上代茉莉と桐乃菜々緒
「お願いします、どうしても、この作品を本にしたいんです」
「そう、言われてもね……」
押し入れに残った紙束を片っ端から文字列に変換。賞に応募してみたものの、本になるどころか選考に掠りすらしない有様。
それでも諦めきれないと、持ち込んだのはうちより程近いF書房。
もう十五社近くを回ったが、門前払いか追い返されるのほぼ二択。これが、最後のチャンスだと思った。絶対に外してはならないと。
「話としては面白いけど、うちのイメージとかけ離れてるのはちょっとね。悪いけれど……」
「そうやって体よく、逃げるんですかッ」
もう、その手の返答も聞き飽きた。流し読みでも半ばまで見てくれたひとだ。このお話を本にするならば、彼女を絶対に逃すわけには行かない。
「案配に頼ってばかりの会社に成長はありません。前例がないなら創ればいい。私の――、ガーディアン・ストライカーにはそれだけのチカラがある。私はそう、信じるッ」
「す、すごい自信ね。でも、それなら別にうちじゃなくたって」
「いいえ」あたしを観るあのひとの瞳が揺れる。畳み掛けるならば、今しかない!
「この話を"面白い"と言ってくれたのも、ちゃんと逢ってハナシをしてくれたのもあなたが初めてなんです。どうせなら、解ってくれるひとと一緒に物語を紡ぎたい。だから」
どこまでが嘘で、どこまでが本当か。改めて紙に起こして振り返ってみれば、滅茶苦茶なことをしていると自分でも思う。
それでも、この時のあたしには、他にカレを焚きつける方法なんて、思い付きさえしなかった。
「わ、解った……。解ったわ。一度、一度編集長と掛け合ってみる。それで、いい?」
「ほ、ほんとですか!? やった! やったぜーッ」
これが、編集者・桐乃菜々緒さんとの出逢い。ようやっと、この物語をカタチに出来る。此の時のあたしはそれで頭がいっぱいで、後に続くことなど、考えもしなかった。
※ ※ ※
「お待たせしました。たっぷりブレンドコーヒーとてりやきチキンサンドでーす」
「あ、あ。はい。そこへ……」
店員の運ぶサンドイッチと、珈琲の芳しい薫りを嗅ぎ、唐突に現実へと引き戻される。
菜々緒のやつ。そんなことがあったなら、おれにもちゃんと話してくれりゃあよかったのに。
(なんで、こんなの……読み始めちゃったんだろうなあ……)
まだ三分の二くらいなのに、早くも後悔が好奇心を上回って来やがった。頁を捲れば捲るほど、知りたくもない真実が顔を出す。
ここに書かれていたことが正しいのなら、ガーストは色んなところで受け取りを拒否され、ナナちんという奇特な編集者の目に止まらなければ、誰彼に鼻で笑われる代物だったことになる。
「まあ、実際そうなんだけどさ」
記録に残り、こうして綴られると、見ていてなんだかいたたまれない。自分の書いたもの故に、いたたまれない。
けど、今更やめて何になる。諦めた故の凝りが残るだけだ。嫌でも何でも、現実は現実として受け容れねばならぬ。
運ばれてきたチキンサンドの頭頂をフォークで突き、一切れを一息に頬張って、続く文字列を目で追った。
◆ ◆ ◆
「――ね。ね。次の章はストライカーと孤児の少年との交流がやりたいわ。なんとか、出来そう?」
「あー……。OKナナちん、ちょっと考えてみる。二日、もらっていい?」
「――いいのよ、いいのよゆっくりで。まだまだ締め切りまで時間あるから。それよりも、ね? お昼まだでしょ。最近駅前に美味しいパスタの店が出来たっていうから」
上ずった声の担当編集を躱し、通話を切ってため息を一つ。
担当編集者って、こんなに作者と距離が近いものなんだっけ。アイデア出しや進捗をと何度も呼び出され、その都度会話に託けお食事したり服を見たり。時々みていて不安になる。
それでも、あたしからは出ないアイデアを逐一出してくれるのはありがたい。『元の』ネタと混ぜ込んで、ひとつの文章に変換出来るから。
カレが中学時代見せてくれたお話は、所謂台本形式で擬音も丸出し。前後が繋がらない展開が多く、とてもじゃないけどそのまま使う訳にはゆかなかった。
