思うままに書いた小説についてのお話

そらり@月宮悠人

星の数ほどいる小説を書く人たち。

歌手は、歌が上手いから売れるわけじゃない。歌が上手くないから売れないわけじゃない。


小説は文章力が全てじゃない。文体が厳かでいくつも技術が使われてるからすごいわけでもなく、一口にライトノベルといっても読む価値が無いものから、価値観・人生観に衝撃を与えたり、感動させ人に勧めたくて仕方のない傑作もある。


そしてジャンルに関わらず、創作者は必ず何かしら、誰かしらのリスペクトを得る。それがその創作者の作品に直接影響することもあれば、エッセンスとして反映されることもある。


全ての創作者に言えることで、特に小説を書く者に最も必要不可欠であり活動する上での柱となるもの。それが『自信』だ。


『自信』というのは不思議なもので、それがあるだけで勇気は呼吸のごとく自然に出てくるし、作品に命が吹き込まれる。


逆に『自信』が無い場合、勇気を出すのは山を動かすよりも難しくなる。世界が遠く感じ、ただでさえ孤独の人たる立場なのに、みんなとは別世界で独りのようにすら思えてくる。心情は『絶望』だ。


さて、『自信』が無くなる、『自信』が持てない。どういう時にそう思い、感じ、独りとなるのだろうか。それは人それぞれの引き金トリガーがあるが、私が思うに共通点はある。


その一つが自分を見失うこと。哲学的な話ではなく、先に話したリスペクトと『自信』が大きく絡む。本人が気付かないうちにそれは進行する。


例えば何か小説(本でもネットのサイトでもいい)を読むとする。それが本人は面白く、自分も書いてみたい(もしくは書けそう)と思う。そこはスタートであり切り口だ。往々にしてよくあるパターンで筆者である私もこのパターン。


問題は、書いてみてから生じる。実際書いてみると、どんなことを書けばいいのか、なにから書けばいいのか、どうやって書けばいいのか分からないものだ。それっぽいことを書き始めてもストーリーが浮かばない、人物が浮かばない。ならどうやって書くか。


ここからは楽しい人も多いと思う。色んな作品を読んだり、文章を書くにはどうすればいいのかとネットで見漁る。そしてある程度を把握したところで書き進める。肝心なのは、ここで把握したことだ。


そして最大の問題が訪れる。ある程度を把握して書き進めるが、必ず何かしらの壁にぶつかる。ストーリーの作り方だったり、プロットの組み方だったり、人物の作り方だったり、あるいは構成の仕方だったり。そこで本人は『理解』する。


『理解』は二つ同時が多い。一つは小説の奥深さ、そしてもう一つは自分の力量。


最初はそんなもの誰も気にしない。やってみたいなという気軽な気持ちだ。しかし、小説の世界に魅せられて、自分も。と歩みを進めると別世界が一気に広がる。


小説は特別な道具も要らないし、訓練も要らないし、資格もなにも要らない珍しいと言えば珍しい分野の一つだ。誰にも書けて誰にも読むことができて、今では発達したインターネットによって全世界へ発信することが容易にできる。


その分、得られる情報量は莫大なもの。あれもこれもと多種多様な情報を見ることができる。ただ、それはあくまでも情報なのだ。文字の羅列であり、その情報をどう扱うかは見た人に全て委ねられる。


塾や講師が説明や解説をするのとはわけが違う。しかも、ここを見れば分かる。というものはおそらく存在しない。それは人により違うからだ。強いて言えば、分かりやすいサイトはある。だがそれは全ての人にではない。だから情報は氾濫する。しかも悲しいことに説明や解説をする対象はほぼ同じこと。


例えば、ストーリーの作り方について解説するとする。講師が同じ空間で教えるならば、分からないことを質問できるし、全員が同様の理解を得られる。しかしサイトではそれは叶わない。ゆえに乱立する。そして本人は少しでも分かりやすいサイトを探す。


こうして情報を集め、それを自分の中で再構築する。まさか野菜やら肉を買ってきてそのまま食べることはしないだろう。サイトが提供するのはあくまで情報であって、それを参考に自分なりに自分の力にするのが肝心なのだ。


さて、少々脱線したが、『自信』が無くなる一つの段階がこの情報集めだ。どう足掻いても自分の欲しい情報が見つからない。あるいは情報を得ても、それを再構築して自分の力にできない。端的に言えば、ストーリーの作り方が分からないのにストーリーの作り方の解説を見てもイマイチ『理解』できない。


そして大抵の場合は友人や親兄弟に小説書いてるなんて言えないし、どうしていいか分からなくなって『自信』を無くし止めてしまう。


もう一つの段階は、それらを乗り越えてから。先に書いたリスペクトがそれだ。


リスペクトは大きい。文体やストーリーの作り方など、全てに影響することがある。そして、最大の悲劇が自分の作り方が分からなくなってしまうことだ。


知らず気付かないうちにリスペクトがそのままベースになってしまい、それに合わせて世界観を寄せてしまい、最終的に作り方がリスペクトした作者そのものになってしまう。


気付いた時にはもう遅い。リスペクトがベースになっているため、どう修正しようとも表現が寄ってしまい、最後には何が書きたかったのかすら分からなくなり、『自信』が無くなる。


当てはまる人もいれば、当てはまらない人もいるだろう。触れなかっただけで、『自信』を失うパターンやシーンやタイミングは多種多様で、もっと別ベクトルで『自信』を失った人もいるだろう。


