なにもかも全部、おれのせいなんだよ

「癌……ですって?」

 おれに次いでマツリの日記を読み終えた菜々緒が、怪訝そうな顔をして此方を見る。

「信じられないか。なら警察に尋ねるといい。司法解剖を行えば、腹の中からガン細胞がぱあーっと出て来ると思うぜ」

 ずっと、疑問に思っていた。

 たかが代筆願いに、死なんて物騒な表現を使うのは何故なのか。他のあれそれに訳が付いても、その一点だけが解せないままで。

 向こうは『識っている』前提で話を進め、おれに後を託し、気負わせたくないからと逃げ出した。

(逆効果だぜ、馬鹿野郎)

 あの手紙は、何一つ嘘を書いちゃいなかった。上代茉莉は死を選び、自らの分身をおれに託して、命を断った。激昂した酔っ払いの戯言を本気と取り、大丈夫だと期待して。

 何故今まで気付かなかったのだろう。こんなにも胸を締め付ける苦しみを、どうして忘れていられたのだろう。

 忘れるしか、無かったのだ。一度認めてしまったら、おれはおれでいられなくなる。酔いに任せて冗談だと笑い飛ばし、心の片隅に押し込めた。

 それが間違いだと解っていた上で。


「でさ、ここからが本題になるわけだけど……。聞くか?」

「今更。ここまで来て引き下がると思う?」

「だろうな」

 本当のことを言えば、ずっと胸の中にしまっておきたい。忘れたままでいたかった。けれど、向こうも茉莉を好いた人間だ。ここへ来て口をつぐむ訳にはゆかない。

 記憶の海へと深く潜り、忘れようとしていたあの日を思い返す。

 少しずつ、情景が蘇って来た。夏の盛り、怒りに任せて呑み屋を離れ、砂利の多い裏の駐車スペースに行ってーー。



※ ※ ※



「癌。ガンって……冗談だろ?」

「今更、嘘なんて何になるのさ」

 赤ら顔に差した鋭い空気には、ヒトを騙したり茶化すような濁りはない。言いたいことをストレートにぶつける、アイツの本気の瞳。

 いきなり過ぎて、話がどうにも飲み込めない。癌ってなんだ。湖に居着いた鳥の話か? 違う、そんなんじゃない。ヒトを侵す不治の病。ひとたびかかれば生存率は著しく低い。

 何を馬鹿な。そんなもの信じると思うか。今この場に於いてなおげらけらと笑うおれを前に、あいつが咳き込み、首を下向けごほごほと咽る。

「ごめん。ちょっと……ごめん」

「嘘も何もあるかよ。泥酔してテキトーなこと言いやがって」

 待てよ。口から噴いてるありゃ何だ。新鮮な赤色がぽたぽたと。

 おれにだって、痰に血が混じることくらいある。風邪っぴきで寝込んでいる時、透明な中に点々と。だがあれは『赤』そのものだ。血混じりどころか血そのもの。んなモンがあれだけ出るってことはーー。