だから辞書を引いて、いらない部分を削り、文章として第三者が読めるカタチにする必要があった。
カレの話を本にする。少し本末転倒な気もするけれど、それがカレのためなんだと自分に言い聞かせた。
「――それでね、それでね。三巻目の目玉、超人・マッハバロン。ギギにはどういった発注掛けようかってことでーえー」
「あー。その辺もナナちんに任せる。文字から滅茶苦茶離れて無ければおっけーでーす」
順調か? それはわからない。文字列は『ガーディアン・ストライカー』という名でカタチとなり、本屋のノベルコーナーの片隅に数冊並ぶようになった。
けれど、カレがそれを手に取ることはない。呑みの席でそれとなくおすすめしようとも、あの時の澄んだ瞳は戻らない。
あたしは、一体何をしてるんだ。ヒトのものを無断で使い、名義を偽って本にまでして。これじゃあ立派なゴーストライター。否――、原稿を持ち逃げし、自らの手柄とした窃盗犯じゃないか。
「違う。あたしは、違う」
頭を振って否定はするが、どうしても不安が拭えない。罪悪感……? そんなわけあるか。あたしは正しい。此のお話を皆に知ってほしい。カレにあの頃のきらきらを取り戻してほしい。それだけなのに。
その行為が、正義じゃないなら、なんなんだ!
※ ※ ※
「正義じゃない。じゃないが、悪でも、ないよな」
菜々緒のやつが大分直にアプローチしていたのは驚きだが、そう茶化す場面でもない。
親切の押し売り。稚拙とはいえオリジナルの原稿をパクって作家デビュー。
訴えれば勝てる。誰も気付かなかったのは、ひとえにこれがおれの下手くそな落書きだったせい。
だが、奴がこれを世に出してくれたお蔭で、おれは忘れていた夢を思い出せた。
カッコカリで、辛いことも一杯あったが、夢見ていた職業に就くことが出来た。
おれにはあいつを裁けない。あいつが切り拓いた道に、なんとなく乗っかっただけの自分に、一体何が言えるというのか。
――ありがとね。あれに、ちゃんとトドメを刺してくれて。
親族から貰った手紙に書かれた、最期の一文。
この言葉が持つ意味が、酷く重たくなってゆく。
「おれはさ、そんなつもりで、引き受けたんじゃないっつーの」
――へえ。じゃあ、どんなつもり?
「どんな、って」
いや・いや。マツリじゃないなら今のは誰だ。
跳ねて伸び上がるおれの前に、赤渕眼鏡の見知った女。
不機嫌ここに極まれり。眉間の皺を幾重にも寄せ、読んでいた日記を掠め取る。
「おい、手前ェ」
「おばさまに、居場所を聞いたの」桐乃菜々緒は心底うんざりした声で切り出して来た。「茉莉の日記を奪って逃げ、お前には渡すなと釘を刺した。捜さない理由がある?」
「左様で……」
しといて何だが、ナナちんの怒りも尤もだ。境遇が同じなら、おれも似たことをしただろう。
「話を、戻しましょう」近寄る店員をアイスコーヒー、の一言で下がらせ、真向かいに威圧的に腰を下ろす。
「あなたは、どんな気持ちで、この作品に向かっていたのか。本当のところを聞きたいわ」
「話したくない、って言ったら?」
「あら。そんなこと、言える立場なのかしら」
ぱら、ぱらとページをめくり、そんなものはあり得ないと無言の剣幕。
そもそも、ガーストの執筆をしないで逃げたという負い目もある。今更彼女だけ除け者にするのも忍びない。
「わァったよ。話す、話すからさ」
「宜しい」
奴の目は先程のおれと同じ場所――。ガースト刊行当時のところで止まった。
となれば仔細はその辺からか。出来ることなら話したくない。だが、逃げる場所だってここには無い。
ケリを、付ける時が来た。逃げて逃げて、忘れてまで逃げ続けた。おれ自身の「罪」の記憶から。
「あれから……もう一年ちょっとになるのかな。突然マツリに呼び出され、呑みに行こうといつもの店に向かった時さ」
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