第5話

「何これ」

 弦美は正座させられた状態で後ろ手に縛り上げられ、更に家の柱や二階への階段の手すりなどに拘束された家族らを見て、言葉を漏らした。

 猿轡をはめられ、苦悶する両親とヒガ。三人の男達を睨み付けながらも、成す術もない状態でひざまづいている蘭。

「どういう……事なんですか?」

「ヒソヤマさんの仕事仲間で、モロキュウとでも名乗っておきます。『元』が付きますけども」

「警察呼びます」

「繋がりませんよ。家の電話も同じく無駄です」

 そう言いながらも接近して来る風でもないモロキュウから、謎の圧力を感じた。他の二人の男も近付いて来ない。

 そこに違和感を感じる。自分以外の全員を縛り上げているなら、この家の住人が明らかにターゲットのはずで、自分も縛られそうなものだ。なのに何故それをしないのか?

 弦美は相手の出方を見る為と、ひとつの賭けとして玄関へ走った。鍵を開け、ドアノブを回す。開かない。ドアノブは回るが全くドアが外に、微塵も開かない。

「何で……何でよぉ!?」

 構わずドアノブを回す事で抵抗する弦美。瞬間、ひやりとした感覚に思わず手を引くと、自分のそれの上に、切り裂かれたのか、真っ赤な筋と黄色い脂肪がこぼれている手首が、びたびたと血を流しながら載っていた。微かに震えて動いている。滴り落ちた血が溜まり、人の顔になり、ぶるぶると震えながら口をぱくつかせた。

『いあいよう』

「ひぃや、ああああああああああああ!」

 手を振るとその手首は虚空に消えた。弦美は上がりかまちに躓いて尻餅をつき、歩いて来たと思われる作業員姿の二人に脇の下に腕を通され、立ち上がらされた。

 蘭の唸り声が遠くに聞こえた。男の動作には何処か弦美を気遣う様子があった。力ずくで引き起こす様な感じではないのが逆に背筋に冷たいものを感じさせる。

「やめ、やめてよぉ!」

「大人しくしていてくれれば、君には何もしない。僕らのターゲットは君じゃない」

「そうです。縛り上げてる内の一人の事だけど、貴方には何もしません」

 太めの男が言い、比較的細めの男が続ける様にそう言った。視界の隅、先ほどの血溜まりが動く湖の様に接近して来るのが恐ろしかった。

 再び家族が拘束されているその中心に座らされるが、両手は後ろで先ほどの彼らに拘束されていた。

「……あの、うちのみんなが何をしたって言うの?」

「聞いてもらえますか?」

 モロキュウの言葉に、弦美は仕方なく頷く。

「貴方のお父さんに昔、ある仕事を頼んだ事があったんです。タイプとしては個人的な派遣のバイトですね。

 仕事はどうにか遂行されたのですが、そのままお父さんは行方をくらましてしまった。仕事をきちんとしたという確認の為の品物は私達で取り戻せたのですが、何故お父さんが、私達が偶然見つけるまで姿をくらましていたのかが謎でした。

 ご家族の、いえ、ヒガさんの過去の事を調査させて頂き、こちらとしましても大方の予想は付いたのですが、

『本当にそれだけなのかを確認して欲しい』

という依頼がありまして、私はこちらへお伺いした訳です」

『私は』

という部分にも違和感を覚えた。

「なら、他の二人は手伝い?」

「残念ですが、それも違います。

 弦美さん、と仰いましたか。貴方はこちらの記事はご覧になられた事は?」

 モロキュウが提示した大きめのモバイル端末にあったのは、弦美も知っている作品についてだった。ネットを見ていて何処かで呼んだ覚えがある。作者や出版社を脅迫し、数多の関連イベントを潰した犯人が遂に逮捕されたという記事だった。