そして、今にも『自信』を失いかけている人は、もう諦めようかなと思っているかも知れない。しかし、それは諦めたいのか、諦めようとしているのか、諦めざるを得ないのか。


簡単に「諦めないで!」と少年漫画よろしく言えるわけはない。その人の作品を読んだら原石かも知れないし、これは諦めようか。と引導を渡さざるを得ないものかも知れない。


ただ一つだけ言えるのは、創作の全ては情熱である。ということ。冒頭で歌手を引き合いに出したが、ただ上手いだけなんてゴロゴロいる。それこそ歌い手は最たるもの。


そこに想い、願い、伝えたいこと、それらが詰まった情熱がなければ、なにをしたって誰にも響かない。誰にも響かないということは、作者本人にも響くものがないということだ。


逆を言えば、作者本人に響くものは少なからず共感者がいるはず。そこから次第に本来の情熱を取り戻して輝くのも良い。


『自信』を失った本人に情熱が無いと言っているわけではない。その情熱は自分の胸の中に燃える炎なのか、ということだ。松明を目の前にして、それが自分の情熱と錯覚・勘違いしてしまっていることがある。


小説は文章力があれば良いというものではない。

小説は技術があれば良いというものではない。


創作に求められるのは、心揺さぶられる情熱であり、魅入られる世界観であり、思わず感情移入してしまう人物であり、度肝を抜かれる革新的なアイデアだ。


野球とは違い、走攻守総てを求められるわけじゃない。総てが理想ではあるが、そんなのプロでも難しい。


どれか一つだって構わない。それは本人の武器になる。それだけを磨いても響かないかも知れない。だが、磨いたら響くようになるかも知れない。


実は、世界観、ストーリー、背景、プロット、人物、設定などなどよりも大前提に必要不可欠なファクターがある。


テーマとコンセプトだ。


ストーリーが土台でプロットがジオラマだとしたら、テーマは理由だ。なぜそれを造ったのか。どうしてそういうモノを造ったのか。なにを伝えようとして、表現しようとして造ったのか。


テーマは一言。たった一言でいい。代表的な「命」「戦争」「人間」「愛」などだ。


対してコンセプトというのは、作品を決定づけるものであり、方向性であり、ほぼ一言でその作品がなにをしたいどんな物語なのかを相手に伝えられるものだ。


テーマと違って難しいが、ヒントは作品の中にある。一つ例題を出してみよう。


「死ねない体となった教師が、愛する女性のために死のうとする」


死ねない体。不死となった男が、愛する女性のために死のうとする。なぜ死ねない体となったのか、そもそもなぜ教師なのか、なぜ死のうとする=死ななければならないのか。


たったこれだけのコンセプトに、これだけ興味を惹かれる情報が埋まっている。不死の男が死のうとするのではなく、不死になってしまった男が死のうとする。これは同じようで天と地の差だ。


初めから不死の状態の人にとって、世界も自分も特別じゃない。しかしそうなってしまった人にとっては、世界も自分も大きく変わる。まるで異世界に紛れ込んだかのようだ。


その中で、愛する女性に出会うのか、はたまたすでに愛する女性がいるのか。その女性のために死のうとするのはなぜか……。それは総て本編で語られることになる。それを読み手は読みたいと渇望するのだ。


ちなみにテーマは「愛と死」である。


このように、テーマとコンセプトは大きく異なり、しかし同時に作品全体を決定づける最大にして最重要のファクターとなる。世界観は自然に生まれ、人物も浮かび、設定も自ずと見えてくる。


設定から入ってつまづくのは当たり前で当然なのだ。そこには土台も柱も地面すらない。なにかに使えそうな面白そうな道具を見つけた。それだけの状況なのだから。


設定から入ること自体を否定するわけではない。筆者である私もよくやることだ。しかし設定を活かしてストーリーを作り、人物を作り、プロットを組み立て、世界観で内包し、その中からテーマとコンセプトを抽出する。というのは莫大な時間と手間がかかる。力技で作るのだから当然だ。


もう一度言うが、決して否定はしない。そういうやり方の作家だっている。しかしそれは天性のものだったり経験に裏付けられたプロのやり方であって素人が簡単にできるわけではない。


例に出したように、コンセプトがあれば総てがスラスラと出てくる。テーマを決めるなんて造作もない。勝手に道が見えてくるのだ。


コンセプトについて念のために少し解説すると、喫茶店や雑貨店などをよく見て観察するといい。なぜなら店というのはコンセプトそのものだからだ。


「本を読みながらくつろげる」がコンセプトならば、店には本が大量にあり、落ち着いた雰囲気でゆったりした時間が流れているだろう。


「動物と触れ合って癒やされて欲しい」がコンセプトならば、それは猫カフェや犬カフェ、猛禽類カフェなどだろう。


「可愛い」というテーマに近いコンセプトで雑貨店があるとしたら、そこは女性に喜ばれる空間に違いない。


このように、コンセプトというのは、やりたいことや想いなどを込めていることが多い。つまりそれは先に言った情熱である。


とするならば、情熱からコンセプトが生まれ、テーマが浮かび、ストーリーから人物、設定と流れるように繋がっていくのだ。


初心者、書き始めた本人もそうだが、さらにもっと言えば、ある程度を書いている初心者でもプロでもない中途半端にいてモヤモヤしてる本人達。


迸る情熱をどう形にしていいか分からない。そんな時には深呼吸してコンセプトを考えてみるといい。見つからない時はテーマから全体像を把握していこう。


書きたいと思う数だけ読みたいと思う数はある。



忘れてはいけないのは情熱。

それさえあれば、『自信』が作者本人のコンセプトとなるのだから。

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