ライトという騎士

 一人の砦騎士の話をしよう。

 騎士さるではない騎士ひとだ。


 彼の名はライト……ライト・ウォーカーという一人の若き青年騎士である。


 ライトは辺鄙な田舎の出であった。

 生家であるウォーカー家は先祖代々、村を守ることを役目とする村騎士をしていた。

 彼の父も、祖父も、そのまた祖父も。

 騎士になることについてライトに不満は無く、己もそのような人生を歩むものだと思っていた。


 成人の儀式で授かったクラスも父たちと同じ騎士であったのだから。


 村の老人方の畑仕事を手伝い、村の老人方の家の補修や買い物などの雑用を手伝い、たまに出る熊や猪などの魔獣討伐を鉈一本で殺っちゃう老人方の手伝い……いや、手伝ってもらって務めを果たす。

 いずれはこの寂れた村で美人ではないが気立ての良い働き者の女性を嫁にもらって子供を授かり、その子に学問を教え剣術を伝え、酒を飲める年になったら自身の若いときの武勇伝でも大げさに語って聞かせる。

 そして、やがては騎士の役目を受け渡し、畑仕事に趣味の釣りでもしながら年老いた妻と二人で穏やかに慎ましく暮らす。

 そういう生き方をするものだと思っていた。

 彼の父も、祖父も、そのまた祖父もそうやって生きてきたのだから。

 ところがあくる日、そんなライトの運命が変わる事件が起きた。


 村の廃村である。


 もともと若者が少なく、いても他の賑やかな場所に住み移って、村の過疎化はかなり進でおり人口を維持することも難しくなっていた。

 もちろん、ライトとしても気持ちは分からなくもない。

 同年代の中ではのんびり屋な彼ですら、この辺鄙な村を出て都会で生活してみたいと何度か夢見たことがあるのだから。

 老人方の殆どが先祖代々続く伝統工芸『苔盆栽鉢』作りの継承者だったので、その技巧が失われるのはあまりにも惜しいと、領主の発案で比較的人口の多い村への集団移住が行われることになった。


 余談だがこの伝統工芸品の苔盆栽鉢は、作務衣姿のえらく美人な女が定期的に大量購入していくらしい。


 先祖代々受け継いできた村騎士の務め。

 それが自分の代で終わりになるのは悲しかったが、これも時代の流れと諦めることができた。

 それよりも家族が傍にいなくなり寂しそうにしていた老人方に、孫ほど年の離れた熱心な弟子たちが出来て、彼らが活気づく様子を見ているのはライトとしても悪くはない気分であった。


 問題はライトの身の振り方である。


 ライトは村騎士として定期的に他の村騎士たちと交流しており、知らない仲ではなかったので、そのうち人手の足りない大きい村にでも助っ人に行くものかと思っていた。

 他の村騎士もライトのような若く素直な青年は、手元に置いて一緒に騎士の務めを果たしたいと願っていた。


 綺麗ごと抜きでぶっちゃけちまうと、世襲制の泥くさい村騎士はなり手が少なくなっており、自分の後継者として娘の婿か養子にでもしようと、どいつもこいつも密かにライトのことを狙っていやがったのだ。