「見た事はある。これが何?」

「こちらのコメントはご覧になられましたか?」

 ツールバーをスライドさせて記事へのレスポンスの下のコメント欄が表示された。

『こういう事件を起こす団塊ジュニア世代はまとめてくたばれ』

と書かれている。

『間抜けなコメントだ』

と感じた。

 自分達の世代だって『悟り世代』だのなんだのと呼ばれているが、期待も別にされていない。単にレッテルを貼りたいだけだ。

 ヒガの事で転校して来た自分を、トイレの様に扱おうとしたあいつらの様に。

「そこは見てない。それがうちと何の関係が?」

「このコメントはこのお宅からログインして書かれたものでした」

「はぁ!? 確かなの、それ」

「嫌になるほどの確認作業を済ませています。こちらのご家庭から発信された書き込みである事は間違いありません」

 苦く笑うモロキュウ。うちの家族の誰かが、そんなつまらないコメントをするなんて。

「それにこちらのお二方が酷くご立腹なのです。

 その犯人を見つける事と私の仕事が上手い具合に重なったので、本日こちらにこうしてお邪魔させて頂いているという次第でして」

 そこでモロキュウの携帯端末が振動した。手に取り、弦美を見やりながら出る。

「はい、モロキュウです。……こちらに来られた? ええ、ご事情はよく……」

 どうも電話の向こうの人物が怒っているらしい。丁重な対応だが、事情は弦美には良く分からなかった。

「分かりました。貴方と私だけが生還出来ます。そういう術式なもので。

……ええ。分かりました、玄関を開けます」

 モロキュウが携帯を切ると何事かを呟き、何処かで弦美も見た事のある印(いん)……と言ったか、そういうものを素早く執り行う。

 玄関口でドアの開く音がしたが、弦美は動けない。再び鍵のかかる音がして、土足のまま上がって居間に入って来たのは、弦美とそれほど背丈の変わらない、腰までのおさげ姿が印象的な白人女性だった。

「モガさん!?」

「何でここに?」

「二人とも……」

 モガと呼ばれた女性は流暢な日本語で、モガと呼ばれた彼女は安堵と怒りが入り混じった様な吐息を漏らした。

 目が覚める様な金髪だ。前髪が長めなボブカットの下からそのおさげが伸びている。寒空色のジャンパーに下は黒のアーミーパンツにジャングルブーツ。その彼女がモロキュウに数歩ほど距離を開けて立った。碧眼が冷たくモロキュウを見つめていた。

「モロキュウさん、そちらのお仕事に文句を付けるつもりはありません。別件とかち合うなんていうのはよくある事です。

 ただ、私は怒っています」

「でしょうね」

「ここにこうやって辿り着くまでにもかなり苦労しました。そこの女の子とこの二人が何故現場に既にいるのか、そこを説明して下さい」

 モロキュウは先ほど弦美にした説明と同じ内容を繰り返した。

 モガがやるせなさそうな表情になり、弦美の方に振り返り、うめく様に問いかける。

「それで、二人とも中に入ってしまったんですか……!?」

「僕らは覚悟の上でしたから」

 弦美の後ろから太めの男が言い、細めの男も

「僕も、犯人に追及して、道連れにするつもりで中に入りました」

と告げた。モガは今度こそ吼えた。

「馬鹿! 何の為のネットでの付き合いなんですか!?

 相談してくれたじゃないですか! みんなで考えて来たでしょう!?

 今回の事だって、

『突っ走らないから』

って約束までしてくれたのに!! 信じたのに!!」

 後ろの男達がどういう表情をしていたのか、弦美には想像するしかなかった。




 何が彼らをそこまで追い詰めたのか、弦美にはまだ分からなかったが、先ほどのモロキュウの見せてくれたものがヒントになるはずだ。それを考える位の冷静さは、転校して来る前に発生したいじめと、今の学校でトモらに出会うまでの厳しい期間が備えさせていた。

 モロキュウは

『昔の仕事仲間だ』

と言っていたから除外する。

 後ろの二人はあの記事とコメントを見て家に来た。わざわざこんな得体の知れない男と一緒に、住居不法侵入を成し遂げた。これだけでも立派に犯罪だ。

 しかし、外に出られない。あの先ほどの得体の知れない何かがまた湧いて来る事なんて考えるのも嫌だった。

 助けを求める事は今の状況では難しいだろう。モガと呼ばれたあの女性と利害が一致しなければ、家族を救えない。

……いや、モガも怪しい。ここに辿り着けた時点で変だ。

 モロキュウからの説明の飲み込みの早さも不自然だ。

 まず、恐らくは後ろの二人の知り合いなのだろう。しかし、現在は彼らと利害の不一致を迎えている様子。という事は、

『彼らがこういう行動を起こすであろう前兆みたいなものを、事前に知っていた』

とも取れる。その上で、何らかの理由でモロキュウに自分達の事について依頼し、その先で連絡が上手く行き渡らず、こうなった、という事ではないだろうか。

 それならば、

『彼女もこの状況に全面的には不服ではない』

という事になる。

 モガは何処まで依頼したのだろう。耳を澄ますしかない。


 次に後ろの二人。何処にでもいそうな風貌の作業服姿。

 犯人の関係者なのだろうか? あの作品を嫌っていた? それで個人的に犯人を擁護していて、ネットで叩かれたとか?

