は協力し合うのだし)


 まさに今の聖女と彼女達の関係がそうだった。


 モーリィは「いえいえ、次からは気をつけてくださいね」と微笑んだ。

 そしてついでとばかりに、隣のかまどにも火のついた炭をトングでつかみ入れて着火する。

 同じように続けて二つ、合計四つのかまどに火を入れた。

 一つは蒸し焼き用、残りの三つはシチュー用である。

 モーリィはフィーアにシチューの作り方を教えながら調理をすることにした。

 その間、手空きになった他の女騎士達にも仕事を割り振って頼んでおいた。


 オカンモーリィの指示の元、女騎士達は連携し任務を遂行していく。


 熱した鍋に油を引き野菜と肉をいれてかき回しながら炒めて、次に小麦粉をまぜまぜ、水と牛乳を投入して塩などで軽く味を調えていく。

 ここまでモーリィは計量用のカップや秤を全く使わず、鍋に食材や調味料を無造作に突っ込んでいった。

 その様子を見ていた女騎士達は『えええ……』という不安げな顔をする。

 フィーアも『え? 料理ってそういうものなの?』と物言いたげな顔をしていたが、モーリィに勧められて一口味見をしてから驚く……その味付けは素晴らしく丁寧で美味しかったからだ。


 モーリィは全く意識せずにさり気無く行ったが、目分量だけできっちりと味付けされた料理を平均的に作れるのは優れた料理人だけができる高等技術であった。


 そんな一喜一憂する彼女達をよそに、モーリィは蒸し焼き作りに取りかかっていた。

 鍋の底にざく切りにした大量のキャベツを敷きつめ、その上に薄く切った鶏肉をドサドサ、後は水と果実酒と塩を投入してフタを閉めて蒸すだけ。

 合間にトマトとレタスで人数分のサラダをささっと作った。


(少し雑だけど大人数だから問題ないかな……それにもう、いい時間だし)


 フィーアは三個のシチュー鍋の前に張りつき、モーリィの指示通りに焦がさないよう必死に木べらで鍋をかき回している。

 モーリィは与えられた仕事を終えて行儀よくテーブルについている女騎士達を見た。

 普段の夕飯より遅い時間だ。

 辺りにはシチューと蒸し焼きの胃袋を刺激する良い匂いが漂っている。

 十二人の女騎士ごりらはしきりに喉を鳴らしており、そのうちお腹を空かせた女騎士子ブタになってブヒブヒ言いだしそうな雰囲気であった。

 

(こ、これは急がないと……)

 

 モーリィはパン籠の中からの硬いパンを取りだす。

 このまま出してもいいのだが、せっかくだしパンを輪切りにして軽く炙ってみることにした。


 それからすぐ、女騎士達の想像以上に豪華な食事が食堂に運ばれた。


 各種の具が沢山入ったシチューは、口に入れれば舌の上でとろけるように濃厚でほくほくとした味わいを提供してくれる。

 シンプルな味付けの鶏肉とキャベツの蒸し焼きは、しっとりとした、しかし確かな歯ごたえで食欲を増進させる。

 レタスとトマトを切っただけのサラダでさえ瑞々しく輝き、油と酢と塩で作られたドレッシングは黄金律の完璧な割合である。

 バスケットに山盛りに積まれたパンはカリカリに焼きあがり、表面にほんのりとかけられた粉チーズとハーブがほどよい食感を演出するだろう。


 長机に全ての料理が並べられた時、女騎士全員の拍手があがった。

 モーリィは十四人分の食事をわずか半刻ほどで作りあげたのだ。

 女騎士達の協力があったとはいえ彼女の手際は素晴らしいものであった。


 長机に全員がつく。


 モーリィは主人席――俗にいうお誕生日席に困り顔でちょこんと腰をおろしていた。

 これについてモーリィは、十三人の女騎士の第一席であるアインが座るべきではないとか指摘したが、そんな聖女の肩にアインの大きな手の平が乗せられおんな前の笑顔でサムズアップされた。