 しかし、これらの思惑は全て撥ね除けられることとなる。


 それは領主の鶴の一声。

 ライトのような才能のある若者には、田舎で燻らせておかないで王都騎士の入隊試験でも受けてもらおう、そう言ったのだ。


 それを聞いたライトはただただ驚いた。


 実はライトの父と領主は幼き頃より剣の腕を磨き合うライバル同士であり、領主自身も騎士として王都で勤めていた時期があった。

 村の守護騎士の任を解かれ意気消沈しているだろう、かけがえのない親友の息子の力になりたくて試験を勧めた。

 仮に王都騎士になれなかったとしても、その経験はこれからのライトの人生の肥やしになるだろうと考えたのだ。


 ここがまさにライトの運命の分かれ道であった。


 あるいはこの時に断れば、ライトはどこかの村騎士の娘婿か養子になって、それなりに平穏で平和な人生を送れていたのかもしれない。

 もっとも、もし戻れるとしても彼はその選択を絶対選ばなかっただろうが。


 ライトはこの時に選んだ……新たな道を進み、そして挑戦することに。


 ライトの迷いのない決意に自ら勧めたとはいえ領主も感じ入り、ライトの教師となって試験の期間まで必要な事柄を手解きしてくれる運びとなった。


 ◇


 まずは勉学のほうだが、これはそれなりに出来ていた。


 この世界、学校などは一部の魔術師たちが通うものしかなく、貴族や騎士階級の者は家庭教師を雇うか、もしくは家族から教育を受けるのが普通である。

 それ故にその者としばらく話せば、家の格が知れるとは貴族や騎士の常識であり、そのような意味ではウォーカー家の教育は優秀の部類であった。


 剣技の方だがこちらはあまり上手くはなかった。


 ライトは実父から剣の指導は受けていたが、過疎の田舎故に他に剣の訓練を行う相手がおらず、父相手のかなり幅の狭い剣術しか学べなかったのだ。

 とはいえ基本はきっちりと出来ていたので、領主は簡単だが効果的な数種類の技を教えるだけに留めた。


 そして体力の方だが、これが半端がなかった。


 何しろ田舎で魔獣が出たときはライトが囮となり、村の老人方が潜む木の下まで何キロも走って引っ張って行っていくのだ。

 重い鎧や剣などの装備を担いで時速数十キロで走る魔獣よりも速く、凸凹した森林を踏破していたのは伊達ではなかった。


 その話を聞いた領主はとても驚いた。

 それに対して自己評価のあまり高くないライトは、枯れた老人方が高い木の上に暗殺者のように潜み、一斉に雄叫びあげて飛び降りて、人の何倍もの体躯を持つ魔獣の首に次々と鉈をいれて倒したらそりゃ驚くよな……などと呑気に思った。

 田舎のご老人どもはたまにこの手の驚くことをやらかす。


 常識人の領主としてはどちらも驚いていたのかもしれない。


 そして試験の時期が近づき、領主の屋敷から離れた街で受けることとなった。

 王都騎士の選抜試験とは一次試験を各地の指定された街で行い、それに受かった者が二次試験を王都で受けることとなる。

 もしも試験に合格すればそのまま王都に行き、しばらくは戻ってこれなくなるので領主自らが旅の前日に宴を開いてくれた。

 その気持ちに感謝し、ライトは世話になった領主や領主館の使用人たちに、心からの別れの挨拶をして試験を受けるために旅立った。


 ライトは着いた街で、王都騎士を目指す多くの希望者と共に一週間に渡る試験を受け、実に優秀な成績を残した。


 問題なく王都で第二次試験を受けることのできる資格があった。

 それどころか、そのまま王都騎士として入隊し職務に就かせても問題ないほど有能だった。


 そう、彼は優秀すぎた……具体的に言うと体力がありすぎたのだ。


 試験結果は不合格。

 ライトは応援してくれた人たちの期待に応えられなかったことが申し訳なく、悔しかった。

 しかし今の自分が出せる全力を尽くした。

 胸を張って戻り領主にそう報告しようと思った。


 ところが、ライトが試験会場を出ようとしたところで試験官に呼び止められ、そのまま重要な話があると騎士宿舎の一部屋にまで連れていかれた。


 その部屋に居たのは三十前後とみられる筋肉質の大男であった。


 男は巨漢にありがちな泥臭い雰囲気を微塵も感じさせなく、むしろ洗練された美丈夫であった。

 わずかに微笑みを浮かべた男の表情に、ライトは何故か胡散臭さを感じた。

 階級章のない質素な黒服を纏った男が何者かは不明。

 しかし同席している試験官の態度から階級の高い者であると察することが出来た。


 男はライトと握手をすると、よく通るバリトンの声でいきなり切りだした。


『試験の結果は残念だった。だが君は非常に優秀で将来的に見込みがある。どうだろう、君さえ良ければ砦街にきて騎士団の一員となってみないか?』

 

 男は胡散臭い微笑みを深めてそう言ったのである。

 この時、男の言葉は一語一句が本心からのもので嘘はなかった。

 だからこそ本当に最悪であったのだがライトは気づきもしなかった。

 それ以上に胡散臭い男の言った『砦街』という一言に心奪われていた。

 

