特別宿舎の幽鬼

 聖女モーリィは特別宿舎の炊事場にいた。


 調理台を前にして、ナイフ片手に立つモーリィの隣には女騎士フィーア。


 騎士服の上にエプロンを着け、戦闘時の頼もしさはどこにやら、お腹の前で手を合わせ非常に緊張した様子だ。

 癖毛一つのない長い黒髪に、女騎士としては珍しい女性的な白皙の美貌。

 以前は幽鬼じみた顔色だったが、最近は血色が良くなりだいぶ緩和されていた。


 聖女が女騎士達のために朝夕の食事を作るようになったからだ。


 ◇


 モーリィが砦街に来る以前から、砦には女騎士が数名ほどいた。

 それが十三人に増えたのはモーリィが砦に来たのと同時期の二年ほど前である。

 その中でも探知の術式札を使える女騎士フィーアは、特別宿舎の警備責任者として、宿舎の中で常時待機していた。

 そのため外の食堂などは使えず自炊を余儀なくされたのだが、彼女は今までの人生でまともに料理をしたことがなかった。


 料理が出来ない……特に珍しいことではない。


 砦街の騎士は砦街という特殊な環境のため平民出の者が多いが、貴族兼任の騎士や高貴な者にとって家事等の雑用は下働きの者が行うのが一般的である。

 まして情報共有と伝達の手段が少ない世界では、料理の仕方は料理人に従事して学ぶか家庭ごとに伝わるものを習得するしかないのだ。

 そのような事情が女騎士にも当てはまるかは不明だが、砦の騎士達を遥かに凌ぐ高い能力を持っている彼女達だ。

 平民出だとしても、高水準の技能を得るために料理などの家事を習得する機会は少なかったのかもしれない。


 フィーアも最初は出来ないなりに挑戦したのだが焼く以外の調理法を知らず、それすらもよく焦がしていたため最終的には諦め、食べられそうな食材を生で食べるという野人のような食生活になっていた。

 見るに見かねた他の女騎士が、食事の時だけでも交代で警備任務を受け持とうと提案したのだが、なぜかフィーアは頑なにそれを拒んでいた。



 あくる日のことである。

 休日のモーリィが久しぶりに料理でも作ろうかと炊事場に入れば、薄暗い食堂の片隅に座る女騎士フィーアを見かけた。

 硬いパンやハムの塊、生野菜などを蛮族ごりらのようにテーブルの上に直置きして、ナイフ片手に陰気な顔で食べている姿を目撃してしまったのだ。


 ごりごり……むしゃむしゃ……ごりごり……。


 まるで墓場から這い出た幽鬼が死肉を漁っているような光景に、聖女モーリィは恐怖のあまり万歳しながら『ひぇ!』と悲鳴をあげてしまう。

 粗相をすることはなかったが少しだけ危なかった。

 そして珍しく目を丸くしているフィーアに事情を聞き、あまりにも悲惨すぎる食生活にモーリィは涙した。

 すぐさま手持ちの食材だけで、簡単な肉野菜炒めとスープを作ってあげたのだ。


「……おいしいわ」

「そ、そうですかっ!!」


 手抜き料理なのに、フィーアは表情の薄いを美貌を喜びに染めモリモリと食べている。

 情に脆いモーリィは、飢餓児童のような哀れみを誘う女騎士の姿に口に手を当てて再び涙してしまう。


 最近の聖女様は涙腺がやたらと緩かった。


 聖女モーリィは女騎士フィーアの食生活を改善すべく騎士団長の執務室へと向かった。

 特別宿舎内でフィーアのために朝夕の食事を作る許可をもらうためである。

 たまに調理するならともかくとして毎日となると、食材や燃料となる薪や炭などを定期的に入れてもらう必要があるからだ。


「ふむ、確かに彼女の顔色の悪さは前から気になっていた。いいだろう条件付きで許可しよう。そうだな……調理は一人で行わずに女騎士達にも手伝ってもらい全員ですること。それが守れるのなら人数分・・・の食材とかかる燃料費等は全て砦で負担しよう」


 護衛の女騎士ツヴァイと一緒に来ていたのだが、騎士団長の人数分という言葉に二人して顔を見合わせてしまう。


「どうしたモーリィ? まさかフィーアのためだけに君が料理を作るのでは他の者に不満がでるだろう……例えば君の同僚のミレーとかに?」

「あ……確かに」


 モーリィにも容易に想像出来ることであった。

 下手をしたら彼女が特別宿舎に住み込みで居つく可能性もある。

 モーリィの脳内で、球体の影さんを肩に乗せた陽だまりの髪と鳶色の大きい瞳をした少女が太陽のような天真爛漫な笑顔を見せた。


(うーん、それは非常に不味い気がする……貞操的な意味で)


 脳内のミレーさんがずっこけた。

 最近の聖女の中で、彼女の株は下がりっぱなしであった……具体的には騎士トーマスと同じ枠である。


「まあ、本来であれば聖女の君に下働きのような仕事をさせるのはよろしくないのだが……君は自分のことはともかく、他の者のことになると言っても聞かないからな」

「は、はい、すいません」


 からかうような騎士団長の指摘に、頬を染め首筋を押さえながら恥ずかしそうに体を縮こめるモーリィ。

 ツヴァイの貴公子然とした顔が微かに動いた。

 