 十二人の女騎士も一斉に頷き、おんな前の笑顔でサムズアップしたのだ。


 特別宿舎内での権力構造が完成した瞬間であった。


 最高権力者であるオカンモーリィに女騎士全員の視線が集中した。


「え、えーと……では皆さん、どうぞお召あがりください」


 お腹を空かせた女騎士達の食欲は凄まじかった。

 聖女モーリィは彼女達の胃袋をがっちりと掴んだのである。




 モーリィは食事を済ますと女騎士達の給仕に回ることにした。


 彼女は聖女になってからというもの食が細くなっていた。

 とはいえ普通の女性並みには食べるのだが、これは砦の肉体労働者達の食べる量が異常なだけであった。

 細身の女騎士フィーアですら、男の時のモーリィよりも多い量の食事をあっさりと平らげている。


 魔獣討伐、治癒回復、砦の騎士さるの調教。


 できる仕事を考えると、聖女モーリィの燃費が良すぎるのか、それとも砦の騎士や女騎士の燃費が悪すぎるのか判断のつかないところだ。


 それにしても女騎士達は本当に美味しそうに食べた。

 そしてお代わりを何度も頼んだ。

 上品だが気持ちのいい食べっぷりに作った聖女も嬉しくなってしまう。

 気がついたらシチューの入った二十人前の寸胴鍋は二つも空になっていたのだ。


 そうして食事が終わり、全員で後片付けと洗い物を済ませる。

 モーリィは明日の朝の下準備をすることにした。


(使い残りのジャガイモとニンジン……明日の朝はシチューが足りなくなるだろうから、ソーセージとか足してスープでも作っておくかな)


 ついでに取り分けておいた鶏肉の足などを、ハーブで下ごしらえして一晩寝かせておくことにした。

 これも朝一番で焼けば美味しく食べられるだろう。


「皆さん、食べたい物の希望とかありますか? 好物があるなら作りますよ」


 大満足ですと、緩んだ雰囲気でお茶や果実酒を飲んでいた女騎士達に、モーリィは何気なく尋ねた。

 瞬間……彼女達の空気が変わった。

 モーリィはその雰囲気に驚いてしまう。

 女騎士ごりら達は無言で椅子から立ちあがると、ぞろぞろと食堂の隅に集まって肩を組んで円陣を組みだした。

 そして頭や目を動かしながら会話をしている。

 モーリィには理解できないが、彼女達だけで意味が通じる特殊なやり取りジェスチャーをしているようだ。

 ただ白熱していることだけは聖女にも何故か分かった。


 まるで森の賢者の集会である……全員の目が恐ろしく真剣だ。


 しばらくすると輪の中から伝令者のフィーアが歩みでてモーリィに尋ねる。


「あの……何でもいいの?」

「え、ええ、食材の関係もありますけど、私の作れる料理なら何でも」

「それで……何個まで?」

「え? 何個? あぁ……ええっと、食べたい物があるなら何個でも問題はないですよ」


 うほっ!? ……という声にならない歓声が女騎士達からあがった気がした。


 最近のモーリィは、フィーア以外は全く喋らない女騎士達とひとつ屋根の下で生活しているせいか、そこはかとなく察することができるようにはなっていた。


(そのうち、私も喋らないで会話できるようになるのかな?)


 それはそれで嫌だなぁ……と、お喋り好きな聖女は思った。


 フィーアから伝えられた料理は全てモーリィに作ることのできるものだった。

 そのことに騒めく女騎士達。


 そしてまた円陣を組みだした……森の賢者の集会再びである。


 その後、フィーアから料理の希望が何度も伝えられたが、それらも全て聖女に作れるものだった。

 モーリィが故郷から合わせ、幼いころから参加していた井戸端会議によって得た料理レシピは並みではなかった。

 中には遥か遠方の郷土料理などもあったが普通に知っていたのだ。


(様々な地方の料理……そういえば女騎士も希少クラスだし、彼女達も色々な場所から連れてこられたのかな?)


 モーリィは自分が砦街にきた経緯を思い出し、辛かった境遇を重ねて彼女達に対して優しい気持ちになる。

 聖女おんなになった時も支えてもらっているし、料理くらいで恩を返せるならいくらでも作ってあげようと思った。


 聖女は「皆さん楽しみにしててください、順々に全部作りますので」と豊かな胸の前で指を組むと、にっこりと慈母のような笑みを見せたのだ。


 モーリィは突然、女騎士アインの太い腕に腰から抱きしめられた。

 アインの体は女騎士の中でも一番大きくごりらのようである。

 体格の差から足が床から完全に離れて、下腹部に当たる硬い腹筋・・・・の感触に清らかな聖女は首まで真っ赤にしてしまう。


「と、突然何ですかアインさん!?」

「……モーリィ、私と結婚して毎日料理を作ってくれって……アインが言っているわ」

「え、ええぇっ!?」


 フィーアの翻訳。

 他の女騎士ごりらの目が一斉に光り、ウホッウホッとモーリィに詰め寄ってきた。


 その日、聖女モーリィは十二人の女騎士に求婚されたのだ。


『希望の伴侶を得たければ相手の胃袋を掴みなさい』


 料理の得意な父ステファン・モルガンが幼い頃のモーリィに語っていたことだ。

 その横で父の作った料理をパクパクムシャムシャオイチーと幸せそうに食べる母アイラ・モルガンを見て実感したものだ。

 まさか再び実感できる日が来るとは夢にも思ってみなかったが。


 危うく女騎士ツヴァイの求婚を受けそうになったのは聖女だけの秘密である。

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