<ファイル26>&……。

 ――朝。


 風洞実験の夢を見た。

 隣は、相変わらず爆音を立てて寝ている巨大なオブジェだった。

 この騒音と、漂白剤や酒に加えて女二人分の寝汗が混じった匂いのせいで、部屋の中はサバトのような状況だった。


 やはり、三本目は取っておくべきだった。

 火を点ければ燃えるから。


 風洞のキルスイッチはどこだろう。

 鼻をつまんでやると、しばらくフゴフゴと鳴いた後――。

 腕を極められた。


 「イデデデデ離せ離せ馬鹿者ーーッ!!」


 「……んぁ~~~??」


 「痛い痛いギブギブああぁぁーーっ!!」


 「あんだぁ~~? ……あにやってんらお前」


 こっちの腕までギプスになるわ!!

 空のボトルでひとまず殴った。

 牛のようにヨダレを垂らす馬鹿は、それでようやく目を覚ましたようだ。


 「お~う、おはようお姫様。今日もいい朝だねェ」


 「最悪の目覚めだったわ」


 「昨日はどこまでヤッたっけ?」


 「何もしとらん!!」


 「病室まで送るぜ。今度はちゃんとドアから入るよ」


 「当たり前だ……。まったく」


 「勝負は憶えてるな?」


 「忘れる訳がなかろう。作戦室の二号ロッカーに思考記録が入っている。後で病室まで届けろ」


 そんな形で。

 再び病室に戻る事となったのだが……。

 まったくの予想外、青天の霹靂で。

 私たちが病室に戻ると。


 ――予期せぬ訪問者が現れた。


 それは二人組だった。

 まず病室のドアを開けたのは、私と同年輩の男である。

 私はこの男を知っている。

 階級は私よりも下だが、私よりもはるかに上の人間と行動を共にする職の者だ。

 広く知られた言葉で言うなら、「副官」である。

 もっと詳しく言うと、「総司令官付きの補佐官」だ。


 ――という事は……。


 次に入って来たのは、初老で背の高い紳士である。

 私は彼も知っている――知り過ぎるほど知っている。

 この基地の誰よりも多くの階級章を付けた人間。

 この基地の頂点に当たる方。


 ……そう。

 総司令官が訪ねて来た。……のである。


 この基地の、司令官どのが。

 副官を携えて。

 直々に。

 よりによって……レガリスが居る時に。


 あまりに茫然としてしまって、記憶が飛び飛びである。

 だから簡潔に書く。


 司令が口を開いた。


 「担当医師から報告を受けている。何やら妙なメモを残し、病室から消えていたと」


 汗が噴き出した。


 「さらに昨夜、病室の窓から飛び去る不審な人物が目撃された」


 汗が滝のように流れた。


 「それに。……いささか『痛み止め』を飲み過ぎたようだな」


 汗がベッドに染みを作った。


 「だが大尉、君の気持ちは分からんでもない。若い命が先を急ぐのは、何ともやり切れんものだ」


 汗がぴたりと止まった。


 「されど――規則は規則。君は責任のある立場だ。……分かるな?」


 再び汗が噴き出した。


 「君の処遇は追って伝える。――以上だ」


 終わった……。

 何もかもが終わった。

 悪くない人生だったな……。

 次は鳥にでも生まれ変わりたい。


 だが、司令は病室を出ようとしなかった。

 まだ何かあるのか!?

 その視線の先には、私ではなく……。

 レガリスが居た。


 さすがのレガリスも、司令の前では直立不動である。

 である、が――。

 嫌な予感しかしない。汗が溢れて止まらない。


 「……ふむ。君は確か――」


 「レガリス・マクルーア軍曹であります!」


 美しく、非の打ち所のない敬礼だ。

 司令は続けた。


 「君の事は良く憶えている。その節は世話になったな」


 「はい!?」


 耳がどうかしたかと思った。

 司令は続けた――。


 「南方の戦線において、君に救出された十四名のうちの一人なのだよ、私は。……君は命の恩人という訳だ」


 「えええぇっっ!? マジっすか!?」


 目玉が飛び出すかと思った。

 聞いてないぞ!?