 作品はコンビニでも売っている様な雑誌に掲載されていたし、不特定多数の年齢をターゲットにしていたから、この二人の男達が読んでいても不思議ではなかった。

 どんな作品だってファンもアンチもつく。それはとてもつまらない理由だったり、何故かそのアンチの逆鱗にストライクしまくりだったりと、当人に聞くしかないので、具体的にはどうしようもない。作者は自分ではないのだから。

 そういう分別の付かないタイプの男達なのだろうか?

 それはそれで違和感がある。犯人を擁護しているなら、その書き込みをした家の人間に容赦する必要はないし、少なくとも母辺りは何らかの危害を加えられていても全くおかしくない。それらをされていない事。そこが気にかかる。

 モロキュウが何故父に対する尋問に時間をかけているのかまでは見通せないが、自分が帰って来た時に丁度全員を拘束し終えたのかもしれない。

 まさに今から尋問する、その時に自分が帰宅した。それならば、尋問が済んでいなくてもおかしくない。


 ああ、何というタイミングだろう。酷い場所に遭遇してしまった。

 ヒガはともかく、蘭や父は何の罪もないはずだ。父が発症したうつ病の辛さは、一緒に暮らしているだけで十分に理解した。しかもほぼ完全にヒガのせいなのだ。賠償金まで払ったのに仕事はクビになり、うつ病にさせられるなんてあんまりだった。

 母とは……何というか、後で話し合えばいい様な気がする。話が出来ればだが。

 今は憧れの教師がどうとか、そんな事はもうどうでもいい。何処かの、本当にどうでもいいニュースを聞かされている気分。




……殺されちゃうのかな。普通なら殺されちゃうよね。みんな顔とか全く隠していないんだから。

 新しい友達も出来たのに。




 携帯も家の電話も通じないなら、助けを求める方法とか思い付かない。

 ぼやけそうになる弦美の意識を繋ぎ止めているのは、今の学校で出来た友達の顔だった。




 深呼吸をしてみる。腹を据えるしかない様だ。

「あの」

 モロキュウらが弦美を見る。

「抵抗はしないから、ひとまず一人で座らせて下さい。この姿勢は辛いです」

 モロキュウは彼女の瞳を見つめた。何もかも見透かすかの様な、意外に綺麗なまなざしだった。

「いいでしょう。彼女もロープで拘束して下さい」

 猿轡を噛まされ、正座で縛られた位置からは家族全員が見える。

 玄関とかはもうどうでも良かった。そこまで這って行けるかどうか分からない事を、これからの流れによってはされるはずだ。

 父の猿轡が解かれるのを見た。

「誰か助けてくれぇ! 誰か来てくれ!!」

 無反応。それらしい気配もなく、家の電話も誰の携帯もならなかった。

 ここだけ完全に周辺地域から隔絶されてしまったらしい事を、弦美は感じた。

 部屋の各所から感じる、モロキュウら以外の何者かの視線。

 何気なく視線を飛ばした先で見てしまった。酷く左半分が崩れた人間の顔がこちらを向いているのを。性別すら判然としないそれが、右半分だけで笑顔を向けて来たのに、弦美は息を呑み、目を伏せた。