 砦では騎士団長と一部の者、そして女騎士達しか知らぬことだが、最近の王都では聖女を王宮へ強引に呼び寄せようする、きな臭い動きがあるのだ。


 理由の一つが現在の聖女の容姿だった。


 白銀色の髪と澄んだ空色の瞳に儚げな美貌。

 華奢な体と豊かな胸……まるで月の女神のような姿。

 王宮の奥で保管展示されている、王国の始まりの女王の肖像画。

 国母エミリアと聖女モーリィは母娘というほどにそっくりなのだ。


 王家の偉大なる始祖と同じ特徴をもつ者。


 それを置いても現在の王家には白銀色の髪を持つ者が失われて久しい。

 中には聖女と王族で婚姻を結ばせ、白銀の血を再び王家に入れるべきだと強硬に主張する者もいる始末だ。


 そのような者達からすれば、下手げな聖女の扱いは例え本人が望んだことでも騎士団長と砦街を攻撃する格好の材料となるだろう。

 もっとも、騎士団長にとって聖女・・を砦で預った時から、それらのことも織り込み済みなのかもしれない。


 何しろアルフレッド・バードリーという男は、敵に回せば一番愉快なやり方で戦いを仕掛けてくる嫌なやつである。

 王国で権力を持つ者達にとって騎士団長は容易に手だし出来ぬ人物であることは周知の事実であった。

 聖女をくだらない権力闘争に利用されないようにするための防波堤。

 それが砦街で彼女を預っている最大の理由なのだから。

 

「よーし! それでは早速、夕方から食事を作ることにしますねっ!!」

「モーリィ、君はたまに……いや、手配はしておこう、まあ程ほどに頼むよ」


 そのような王都の状況など全く知らず、いきなり場所も弁えずに上着の袖をまくって、胸部装甲たわわを揺らしながらフンスと気合いを入れる聖女。

 

 流石の騎士団長も苦笑して続ける言葉が出なかったようだ。


 ◇◇


 モーリィとツヴァイが執務室をでると特別宿舎に戻った。

 長いこと使われてなかった貯蔵庫の掃除をフィーアを入れた三人でしていると、食材と燃料の炭と薪を積んだ馬車が宿舎に届けに来た。

 とても早い仕事である。

 騎士団長アルフレッド・バードリーは性格はともかくとして、有能な男であることは確かであった。


 特別宿舎にいつの間にか全員いた女騎士と手分けして、大量の食材を掃除をしたばかりの貯蔵庫に運び入れる。

 白銀色の髪をまとめ、頭巾を被ったモーリィがそれらの陣頭指揮を執っていたが、最近の聖女と女騎士達の関係だと別段珍しいことではなかった。


 家の中ではモーリィオカンが強い……つまりそういうことである。


 モーリィは届いた食材を見て食事のメニューに少し悩んだが、女騎士達がどの程度出来るかを知るため、最初は調理が簡単な煮込みシチュー料理を作ることにした。

 それに手間が掛からない鶏肉の蒸し焼きやサラダを出せば、砦の騎士並みに食欲旺盛な女騎士ごりら達でも十分な量となるだろう。


 念のため、料理経験者はいるのかとモーリィが聞いてみたら、女騎士全員が一糸乱れぬ綺麗な動作で首を横に振った。

 毎回その動きに感動を覚えてしまう聖女は、ちょっとした幸せで満足できる安上がりな人であった。


 全員でおそろいのエプロンを装着する。

 貴公子や王子様のような容姿の彼女達が、普段は見ないような家庭的な格好することが珍しくて、モーリィは頬に手を当てしばらく眺めてしまう。


(何かこういうのもいいよね……ハッ!?)


 いつの間にかモーリィに集中していた女騎士達の『どうしたの?』という視線。

 赤面したモーリィは慌てて首を振った。


 女騎士達には野菜洗いと皮むきをお願いして、自炊しなくてはならないフィーアには調理の基礎を教えながら料理することにした。

 次の日の朝食も考え、二十人前の寸胴鍋三つで作ることにする。

 女騎士全員が食堂の椅子に座り、机いっぱいに洗った野菜を広げてナイフを使い皮むきを黙々と始めた。

 刃物の取り扱いについては全く危なげなく行っていく。

 その手際の良さに感心し、彼女達は本当に料理をしたことが無いのかと疑問に思いながらも、モーリィはフィーアと鶏の解体作業をすることにした。


「意外と……大変……ね」

「大丈夫です慌てないで、こういうのは慣れですからね」


 フィーアはおっかなびっくりで鶏の解体作業を行っている。

 女騎士随一の剣技をもっているとはいえ勝手が違うらしい。

 とはいえ筋は非常に良いので問題はなさそうだ。

 安心したモーリィも作業を行うことにした。


 そして驚くべき光景が展開した。


 聖女が「えいっやあったぁ!」という気の抜けた声をだしながら、あっという間に鶏をばらばらに解体してしまったのだ。

 見事すぎるナイフさばきに、皮むきをしていた女騎士全員が口を開け驚愕の表情を浮かべた。

 中にはナイフを取り落とし目を指で擦っている者もいる。

 そこで見たものが信じられなかったのだ。


 普段のドンくさいトロ子ちゃんぶりはどこにやら、モーリィのそれ・・は慣れ程度で出来る解体速度ではなかった。


「す、すごい速いわ……」

「そうですか? うちの田舎では男も女もこれくらいは普通に出来ますよ。ああ、ひょっとして速いかもしれないのは羽が最初から毟ってあるせいかもですね? 血抜きもされてますし下処理済みとは流石に都会は違いますよね」

「え、ええっと……そ、そうなの?」


(違う、そこじゃない!!)


 凄まじい剣技の持ち主であるフィーアですら弱気になって突っ込めなかった。

 他の女騎士全員が心の中で突っ込んだが、空恐ろしいものを感じてフィーアに伝えることが出来なかった。

 奇妙な重圧であった……モーリィ以外の全員の額に汗がにじむ。


 調理ナイフをもった聖女オカンは時に剣の達人をも凌駕するのだ。

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