 レガリスの資料にあった、彼女がまだ新兵だった時期の件だ。

 レガリス自身もすっかり忘れていたらしく……というか、恐らく捕虜の顔や名前など憶えていなかったのだろう、口をあんぐりと開けて固まっている。


 「まるで昨日の事のようだ。――君に『歩くのが遅い』と怒鳴られた上、しこたま尻を蹴飛ばされた事が」


 「うぉうえぅっ!?」


 「いささか破天荒だが、結果は出ている。次からも結果を出す事を期待する。……大尉、マクルーア軍曹を厳しく指導してやってくれ」


 「――!? はいっ!!」


 「そして、まずは養生せよ。――では失礼する」


 そして司令と副官は出て行った――。

 急に振られて心臓が止まるかと思ったわ!!

 今こそ……今こそ分かった。

 この破天荒なデカ女がこの基地に転属され、未だにこの商売で飯を食えている理由を。


 「厄介払い」? 冗談じゃない。

 転属の口利きをしたのは、この基地で一番ぶっといパイプだったよ!!


 「うお~~~マジか……。マジかよー! てゆーか顔変わり過ぎだろー!! あん時ぁ全員ヒゲボーボーだったから分かんなかったよ!!」


 「お前は何という事をしでかしてくれたんだ! 尻を蹴っただと!? 司令の!?」


 「はい……。三発ほど」


 「お前……っ!」


 「四発だったかな?」


 「そんな事はどーでもいい! 今後どーするんだ! 完全に目を付けられてるじゃないか!!」


 「まあまあ、やっちまったものは仕方ねーよ」


 「お前に言ってるんだ!! 最初から怪しいと思っていたんだ私は! 大体、昨日だって、お前の誘いに乗らなければ――」


 ここで彼女は体を折り曲げ。

 初めて逢った時のように、私の顔をまじまじと見つめて。

 くすり、と笑ってから。


 ――キスをした。


 ごく、軽いキス。

 まるで挨拶のようなキス。


 それだけで、私が言いたい事のすべては消し飛んでしまった。


 「……いいじゃねーか。別に誰が見てたって」


 「…………」


 「要は結果を出しゃいいんだろ? だったら出してやろうぜ。お前とあたし、二人で」


 「簡単に……」


 言うなよ馬鹿、と言おうとした。

 言い代えた。


 「……いや。そうだな」


 「お前となら出来る。あたしは信じてるから。お前も信じろ」


 「ああ。信じる」


 「あたしらは最強のタッグだ」


 「分かってる」


 「世界一のチームだぜ」


 「その通りだ」


 「お前が好きだ」


 「……。うん」


 「愛してる」


 「…………」


 「――じゃ、思考ナントカ取って来るからよ。いい子で待ってろよ!」


 そして、彼女は出て行った。

 風のように。

 ほんの小さな子供の頃に見た、白いボールを追いかける少年のように。


 私は、今でも――恋をしている。

 私の初恋は、これからもずっと続くのだ。


 レガリス・マクルーア。

 この世で一番信頼する者の名だ。

 私のパートナーであり、仲間であり、そして家族だ。

 恋人かどうかは……分からない。

 先の事は誰にも分からないのだ。


 以上の文章を、世界で一人だけの、お前のために捧げる。

 馬鹿でやんちゃで助平で、世界中の誰よりも強いお前にだけ贈る。

 読んでくれてありがとう。

 さあ、とっとと破棄して……。早く逢いに来い。


 ちゃんと破棄しろよ?

 信じるからな?


 ……………………。


 ………………。


 …………。


 <終了します>


 ……………………


 ……………………


 ……………………


 <新規・入力OK>


 ……おっ?


 何だこれ。思考記録じゃねーか。

 何でこんなとこに入ってたんだ?

 しかも相当くたびれてるな。

 あちこち、ボコボコに凹んでやがる。

 花瓶か何かで殴られたか?


 ……おお。ちゃんと動いてるじゃねーか。

 ま~だ電源残ってんのか。

 型オチのくせに頑張るねぇ。

 こいつぁ面白ぇや。


 「あ~、テステス。本日は晴天じゃないけど明日は晴天~」


 おー!! すげー!!

