Answer11・在りし日の姉妹

「ちえり、調子はどう?」

「あっ、お姉ちゃん。私は今日も絶好調だよ?」


 八畳くらいの広さの個人病室。

 明るいクリーム色の壁紙が貼られた室内のベッドの上では、小さなウサギのイラストが散りばめられた青色のパジャマを着ているちえりが居る。


「うん、顔色はいいみたいね。はいこれ、家から持って来た着替えね」

「ありがとう、お姉ちゃん。いつもごめんね」

「そんな事は気にしなくていいの」


 私は着替えが入った鞄をベッドの近くの床に置き、その近くにある椅子に腰掛けてちえりの方を向く。


「ねえ、聞いてお姉ちゃん。私ね、来週の入学式には出席できそうなの」

「本当!?」

「うん! さっき担当の先生がね、『経過は良好だから、このまま行けば入学式には出られそうだね』って言ってくれたの」

「そうなんだ。良かったね、ちえり」

「うん! これでお姉ちゃんと一緒に制服を着て入学式に出られるよ」

「それじゃあ、新しい制服を出してちゃんと用意をしておくね」

「ありがとう、お姉ちゃん」


 ちえりは嬉しそうに表情を綻ばせている。そんな妹のちえりが入院するのは、これが初めてじゃない。

 初めてちえりが倒れたのは、小学校五年生のミニバスの試合中。

 ちえりはその時に初めて病院に担ぎ込まれ、そのまま入院する事になった。あの苦しそうにしているちえりの姿を見た時は、私の息も止まってしまうんじゃないかと思うくらいに焦ったのを覚えている。

 結果的にあの時は、蓄積された肉体疲労のせいだろうという事で一日入院したんだけど、その時以来、ちえりはちょくちょく体調を崩しては病院のお世話になるようになった。

 これはさすがにおかしいと、原因を探る為に色々と病院を回ってはみたけど、結局その原因を突き止める事が出来ずに月日だけが流れた。

 そして小学校六年生を迎えた時、出かけ先で倒れたちえりが運び込まれた病院でその病気の正体は明らかになった。

 簡単に言うと、ちえりの抱えている病気は心臓の疾患。しかもかなり稀な病気らしく、治すには移植手術をするしか方法は無いという難病。

 とりあえず原因が判明したとは言え、すぐに適合する臓器ドナーが見つかるわけもなく、その事実が判明した時は私と両親は酷く落ち込んだ。

 だけど当の本人であるちえりはとても明るく、心配そうな表情をする私達に向かって『焦っても仕方ないし、気長に待とうよ』と言った。

 不安じゃないわけがない。怖くないわけがない。それなのに両親や私を心配させないようにと明るく振舞うちえりの気遣いを感じた私は、不安な表情を浮かべるのを止めた。


「入学式、楽しみだなあ」

「そうだね」


 それからしばらく雑談を交わした後、私はいつものように自分の鞄から勉強道具を取り出してちえりに勉強を教え始める。

 ちえりが入院をしてからというもの、ちえりに勉強を教えるのは私にとっての日課になっていた。

 こうしてちえりに勉強を教える日々は、私にとって結構楽しく感じる。案外私には、こういった事が向いるのかもしれない。


「ねえ、お姉ちゃん。これってどうやって解くの?」

「ん? これはね」


 病気の事があるから二人でバスケットをする事はなくなったし、生活にも色々と変化はあった。それでも私は、ちえりと一緒に幸せな日常を送っていたと思う。

 中学の入学式は無事にちえりと迎える事ができて安心したけど、翌日にはまた体調を崩してしまった。もしかしたら、しばらくは一緒に学校へ行けるかなと思っていただけに残念だった。

 そしてちえりが心臓の病気で入院をしてから一年ちょっとが過ぎ、明日は中学生になってから初めての七夕を迎えようとしていた。


「それじゃあちえり、今日はもう帰るね」

「うん。ありがと、お姉ちゃん。気を付けて帰ってね。それと、帰る時にちゃんと預けたやつを付けておいてね」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ」