 謎の這いずる音やうめき声が次第に大きくなるのを感じる。耳にかかる息は二人の男のそれではないのだろう。先ほど拘束された時に匂った彼らのそれとは明らかに異なる、

 たまたま嗅いだ事のある、魚介類を取り扱う店の裏の生ゴミ箱のそれに近い、即座に吐き気を催す悪臭だった。

 その外、遠くから自転車や、誰かの笑い声が聞こえる。夕方だ。近所の主婦らの談笑の声だろう。

 遠い。すごく遠いものに感じられる。




 モロキュウが、何度も叫ぶヒソヤマに冷酷に告げる。

「無意味ですよ。お嬢さんの先ほどの玄関での叫び声を貴方も聞いたはずだ。あれも結界の外には聞こえません。

 それより、あなたには話す事があるはずだ。ああいうやり方は仕事完了とは言えないのでね」

「嘘だ! 誰かが必ず来てくれるはずだ!!」

「お宅の前で作業していた間も、誰一人振り返りませんでしたよ。お巡りさんですら素通りでした」

 太目の男が言うと、父の目が驚愕に見開かれた。弦美も、さすがにそれには納得した。

 先ほどだって周囲と遮断する様にかなり大規模な結界とやらが張られていたそうだが、自分には普通の自宅にしか見えなかった。気付いていたら家に入る前にまずは携帯で聞く。

 それに、狭い道路とはいえその脇の一軒家なのにその前で作業をしていて、周りの家の人達が気付かないはずがない。


 それだけのものを用意して、彼らは何をするつもりなのだろう。弦美はモロキュウを改めて観察してみた。

 作業服に身を包んでいる。体型は普通。

 健康そうではないが、何らかの底知れぬ生命力みたいなものを感じる。痩せ気味にも見えない。

 どちらかといえばビジネスマンぽいが、どうもサラリーマン風ではない。危ない気配がする。

 最近は堅気なのにクレーマーとして本職の真似をするバカも多いので、そこは弦美には何とも言えないが、こういうやり方をする以上、そしてその方法を知っているのだとしたなら、そちら方面で仕事をしているのだろう。

 依頼者であるモガも何の仕事をしているのか不明だが、よくよく考えてみればアジア系ではない外人の仕事など想像もつかない。しかも美人。白人女性である事しか弦美には分からない。何処となくアメリカ人ぽい印象。

 一番に浮かぶのは失礼な話だが、夜の仕事とか、バーみたいな所だ。他には街頭でアクセサリーを売っていたり、海外の名産の食事を売りにしているレストラン辺りか。

 いずれも何処かで堅気ではない筋と繋がっている印象しかないのは、一部の不良外国人のコネクションみたいなもののせいだろう。自分に限った事ではないが、乏しい知識での想像しか出来なかった。


 他に考えるとしたら、漫画や映画で出て来る、

『命の値段』

というあれだ。モガの国では、ひょっとしたら安いのかもしれない。

 仕事を引き受けたモロキュウの世界ではどうなのか知らないが、引き受けた以上はもう自分達の命に価値などはないのだろう。だからこそ、侵入者の誰もが顔を丸出しにしている。

 そして、モガが土足で踏み込んで来たという事は、

『ここはもうすぐ使い物にならなくなる』

という証拠を提示した様なものだ。ネットで海外の女性兵士の画像スレッドなどを見て、

『こんな美人さんでも軍隊に入るんだ』

と驚いて、

『海外では普通の仕事に就くよりもこういう所で様々な技術を学んだり、資格を手に入れた方が、後々長く色々な仕事に就けるのだ』

というレスポンスを見てまた驚いた覚えがある。

 そのスレを見てトモ達と話していた時に

『自衛隊もそういう資格が沢山取れるみたい。体力も付くし、就きたい仕事がない場合はひとまずそこを受けてみるのも手かもね。

 体育会系の組織ではありがちな話でセクハラとかレイプとかの問題も色々あるみたいだけれど、自衛する事が出来るのは大きいわ』

と、トモが言ってくれた事があった。

『警察の不祥事でたまにあるでしょう?

『上司が圧力をかけていて黙らせていたけれど、内部告発しました』

っていうの。あれと同じ様なものみたい』

とその後に付け加えてくれた。彼女自身も護衛をつけて日常生活を送っているせいか、まずは個人での安全性を高める方向で見てしまうのかもしれない。

 それはさておき、そのスレを参考にすれば、モガからはそういう、普段から人の家の中を土足で歩き回る様な粗雑さみたいなものはない印象を受けた。


 父は何の仕事でヘマをやらかしたのだろう。モロキュウの幾度かの問いかけにもまだ屈していない。

 モガは予想していた内の最悪の事態になったと見たのか、モロキュウへ交渉を試みている。

「そこの女の子だけでも一緒に出させてもらいます。モロキュウさんの仕事自体のお邪魔はしません。

 それでどうですか?」

「それは彼女が書き込みの犯人ではなかった場合、という事になります」

 モガが苦い顔をする。父が叫ぶ。

「私だ! 私がやったんだ!!