 こんな風に出力すんのか。

 ちょうどいいや。あいつ寝ちまって暇だったからな。

 少し遊んでやるか。


 ……はい、これがあたしの宝物です。

 きったねーボールだろ? 子供の頃からずっと持ってるんだよ。

 ほら、ここ見ろ。ここが大事。

 薄~く残ってるだろ? 水色の跡がさ。

 これがあるから、あたしは未だに飛べるんだぜ。


 あと、これな。何だか分からねーだろ?

 ボッコボコの鉄の塊さ。

 元はこれ、花瓶だったんだぜ?

 嘘じゃない。本当なんだ。

 記念すべき初代の花瓶だ。今は四代目だったっけな。

 何となく捨てられなくって、さ。


 んで、最後。大事な絵本だ。

 とっくに中身はスキャニングしてあるけど、やっぱオリジナルは大事だぜ。

 これも新居に持って行くんだ。

 いつか、さ。……子供が出来たら、聞かせてやるんだ。二人でな。

 いつになるか分かんねーけど。


 おお、風が出て来たな。

 星が綺麗じゃねーか。

 こりゃ明日は晴れだろ。良かった良かった。

 大切な日だからな。

 ちょいと真面目に書く……ってか、考えてみるか。


 あ~、聞こえるかい?

 思考記録ってのは、空の上まで届くのかい?


 天国の大尉どの……。


 長く続いた戦争も、ようやく終わって。

 うちの連中もみんな元気だよ。

 平和維持軍、みたいな感じかな。

 今じゃオカダが立派に部隊を率いてるんだ。

 で、あたしの後釜はバーンズさ。

 今はもう、あいつがどんなパンツ穿いてるのか、知らねーけどな。


 なあ。

 天国の大尉どの。


 明日は、あんたの娘の晴れ舞台だぜ。


 あんたの娘は、本当に立派になったんだよ。

 今はもう、生きてる頃のあんたを追い抜いちまった。

 そう。少佐どのさ。

 航空機動大隊、A少佐だ。すげーだろ?

 あんたも天国から祝ってやってくれ。実の娘の快挙をさ。


 今でもあいつは不動のエースだ。

 ああ、戦争はもう終わっちまったけど、最後まであいつは飛んだよ。

 これからもな。きっと。

 まだまだ飛べるんだ。

 どこまでも飛べるんだよ。

 誰よりも高く。誰よりも遠くまで飛べるんだ。


 いままでずっと、あいつの背中で――あいつを護って来た。

 明日からも、あたしがあいつを護るから。

 だから、さ。

 明日は、あいつの晴れ姿を見守ってやってくれよ。

 なあ。お父さん。


 生まれて初めて……。自分で、さ。

 花を買ったんだ。

 見てくれよ。ほら。綺麗だろ?

 あいつの好きな、真っ赤な薔薇だよ。

 やっと花瓶に生けられたんだ。


 きっともう、こいつが凹む事はないさ。

 ……たぶんな。ふふ。


 そーいや、笑っちまうんだ。聞いてくれよ。

 いくらでも純白のドレスがあるってのに、あいつ。

 わざわざ、水色のドレスを選んだんだぜ……。

 な? 変だよな。

 おかしいだろ。

 あんまり、おかしくってさ。


 ……ほんっと、泣いた。

 おかしくて、笑っちまって、ボロボロ泣いちゃったからさ。


 約束する。

 あたしが幸せにする。

 一生懸けて、あいつをきっと幸せにするよ。

 だから明日は、あんたも一緒に歩こうな。

 ちゃんと見栄えのいい写真を選んだからさ。


 あー、なんか泣ける。

 なんでだろ。

 明日は一生で一番幸せな日だってのに……。


 ――だあああっ!!

 びっくりした! お前起きてたのかよ!?

 いつからそこに居やがった!?

 ――マジか! 早く言えよーもーっ!


 ……いや違う! 泣いてねぇ! ぜんぜん何にも泣いてねーから!!


 …………。


 ……ば~か……。


 知らねぇぞ? 明日早いのに……。


 …………。


 うん……。


 …………。


 ……あーもう、この話はこれで終わりだ!!


 ……………………。


 ………………。


 …………。


 <終了します>


  そして ふたりは いつまでも、いつまでも、

  しあわせに くらしました とさ。…………



 『ビッチ&メイデン』 ……完

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「ビッチ&メイデン」 豪腕はりー @gouwan

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