「ありがとう。でも、私のお願い事を見ちゃダメだよ?」

「うーん、それは保障できないかなー。くくる時に見えちゃうかもしれないし」

「もうっ! お姉ちゃんの意地悪!」

「あはは、ごめんごめん。見ないように頑張るから、じゃあね」


 ぷくっと頬を膨らませていたちえりに背を向け、私は病院を後にする。

 そして病院からの帰宅途中、私は目的の場所である商店街へと足を伸ばした。


「今年もいっぱい短冊があるなあ」


 毎年七夕の時期になると、この商店街の中央広場には大きな笹が飾られる。私は毎年ちえりとここへ来て、短冊を付けるのが恒例行事だった。

 しかし、今のちえりは病気のせいもあって自由に外を出歩く事ができない。だから私がちえりの分の短冊も付けに来たわけだけど、やっぱり物足りなさは感じる。


「よいしょっと」


 私はまず鞄から自分の願い事を書いた短冊を取り出し、笹へとくくり付ける。

 そして次にちえりの願い事が書かれている短冊を取り出し、その内容を見ないように注意しながら私が書いた短冊の隣へと括り付けようとした。


「きゃっ!」


 笹へと手を伸ばして短冊を括り付けようとした瞬間、商店街の中を強い風が吹き抜けた。

 私は思わず短冊を持っていた手を顔の前に出し、その風を防いだ。


「あ、あれっ? 短冊が無い!?」


 突風が吹き抜けた後、私は手に持っていたはずの短冊が無い事に気付いて狼狽ろうばいした。

 大事な妹の願い事が書かれた短冊。それを失くすわけにはいかない。私の願い事と同様に、ちえりの願い事も絶対に叶えて欲しいから。

 慌てて短冊の行方を探していると、目の前にヒラヒラと一枚の短冊が舞い落ちてきた。 私は落ちた短冊を急いで拾い上げ、ちえりの書いた短冊かどうかを確認する。


「はあっ……良かった……」


 拾い上げた短冊には、『お姉ちゃんと一緒にまたバスケットができますように』という願い事と共に、ちえりの名前が書かれていた。

 思わずしてちえりの願い事を見てしまった私は、悪い事をしたなと思いつつもその内容に表情を綻ばせた。


「これでよしっ!」


 私はしっかりと自分の短冊の隣にちえりの短冊を括り付けた。

 括り付けたちえりの短冊の隣りでは、『ちえりと一緒にまたバスケットができますように』と書かれた短冊が、ゆらゆらと風に揺られていた。


「それにしても、姉妹で同じ願い事をするなんてね」


 ゆらゆらと揺れる私とちえりの短冊をしばらく見つめた後、この願いが絶対に叶いますようにと、私は今までの中で一番強く願った。


× × × ×


 月日は流れて十一月。

 今日は地元でも有名な花嵐恋からんこえ学園の文化祭が執り行われていて、珍しく最近調子が良かったちえりと共に学園へと訪れていた。


「流石に盛況だよね」

「本当に凄い人集ひとだかりだね。ちえり、私とはぐれないようにね?」

「うん」


 そう言って私は少し細くなったちえりの手を握る。

 ちえりが病気になる前についていた筋肉はすっかり落ちてしまい、私が知っていた頃の健康的な妹の姿は徐々に失われつつあった。

 それでもちえりの笑顔はいつも明るく変わらない。それは私にとって、唯一とも言うべき救いだった。


「お姉ちゃん! まずはケーキを食べに行こうよ!」


 握った手をクイッと引き、近くの教室に掲げられたケーキ喫茶へと私を誘うちえり。


「やって来て早々にケーキ?」

「いいじゃない。病院に居るとなかなか食べられないし」


 ちえりにこう言われると弱い。確かに病院では色々と制限を受ける事も多いだろうし、今日くらいは多少の我がままは聞いてあげたい。


「分かった。でも、食べ過ぎちゃ駄目よ?」

「うん!」