 弦美は何も関係ないんだぁ!」

 何の説得力もなかった。弦美にすら嘘だと分かったほどだ。

 ややあって、モガは弦美に訊ねた。

「例の記事を見た事はあるそうですが、そこへの書き込みに関係した覚えは?」

「悪いですけど、ありません。でなければ、ネットで炎上するアホじゃあるまいし……家族にいた訳ですけど、こんなにびっくりしてません」

「だそうです」

 モガが弦美の背後の二人とモロキュウを見て、返事を求める。

「ご兄弟に聞いてみますか。改めての確証にもなる」

 二人の男が蘭とヒガの猿轡を外した。蘭が視線を伏せたまま、少し間を置き、ため息をついてから言う。

「……俺が口にした事を、兄貴が書いた。姉ちゃん、ごめん」

「何やってんのよ、あんたら……」

 半端ではない落胆が弦美を襲った。

 弟と、そしてあんな事を引き起こしたヒガが関与していた。書き込んだのだ。

 結果、こうして訳の分からない男達に殺されようとしている。

 弦美は泣きたくなった。


 そこでヒガが言った。




「ちっげーし。蘭がバカやって俺が迷惑してるだけだし。

 そんなスレ見てねえし」




「はぁ!?」

 思わず蘭と弦美の口から同じ言葉がこぼれた。

「ヒガ、お前……」

 父が絶句している様子が、その声だけでも弦美には分かった。

 蘭が吼える。

「そうじゃねえだろ、てめぇ何抜かしてんだコラァ! 俺が思った事をあの時一緒に部屋にいたてめぇが打ち込んだんじゃねえか!!

 ゲラゲラ笑ってたろ、てめぇも!

 何、てめぇだけ被害者面してやがんだ、ざっけんなてめぇコラァ!!」

 ヒガは不敵に笑って言う。

「知りませんねぇ。

 おっさんら、これ痛いんですけど。早く解いてくれない?」

「マジてめぇ許せねぇ! 俺も悪かったから正直に言ったんじゃねぇか!!

 親父とお袋と姉ちゃんも巻き込まれてるのに、ここまで来てもてめぇはバカでクズのままなのかよ!?」

「はっ、いやはや。全部初耳っすわ。しかもこんな風にされてよ。

 そもそも俺がそんなめんどい事する訳ねぇだろ? こちとらニート状態なんだよ。仕事探してんの。

 心も折れてるし、身体だってあちこち治らなくされてるし、何でその上炎上騒ぎとか改めて起こさなきゃならねぇってんだよ」

 弦美には真相が見えない。ただ、蘭の怒り方からするに、蘭に全ての罪を被せようとしているのは理解出来た。

 そもそも蘭はヒガの騒ぎがあるまでは、こういう切れ方をする少年ではなかったのだ。その気配すら見せなかった。

 体育教師に脅迫されて尻を犯されて重傷を負い、病院へ搬送され、両親と共に駆け付けた自分に、激痛と屈辱と恐怖にボロボロ泣きながら

『訳が分からないよ……僕、どうすればいいの、姉ちゃん……』

と呼びかけるまでは。


 蘭にはもう絶望しか残されていなかった。全ての理不尽への怒りだけが今の蘭を突き動かしていた。

「てめぇ……ちきしょう! ふざけんな、クソが!!

 これ解いてくれよ! この野郎ぶっ殺すの手伝うから解いてくれよぉ!!」

「おっさんら、こんなガキの話、真面目に聞く訳?

 俺が騒ぎ起こしたから調子くれてるだけに決まってんじゃん。全部俺のせいに出来るからな。

 いやあ、いいご身分っすわ。やってらんねぇよ」

「ぶっ殺す! マジぶっ殺す!!

 てめぇなんざ家族でも何でもねぇよ、ちきしょう! 何だよ、俺、友達にボコられてクソったれにケツやられて入院して、それでも普通に学校で過ごそうとして、全部バカみてぇじゃねぇかよ!」

「蘭……」

「姉ちゃんだって親父だってお袋だって黙っててめぇをかばって金出したんじゃねぇか! 全部てめぇが撒いた種で、俺らが割を食わされてるんじゃねぇかよ!!