 砦街の騎士……噂話に聞いたことがある。


 この王国の最重要拠点、砦街。

 恐ろしい魔獣の潜む闇の森からの脅威を水際で防ぐための防衛施設。

 その砦の騎士たちは勇猛果敢で恐れ知らず、優れた頭脳と無尽蔵の体力で、不敵に笑いながら任務を軽々とこなす益荒男たち。

 王国が誇る最強の剣、まさに騎士の中の騎士。


 ライトはそう聞いていた……非常に不幸なことに。


 その噂話を聞いたとき、砦騎士は騎士の生き方として魅力的だと感じていたのだ。

 ライトはその場で一も二もなく了承した。

 そして男と再び力強い握手をする。


『歓迎するよライト・ウォーカー君』


 男の微笑みを彼は見ていなかった。

 その表情には『ちょろいな』という僅かな嘲笑が浮かんでいたが、感激し興奮で周りが見えなくなっていたライトには気づく余地はなかった。


 横で試験官が憐れむような顔をしていたが、やはり気がつかなかった。


 ここまででほとんどの者は分かったと思うが、この胡散臭い男は砦街の騎士団長であり、ライトが試験に落ちたのも彼の差し金であった。

 砦街の噂も力あり余る若者を釣るための餌として、騎士団長が王国の情報部に流させたものである。

 砦騎士と同等以上の体力を持ち、かつ、常人より優れた頭脳を持つ隊長候補生をずっと探しており、その条件を満たしたのがライトであった。

 騎士団長としても今の隊長ばかたちでは、任務遂行に対してのそこはかとない不安を感じていたのだ。

 砦の酷い現状をそこはかとないで済ますあたり、この男も重度の脳筋ばかであった。

 こうしてライトは砦街の騎士として新たな道を進むことになる。


 そして彼の人生にとって運命とも言える人に出会うのだ。


 ◇◇


 新米騎士として砦に来て、訓練を受け始めてから二週間目のこと。


 ライトは自分自身の異変に気づく。

 両手の指の本数、それ以上の数が数えられなくなったのだ。

 十の次の単位が中々頭に浮かんでこない。

 焦りのため咄嗟に隣にいた同期の新米騎士に聞くと、その者はしばらく悩んだ末に『いっぱい』と答えた。

 実に真面目な顔で答えたのだ。


 ライト・ウォーカーは心の底から恐怖を覚えた。


 他の者にも尋ねたが皆同様に『いっぱい』と答え、中にはいきなり奇声をあげだす者すらいた。


 ――おかしい、何かが俺たちの間で進行している。


 次の日からライトは指の数以上の暗算を暇さえあればやるように心掛けた。

 最初は中々出来なくてイライラしたが、辛抱強く繰り返すと何とかこなせるようになり、数日もたつと以前より多い桁数で速い暗算が出来るようになっていた。

 余裕ができ、周りの者たちを観察していくうちにライトは気づいた。

 明らかに砦に来た当初より彼らの知能は下がっている。

 その経過を真近で見ていたライトにも信じられなかったが、比喩でも冗談でもなく本当に彼らの知能は下がっていたのだ。


 その頃からだ、騎士教官たちのライトに対しての注文が明らかに他の者たちよりも難しくなったのは。


 具体的に言うと頭を常に酷使するような指示を出してくるのだ。

 全力疾走をしながら暗算をしろ。

 腕立て腹筋をしながら教訓を諳んじろ。

 訓練の休憩中は砦で作られた詩集を読め。

 最後のは意味が分からなかった……というか途中から、あーあーあーという言葉が延々と続く詩集に恐怖を覚えた。


 ライトにとってそれ以降は戦いだった。


 どんどん知性を下げていく同期の騎士たち。

 引っ張られるようにライト自身の知性も下がりそうになる。

 そのたびに必死に暗算をして人としての領域に止まるということを繰り返す。

 そしてどんどん厳しくなっていく騎士教官のライトに対しての要求。


 まるでライトの肉体で耐久試験を行っているようだった。


 そんな日々を過ごすうちにライトは倒れた。

 先に限界を迎えたのは肉体だったのか精神だったのか……あるいは両方だったのかは定かではない。

 午前の訓練を終え昼食をとりに行くために食堂に向かい、そこで糸が切れたように倒れた。


 訓練の緊張から解放されたことによる失神である。


 倒れた彼は直ぐ近くにいた女騎士たちの手によって治療部屋まで運ばれた。

 ライトの肩を担ぐ女騎士たちのおんな前の微笑みは安心感を与えてくれた。


 危ない! 彼が女だったら惚れていたところだ。


 治療部屋に着いた時にライトの意識は殆どなかった。

 ただ部屋にいた白い髪をした女性らしき人が、女騎士たちにライトをベットに寝かすように手早く指示を出していたのは見えた。


 ――白髪? この人はお年を召した女医だろうか? 


 ライトに優しく呼びかけながら体を診察……触診するその柔らかくひんやりとした手の感触に、彼は懐かしい田舎の母のような安心感を覚えて完全に意識を失った。



 ◇◇◇



 ――自分は一体どうした……?


 天井の太い木の梁が見える。

 ライトはベッドに寝かされていることに気がつく。

 自室ではない、ベッド周りをカーテンに覆われた風景から自分の身に何が起きたのか朧げに思い出した。


 ――ここは治療部屋? そうか……倒れて女騎士に運ばれたのか。


 ライトは最近特に感じていた騎士・・としての、彼女たちに対する尊敬の念が益々深まった。


 体を起こそうとしたが、まるで鉛にでもなったかのように動かない。

 ライトが思い通りにならない肉体に焦り、悪戦苦闘していると、カーテンが開かれて人が入ってきた。

 その音に気がついたライトは、気を失う前に見た優しい年配の女医かと思い、自分を治療してくれたお礼を言おうと顔をあげた。


 そしてライトは彼女を見て固まり、口をぽかんと開けた。


「ええっと、あなたは新規訓練中のライト・ウォーカーさんで間違いないですよね? 私はこの治療部屋で治療士をしているモーリィと言います。あなたの治療を見るように騎士団長から仰せつかっていますので、しばらくの間と思いますがよろしくお願いしますね」


 彼女はそう言ってわずかに首を傾けると、静かに、そして優しく微笑んだ。

 そのやや低いが、聞き心地のよい声はライトの中には何一つも入ってこない。

 正確には目の前の女性に心を奪われ、言葉の意味が理解できなくなっていたのだ。


 ライトの知能は一時的に下がった……しかし恐怖は感じない。


 白銀色の輝く髪に澄んだ空色の瞳を持つ儚げな美貌の少女が立っていた。

 カーテン越しの光の帯が彼女の体に薄っすらと当たり、浮きあがる細い輪郭は言葉にならないほどに神々しかった。


 その日、ライトは生まれて初めて女神という存在に出会った。

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