第16話 終章

「桃鳥さま」

 南町奉行所内にある、例の奥の部屋にいた桃鳥に声をかけたのは、小典だった。

「勘三から伝言を言付かってきました」

「勘三から?」

「なんでも外で女性に声をかけられて、『黒葛さまに文を渡してください』と言われたそうです」

 小典は、そういうと小さく折りたたまれた文を手渡した。

 桃鳥が開いてみるとやおら立ち上がった。

 驚いた小典が、

「ど、どこに行かれるのですか?」

 と聞くと、

「小典、あなたもついてきなさい」

 とさっさと出ていった。

「ちょ、ちょっと」

 と小声で言いつつ後に続いた。



 南町奉行所を出て、すぐに桃鳥も小典も、止まった。

はなだどの?」

 小典が思わず声を上げた。

 大きな柳こおりを背負って、着物を新調して、髪を結いなおした、おはな――大荒おおあら目縹めはなだがそこにいた。どこか薄汚れて疲弊していた数日前とは明らかに異なっていた。

「これから郷に帰るんだね」

 桃鳥が言った。

「はい。もうわたしの旅は終わりです。ですから一度帰ってみようと思いまして。そして夫の墓と老爺の墓に報告をしようと思います」

 縹は伏し目がちにそう言った。そして、それきり黙り込んだ。

「あの……」

 思い切ったように縹は視線を桃鳥に合わせた。

「わたし、あの日以来、ずっと考えていたんです。なぜ、黒葛さまがわたしの仇討を最後までさせてくなかったのか」

 あの日、桃鳥は、縹が施した秘術をすんでのところで阻止した。つまり、縹に片地帯刀を殺させなかったのである。代わりに大刀を抜刀した桃鳥の峰打ちで、片地帯刀を昏倒させて捕縛したのであった。

「ふふん。答えは出た?」

 桃鳥の問いかけに縹は恥ずかしそうに少し笑ったようだった。

「夢を見たんです」

「夢?」

 はい、とうなずくと空に視線をうつした。

「夫が殺されて、かばってくれた老爺も殺され、わたしに秘術を授けて送り出してくれた老婆と別れたあの日から、わたし、たびたび同じ夢を見てきました」

 縹はそこで言葉を切った。

「夢の中で、三人ともわたしに何かを伝えようと必死なんです。でも、声だけが聞こえない。わたしは必死で聞き返す。でも、声も出ない。そのうち目が覚めてしまう。これの繰り返しでした」

 桃鳥は黙って聞いている。

「それが昨日……」

「夢を見た?」

 桃鳥の言葉に縹はうなずいた。

「三人とも笑顔でした。今まで見たこともない笑顔でした。そしてわたしに向かって頷いたのです。言葉はなかったのですが、その時、わたし、なんかわかったんです。三人が必死に伝えようとしていたことが」

 縹はそう言ってまた視線を伏し目がちにした。

「うまく言えないのですが、嗚呼、これでよかったんだって心からそう思ったのです」

 縹の言葉に、桃鳥も小典も無言であった。でも、なぜか温かな空気感であった。それをかみしめている、そんなような瞬間であった。

「おや?まだこんなところにいたのかい?さっさと行くよ!」

 だみ声が空気を震わせた。

「あれ?捨松?!」

 急かす老婆がおぶさってる人物は、捨松であった。

「ふん!なんだいその目は。あんたたちが連れてきたんだろ?だったら帰りも送っていくのは筋じゃないか!」

 確かにそうなのだが、これには、桃鳥も小典も苦笑いするしかなかった。

「捨松、ご苦労だが頼んだぞ」

 桃鳥の言葉に捨松は、へい、とうなずいた。

「さあ。そうと決まればグズグズしてないで行くよ!この先に旨そうな団子屋があるから、まずはそこで腹ごしらえだよ」

 捨松は、老婆をおぶさり、確かな足取りで歩きだした。

 縹も後に続く。

 しばらく歩いて振り向いた。

 ゆっくりと深くお辞儀をした。

「縹!何やってるんだい!早くおいで!」

 遠くから老婆のだみ声が響く。

 クスリと笑ってまた歩き出した。

 縹の歩いている背中に陽光が当たった。

 軽やかでまぶしかった。

「桃鳥さま。これでよかったんですね」

 その背中を見送りながら小典は、言った。

「ふふん。よかったのよ」

 桃鳥は言った。

「一度でも手を汚せば、一生消えない。それは縹どのには似合わないわ」

 その言葉は、重く小典の心に残った。

「それに……」

「それに?」

「残念だったわね。小典」

「え?」

「ふふん」

「な、なんですか?」

「なんでもないわ」

 桃鳥はそういうと奉行所のほうへ向けて歩き出した。

「桃鳥さま、気になるじゃないですか!」

 追いかけたその時、風が吹いた。

 少し前を行く桃鳥の着物の袷が少しはだけた。

 内側に刺繍してある、色とりどりの鳥が目に入った。

 懸命に空に向かって飛び立とうとしていた。

 小典は、なぜだか嬉しくなった。

 大きくうなずいて、桃鳥の後に続いた。



             了

 




 

 










 







 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鞍家小典之奇妙奇天烈事件帖~チントンシャンで賽をふれ~ 宮国 克行(みやくに かつゆき) @tokinao-asumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