 姉ちゃんだって何も知らねぇクソどもにレイプされかけたんだぞ! オラァ、聞いてんのかクソ、てめぇこの野郎!」

「はぁ? そこまでは助けられねぇし。

 俺が学校に入ったら不審者通報されて終わりだろ、バカかてめぇ」

「そういう事じゃねぇだろ、ちくしょう……クソボケが! マジで何なんだよ、てめぇはよ!?」


『知ってるんだ』

と、弦美は思った。蘭が臨まない勢力からの情報だろう。

 弦美の視界が滲んだ。蘭の言う事はもっともだ。酷い目にばかり遭って来た。

 蘭は中学生で、自分は高校生。故に、いじめられていても互いにかばい合う事が出来なかった。

 将来にだってきっと影響する。今だって、出会いたくもない連中からマークされ、入りたくもないチンピラ集団へ入らないと家族への暴行を行うとちらつかされるのだ。


 しかし、そこに一筋の光明が見えて来た。

 トモ、ミキ、ミナ。彼女らとトモの父親の人脈の支援だ。警察署ではどうしようもない勢力だろうと、その上に立つトモの父親へ相談すれば、そちらへの圧力をかける事が出来る。

 チンピラ集団の上の連中だって、所属勢力の名前を出せば芋づる式に逮捕される。故に、蘭の心配しているあれこれを回避出来るはずだ。

 少なくともそいつらは、蘭が普通の少年でいる間は確実に手を出せない。

『警察は自分達がとばっちりを食らうまではまともに捜査などしない』

と、巷では言われる。自分もそんな風に見ていた。

 トモらに出会うまで、友人になるまでは世間に絶望していた。自分の隠し撮り画像スレッドなどでの悪意に満ちた不特定多数からの賛否レスポンスを見て、具合が悪くなり、何度も吐いた。


 しかし、どれほど叩かれようと、ニュースなどで一般的に公開されない範囲でも地道に捜査をしている事は、今回の作品とその関係者への脅迫事件の犯人が捕まった事で証明されたではないか。

 その派閥の、しかもトップがガードしてくれるなら、安心して暮らせるではないか。


 それはトモが提案してくれた事で、つい数時間ほど前に母の浮気とは別に聞かされた事で、今日、家に帰ったら、真っ先に蘭に打ち明けようと思っていた事だった。

 真面目に生活していても誰の邪魔も入らない。かつての蘭に戻れるかもしれない。




 グレた事もなかった、照れ屋で、極々大人しい弟だったのに。




 憎悪で錯乱した蘭が泣き叫んだ。

「てめぇだけは絶対ぶっ殺す! 頼むよ、解いてくれよ!!

 ムカついて仕方がねえ!! 我慢きかねえよ!!

 何だよこれはよぉ! ちきしょう!!

 バカのままでいいとかふざけんなうがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 様子を見ていた二人の男はモロキュウに訊ねた。