 嬉しそうに返事をするちえりと一緒に喫茶店を模した教室へと入り、久しぶりにちえりと二人のケーキタイムを過ごす。

 そしてケーキを食べ終わった後、私達は様々な催し物をゆっくりと見て回った。

 沢山のお客さんで賑わう学園内。そんな雰囲気を楽しみながら迎えたお昼頃、私達は人混みから逃れるようにして開放された屋上へとやって来た。


「わあー、いい眺め」


 屋上には大きなフェンスが張られているけど、その隙間から覗く景色はとても雄大に見えた。


「いいところだよね、お姉ちゃん」

「うん。活気もあるし雰囲気も明るいし、噂どおりいい学園だよね」

「私、高校に行く時はここに来たいなあ」

「そうだね、私もこの学園に来たい」

「ねえ、お姉ちゃん! 二人でこの学園に来ようよ! 高校に入る頃にはきっと、私もまたバスケットができるようになってるだろうし」

「それはかまわないけど……だったらちえり、もっと勉強を頑張らないとね」 

「うっ……そうだった。勉強かあ~、ちょっと自信なくなってきたかも」


 急に現実へ戻されたちえりは、苦々しい表情を浮かべる。ちえりはスポーツは得意だけど、勉強の方はいまいちだからその気持ちは分からないでもない。

 でも、ちえりはやればしっかりとできる子だから、勉強だってちゃんとやれば大丈夫だと思う。


「大丈夫よ、私も協力するから」

「本当?」

「もちろんよ。だから一緒に頑張ってこの学園に入学して、またここからこの風景を一緒に見よう」

「うん! 私頑張るね!」


 こうして私とちえりは、共に花嵐恋学園へと入学する目標を立てた。

 目標があれば、希望があれば人は頑張れもする。今の私やちえりには、とても必要な事。

 それから私は、その目標を達成する為に毎日勉強に励んだ。

 勉強が遅れているちえりの為に誰よりも勉強し、高校レベルの勉強ができるまでに頑張った。勉強で得た知識を元に、ちえり用の勉強ノートを作成して受験にも備えた。

 こんな日々を送り続け、中学二年生への進級を間近に控えていた休日のお昼頃、私はちえりの入院している病院からの電話を受け、慌てて自宅を飛び出した。

 ちえりが入院している病院へは、徒歩で片道三十分程。だからよほど時間に余裕がある時以外は、タクシーか公共交通機関を使っている。

 だけどこの時の私は、そんな事を冷静に考えられるような余裕がまったくなかった。だって病院からの電話は、ちえりの容態が急変した――との内容だったから。

 今になって考えると、この時に冷静さを失っていた事が私の人生の分岐点ターニングポイントだったのかもしれない。

 なぜならこの日、私は信号無視の車に横断歩道ではねられ、その命を落としてしまったのだから。

 私がちえりに憑依していた時に見た夢の中の青い光と眩しい光は、横断歩道の青信号の光と、はねられた後に見た太陽の光。

 そしてこの時の事故で頭を強く打っていた私は、朦朧もうろうとする意識の中で自分はこのまま死んでしまうのだろうと予感していた。

 死ぬのは怖かったけど、私にはそれ以上に心配な事があった。それはもちろん、妹のちえりの事。

 私がこうして倒れている間も、ちえりは生死の境を彷徨っている。だから私は、朦朧とする意識の中で誰かに伝えたくてずっとこう言っていた。『私の心臓を妹にあげて』――と。

 そしてそれだけを言い続けた私はそのまま人生を終え、あの領域へと迷い込む事になったわけだ。

 記憶を取り戻し、一つ一つのピースを組み合わせた私は、これまでの全ての出来事を整理して理解した。それは同時に、自分の中にあった未練も思い出したという事になる。

 私はついに、答えを見つけて納得する為の道を見つけたのだ。

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