「これで、解ってくれた?」

「無茶言うなよバカ。だったら何で呑んでんだ。血ィ吐いてまで酒呑むんじゃねぇ」

「こちとら医者からオッケー貰ってるんだよアホぅ。もう回復する見込みは無いってさ」

 死ぬときくらいは好きにさせてあげて、ってやつか。声を張って啖呵切るとこをみてると、とてもそんな風に見えないが……。

「解ったでしょ。あたしはもう長くないんだ。最期くらい、好きにワガママ言わせてよ。いい加減に覚悟決めてよ。言い訳に逃げないで、あの頃のキモチ、思い出してよ!」


「あのな。さっきからいい加減なことばっかりグダクダ、グダクダと」

 この期に及んで認めなかったのは、酔い故か、現実から目を背けたいからか。どちらにせよ愚かにも程がある。そう考える余裕なんて、この時のおれには無かった訳だけど。

「どんなに請われようがお断りだ。好き好んで黒歴史を全国に触れ回るバカが何処にいる」

「だから、あれは黒歴史なんかじゃ」

「おれの中じゃ完全にそうなんだよ! 今更蒸し返して気持ちのイイもんじゃないんだってーの」

 馬鹿はお前だ。アイツの叫びに耳を貸さず、引っ掻き回すなと突き放して。

 上代茉莉は本気だったんだぞ。蒼い顔でおれを睨み、目に涙を溜めて頼み続けていたのに。なんで頷いてやれなかった。どうして最期まで信じてやれなかったんだ。


「解ったよ。そんなに言うなら、あたしにも考えがある」

「ほっほゥ、聞かせてもらおうじゃねぇのさ」

「へっ、そーやってニヤければいいさ。ドッキリだぞ! 退っ引きならない状況に追い込んで、もうずっぽずぽだぞ! めっちゃんめっちゃんにしてやるんだからなっ! 覚悟しろよざっぱー!!!!」

「あぁそうかよ、せいぜい頑張れ。おれァ知ったこっちゃねえ」

 こんなこと言える人間が死ぬものか。あれはやっぱり出まかせだったんだ。お前だってそう思うだろ?

 でもそれが、生前聞いたあいつの最期の肉声だった。はいよはいよと頷くうち、酔いがアタマまで回って倒れたおれを、奴はおれの端末でタクシー呼び付けたらしいんだな。着いたから運転手に叩き起こされて、深夜加算という名目で訳もわからずぼったくられて。



「それからのはなしは、お前もよく知っているだろ。これが、茉莉がおれにガーストを託した顛末ってワケさ」



※ ※ ※



「あんた……あんたって、ヒトは!」

 話が終わるなり、他の目も顧みず立ち上がり、掌で机を叩いて睨み付ける。店員が不安げな顔で此方を見たが、おれはほうぼうに大丈夫ですからとハンドサインを送る。


「で、何だよ。殴るか? 茉莉を死なせた、大罪人たるこのおれを」

 菜々緒の手は既に動き出しており、拳を握って振り被る。拳骨のひとつやふたつ、歯を折られ、血を噴いても仕方がないと覚悟していた。あいつは茉莉が大好きで、そんな彼女をおれが精神的に追い込んだ。殴られて済むなら安いもんだ。

 けど、そんなことに意味がないのは向こうだって承知の上。菜々緒は握る拳は平に解き、唇を震わせ座り込む。


「アンタの話が、この日記に綴られていたことが本当なら……。私は、あの子に、なんてことを……」

 出会い頭に脅し付けたあの覇気は何処へやら。菜々緒もまた、苦悶に満ち満ちた顔で項垂れている。

「私はただ、あの子の傍に居たかった。孤独に堪えるあの子の支えになりたいだけだったのに……!」

 死人に口なし、なんて言うのはおかしいか。アイツが菜々緒のことをどう思っていたか、頑なに否定するおれを見て何を思っていたか。今となっては何もかも総て推測でしかない。

「ナナちん、それは違う」

 けれど、おれが茉莉の想いを踏み躙り、無視を決め込み追い詰めた事実だけは変わらない。あの日あの時、泥酔さえしてなければ。もっと真面目に耳を傾けてさえいれば。

「もっと早くに、アイツの求めるところに気付いてさえいれば、少なくとももう少し、上代茉莉は生きていた」

 何もかも『れば』だ。今のおれは、あの時のおれじゃない。

「じゃあ、何よ。罪を認めたあなたは、これならどうするって言うの」

「決まってるだろ」茉莉の死を知ったあの日から、他にすべき手立てが無いのは解っていた。

 罪は罰されなければいけない。背負い込むのはおれひとりだけでいい。これ以上、誰にも迷惑をかけたくないんだ。


「警察に自首して来る。上代茉莉の自殺の原因としてな」





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