「演技には見えませんね」

「彼の拘束を解いてあげてもいいですか?」

 モロキュウが自分に背を向けている二人に問う。

「貴方方を直接罵倒した当人でも、ですか?」

 彼らは頷いた。弦美には表情が見えないのがもどかしい。太めの男が言う。

「彼は正直に白状してくれた。ご家族が人質になっていて、言っても無駄かもしれないのに、白状してくれた。

 そこだけは汲んであげたいかなって」

「僕もです。もういいんです」

「ふむ……彼が暴れた場合は?」

「どうせここから出る気はありませんし、その辺は僕らがモロキュウさんとモガさんをガードします。

 君もそれでいい?」

「いいよ! 早くしてくれよおおお!!」

 こくこくと蘭は頷いた。怒りに呑まれて、他の方法などもう考えていない。

「ジェイクさん、敷居さん!」

 モガが叫んだ。男達はジェイクとシキイと言うらしい。ハンドルネームだろうか。

「モガさん、犯人も分かったし、誰をやればいいのかも分かったんです。他は

『僕らが楽しんでやった』

とか、好きな様にマスコミが報道するでしょう。もうそれでいいんですよ」

「いいでしょう」

「おい、待てよ! 何だよそれよぉ!?」

 ヒガの悲鳴に近い懇願があったが、誰も耳を貸さなかった。

「お姉さんの拘束を解くのは今は駄目だ。犯人は分かったんだから、僕らもお姉さんには手は出さない。

 後は……まあ、お互いに好きにしよう。それでいいね?」

 そう太めの男に囁かれ、蘭は頷いた。

 束縛を解かれると、弦美の傍に駆け寄って来る。ひざまづいて蘭は言った。

「ごめんな……姉ちゃん……俺も……姉ちゃんをおかずにしてた。クズ兄貴の事、どやしてたけど……」

 ほんのわずかな衝撃と嫌悪感があったが、ヒガの態度を見た後ではどうにもピンと来なかった。

 好感度で言えば、弟の方がずっと愛しい存在だ。




……うん、よし、自分としては問題なし。

 少なくとも投げやりな気分ではない。そうしたいんだ。




「おいで、蘭」

 蘭を呼び寄せる。恐る恐るという感じで擦り寄る弟の頭に頬を寄せると、抱きしめて来た。

「いいよ、蘭……もっとくっつきな。

 何だろう、ホント、馬鹿みたいだよね、あたし達。何なんだろう、あいつの為にいじめられて、我慢ばかりして」

「姉ちゃん……」

 太ももに弟の固くなったそれが当たっているのを弦美は感じ取っていた。




 蘭は中学生だもんね。そうもなるよね。

 あたし、おっぱい大きくなったし、多分目立ってたし、蘭が時々見てるの、実は気付いてたんだ。それで初めて意識したっていうか。

 うっかりなお姉ちゃんでごめんね?

 それで……お風呂もずっと一緒に入ってなかったし、くっついたら勃っちゃう事くらいあるよね。

『体育教師にやられて、トラウマになってEDとかになってたらどうしよう』

って思っちゃった。




 でも、心配はなかったみたい。可愛い弟が酷い目に遭って、あたし、心配しちゃったよ。




 比較みたいで悪いけど、蘭なら、あたし……別にいいや。




 モロキュウ達はこの後、この地獄でどうけりをつけるか相談している様子だった。

 弦美は蘭にそっと囁いた。

「あのね、蘭」

「何?」

「あたし、蘭なら別にいいよ。何か吹っ切れた」

「え!?」

「声でかいって」

「でも」

「後でさ、後でしよう? 兄貴をぶっ殺して、二階で一杯Hしよう?」

 弟が愛おしくなり、その頭に、弦美は頬を更に擦り付ける。

「姉ちゃん……」

「もういいの。蘭と死ぬわ、あたし。

 だから、一杯しよう?」

「いいの? 好きな奴とか」

 一瞬だけ彼の顔がよぎったが、弦美は打ち消した。

 そして、断言する。

「いない。探す気もない。

 新しい友達があたし出来たんだ。それでね、その子、警察の偉い人がパパなんだって」

「……」

「で、友達になってくれたおかげで、何か変だと思ったら全面的に相談に載ってくれて、ケアもしてくれるそうなの。警察が守ってくれるんだよ? すごくない?」

「そっか……良かったじゃん。姉ちゃんは、それで最近明るかったんだね」

「あたしだけじゃないよ」

「え?」

「蘭の事も話したの。そうしたらね、その子、トモって言うんだけど、蘭も学校でも嫌な目には遭わない様にしてくれるって言ってくれたの」

 呆けた表情の蘭。

 当然だろう。終わらない地獄だと思っていた所を突然保護された様なものなのだから。

「そういう事を報告しに帰って来たんだけど……あの兄貴がいる限り、もう駄目な気がするの」

「確かにな……」

 うつむいた蘭の額に、弦美は自分のそれを当てる。

「さっき、あたしが酷い目に遭った事で、蘭、怒ってくれたよね? あたし、それ、すごく嬉しかった」

「そりゃ、ムカついて仕方なかったんだよ……」

「蘭はずっといい子にしてたもんね。優しかった」

「そうかな……」

 蘭の嗚咽。小さい頃はよく自分が慰め役をやったものだった。

「あのバカがアホな事したせいで、自衛してただけだもんね?

 だから、あたしにしか出来ない、最後のご褒美って事で……どう?」

「姉ちゃん……本当にいいのか?」

「全部分かってくれている可愛い弟にされるんだと思ったら、それも結構いいなって思っちゃった。

 もう他の人とかとしたいとか思わないし、あたしだけ助かって、あんたが死ぬとか耐え切れない。

 死ぬんなら好きな弟と一緒がいい。蘭と、そうしたい……」

「姉ちゃん……」

「あの男の人達と一緒に、あいつを殺して。ズタズタにして。

 その後に、沢山、たっくさん、気持ち良くなろう?」

「分かった……」


 そっと瞳を閉じる。

 唇に暖かいものが触れるのを、弦美は感じた。

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